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雪、咲く。  作者: 七色
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二咲


 刑事から頼まれた女性警官は、少女の顔を見るなり、唖然とした。何だろう、これは。本当に同じ人間だろうか。作り物のように整った顔立ちで、無表情、何も映してなさそうな目、開こうともしない口、人形と言われても信じそうだ。彼女は恐怖すら感じた。

 「すまないね」

 尊敬する刑事に詫びられ、彼女は慌てて笑顔を浮かべた。

 「大丈夫です。さあ、行こう」

 なるべく笑顔で、少女の手を引いて車に乗せる。寺へは車で数時間かかる、交通機関を選ばなかった刑事の気持ちが、少女を見てよく分かった。



 助手席に乗せた少女は、何を話しかけても無反応だった。最初はひたすら空気が重く、女性はひたすら話しかけたり一人で馬鹿笑いしていたが、やがて疲れて何も言わなくなった。せめて表情さえ変わってくれたら少しは違ったかもしれないが、それがないのでは限界が来るのも早かった。

 途中パーキングエリアへ行き、少し迷ったが少女も連れていった。人は多くて助かった、顔をじっと見ない限りはそう目立たないだろう。手を引いて店内を歩く。小腹が空いたためお菓子を物色していると、ふと、彼女の存在を思い出した。何も言わないが、よく考えたら腹くらい減るだろう。

 「何か食べる?」

 そう聞くと、意外にもお菓子を手に取った。ずいぶん可愛らしいお菓子だ、少しでも子供らしい、女の子らしい一面があってほっとした。

 会計を済ませ、再び車に乗って出発する。少女はお菓子を抱いたまま、動かない。開け方が分からないのかと思って手を伸ばすが、拒まれた。ずっと大事に抱いている、女性はまあいいかとほおっておくと、少女はいつの間にか眠ってしまった。寝てしまううと、ますます人形のようだ。美しすぎる。


 

 少女を引き取った刑事は、少女の話を実に楽しそうにしていた。娘が出来たようだとご家族も喜んでいるとか。微笑ましく思っていたのに、わずか三日で、顔色を変えた刑事から、遠方の寺へ預けることにして、そこまで連れて行く役を頼まれた。土下座寸前んだった。

 かなり目立って騒ぎにもなったため、署内には好き勝手噂が流れた。信じられないが、彼女はあの年で異常な数の男を相手に金を取っていた。まさか刑事が―まさかお子さんたちが―確かまだ中学生なのに―

 いや。いらん詮索はよそう。それが警察内の暗黙の了解だ。



 少女は眠ったまま起きない、抱きあげると驚くほど軽かった。そのまま進んでいくと、彼女を抱いて歩いているだけで、非常に恥ずかしく、自分が情けなく思えた。彼女は今までもこれからも、男からは性的な目で見られ、女からは妬まれる。きっとまともに生きていけない。

 立派な寺だ、彼女をおぶさって会釈すると、僧が走ってやってきた。話は既に聞いているらしい。僧は少女に経を唱えると、奥から若い僧を2人呼んだ。彼らは二人がかりで少女を運んだ。その顔つきが一瞬変わったのを女性は見逃さなかった。 

 「あの…男性しかいないんですか」

 「はい。尼はおりません。連絡があった親類からは、身の回りのことは一通り自分で出来る、ただ食事だけは与えてくれとしか聞いておりませんので…そうではないのですか」

 「…いえ」

 確かに、刑事の言うとおり、この僧の言うとおり、身の回りのことが出来るだろう。食事も与えれば食べるだろう。だが、そういうことは問題ではない。いくら寺の僧でも、あの少女を見て手を出さずにいられるだろうか。

 しかし、だからどうしたというのだ。今から少女を預かってくれるという僧に、こんな不安をぶちまけるのか。心配だからといって、自分が彼女を引き取るのか。どちらもできっこない。女性はお願いします、と眠ったままの少女を僧に引き渡した。帰り道の方が、よほど空気が重かった。



 尼さえもいなかった寺に、突如舞い降りてきた天女に僧たちは戸惑いを隠せなかったが、すぐに皆姿勢を正し、少女を、新しくやってきた僧のように対応した。


 「これを着なさい」

 一番若い僧は後輩が出来ると聞いて最初は少し浮足立っていたが、今はまた別の意味で浮足立っていた。女の子なんて久しぶりに見た―おまけにこんな可愛い子。

 いかんいかん、首を横に振った小僧が顔を上げると、慌てて顔を反らしたため首が痛かった。少女がいきなり着換え出したのだ。慌てて廊下に飛び出る。もう終わったかな、ふすまを叩いて確認するが返事はない。そういえば声が出ないのだと、最高僧が言っていた。

