Another Ep3:地獄に仏、聖界に魔王。
二話に分けました。
翌日の昼、途中までは異常のなかったはずの調査だったが、現在は壮絶な危機に立たされていた。
レイリーの部隊を囲むのは五十を超えるスカーレットウルフの群れ。どの個体も興奮状態にあり、異常なまでに狂暴になっていた。
「レイリー隊長!このままじゃ持たない!撤退を!」
「もう少し、あと少しだけ持ちこたえてくれハイディア!」
村長の依頼に出たのが昨日の正午を少し過ぎたくらいのころ。
最初のころは森の魔物が少し少なく感じる程度で、異常などなかった。だが、ほんの数十分前、陣形を組みながらゆっくりと進隊していくレイリー達の正面から、五十を超えるスカーレットウルフの群れが木々を燃え移る炎の如く向かってきたのだ。
瞬時に戦闘態勢に入るオーガ達に気付いたスカーレットウルフ達は、群れのリーダーであろう少し大きめのウルフの遠吠え一つですぐに陣形を組み、オーガ達を囲うような位置取りになる。
それから戦闘が始まるまではそうかからなかった。
一匹のスカーレットウルフが一番手前にいたオーガへと襲い掛かる。それをそのオーガが受け止め、すぐそばにいたもう一体のオーガが剣を振るう。
次の瞬間には他のスカーレットウルフやオーガ達も戦闘を始めており、この話は現在の状況へと追い付く。
レイリーの部隊の隊員の数は二十と少し。数の上ですでに劣勢のオーガにしては十分に持ちこたえた方だろう。
周囲を囲う形で広がるスカーレットウルフの群れの中で、レイリーは攻防を繰り広げながらも魔法を詠唱していた。
通常、魔法を発動するには詠唱か魔法陣を書くかの二通りがある。詠唱は使用する魔法によっては多大な時間が掛かるものもあるが、魔法陣はすでに陣が書かれておれば一瞬で発動できる。人に何かを伝える際に言葉で説明するか、文字と図で説明するか位の違いだろう。なので、本来は集団戦闘においては魔法陣がポピュラーであるが、オーガにはそんなものを書くだけの知識はない。それに紙はこの世界では高級品なのだ。
つまり、レイリーに選べる選択肢は詠唱以外になかった。
「……。よし、詠唱が完了した!これより魔法を発動する。総員、離脱準備に入れ!」
レイリーのその掛け声に、全員が何かしらの反応を見せる。
それを目の端で確認すると、レイリーは目の前のスカーレットウルフに深く切りかかるように一撃を放ち、それを避けようと大きく後退するスカーレットウルフに合わせて自分も一歩後ろに飛び退く。そして、その両足が地に着くと同時に魔法の発動を示す術名を叫ぶように言う。
「発動!”黒霧の森”!」
その発動と共に、ハイディアは「総員撤退!」と合図をだし、周囲を少しずつ黒い霧が覆う。数秒後、そこには視野を失い右往左往するスカーレットウルフとレイリーしか残っていなかった。
スカーレットウルフの中にもレイリーから離れた位置にいた個体は、撤退するオーガに気付き追った者もいるようだったが、それも数体。問題ではない。
多くのスカーレットウルフはいまだ黒霧の中に囚われている。レイリーと共に。
レイリーの使える魔法は、闇魔法の中でも幻術魔法と言われる相手を惑わす類の魔法だった。それは相手の視覚、嗅覚、聴覚などの感覚を惑わす事が出来る協力なものだが、レイリーは魔法の才があったとはいえ、その熟練度は低い。幻覚魔法の中でも比較的初級の魔法しか使えず、初級の魔法はその効果も弱いのだ。
現在使っている”黒霧の森”は初級の中では上位のものではあるが、その効果は使用者の半径数メートルに黒霧を発生させ、その中にいる者の視覚と嗅覚を奪うというものなのだ。
