恋
事件調査の帰り、創本はケーキ屋の前を通りすがった。若い女性ばかり、ずいぶん並んでいる。何気なく足を止めていると、回転は速いのか列がなくなった。吸い込まれるように店を覗くと、可愛らしい店員が苦笑を浮かべた。
「すいません、ケーキさっきので売れ切れちゃって」
「そうですか」
そんなに美味しいなら雪に買ってやりたかったが―諦めて帰ろうかと思うと、ショーウインドーの隅に二個だけ残っているプリンが目に入った。
「これも、人気ありますか?」
「はい、もちろん!」
小さな可愛い箱を少し気恥ずかしくも大事に歩いていくと、携帯電話が鳴り響いた。雪の学校からだ。
「はい、もしもし…はい…ああ市子君か…ああ、大丈夫だ、今は仕事じゃ…っ、え、雪?いや、今は一緒では………っ、何?」
まどろむように、眠る、眠る、眠る。穏やかな眠り、割れるような頭痛がようやくおさまり、やっと目を開けると、廃工場のようなところで寝かされていた。産まれ育った『店』と匂いと雰囲気が似ている。ゆっくり体を起こすと、たくさんの男子生徒たちが並んでいた。比較的顔が整っている背の高い男に、綾小路が甘えた顔で何かしゃべっている。遠くて声がよく聞こえないが、口の動きで分かる。要は辱めてるところを写真に撮って、こちらの弱みを握りたいようだ。
雪が冷静に数を数える。合計六人。どうにか逃げられるかもしれないが、見えないところに誰か潜んでいるかもしれない。それに雪は奴隷として、ある程度の拷問に耐えられるほどの鍛えられ方はしたが、戦闘能力は鍛えられる機会がなかった。下手に抵抗すると殺されるかもしれない、それは自分に許されてないことだ。ならば、抵抗せずに、やりたいこと全てさせる方が安全だが―
「うわ、こんな可愛い子、本当にいいのかよ」
「あ、綾ちゃん…裸の写真撮るだけだよね?ちょ、ちょっと触っちゃダメかな」
「お前、ずりいぞ!俺が先に!俺が先だ!!」
「俺だ!!」
目の前で男子たちが殴り合い始め、慌てた綾小路がこちらに寄ってこようとしているのを、隣にいた男が止めた。
「こんなところ、綾ちゃんに見せられないよ。外で待ってて」
「え、で、でも」
「大丈夫、外で待ってて」
男が綾小路の頭に軽く口づけただけで、綾小路は耳まで真っ赤になり、軽い足取りで喜びながら外に出て行った。それを見送ると、男はカメラを構えた。
「ほら、お前たち、早くやれよ。誰でもいい」
「へへ、悪いなー」
「じゃあ、失礼して」
一枚、一枚、剥ぐように服を脱がされる。ずいぶん久しぶりの感覚だ。跨ってくる男たちの視線と空気で分かる。彼らは写真を撮るだけで終わらないだろう。自分の体は、そういう教育を受けているのだから。そして彼らの中でも一番自分を欲しているのは―
「あ、あれ、何だこれ…」
綾小路の隣にいた男が、他の男たちをかきわけ、汗ばむ額、荒い呼吸が止まらない口、震える手、自分の本能に頭がついていかないまま、下着だけになった雪に跨る。他の男たちも混ぜてもらおうと、笑顔で近づいていくが、彼は他の男全て殴りとばしてしまった。
「 」
男は獣のような叫びをあげ、雪の体を求め始めた。これは自分の元生業だ、何も思わない、何も感じない、しかし、創本が、市子が、きっとこんなこと許さない。
「うわああああああああ!!」
雪が大きな声を上げて暴れて抵抗すると、男は一瞬我に返ったように手を止めるが、すぐに雪の体が目に入り、再び襲いかかる。すごい力だ、今まで抵抗なんてしたことなかったから、本気になったら1人でも男には敵わないなんて、産まれて初めて知った。それでも雪が暴れていると、ふと、扉が開いた。
「お疲れ様、もう終わった?ねえ、今日のお食事だけれど―」
綾小路が、震えながら荷物を全て落とした。彼女の目には、倒れた男子生徒を飛び越えて、半裸の雪に跨った男しか映ってないのだろう。
「な…何してるの?」
