人形姫は婚約破棄を企てる
はじめまして、僉と申します。なろうでは初投稿です。
流行りの悪役令嬢物を書こうとしたのですが、何時の間にやら、別物になってしまいました……ついつい長く書いてしまうので、短編の練習も兼ねて。
「フェリシア、貴方との婚約は破棄させてもらう」
フェリシア、と呼ばれた少女は翡翠の瞳を一瞬見開いたが、すぐに普段通りの感情の読めない微笑みを顔に貼りつける。公爵令嬢たるもの、感情を見せてはいけないという母の教えからである。かつて『社交界の黒薔薇』と呼ばれた母の生き写しとも言われる彼女だが、時の貴公子全てを魅了させたという母親とは違い、見た目は美しいが熱を持たない、まるで人形のようだと周囲からは噂されていた。
「……何故、とお尋ねしてもよろしいでしょうか」
「貴方との婚姻は政略的なもの。王太子たる者仕方のないことと諦めていたが、彼女……ミーアと出会い、真の愛を知ってしまったのだ」
「アルデバート様……」
王太子、アルデバートは腰を抱いた少女に対して微笑みかける。愛らしい顔立ちの少女、ミーアはヘーゼルの瞳に涙を湛え、頬を紅潮させながらアルデバートを見上げている。
王宮の庭園の片隅とはいえ、全く人が来ない場所ではない。にもかかわらず二人の世界を作る彼らに、残されたフェリシアは小さく咳払いをした。
「お言葉ですが殿下。まだ書面上の婚約者は私であることをお忘れにならないでください」
「……すまない」
腰に添えた腕をほどき、アルデバートはミーアとの距離をとる。それが不満だったらしく、ミーアは決して王太子には見えない角度からフェリシアを睨んだ。
「……素直なお嬢さんですこと」
ぽつり、とフェリシアは皮肉を吐く。
美人ではあるがキツイ印象を持たせるフェリシアとは異なり、蜂蜜色の柔らかい髪にヘーゼルの大きな瞳を持つミーアは小動物を思わせる愛らしい相貌だ。
可愛らしい外見に加えて感情のままに表情を変える彼女を慕う貴公子は多く存在する。それだけならよいのだが、問題なのは彼らの多くが婚約者持ちであるということだ。男性側が一方的に好意を寄せているだけなら彼女に責は無いが、当然のように社交界の場で彼らを侍らせている様子から同年代の女性達には陰で『略奪女』や『男好き』などと呼ばれている。
ちなみにミーア本人曰く皆友達であり、恋人であるのは王太子だけらしい。とはいえ、婚約者持ちの男性の友人を公の場で連れまわすことも、婚約者のいる男性を恋人と堂々と宣言していることも、決してほめられた行為ではない。
今はいないが、普段、社交界の場で彼女の周囲にいる男性達の顔を思い浮かべる。彼らが皆、将来は国の要となる地位に就く者ばかりであることに、当事者達以外は頭が痛い。
「何か言ったか?」
「いいえ。それでお話は私との婚約を解消し、彼女と婚約を望む。以上でしょうか?」
「悪いとは思っている……だが、不器用な私では2人の女性を愛することなど出来ない。たとえミーアを側妃に迎えても、それは貴方を傷つけてしまうことになるだろう」
申し訳なさそうに顔を歪めるアルデバートに対し、フェリシアは相変わらず表情の読めない微笑を浮かべている。『不気味な人形ね』と、音にはせずともミーアの口がそう動いたことを理解したフェリシアは僅かに目を細める。
「ひとつだけよろしいでしょうか」
「なんだ?」
「殿下ではありません、ミリアリス様です」
「な、なんでしょうか……?」
まさか自分が呼ばれるとは思っていなかったのだろう。慌てた様子で、しかし完璧に、か弱い女性へと擬態する。自由自在に涙を操れる様に感心しながら、フェリシアは口を開いた。
「殿下は近い未来、王となられるお方です。貴方に求められることは妻としての役割のみではなく、王妃として、国母としての役割です。自身がそれに応えられるとお思いでしょうか?」
翡翠色の強い眼差しに射抜かれ、ミーアは思わず息を呑む。婚約者を奪われた可愛げのない女、と見くびっていたが、それが大きな間違いであったと気が付く。
『フェリシア嬢よりもミリアリス嬢の方が王妃に相応しい』と言い出したのは誰だったか。その時は謙遜しつつ、内心ではやはりそうかと喜んでいた。熱の無い無機質な言葉を紡ぐ、美しいだけのつまらない人形姫。そんな彼女に自分が劣るわけがないと。