その効果にレイリーだけがここに残った理由がある。
黒霧の発動範囲は使用者の周囲数メートル。使用者であるレイリーまでもが逃げてしまうと黒霧自体も一緒に移動してしまい、相手に位置がバレてしまうので意味がないのだ。
部隊の者達はレイリーが使用できる魔法をすべて知っている。この魔法の欠点にも気付いていたのだ。なので、レイリーを一人残した。
しかし、それは見捨てたわけではない。彼らはレイリーの魔法をすべて把握しているのだ。レイリーにまだこの状況から脱するための魔法があることも、知っていた。
”通り抜ける光”。他人から自分の姿を見えなくする魔法だ。それを使用すれば難なくその場を離脱出来るのだ。
だが、誰も気付いていなかった。
魔法を使用するには魔力が必要であり、本来オーガはそれが極めて少ない。魔法の才があり、他のオーガよりも魔力が多いレイリーだったが、それでも種族的に魔法に適していないオーガだ。他のオーガより多かったとしても、無尽蔵にあるわけではない。その上、今回は一度の調査から帰還し、すぐにまた調査に出たため魔力もそれほどに回復していなかった。
現在のレイリーには、”通り抜ける光”を使用するまでの魔力は残っていなかったのだ。
魔力の枯竭により、黒霧が晴れてくる。
ようやく敵を認識できたスカーレットウルフ達は、自分達の囲む中心にいるレイリーに向かって牙を剥く。
それを一瞥してレイリーは、仲間達が逃げていった方向を眺め、小さく呟く。
「皆は上手く逃げられただろうか。上手く逃げられたのなら、良かった…」
まるで別れを言うかのように諦めた表情を一瞬見せるも、彼女はすぐに表情を引き締める。そして、いまだ様子を窺うように周囲を取り囲むスカーレットウルフの群れを睨みつけると、腰を低くし、剣を構えた。
「もう少しだけ、時間稼ぎだな…」
生きることは諦めても、まだ戦う意思を失ってはいない彼女の瞳。
その瞳を覗き込んだ、一回り体の大きなスカーレットウルフのボスは、短く一つ吠え、単身で前へと歩み出る。
レイリーも察する。このウルフは「一騎打ちをしよう」と言っているのだと。すぐに体をそのスカーレットウルフへと向け、一層深く腰を落とす。
お互いの戦闘準備が整い、少し睨み合う。そして、ボスウルフが踏み込もうとした瞬間、突如吹き荒れる突風。
!?
レイリーが突風の吹いてきた方角を見ると、そこにはレイリーを取り囲んでいたスカーレットウルフの半数、二十強のそれらが、毛皮を切られ、肉を抉られ、中には胴体や首を両断され、惨たらしく死を撒き散らされていた。
何が起こったのか理解出来ないレイリーとは裏腹に、残ったスカーレットウルフやそのボスはいち早くその敵の存在を認識し、一斉に逃げ出す。
それから少し遅れてから、レイリーもその存在に気付いた。
角度的に少し木々で隠れてしっかりとは確認できないが、そこには二十強あまりのスカーレットウルフを殺したであろう原因があった。居た。
だが、それは次の瞬間にはそこにはおらず、一瞬遅れてその敵の動きをようやく感知できたレイリーは、空を見上げる。
そこには昆虫特有の半透明の羽を広げる鎌を持つ巨体がいた。容姿はカマキリのそれ。そこから発達した、巨体を支えるために大きくなった脚と、敵を一撃で葬ってしまいそうな鋭利で巨大な鎌。
話で聞いた程度ではあるが、レイリーはその魔物を知っていた。
確か名前は”母なる斬首者”。魔物の中でも強力な種だ。
マザーマンティスはわずか数秒で逃げ惑うスカーレットウルフ達に追い付き、その巨体で押し潰すように急降下する。
ズシンッという地響きと共に、一瞬で血に染まる地面を遠目に見たレイリーは、酷い恐怖に体を痙攣させる。死ぬ覚悟はできていたはずなのに、そのあまりにも理不尽な、一方的な殺戮に、闘志も折れてしまった。