「…っ、綾ちゃん!違うんだよ、これは…っ…彼女に、そう!彼女に誘惑されて!」
「やっぱり!!」
目に涙をためた綾小路が、大股で駆けつけると男を押し退け、雪に跨ると彼女の首を絞め始めた。
「殺してやる!殺してやる殺してやる殺してやる殺してやる!誰を奪ってもいいけど、彼だけは、彼だけは…っ、私を好きだと!愛してるって言ってくれたのに!」
綾小路が泣きながら、雪の頬を叩く。何度も、何度も、何度も、何度も。
「生まれつき可愛いからって調子に乗ってるんじゃないわよ!私が何度、整形させられたと思ってるのよ!何度、家庭教師を変えさせられたと思ったのよ!血が出るまで勉強したって、一番になれなくて…鼻の形がおかしいからってあんなに痛い手術何度も何度も…私が、今まで、今まで、どんな思いでっ」
「あ、綾ちゃん、落ち着けよ。その子、死んじゃうよ。さすがにまずいよ」
「大丈夫よ!お金出せば解決するわ!そうやって、いつも大丈夫だったもの!そうよ、人、1人、殺したくらい」
ふ、と、綾小路の手が止まる。気がつけば頬が怒り以外で紅潮し、手が、殴る以外のことを求めているのが自覚できる。唇が震える、何だ、これは。
「何…何よ…何なの、あんたっ…」
「あーららら、あらあらら。何か、すっごい面白いことになってる」
再び扉が開かれた先に立っていたのは、椿だった。彼女の顔を見て、綾小路の表情が一変した。
「つ、椿さん…違うの、これは…っ」
「今すぐ、帰ったら、見逃してあげてもいいわよ?」
「…っ!」
綾小路が泣きながら逃げ去り、それに慌てて男もついていく。床で倒れた男たちを踏みながら、椿が雪に近づいていく。彼女の顔を覗きこむ、呼吸は熱い。
「ずっと見てたけど、本当にすごい…こんなにまともに欲情したの初めて…女で良かったと思うわ…男だったら、さっきの馬鹿たたちみたいに、襲いかかってただろうから…ねえ、してもいい?女同士だから、妊娠しないし、いいでしょ」
「駄目」
「馬鹿、冗談よ。さっさと服を着て。本気にしちゃいそうだから」
服を着始めた雪を見ないように背中を向けて、椿が赤い顔を自分で叩く。こんな女に欲情したとなっては、末代までの恥だ。
「綾小路に加担して、あんたの弱みを握ろうかと思ったんだけど、止めたわ。あの女、頭悪すぎるし、付き添いの男たちも最悪…それよりもっといいこと、思いついた。ねえ、私とお友達になってよ。あんたの可愛さ、私が利用してあげる」
「それは嫌」
「こっの…」
椿がひくつきながら雪の鼻をつまんでやろうかと思ったそのときだった。扉が開け放たれ、警官が一斉に入ってきた。彼らは近くを逃げていた綾小路と男を捕えていく。椿は雪を引っ張り、物陰に隠れた。この場にいて、被害者として振舞うのは同情され点数を稼げるが、被害者は被害者として面倒だ。このまま隠れていた方がいい。
ふと、雪の方を見ると、椿は驚いた。雪が小刻みに震えているからだ。男に押し倒されようが、何をしようが、表情一つ変えなかったのに。今更恐怖がやってきたようには見えない。
「雪!いないのか、雪!!」
優しいが五月蠅い声、刑事たちの責任者だろうか、彼が呼ぶと、雪が震えながら立ちあがった。駆け寄ってきた彼は、震えながら雪の肩をつかんだ。
「大丈夫か!?」
「…っ、めんなさ…」
「え?」
「ごめんなさい…約束…守れなかった…」
寒がっているように雪が震え続ける。かつかつ歯を小刻みに当てながら、刑事―創本の顔を見れないでいる。彼はそのうち、椿の見たことのないような顔をして、雪を強く抱きしめた。
「そんなことはいい…良かった…無事で良かった…」
雪の震えが止まり、今度は創本が震え始めた。別の刑事に声をかけられるまで、彼はずっとそうしていた。ずっと見ていた椿は、ただ、驚いていた。あの人形のような雪にも、震えるほど失いたくない人間がいたのだ。
「雪、1人か?」