しかし、初めて正面から対峙し、それが過ちだったと気付く。何が、と具体的に表現はできないが、体が演技ではなく自然と震えた。
「……」
「沈黙は否、と解釈いたしますよ」
常に微笑んでいて不気味だと思っていたが、今はその笑みが恐ろしい。だが、ミーアにも意地がある。彼女は唇をキュッと結び、フェリシアを睨み返した。
「っ……その役割が重いものであることは分かっています。大変なこともあると思います、でも、私は出来る限りの努力をするつもりですっ」
彼女の決意をどう受け止めたのか、フェリシアは「……そうですか」とだけ呟くと、ミーアから視線を外す。緊張から解放されホッと息をつくと、その背中を愛しい人から優しく撫でられた。
「正式な手続きの前に、フェリシアとは話をしておきたかった。本当にすまない」
「いえ。私の力が及ばず、殿下を満足させることが出来ずに申し訳ございません。どうか、お幸せに」
そう言い深くお辞儀をするフェリシア。
豊かな黒髪で覆い隠された顔は、それまでの無機質な微笑みとはうって変わって、黒薔薇を思わせる妖しい微笑だった。
数ヶ月前。
とある公爵家の一室で、1人の少女が机の上に広げた紙を難しい表情で見つめていた。
「これじゃダメね……」
ため息を吐き、豊かな黒髪を掻き上げる。紅を引かずとも真っ赤な唇に、染みひとつない白い肌。長い睫毛に飾られた瞳は本物の翡翠よりも美しい。
そんな彼女だが今は美しい顔を歪めており、憂いを帯びた横顔を見た者は老若男女関わらず彼女の助けとなりたいと思うだろう。しかし、幸か不幸か、ここには少女しか居なかった。
「この程度じゃ婚約破棄なんてしてもらえないわ……」
少女改め、フェリシア・シューランス公爵令嬢の婚約者は、この国の第一王子、アルデバート王太子殿下である。
近年、経済成長が停滞を見せたことについて、産業の発達を唱える穏健派と、近隣諸国からの強奪を唱える強硬派。シューランス家は穏健派の筆頭であり、それに賛同の意を示す王家が、12年前にかの家との婚約を望んだという、政略的な経緯からの婚約だった。また、当時9歳であった王太子と5歳のフェリシアは年齢的にも相応しいと思われた。
「まず王子が身分の低い女性と恋仲になって……それに婚約者が嫉妬……いやがらせの末、婚約破棄……嫌がらせなんて、こんなことしたら私もただじゃ済まないわ」
積み上げた恋愛小説を指先で弾き、何度目かのため息を零す。シチュエーションが現状と似ているので利用しようと考えたのだが、これではいくら破棄してもらえても自身への損害が大きすぎるだろう。
うーん、と頭を抱えるフェリシア。協力者の顔が浮かんだが、フルフルと頭を振ってかき消す。
「彼に頼ったらなんとかはしてくれるけど……それは最終手段よ。言い出したのは私なのだから」
自分で言いだしたことを無理だったと覆すのはフェリシアの流儀に反するし、何より彼に役立たずだと思われたくなかった。
もう一度、頭の中で情報を整理する。
婚約者の相手の女性はファミール子爵の三子であり末子でもある、長女ミリアリス。一人娘ということもあり両親や兄に可愛がられて育った彼女は、自分が世界で一番可愛いと本気で信じているらしい。更にどうすれば相手が可愛いと思ってくれるのか、好意を持ってくれるのかをきちんと理解し、実行している。
彼女に懸想する男性は把握しているだけでも十数名。その中から数名が入れ替わりで、社交界での彼女の取り巻きと化している。
また、その辺りに関心が寄っている所為なのか、頭は悪くなさそうなのに勉学の面はイマイチである。例を挙げるならば、人の名前や性格は覚えられるがその家の歴史や事業は分からない、花言葉は知っているが薬草は名前すら聞いたことがない、ファッションの流行には鋭敏だが情勢には無関心、などなど。
せめてもう少し王太子妃に相応しい女性なら、婚約破棄にしやすかっただろうに……とフェリシアは再びため息を零した。
「婚約破棄にしようと思ったら……私または公爵家の不祥事か、穏健派筆頭の我が家との縁が不要になるか……ミリアリス様が殿下の子を妊娠とか?」
一つ目はフェリシア自身に不利益であるし、二つ目は国の問題であり彼女にはどうしようもない。三つ目は論外である。