 開けるぞ、わざと大きな声でそう言って開ける。僧たちと同じ衣装、着る者が違えばこうも違うものだ。見とれてしまったが、そんな邪念をごまかすように、小僧はまた大きな声を出した。

 「寺の中を案内しよう。さあ、行くぞ」

 声をかけるが少女はついてこない。歩けない様子ではないが、小僧が不思議がっていると、ふと、あることを思い出した。そういえば皆に紹介する前に、和尚は少女の手を引いていた。少し迷ったが、小僧は少女の手を引いた。すると、彼女は歩き出した。赤い顔は、寒さのせいにした。



 少女はぞうきんをしぼれないどころか、水道の出し方も分からなかった。一体今までどんな生活をしていたのだろう、そういう立ち入ったことを聞かないのは暗黙の了解になっているが、考えず、想像もせずにはいられなかった。

 食事を食べていいと言わないと食べない。手を引かないとどこにも行かない。ほおっておけば、部屋の隅で体操座りしてぼおっとしている。何を言っても、何を聞いても表情一つ動かさない。虐待されていた子供―それにしても、傷一つもない。捨てられた子供―それにしては、歳を重ねている。

 考えても考えても分からない、両親とのささいな喧嘩で寺に逃げ込んできた小僧にとって、少女の境遇など想像すらできなかった。



 小僧は、暇さえあれば少女の面倒を見た。心配でたまらなかった。比較的若い先輩僧からはからかわれたが、そういった意味での特別な相手というよりは、どちらかといえば年老いた病弱な猫でも面倒見てる心境だった。何も言わない。何も動かない。言わない限りは、何も。

 そのうち、小僧にとって少女は空気のような存在になっていた。まだまだ下手な経を永遠聞いてくれるし、返事はなくてもずっと愚痴を聞いてくれるし、与えたものは何でも食べる。少女の美しさに慣れると、可愛い飼い猫のように思えてきた。

 「そろそろお風呂に入りなさい」

 夜が更けるとそう告げる。そう言わないと、少女は風呂にも入ろうともしない。最近、ずいぶん長風呂になってきた。小僧はその理由など、考えもしなかった。やっぱり女の子だから、と、呑気に考えていた。



 一か月が経った。

 経読みに夢中になっていたため、時間が過ぎるのを忘れていた。少女はまだ風呂から帰ってこない。寺には時計がない、まだ長風呂なのだろう、小僧は伸びをして、便所に向かった。


 用を済ませ廊下を歩く。必然的に、風呂場の前を通らないといけない。扉には、少女が使用していることを示す赤札がかかっていた。和尚が用意してくれたものだ。あまり長風呂するなよ、扉の向こうから声をかけようとしたそのときだった。

 妙な音と、妙な息使いが扉の向こうから聞こえてきた。なんだ、不審に思った小僧だったが、扉を開けることはさすがに出来なかった。よく見ると少し隙間が開いている、かなり迷ったが覗きこんだ。覗いて、しまった。

 見なければよかった。目を潰してしまいたかった。尊敬している先輩僧が、少女を、少女を―


 「            」


 泣き叫んだ自覚があったのに、声は出なかった。誰かが口を押さえている。震えながら相手を確認すると、別の先輩僧だった。

 「大きな声出すなよ。和尚に聞こえる」

 「…あ、あ…あ、あ…あれっ…」

 「…ん?ああ、なんだ、お前まだなのか。今度、お前にも順番回すように言っておくよ」

 怒鳴りながら先輩僧に殴りかかると彼はすかさず殴り返し、寺内は大騒ぎになったが、すぐに、和尚の一喝で止んだ。さっきまで少女を弄んでいたはずの先輩僧は裏口から何事もなかったように、少女も何事もなかったように出てきた。



 さんざん先輩に殴られた顔より、胸の方がずっと痛かった。涙が止まらない。大広間には小僧と和尚だけ、少女は2人の間で眠っている。

 「し…信じられない…そ尊敬してたのに…っ…なんだ順番って…もしかして…毎晩、毎晩毎晩誰かが…っ…和尚…和尚…なぜ、何も言わないのです。仏はこんなことも許して下さるのでしょうか。少なくても私は許せませ―」

 そこまで言いかけて、小僧はあることに気付いた。その予想に自分で震えた。聞きたくないが、聞かずにはいられなかった。

 「まさか…知っておられたのですか?」

 「…ああ」

 「なぜ…なぜです…このようなこと…色事は第一禁止事項内に…」

 「それはあくまで、外に出たときのときや、外部の者との交わりの話じゃ」

 「寺の中なら…許されるということですか?そんな…そんなことのために、彼女を迎え入れたのですか?