「に…逃げ、なくてわ…」
そう思い、体を動かそうとも上手く力が入らない。
少しずつ、少しずつマザーマンティスがいる方向とは逆に進もうとするも、その距離はあまりにも伸びない。
不意に後ろを振り返った瞬間、向こう側もこちらの存在に気が付いたように目が合う。
そして、マザーマンティスの鎌が振るわれる。何かスキルでも使ったかのように鎌鼬が放たれ、レイリーのすぐ隣を抜ける。直撃はしなかったものの、それにより発生する突風だけでも十分にレイリーを傷付け、吹き飛ばした。
突風により飛ばされたレイリーは体を強く木に打ち付け、ついには立てなくなってしまう。
視界にはゆっくりと近付くマザーマンティスが映り、レイリーの死期が順調に近付いている事が目に見えて分かった。
こんな状況で考えるのは、なぜか後悔ばかりだ。
過去のどうしようもない小さなミスを後悔するばかり。それと、私が死んで泣く者のこと。ハイディアの気持ちには前から気付いていた。だが、昔からの友人として接してきた彼を恋愛対象とは見れず、曖昧なまま誤魔化してきた。そんなことも今更後悔している。
悪いことをしたな、と。
私は、皆の役に立てただろうか。こんな私でも、皆は必要にしてくれたのだ。悔いは残れど、幸福な生涯だった。そう思う。でも、もっと生きたかったな…。もっと、みんなと笑っていたかった。死にたくない。死にたくないよ。
ああ、やっぱり力なのかな。生きるためには、みんなを守るためには、力が必要なのかな。なら、欲しい。力が欲しい。生きるための力を、ください。邪神様、私にも、力を…。
そう願ったところで、レイリーが急に強くなるわけでもなく、マザーマンティスという彼女の死は、すぐそこまで来ていた。大きく鎌を振り上げた状態で。
私は死ぬんだ。
こんなにも理不尽に、こんなにも簡単に。
私は死ぬ。
死の前の一瞬の瞬き。
その一瞬の間に、彼女の目に映る光景は変わっていた。
どこからか飛来してくる岩の群。それがマザーマンティスを振り上げた鎌ごと押し返し、後退させる。
レイリーが重症で動かない体の唯一動かせる首をひねり、その岩が飛来してきた場所を見つめる。そこには、黒塗りされた頭蓋骨で作られた鬼の仮面を被る人間の子供がいた。
その子供は、レイリーも認識できないほどの速さでレイリーの元へと接近し、戦場には似つかわしくない落ち着いた声で静かに問いかけてくる。
「力を貸そうか?いや、力をやろうか?」
外見からは分からないが、口調からして少年なのだろう。
その少年が誰かなんて分からない。
しかし、レイリーはなぜかこの少年は信頼できると感じた。
「欲しい……。生きる為の力が、………仲間を守る為の力が、欲しい」
そのレイリーの返答に、少年は「そうか」と答えると、今度は口調を変え、再度問いただしてきた。
「敗北を知り、力に飢えし貪欲な牙よ。お前が望むのなら、我は力を与えよう。それは、誰かを守る為の力であり、己を生かす為の力だ。その力を、お前は望むか。」
レイリーは、痛む、動かぬ体を必死に身じろぎさせ、小さく答える。
「望む…!」
「ならば、誓え。我に忠誠を」
「誓う…!」
少年はその返答を聞くと、一拍置いてまた続ける。
気のせいかもしれないが、その少年が一瞬笑った気がした。
「ならば、我も誓おう。仇なす敵を討つ力を授けることを。我が名、ルローグの名の元に!牙よ、姿を変えよ!”魔器魔族化契約”!」
その宣言と共に、レイリーの体は黒き光に包まれ、それと同時にレイリーの意識は薄れていった。
次、視点変わります。