「ううん」
雪に指差されている気配を察し、椿は軽くめまいを起こした。まあ隠すようには言っておかなかった自分にも非はある。椿は急いで目に涙をつくり、創本に抱きついた。
「おまわりさん!怖かった!!」
「おお、もう安心だ」
必要以上に創本に抱きついてみせ、椿は雪に向かって唇だけ動かした。
友達になってくれないと この刑事誘惑するわよ
「雪、お友達か?」
「………うん」
通じた、おまけに譲った。最強の矛を手に入れた、椿は心の中で女王のように大笑いしている。ふと、刑事をかきわけ、見慣れた三つ編みが紛れ込んでくる。
「雪ちゃん!」
「…市子」
「良かった…本当に良かったぁ!」
わんわん大げさに泣きながら、市子が雪にすがりつく。雪は変わらず無表情のままだが、少し、嬉しそうに見えなくもない。友情ごっこ御苦労さま、ふん、と呟いた椿がその場を後にすると、バイクの音に足を止めた。
「よう、ふられんぼ。送ってってやるよ」
誰かと思えば、仁川だ。頭があやしいと思っていたが、やっぱりカツラで、おまけにこんな派手な頭が隠れていたとは、さすがの椿も予想だにしなかった。
「あら、どなたかしら。頭悪そうな髪。おっほっほ」
「そちらこそ、ずいぶん、嘘泣きが上手ですのね。女優になられた方がいいのではなくて?おっほっほ」
後日、警察には椿財閥からものすごい量の感謝が形になって贈られてきた。断る方が大変で、警察内がちょっとした騒ぎになっている。
「創本さん」
「お、おお、雪。どうしたんだ」
雪が警察署にやってくるなんて珍しい、何かあったかと身を乗り出すと、雪が口を開いた。
「椿さんのパーティーに誘われた…行ってもいいかと」
「なんだ、そんなことか。お友達からの誘いに、いちいち私の許可は要らないよ。行ってきなさい…あ、もしかして、ドレスとか買わないといけないのか?金、少しなら」
「ううん、椿さんが貸してくれるそうだから…それよりもあの…」
「?どうした、雪、腹でも痛いのか?」
創本さん気付いてあげて―署内のもの全てが言いたいこと言えずにいた。雪の背中の後ろには、パーティーの招待状がある。創本を誘いたいのだろう。しかし鈍い創本は、なぜか雪の体調ばかり気にしていた。
ふと、仕事から帰ってきた女刑事はぎょっとなった。どこの美少女かと思えば、いつか、自分が寺まで送っていった少女だ。相変わらず人形みたいに美しいが、なんだろう、少しは人間らしい顔になってきた気がする。そして―
「雪?本当に痛いところはないのか?」
微笑ましい、父親に見えるようで、誰も気づいていない、創本自身も気づいていない。彼もまた、雪に惹かれてしまっている。無自覚に、確実に、ゆっくりと。
それに気付くのは創本に気がある自分だけだと、女刑事は何事もなかったかのように、資料整理に戻った。
薄く化粧をし、自分が似合わない明るい色のドレスを着させ、美しい装飾を施せば、完璧な人形が出来上がる。鬼に金棒、自分に雪だ。椿は笑って、雪を立たせてやる。ヒールで立ちあがれないらしい。
「さすが私の飾り…いえ、それ以上だわ。いい、約束は覚えているわね。ちゃんとやらないと、あんたのお友達を養豚場に送ってやるんだから」
「かしこまりました」
雪は無表情ながらもものすごく嫌そうだ。椿が魔女のように高笑いしていると、ドレスを着て、ヒールを履いて、よちよち転びそうに市子がやってくる。
「はあはあ…ヒールってこんなに大変なんだね…うわあ!雪ちゃん可愛い!お人形さんみたい!」
「あなたも、まあまあね。豚にも衣装だわ」
「ぶ、豚には真珠でしょう」
「分かってるわよ。わざとよ、わざと。そのドレス一番安物だから、好きだけ汚してよくってよ。まあ、貴女にはとても弁償できないでしょうけど。じゃあ、私、行くから。エスコートが来るまで、大人しくしててね」
