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雪、咲く。  作者: 七色
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旅立ち


 雪は奇跡的に助かった。が、撃たれた後遺症で何カ月も入院することになった。途中、学校側が見舞いだという名目で訪ねてきたが、雪にはその理由がなんとなく分かっていた。

 「雪、入るぞ」

 「はい」

 車椅子でやってきた創本を見て、雪が痛そうな顔をするから、彼は慌てて笑った。

 「全く、大げさだよな。まあ、松葉杖より楽だが」

 「創本さん、警察、解雇されたって」

 「ああ気にするな。もともと、若い奴らの柔道を教える方を勧められていたんだ」

 「学校側からも、退学するように頭を下げられました」

 雪と創本が銃で撃たれた事件は、全くといっていいほど報道されなかった。権力者の力によるものだろう。だが、それでも、人の口に戸は立てられない。話は広まる。学校側も雪がいては困ることになったのだろう。

 「雪。お前はどうしたい。お前が学校を続けたいのなら、私が全力で応援する」

 「私…は…」

 市子といると暖かい。椿といると面白くない。同級生たちにずっと商売道具でしかなかった顔を体を褒められると、体が軽くなる。ずっと暗い部屋で男に求められてばかりの毎日だったから、こんな日々があると思っていなかった。本当に夢のような日々、もう十分だが、こんなこと創本に言ったら怒られるだろう。

 いや、違う。何より、自分が望んでしまっている。いつの間に、こんな風になったのか。

 「創本さん、私、欠陥品になったみたいです」

 「何?」

 「学校に行きたい。けど、市子を私のような目に合わせかけた。創本さんに傷を負わせた。学校に行くべきではないかもしれない。でも、行きたい。どうしていいか分からないんです。こんな風に考えるなんて。目から水が出て止まらないし―」

 「雪、雪」

 創本が名前を呼び、抱きしめようとした手は引っ込み、彼女の頭を撫でる。ハンカチなんて持ってないから、自分の袖で彼女の涙をぬぐった。

 「それで、いいんだ。それが生きてるってことだ」

 「いき、てる」

 「そうだ。たくさん泣いて、たくさん考えて、毎日生きていくんだ」

 「でも、それで間違えたら」

 「それも人生だ。私だってたくさん間違えてきた」

 この世界で一番美しくそれでいて悲しい彼女を、一瞬でも恨んでいた時期が、いっそ懐かしい。自分はきっと、彼女に出会えたことで、人生の幸運を使いきったのだ。

 「とにかく、たくさん考えなさい。入院は長い、時間はたっぷりあるだろう」

 「はい」

 「じゃあ」

 去りかけた創本の手を、雪が不安そうに掴む。

 「もう少し、ここにいて下さい」

 「あ、ああ」

 握られた手をじっと見ていると、検温のため看護婦が入ってきた。慌てて手を払った。



 ごん、ごんごんごん。

 乱暴なノックが何度も聞こえるが、雪は何事もなかったように読書に没頭している。やがて、苛立った彼女がドアを開け放った。

 「何よ、やっぱりいるんじゃない!返事くらいしなさいよ!」

 「椿、五月蠅い」 

 「何ですって!?」 

 「つ、椿ちゃん、病院の中で大声は…」

 大騒ぎしながら椿と市子が入ってきたかと思ったら、乱暴にベッドに果物かごを乗せられる。もう何度目の見舞いか分からないのに、毎回毎回豪華だ。

 「全く、この私がせっかくお見舞いに来てあげてるのに」

 「こんなに、しょっちゅう来なくていい…暇なの?」

 「そうなの、暇なのよ。いい加減キャラ作ってるのがバカらしくてね。本性出したら、見事に取り巻きがいなくなったわ。残ったのはこの豚だけよ」

 「豚あ!?」

 自分が入院している間、なんとなく市子のことを案じたりしていたが、椿とのやり取りを見ていてほっとした。ずいぶん距離が縮まったようだ。ちょっと寂しくなるくらいに。

 「もう豚豚言わないでよ、椿ちゃんが何度も言うから、最近お菓子食べられないじゃん…あ、お湯、あんまりないね。入れてくるね」

 空になりかけている電気ポッドを抱き、市子が病室を出て行く。少し見ない間に服装が少し明るくなり、軽くだが化粧もしているようだ。

 「やっぱり、女は化粧と服で変わるわよね。あの子、最近、もて始めたのよ。調子乗ると面倒だから言わないけど」

 「喜ぶのに」

 「私のこと、恨んでる?パーティーに呼んだこと」

 「全く」

 「少しは恨みなさいよ!」

 髪をひっ掴んできた椿が笑い、雪も笑い返した。落ち込んでる椿など、それはもう椿ではない。

 「ねえ、雪。学校なら大丈夫よ。私の取り巻きはもういないけど、最初から頭数に入れてないし。でも、先生たちを丸めこむことくらい簡単よ。私のSP一人あげてもいいし。実際、市子にも一人あげてるのよ。あの子鈍いから、全く気付いてないけど」

 「ありがとう」

 「市子のことになると素直ね…だからね、大丈夫よ。馬鹿なこと考えないでよね」

 「私がいなくなると寂しい?」

 「馬鹿!」

 わあわあ騒いでいると、看護婦からやってきて怒鳴られた。何事か飛んできた市子も廊下を走るなと一喝され、結局まとめて怒られた。創本も呼びだされ、大騒ぎになった。



 創本は何が嬉しいのか、大笑いしていた。自分のせいで看護婦に怒られたのに。本当に、優しい人。暖かい人。胸が、潰れてしまうくらいに。

 椿から貰った林檎をむいて、息をつく。ようやく、綺麗に剥けるようになってきた。創本に褒めてもらおう、雪が剥いた林檎を並べた皿を持って、彼の病室へ訪ねようと扉を開けた。中から人の声が聞こえる。