ふぅ、と息を吐き出して、再び本の山に視線を向ける。積み上げ過ぎて崩れそうなそれを整えようとして触れた本のタイトルを見て、ふとある考えが浮かぶ。
「……周囲が彼女を是非王太子妃に、と言えばいいのかしら?」
『悪態姫の恋煩い』という名のその本は、本心とは裏腹につい悪口を吐いてしまう少女が主人公であり、周囲の人々や婚約者の王子に誤解されながらも、最終的には性根の優しさを理解した王子とハッピーエンドを迎える。
婚約者と和解した後も、周囲の反対により婚約破棄の危機に陥った主人公。口の悪さ以外は完璧だったにも関わらず、その唯一の欠点のせいで、皆に誤解をされていたからだ。
評判というものは強い力を持つ。人間が行う全ての物事の根幹には、人間の感情が存在するからだ。
今回の場合、これと全く反対の状況にすればよいのではないだろうか。殿下が望み、周囲の賛成もあれば、多少の欠点は見逃されるだろう。
「多少じゃない気もするけれど。まぁ上手くいかなくとも、彼女を推す声が多ければ、私が辞退するっていう手もあるし」
ようやく解決の糸口が見つかり、フェリシアは蠱惑的な笑みを浮かべる。仮面を被っていない時は年相応の表情豊かな少女であり、そして心からの感情は一層彼女の魅力を引き立てる。
「そうと決まれば、サクラを用意しなきゃね。彼女を王太子妃に推す、ね」
新しい紙を机の上に広げ、いつ、誰が、どこで、どんな褒め言葉を言うかを緻密に記していく。3日後、協力者の意見も踏まえ推敲を繰り返して完成した計画書を前に、フェリシアは妖しく微笑んだ。
そして現在に戻る。
「アルデバート様。本当に私で良かったんですか……?」
春の訪れを告げる花々で溢れる庭園の隅で、フェリシアが立ち去って2人きりになったミーアは王太子に対し尋ねる。その瞳には薄らと涙が浮かんでおり、喜びと困惑が入り混じったというふうな態度で恋人を見上げている。
「君が素晴らしい女性であると皆が話している。そうだろう?」
「そんな……噂程の人物ではないです」
言葉では謙遜をしているものの、頬を赤らめ口角は上がっている。アルデバートはクスッと笑い、そして彼女の手を握った。
先ほどフェリシアに怖気づいたことも、普段あんなふうに睨まれたことがないから体が震えてしまったのだと決めつけ、すっかり頭から記憶を消去していた。
――誰よりも美しく、賢く、そして愛らしい私。唯一の汚点は、身分が子爵令嬢と低いことだ。しかし完璧な私を男性が放っておくはずもなく、予想通り、社交界にデビューした途端大勢の貴公子からの求婚を受けた。だが賢い私はすぐには返事はしない。あくまで彼らとは友人という立場をとり、最も魅力的な相手を唯一の恋人とするのだ。
そうして射落としたのが、この国の次期国王となる、アルデバート王太子殿下。その身分は勿論、端正な顔立ちに柔らかな物腰、賢王と名高い現王を思わせる頭脳、そして何より政略結婚にも拘らずそれを解消してまで私を唯一としてくれた深い愛情。これならば私の願いのままに従ってくれるだろう――
ミーアはこれから訪れる幸福を思い浮かべ、頬を更に紅潮させる。
「……近いうちに君のお父上にも挨拶に行かないとね」
「はい。あ、でもお父様は今、家にはいなくて……」
「そうなのか?」
「ノース地方で仕事があるからと、もう1年も前のことですが帰ってきていなくて。あ、でも、手紙は時々来るので心配はいりません」
「それは良かった。だが困ったな……当主の許可がないと、婚約は認められない」
貴族の結婚は契約のようなもの。たとえ愛情からの結婚であっても自分達だけで完結していいものではなく、さらにアルデバートは王太子という立場にある。
宙を見つめて悩むアルデバートの様子に、ミーアの胸中に不安が湧きあがる。もしも当主である父親と連絡が取れなければ、描いていた幸せな未来は潰えてしまう。
「せめて書簡でもよいのだが……」
ちらり、とアルデバートの視線がミーアに向けられる。書簡と言う言葉を聞き、ミーアは兄が父と手紙のやり取りをしていることを思い出し、パッと顔を喜色に染める。
「お手紙で良いのなら、兄様にお渡しして頂くよう頼みます! お父様と仕事の話を手紙でやり取りしているみたいなので!」