真っ赤なドレスに身を包んだ椿が颯爽とパーティー会場へと行き、その背中をあっかんべーした市子が見送る。雪が大きく息を吐いた。
「…口の悪い女」
「そうだね…椿さんの親衛隊が聞いたら卒倒するだろうね…でも、前の椿さんより、私、好きだな」
「市子、趣味が悪い」
「えー?」
ほどなくして、椿財閥の縁のある男性2人が雪と市子を迎えに来た。テレビで見るような美青年に市子は目を回しそうだったが、転ばないように必死で、緊張は足に集中した。雪の案内に来た男は彼女を見て、顔色一つ変えない。理由はすぐに分かった。彼は、市子をエスコートしている男しか見ていない。椿は本当に徹底し過ぎて怖いくらいだ、雪は導かれるまま、会場へと行く。こんなに相手に嫌悪感があるのは、始めてだった。今までずっと、誰も彼も、雪にとっては同じだったのに。
「お美しい、是非、私と一曲」
「いえ、私と」
会場に降りるなり、大半の男が雪に詰め寄った。椿と話中に外した者もいた。彼女は忙しくその男たちをインプットしていた。ここで悔しがるだけの女は駄目だ、男たちの財閥と名前を徹底的に覚えておく。いざというとき、自分を優先してくれない男など、今後の人生に用はない。
「お譲さん、ご招待ありがとう」
「ごきげんよ…あら」
場に不似合いな安物のスーツで誰かと思えば、創本だった。椿が急いで最上の営業スマイルを浮かべる。
「ようこそ、雪さんのお父様。こちらこそありがとうございます、お仕事、お忙しいのに」
「珍しく、仕事が早く終わってね…なんだか無理やり帰らされた感があるがね…雪は?」
お前もか、と脳内で蹴りとばしてやりたいところだが我慢する。彼は雪の父親代わり、おまけにただの刑事だ。最初から計算にも入ってない。
「あちらで殿方に囲まれておりますわ。おもてになって、羨ましいこと」
「創本さんっ」
「おお、雪っ」
駆けつけてきた雪の姿を見て、創本は猿みたいに真っ赤になった。あら、と、椿は口元に手を当てる。これは面白いものを見れた。
「か、可愛いな。うん、可愛い」
「ありがとうございます」
もじもじ、中学生のカップルか、苛立つ椿と同様に会場中から嫉妬の空気が湧きあがる。このままではまずい、椿はわざと声を張り上げた。
「雪さん、お父様と踊ったら?」
「え、え、雪、踊るのか…私は踊るなんて無理だから」
言いかけ、さすがの創本も会場中からの空気を敏感に察した。別の男と踊らせるわけにはいかない。
「踊ろう、雪」
「…はい」
「す、すまない、雪、また足を踏んだな」
「大丈夫です」
「難しいな」
予想はしていたが、雪の踊りは完璧だった。全く踊れない創本を上手くリードしている。相変わらず雪の素性は分からないままだが、推測くらいは出来た。創本が雪を引き取った時期と、ある忌まわしい事件の時期が重なったこと。雪が歓楽街の、奴隷小屋なる店に昼間から訪ね、警察の世話になっていたこと。それは一般人に突き付ければ十分脅しになる過去だが、雪はそんなことでは動じないだろう。そういう顔をしている。どちらかというとあの創本の方が気にして、下手したら街から出ていくかもしれない。それは困る。あれは私の武器だ。
「はじめまして、私、××財閥の」
「私は椿様の従兄弟の」
「は、は、はあ」
雪の父親ということで創本はすっかり囲まれてしまった。彼から取り入ろうとしているのだろう。今が好機だとばかりに、椿は雪に目で合図して、近づいた。
「どう。この会場にいる?あなたの店の客だった男」
「あそこと…あそこ、それから…あちら」
「そんなに?」
椿は忙しくメモを取りながら、ありがとう、と呟き忙しくどこかへ走っていった。その背中を見送り、雪はあることを思い出した。椿は、自分を産んだ女に似ているのだ。強く、気高く、美しい。しかし、あの女とは圧倒的に違うところがある。あの女は自分をころそうとして処分されたが、椿は自分を殺さないだろう。少なくても、利用価値がある間は。