 笑い声だ、そっと覗くと、女性がいた。確か、創本の妻だ。自分がまだ空っぽだった頃、愛してくれていたのを覚えている。そして、自分のせいで彼女を傷つけてしまったことも覚えてる。

 「         」

 「         」

 さすがに会話の内容までは聞こえなかったが、楽しそうだ。創本も彼女も笑っている。記憶の中の彼女よりも随分やつれていたが、それでも幸せそうだ。創本も、自分には見せない顔をしている。

 胸が痛い。引きちぎれそうだ。

 雪はたまらず病室を後にし、途中、すれ違った看護婦に林檎を無理やり渡した。



 学校に行きたいが、それ以上に創本の傍にいたい。自分もしょせん、道具である前に女だったのだと笑えてしまった。そしてある決意をした後、眠りについた。




 駅のホームを、松葉杖を使って創本がが全力で走っている。ただでさえ目立つのに、狭いホーム内で走り回っているから余計に目立った。探して、探して、見つけたのは奇跡に近かった。当たり前のように、人に、溶け込んで、そこに立っていたから。相変わらず、世界一美しいが。

 「雪君!」

 「創本さん…っ」

 「黙って行くなんて酷…っ、げほ!げほげほげほ!!」

 「だ、大丈夫ですか!?」

 「すまん、もう年だな…少し走ったくらいで…雪君?」

 「…っ、ふふ…」

 涙が出てきそうだった。あの雪が、誰に命令されるでもなく、笑っている。自分の目の前で。怒鳴りながら引き止めるべく走ってきたのに、もうそんなことは忘れてしまうくらいの笑みだった。

 「どうしても行くのか」

 「はい、もう決めました」

 「行き先も教えてくれないのか」

 「はい。創本さん、本当に、ありがとうございました。空っぽだった私が、いっぱいになりました。だから、もう、大丈夫です。ここには、私が空っぽだった頃の記憶が多すぎます。大事な人がいすぎます。ここにいては、私は駄目です」

 流れるように言葉が出てくる。万が一創本に会ったら言おうと思っていたからだ。こんなことを考えてしまっているあたり、もう自分は駄目なんだ。創本を忘れたい、忘れなければならないから遠くへ行こうとしているなんて、口が裂けても言えない。

 「立派になった…本当に、立派になった。少し、寂しいが。やはり、私では君の父親になれなかったか」

 「そうですね」

 「そこを否定するな!」

 「ふふっ」

 笑う、無理にでも笑う。でないと、また目から水がこぼれて止まらなくなりそうだから。私はあなたの娘ではない、娘ではなく女として見てほしいとすがりついてしまいそうだ。早く、行かなければ。

 「じゃあ、私もう、行きますね」

 本当はまだ電車は先なのだが、いつまでも顔を見ていても辛いだけだ。ちょうどやってきた電車に雪が飛び乗ろうとすると、その腕を創本が引き止めた。

 「体には気をつけてな!」

 「はい…創本さん、最後に一つだけ」

 「何だ?」

 「どうして、あなたはそんなに私に優しくしてくれたんですか?最初から。そして、今も」

 創本は口を開かない。困ったように考え、そして、やがて発車のベルが鳴る。腕を離そうとした雪を軽く引き、背中を向けさせると、後頭部に軽く口づけた。一瞬のことで、雪は何が起こったか分からなかった。

 「秘密だ」

 「え、何…創本さっ」

 電車のドアが閉まり、創本との腕が離れる。色んな事があった、ありすぎた街が遠くなる。目から水が止まらない。決意したふりして、未練ばかりだ。携帯電話を取り出すと、椿と市子と創本の着信履歴がすごいことになっていて、また泣けた。涙を拭いて、雪は席に座った。

 座った瞬間、乗客全ての視線が雪に集中する。やがて、比較的近くにいた男子学生たちが長いジャンケンの末、へらつきながら、一人、雪に近づいてくる。

 「ひ、一人?良かったら一緒に話さない?」

 近づいてきた男子に向かって雪がにっこりとほほ笑んでやると、男子は首まで赤くなった。

 「お昼をご馳走して頂けるなら」



 昼休み、携帯電話を見比べていた椿と市子があっと顔を合わせる。やっと雪から連絡がきたかと思えば、本文なしの写真つきメール。画像を開くと、真っ赤な顔をした男子学生に囲まれ、ものすごく豪華そうな弁当を食べていた。

 「何やってんの、あの馬鹿は!こんなに心配させといて!」

 「良かった元気そうで…雪ちゃん、変わったね」

 三つ編みを止めた市子に、あんたも変わったわよと椿が呟くが、彼女には聞こえなかったようで助かった。

 「あー、もう、二度と心配してやんない。行くわよ、豚子。新しいおもちゃを探しに行くわよ」

 「だからその呼び方…椿ちゃん、心配してた癖に」 

 「それはあんたでしょうが!」

 にらみ合っていた2人はやがて笑いあい、軽く手を繋ぎながら教室へと戻った。空は、これでもかというくらいに晴れていた。



 ・・・・・



 警察学校内は騒然となっていた。ありえないほどの美少女が入ってくると、朝からずっと噂になっていた。しょせん噂は噂、いつもの新人みたいにいびってやろうと、あぐらをかいていた警視が、彼女を見る途端、姿勢を正した。

 「き、君が新人か。名前は」

 「創本 雪と申します。はじめまして」

 このときの彼女の笑顔はあまりに美しく、その噂は正に風のように警察学校中を飛び回った。本当に、花のような笑顔だったと。




この話は、最低最悪に落ち込んでいるときに産まれました。ごめんね雪。ありがとう雪。

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