8、再び領主館にて
キヤ軍が帰還したという知らせを受けて、俺は急いで玄関へと向かった。
「お帰りなさいませ。」
初めてこの屋敷に来た時同様、使用人達が頭を下げていく。
ニコライが遠征して2週間。キヤでも雪が舞い始めていた。
「只今戻りました。」
2週間振りのニコライの声だ。記憶にあるより若干疲れているような気もする。
「ニコライ!無事でよかった……。」
思わず駆け寄ってしまう。家庭教師となったソフィー先生に言わせると『はしたない』行為らしいが、奥方様も同じ事をしていたし、まぁいいだろう。
「ただいま、僕のお姫さま。」
ニコライが言う。誰がお姫さまだ、女たらしめ!
「心配かけてごめんね。これ、ありがとう。」
自分の部屋に連行された俺は、そこで預けた鍵を返された。
「ソフィー先生からフス族の事は聞いた?元々危険じゃないんだってこと。」
「互いに死人が出ないようにしてるのと、交易の事なら聞いた。でも、戦えばやっぱり死人や怪我人は出るだろ?」
ニコライが顔をしかめた。
戦争なんて、結局何が起こるかわからない。死者や負傷者が全くいない訳がないのだ。
「まぁね。君は正しい。誰も死なない訳じゃない。」
「ニコライは女なのに、前線で戦って、剣振り回して。体に傷でも付いたらどうすんだ。それに指揮官だからって絶対に生きて帰れる訳じゃないだろ。」
「気を付けるよ。胆に命じておく。僕がいなくなると、君の立場も危うくなるしね。」
確かにそうだが、そういう意味で言ってるんじゃないんだよ。
と思ったが言葉にはならず、今度は俺が顔をしかめる羽目になった。
「ところでこれ、鍵のお土産。」
そう言ってニコライが差し出してきたのは、半円の謎の物体。
「何だこれ?」
「櫛だって。綺麗でしょ。髪を梳したり、飾ったりするんだって。」
ほらこんな風に、とニコライは俺のカツラに『クシ』の歯を当てるが、ふわふわと言えば聞こえの良い姉の髪はうねって歯が通りにくく、ブラシでないと梳せない。ちなみに俺の地毛も同様である。
「う~ん、思ったより難しいな。無理矢理だと歯が折れそうだ。」
「貸してみろ。」
俺はクシをニコライの手から奪い、座っているニコライの後ろに回り込むと、そのまま彼女の髪を梳いていく。
ニコライの白銀の髪はサラサラで、梳けば艶やかな光沢を放った。戦場帰りの筈なのになんだか良いにおいがして、少し照れる。
「あ、これ気持ちいい。」
ニコライがうっとりした声で言う。背後にいるせいで顔が見られないのが残念だ。
「う~ん、思っていたのと違う感じになったけど、これはこれでいいか。折角君へのお土産だったのに、僕ばかり良い目を見て申し訳ないな。」
「別に、お土産なんていいよ。また梳してやるから好きな時に来れば。」
『思っていたの』が何なのかは聞かないことにしよう。どうせロクなもんじゃあるまい。
それよりさっきからこれがツンデレか、とかぶつぶつ言うのはやめろ。
さて、翌日の事である。
朝起きて窓を開けると、ニコライがこちらに向かって手を振っていた。
「おはよう、良い朝だね。動きやすい服に着替えたら、ここに降りてこれるかい?」
「ちょっと待ってろ。」
慌てて簡易なワンピースを着ると、部屋を出る。
女装に抵抗が無くなってきた自分が辛い。
中庭には、見えない敵に向かって細身の剣を振るニコライの姿があった。
「ごめん、急がせちゃったね。ゆっくりでもよかったんだけど……。」
とニコライは言うが、中庭でいつから待機していたかと思えば、慌てもする。
「まぁいいや。とりあえず、これから剣の稽古をしようと思います。僕が教えるから、稽古中僕のことを師匠と呼ぶように。」
唐突に宣言される。
こういう訳で、俺は剣の稽古をすることになったのだった。