椿は力がある。自分を殺して、社会的にごまかすなどわけがないだろう。それは創本との命令違反だ、彼女の期待に応えるようにしよう。
ふと、雪が顔を上げると、何人目か分からない男からダンスを申し込まれ、応じた。
珍しい料理ばかり、半ば自棄でもりもり食べながら、市子はずっとパーティー会場の奥で、ぽつりと立っていた。雪は椿に取られ、それが終わったと思えば、今度は男たちがわれ先に雪にダンスを申し込んでいる。覚悟はしていたがやっぱりつまらない。雪は大丈夫そうだし、帰ろうかと思っていた矢先、青年が市子の前に躍り出た。
「1人?それ、美味しそうだね」
「え、え?」
自分に話しかけている、綺麗なお嬢様ばかりいる中で。市子が目をしろくろさせていると、青年は優しく笑った。
「食べ終わった?ねえ、よかったら、静かなところで話さないかな」
「え、ええと」
どうしよう、どうしよう、市子が真っ赤な顔してもじもじしていると、苛立った青年が、市子の手を強引に引っ張った。
「全部裏が取れたよ。ありがとう。これで馬鹿なことをやっている企業といくつも切れる」
「お父様のお役に立てて嬉しいですわ」
椿がかしこまっておじぎする様子を、男がじっと見ている。椿大財閥の最高責任者である彼は、娘との間にだけ、大変な秘密を抱えていた。
「もっと近くで見せて…ああ、また、綺麗になったな」
「ありがとうございます、お父様…もう、頭を撫でないで。もう、子供ではありませんのよ」
「そうだな、もう、大人だったな」
「あっ」
両胸をわしづかみにされ、雪崩れるように唇を奪われる。そのままベッドに押し倒し、椿の首、胸を舐め、触りながら、椿のドレスを脱がしていく。脱がしづらいのかもどかしそうだ。
「お父様、いけません…こんなことを続けては…お母様があんまりです…」
「お前は本当に優しい子だね…さあ、また大人になった君を見せて」
「ああ、駄目、お父様…お父様…」
椿は胸元に忍ばせていた避妊薬を隠れて飲み、口では嫌がりながら、お気に入りのドレスが破かれないように、攻め立てる彼の熱を受け入れながらも、自分で脱いでいった。
また生でやりやがった―変な病気うつったらどうしてくれるのよ。
大股で椿が廊下を歩いていくと、ふと、メイドに連れられ、疲れ果てた創本を、メイドが客室へ案内しているところが見えた。あそこは遠方から来た客が泊まるところでもある。いい八つ当たりを見つけた。にいっと笑った椿がノックをすると、背広を脱いだ創本が扉を開けた。笑顔に力がない。
「お疲れ様でした」
「ああ、すまないね…見てくれ、この、名刺の数。俺に取り入ったところで」
「そうですよね。雪さんは、誰であろうと渡しませんものね」
含みのある言い方に創本が顔をあげると、椿はあいかわらず、張りついたように笑っていた。
「あとで、雪さんに来るように言っておきます。お好きに使って下さい、中から鍵もかかりますので」
「どういう意味だね」
「では、ごきげんよう」
椿がそのまま立ち去ってしまい、彼女の言葉のせいか、先ほどの雪の姿を思い出す。頭の中の彼女のドレスが、少しずつ、脱がされていく。創本は必死で首を横に振り、枕元のウイスキーを一気に飲み、横になった。
「いやああああああああ!!」
ふと悲鳴が聞こえ、創本が飛び起きる。
「市子君!?」
「いや、いや、やめてっ」
「うるせえ、ブス、暴れるな!」
「いやああっ」
ブス、ぶす、っていうなら、どうして誰もいない部屋に連れてくるの。鍵を閉めるの。ベッドに押し倒すの。無理やり足をこじ開けようとしているの。
特別な男子と手を繋いだことすらない市子にも、何をされようとしているかくらいは察しがついた。怖くてたまらないからひたすら暴れるが、男の力が強すぎる。
「ほら、見えた…入れてやるよ…」
「いやああああああ!!!」
-ばんっ!