「……そうか」と小さく呟いたアルデバートの唇が、ゆっくり孤を描く。そして一瞬の間を置いた後、期待に目を輝かせる少女の頭を抱き寄せた。
「では、こちらから婚約についての正式な書簡を送るので、転送してもらえるようにお願いしてもらえるかい?」
「はい! でも夢のようです……アルデバート様とずっと一緒なんて……」
頭を抱き寄せられている所為で顔は上げられないが、その代わりにギュッと両腕をアルデバートの背中に回して喜びを伝えるミーア。
「あぁ……私もだよ」
そう同意の言葉を吐いた青年の目に、少女は映っていなかった。
「お嬢様。お手紙が届きました」
部屋で刺繍をしていたフェリシアへ、侍女から1通の手紙が差し出される。差出人は掛かれていないが、宛名の筆跡から相手を察した彼女は、刺繍の道具を籠に戻し、手紙の封を切った。
中に入っていたのは便箋が1枚だけ。最低限の情報のみを書簡ではやり取りをする、というのが協力者との取り決めだった。
「そう……全てが終わったのね」
ちらり、と窓の外に視線を向ける。公爵家の庭は王宮のような華やかさはないが、四季を感じるように作られている。落葉樹は色を変え始めており、もう少し経つと葉を落とすだろう。
フェリシアは再び手紙に視線を落し、そしてゆっくりと立ち上がった。
「少し出かけます。用意して下さる?」
馬車に乗り、たどり着いた先は王宮。あらかじめ話は通っていたようで、突然の訪問にもかかわらず目的地まで案内をされる。
そこはかつて、フェリシアが婚約破棄をされた王宮の庭園。しかしその時と異なるのは、隅ではなく真ん中で、小さなテーブルにティーセットまで用意されていたことだろう。
「いらっしゃい、フェリシア」
「ごきげんよう、アルデバート殿下」
椅子を引き、フェリシアをエスコートするアルデバート。彼女は一瞬だけ躊躇ったが、すぐにそれに応えた。
「ありがとうございます……ところで殿下、婚約破棄した女性を急に呼び出した上に二人きりなど、非常識ではありませんこと?」
珍しく怒気を含んだフェリシアの声色に、アルデバートはきょとんとする。急に呼び出すことは確かに良くないが、その程度で怒りを表に出すような女性ではないことを知っていたからだ。
「何か大事な予定があったのか? 家令に確認をした上で書簡を渡すように頼んだのだが」
「……何もありません。それよりも、今回の一件について、詳細を教えて下さるんですよね?」
ため息を飲み込み、本題について尋ねる。手紙には最低限の内容しか記さなかった為、何度かやり取りはしていたものの、十分な情報を得ることはできなかったのだ。
アルデバートは眉間に皺を寄せ、侍女や従者に距離を取るように指示をする。そして彼らが離れた所で移動すると、ドサリと行儀悪く背もたれに凭れ掛かった。その様子にフェリシアは「殿下、はしたないです」と窘めた。
「これくらい許してくれ。予想以上に大物だったよ」
「まぁ。隣国に戦争を持ちかけて利益を得ようとしていただけではなかったんですか?」
「あぁ……私もそう思ってたんだがな。強硬派の奴ら、北の大国と手を結んで王位を狙っていたようだ」
え、と思わずフェリシアは声を漏らした。現国王は賢王と名高く、民の信頼も厚い。強硬派の者から見れば穏健派の王は不愉快であっただろうが、それでもまともな人間なら謀反までは考えないだろう。王位を奪い取った所で民の反発を買い、万が一内乱となれば経済成長は完全に停止して強硬派としても不都合となる。
「強硬派の一部が武器の調達やら色々を隣国と密約していたらしい。結局は自分達の利益しか考えてないんだ」
「ということで、強硬派の上部はほぼ牢屋行きだ」と肩を竦める。フェリシアは大臣の顔を頭の中で並べ、半数に×を付けた。国の将来に不安を覚えるが、現国王の采配によりそれぞれの大臣と副大臣は別の派閥の者であることから恐らく大きな不具合は出ないであろう。
「まぁ、大事になる前に鎮静できて良かったよ。これもフェリシアの案のおかげだな、感謝する」
「ありがとうございます。私と婚約破棄をしたことを後悔しているのではなくて?」
試すように、上目使いでアルデバートの様子を窺う。彼は翡翠色の瞳を見つめ返しながら「そうだな」と薄く笑った。
「本当にしていたら、な」