 和尚は、違う、と言い返したそうだったが、それすらも言わなかった。言ってくれなかった。歯切れが悪すぎる、いつも知ってる和尚ではない。まさか―小僧の額に汗が浮き出る。和尚ですらも彼女を―


 その問いはさすがに聞くことが出来なかった。和尚だけは軽蔑したくなかったからだ。小僧は眠る少女を起こし、自室へと連れていった。



 小僧は少女を匿うように、自室に閉じこもった。さすがに頭も冷えたのか先輩僧たちが誰も呼びに来なかったが、それは三日も持たなかった。

 「おい、開けろ!」

 「お前、何一人占めしてるんだよ!!」

 寺に来る前、テレビで見た借金取りのように、先輩僧がふすまを殴ってくる。少女を抱きしめ、小僧は震えながら、ひたすら部屋に閉じこもっていた。部屋中の家具でふすまを塞いだ。そこまですれば誰も入ってこなかったが、精神的恐怖が尋常ではなかった。少女はただ、大人しく、抱きしめられている。何もしない、何も言わない、震えもしないから、余計、自分が守らなければという庇護欲だけが小僧を動かしていた。

 和尚が留守の間は、ずっとこんな感じだった。少女に触れていない僧たちは、まるで獣のようだった。こんなこと、和尚に告げ口できない。味方は自分だけだった。だが、それもいつまでもつか。この勢いでは、全員力を合わせかねない。そんなことされたら、いくら家具で防いでいるとはいえ、こんな古いふすまひとたまりもないだろう。

 ふすまが壊され、目の前で獣になった先輩僧が少女に襲いかかるところを見たら、きっと自分は生きていけない。小僧は、少女と供に寺を出ることを考えていた。


 和尚の計らいで、ずっと母と文通をしていた。先日の手紙で、さすがに詳細は書けなかったが、寺でとても嫌なことがあったことを書いたら、いい加減帰ってきなさいと返事が来た。一人前になるまでは帰らないと意地を張っていたが、今は、何よりも少女の安全が第一だった。自分には年の離れた兄がいる。一緒に暮らすことは困難だろうが―この寺には置いておけない。彼女と山から下りよう、早い方がいい。

 「今晩、寺を出るよ。いいね」

 小僧が優しく少女にそう言うと、彼女はあいかわらず、空っぽの目で頷いた。もう、それだけでよかった。



 さすがに和尚には挨拶に行った。彼の挨拶は、そうか、とだけ。最後まで優しくて厳しい人であってくれてよかった。

 夜中に逃げるように、少女の手を引いて寺から出た。山から下りれば、和尚が呼んでくれたタクシーが止まっているはずだ。おつかいで下山は何度もしている。迷いようがない。

 あんな光景を目にしてもなお、少年は、少女の経歴を想像もしなかった。何も感じない、何も動じない少女だから、ただ先輩僧から悪戯をされ続けたのだと理解し、心から同情していた。

 「寒いな。これをしなさい」

 マフラーを巻いてやると、ちょっと可愛くて笑えた。この山を下りれば別れはやってくる、彼女の行く先は分からないけれど、どうか、どうか幸せであるように。今度こそ―笑える場所に行けるように。

 

 「どこへ行く…その女を渡せええええええええええ!!!」


 怒号と供に、寺と山が燃える音が爆発するように広がった。






 翌日、山火事のニュースが流れた。被害者は寺の者ほぼ全員、放火の疑いがあったが酷い全焼で、捜査は困難だった。一人だけ火傷ではなく刃物か何かで切り刻まれた若い小僧がいたが、事情を聞こうにも彼は即死だった。奇跡的に生き残った寺奥にいた僧は、悪魔のせいで焼かれた、とずっと呻いていたという。だがそのニュースもまた別のニュースにすぐに上書きされ、管轄外のため、最初に少女を預かった刑事の耳にも届かなかった。

 火傷だらけの体で案内された場所を見て、僧は目を疑った。目の前には、あの少女がいた。怪我ひとつしていない。管轄内の警察に聞くと、何者かに殺傷された小僧の下で、うずくまっていたという。

 僧は、自分の遠縁に少女を預けることにした。その家は、定年した夫婦とニートの長男という絵に描いたような家庭、自分も彼女を抱いたことを忘れ、今はただ、全てを奪った原因を作った悪魔に復讐することしか考えてなかった。



 警察によって、少女がまた、別の場所に移動するべく車に乗り込む。そこは皮肉にも最初に面倒を見ていた刑事の管轄内。そんなことも気にもしていない様子の少女は、ただ、お菓子とマフラーをずっと抱いていた。




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