「市子君!」
「…っ、創本さん!!」
「ああ、なんだ、お前!?」
男がやってきた創本につめよるが、柔道有段者である創本はあっという間に男を投げとばしてしまった。震えて飛びついてきた市子を、創本が優しく叩くように抱き返した。
「大丈夫、もう、大丈夫だ。全く…金持ちというのは、本当にどうしようもないな。はは、貧乏人のひがみだな」
「…ふふっ」
優しい人、必死で楽しいことを言ってくれている、涙が止まらない市子も無理やり笑った。それでもまだ震えが止まらない市子の手を、創本が握った。
「さあ、雪と帰ろう。何か食べようか」
「あ、私、もう結構…」
「なにい?」
2人が部屋から出ていく背中の向こう、鼻から血を出した男が胸から出したのは拳銃だった。
次々とダンスを相手をさせられ、さすがに疲れた雪が、ふと市子がどこにもいないことに気付いた。ダンスをいきなり終わらせられ、男は驚いていた。
「ど、どうしたんです」
「気分がすぐれなくて」
「では、部屋までご案内しましょう」
「おい、なら俺が」
俺が、俺が、と男たちが醜く争いだし、その隙をつき、雪が走り出す。嫌な予感が予感で終わればいい、なんでもないならそれでいい、誰かのために走るなんて始めてだった。この足はずっと、自分を殺そうとしていた母親から逃げるためだけに、早く走っていたから。
「うーん、ラーメンかな。市子君は何味が好きだ」
「私は醤油ですね。創本さんは?」
「塩かな。昔はとんこつも好きだったんだがな、最近では」
ぱん、と、軽くクラッカーみたいな音がなり、市子は何が起こったかすぐに理解が出来なかった。雪ちゃんは何味が好きですかね、と聞いた先の創本がいない。ふり返ると、足から血を出した、創本が床で倒れていた。
「創本さん!」
「来るんじゃない!!」
市子が叫びかけた口を自分で覆う。鼻血を出しながら拳銃を持って近づいてきたのは、さきほど、市子を犯そうとした男だった。
「この…ブスが…とっととやらせりゃいいのに…」
「こ…こ、この人、刑事さんなんですよ!こんなことして」
「だったら何だ!俺の親父がどんだけ権力あると思ってんだ、財閥のお譲様、何人犯したって痛くもかゆくもなかったんだよ!人1人殺したくらいじゃどうってことねえ!」
男が創本に銃口を向け、市子が泣き叫ぶ。
「いやあああああああ!!」
震えながら目を開けると、その場にいた誰もが驚いていた。撃たれたのは創本でも、市子でも、ましてや男でもない、雪だった。創本をかばい、美しいドレスが血で真っ赤だ。
「ゆ…雪ちゃん…?」
「…お、おおおおれ知らねえよ?その女が勝手に…俺、しらねえよ!」
「おい!」
創本が怒鳴りつけるが、男は泣きながら走り去ってしまった。最初から誰か殺すほど撃つつもりなかったのだろう。創本が雪を抱え込む。息はある。
「そ…もとさん…」
「しゃべるな!市子君、救急車!」
「はい!!」
市子が泣きながら、転びそうになりながら、それでも走っていき、創本が彼女の血を必死で衣服で食い止める。彼の目には涙がたまっていた。
「雪君…どうして…私なんか…」
「…せんせ…が…大事にしなさいって…」
「え…っ」
-先生の言うことを聞きなさい。
私の、私のせいか。創本が泣き叫ぶ。雪の血は止まらなかった。