その言葉に、フェリシアは外用ではない、美しい笑顔を婚約者へと見せた。
今回の一件の始まりは1年も前のことだった。
「フェリシア、相談があるんだが」
「なんでしょう、殿下」
普段は入れてもらえない執務室へ招かれたフェリシアは、興味津々に周囲を見ながらアルデバートに言葉を返す。大事な相談ゆえ執務室に呼んだがこの様子では……と複雑な気持ちになりつつ、青年は本題を切り出した。
「ファミール子爵を知っているか?」
「噂程度でしたら。優秀な方ですが子煩悩だと聞いております」
「そうだ。彼が重要な秘密を持ってるとして、貴方ならどう聞き出す?」
書類に向けられていた翡翠色の眼差しがアルデバートへと移る。彼女はその大きな瞳を3度瞬かせた後、口を開いた。
「子爵は特にご令嬢を可愛がっていると聞きますし、彼女を経由して情報を得てはいかがでしょうか。殿下に言い寄られて悪い気のする女性など居られませんわ」
「正直、恋心を利用するなんて酷い案だと最初は思った」
「私だって本当に実行するとは思いませんでした」
フェリシアの出した案は他にもあった。かの子爵家に隠密を忍ばせる、使用人を買収する、事情を知ってそうな嫡男を誘惑する、などなど。下調べをした際に令嬢が父親の仕事内容を全く知らなかった点も除外する理由のひとつにあった。
「これでも色々と考えたんだ。実はミリアリス嬢はサラール公爵の庶子でな」
「まぁ」
サラール公爵は強硬派の筆頭だ。言われてみれば確かに髪色が同じだろうか、とフェリシアは頭の中で2人を比べる。確かに公爵もそれなりに整った顔立ちだが、顎のラインが分からなくなる程度の脂肪を纏っている為、たとえ並んでいても親子だとは気付かないだろう。
「よく御存じで……あ、サラール公爵夫人といえば」
「叔母上だな。そこで子爵が強硬派の裏で重要なポストに就いている事が分かったのだが……まぁ、それはいいとして、庶子とはいえ、サラール公爵の娘が有力子息を侍らしている現状は良くないと思ってな」
子爵自体は表ではどちらの派閥にも付かない立場をとっている。それゆえにミーアに言い寄った貴公子達も気楽に声を掛けることが出来たのだ。しかし実際は子爵は裏で強硬派の重要なポストに就いており、実の父親が強硬派筆頭である。
穏健派に属する者、どちらにもつかず様子を見ている者、第三の派閥を企てる者と多種多様だが、ミーアと深い関係になることは、本人だけではなく、親兄弟、家、そして政況にも影響が現れる。
「ミリアリス様ご本人に自覚はおありなのですか?」
「いや、子爵の娘だと信じているようだ。もし知っていたなら、さすがに私も近づかないよ。命の危険までは冒したくない」
謀反を企てていたということは、アルデバートの暗殺も含まれるはずである。もしミーアに公爵の娘だという自覚があれば、アルデバートと恋人となったという情報が入った時点で毒でも盛られていたことだろう。もしくは恋人になる以前の問題で、敵対勢力の男が近づいてきた時点で警戒されていた可能性もある。
「ある意味子爵が都から遠く離れていて良かったよ。子爵に私の情報が入っていれば、毒殺は避けられても、尻尾を掴むことは難しかっただろうからな」
「あの子爵と息子に王家の者を暗殺する程の気概はないな」と、今は檻の向こうにいる人物たちを思い浮かべる。
今回子爵家を探ったのは、子爵が隣国との交渉人という重要なポストに就いているといった理由だけではない。他の強硬派の重要人物と比較して、詰めの甘さがチラホラと見えたからだ。特に息子の方は酷く、妹が敵対派閥の者と仲良くしていてもそれを微塵も怪しまずにただただ純粋に妹の幸運を喜び、挙句の果てには書簡の中身を確認せずにそのまま父親へと転送したのだ。
「ところで」
「ん?」
「ミリアリス様の処遇はどのように?」
「あぁ……父親や兄が国家反逆に関わっていたなど全く知らなかった上に、利用したことは申し訳ないと思わないでもないが。サラール公爵の娘を野放しにはできまい。修道院行きの予定だ」
アルデバートは修道院の名前を口にし、フェリシアは瞠目する。そこは男子禁制は勿論であるが、一度入れば二度とでることが出来ず、さらに重労働を科せられることで有名だからだ。
「そうでしたか。てっきり本当の恋人のように親しげでしたので、軽い処罰を与えられるのではないかと思いましたわ」
「フェリシア?」
「更に振りとはいえ婚約破棄までするなんて。そこまでせずとも情報は得られると思うのですが」
「……」
「殿下」
ニコリと口元こそ笑っているが、怒っていることは一目瞭然だった。
先程の怒りの原因も、『婚約破棄までさせられた』ということだったのだろうと、今更になって気が付く。
「すまなかった」
「認めましたわね。で? 私に方法を考えさせてまで婚約破棄した理由を教えて下さりますか? あぁ、下らない内容であった場合はそれ相応の憂さ晴らしにお付き合いして下さいね?」
「……甘んじて受けよう」
身分はアルデバートの方が上ではあるが、幼い頃からの婚約者でもう12年来の付き合いである。何より今回の件は完全に自分に非があることが分かっていた。
恋人の振りというのはフェリシアの案だったが婚約破棄の振りをするのはアルデバートの案であった。「そこまでする必要はあるのか」「生半可な理由では逆にミーアに怪しまれるのではないか」と彼女は抗議したが、より気を許してもらう為と無理矢理アルデバートが押し通したのだ。
更にアルデバートの考える婚約破棄の理由は「自分の我侭で」「ミーアが可愛すぎるから」など、不自然だ、根拠がない、と散々フェリシアにダメ出しをされ、最終的に『私が考えるから殿下は恋人の振りがばれないようにだけしておいて』と言われたのだった。
「言質はとりましたよ。では、弁明をどうぞ」
紅茶のカップを手に取り、優雅に微笑むフェリシア。一見、慈愛に満ちた美しい笑みだが、親しんでいる者から見ると目が全く笑っていないことが分かった。
「……ミーア嬢と恋人の振りをし、更に婚約破棄をする状況を考えることで……フェリシアが少しばかり嫉妬してくれやしないかと……」
「すまない」と頭を下げるアルデバート。申し訳なく思うのと同時に、フェリシアの顔を正面から見る勇気がなかったからだ。
しばらく沈黙が続いたが、コトリとフェリシアがカップを置く音が響き、「そういえば」と少女が呟く。感情の読めない呟きに、ゆっくりとアルデバートは頭を上げた。
「3日後、南の国から隊商がいらっしゃって、大きな市が開かれるそうです」
「……何が欲しい」
南の国の隊商が売る品は珍しいものが多く、特に金や宝石などをふんだんに使用した装飾品が有名である。憂さ晴らしと言われた為につい口調が重々しくなってしまったが、よくよく考えると自らの与えた装飾品で美しい婚約者を更に美しくするのも悪くない。
惚れた弱みだな、とアルデバートは苦笑する。
「何も」
「え?」
「ただ、アルと一緒に見て回りたいの。ダメ?」
白い肌をほんのりと赤く染め、小首を傾げておねだりをするフェリシア。美しいがまだ幼さの残る外見に見え隠れする女性としての魅力。アルデバートはしばし固まった後、右手で顔を覆いながら息を吐いた。
「……断れる訳がないだろう。3日後だな、迎えに行こう」
「ありがとう。それと……」
そこで一度口を閉ざす。少し熱が引いたとはいえまだ赤い顔を隠しながら、アルデバートは目線だけを少女に向け、言葉の先を促す。
フェリシアはそっと手を伸ばし、空いている左手を自身の両手で包んだ。
「ミリアリス様にしていたような、仲睦まじい恋人のように扱って欲しいわ」
「……まいったな。婚約者殿は随分優秀な策士のようだ」
普段は人形姫と呼ばれるくらいに感情が読めない顔で冷淡な言葉を紡ぐのに、時々こうして年下の婚約者らしく甘えてくるから性質が悪い。そう思いながらも口元が緩むのを押さえられないアルデバートは、照れ隠しに軽い調子で冗談をつく。
フェリシアは目をパチクリとさせたがそれも一瞬のことで、良いことを思いついたという様子で悠然と笑みを浮かべた。
「ふふっ、褒めるよりも婚約破棄してくれない?」
「は? 何を言って……」
「早く婚約じゃなくて、婚姻にして欲しいわ。未来の旦那様」
予想以上に長くなってしまいました……もっと精進します。
ちなみに、この一件でアルデバートが恋人役になった為に、予定では半年前だった結婚を先伸ばしにされたことにもフェリシアは怒ってるという裏設定があったり。
2015/09/19 感想にてご指摘いただいた箇所を修正しました。