一咲
よく雨が降った日の朝、あるニュースが見ていた者に衝撃を与えた。警察により一斉摘発された場所は通称奴隷小屋、まだ年端もいかない男女がもののように売られ、または借りられていた。助け出された子供たちは全員裸、中にはまだ五歳くらいの子もいて、ほとんどのものがテレビの電源を途中で切った。とても見ていられるものではなかったからだ。
しかしすぐに流れた次のニュース、大物俳優夫婦の離婚、著名人の訃報、人々の記憶はすぐに塗り替えられた。世間とはそういうものだ。
しかし警察はそうはいかない、関係者調査、連行、逮捕、子供たちの保護。今夜は帰られそうにない、刑事である男はため息をついた。調査を進めていくうち、関係者には警察関係者の名前まで上がってきた。頭が痛い。
「子供全て保護し終えました」
「何人いた」
「57…いえ、6…っ、すいません…一人、もう…」
「…分かった。すまなかった。嫌な報告させたな」
申し訳ありません、急ぎ去っていく新米の目が光る。彼は確か、子供が生まれたばかりだった。
ここにいる子供たちは誘拐されてきたか何かだと思ったが、全員が捨てられたか、もしくはここに直接売られに来た子だった。ますます頭が痛い。
子供たちは酷いありさまだった。立って、言葉がしゃべれる子供の数は片手で足りた。ずっと笑っている子供、うずくまり何も言わない子供、歯が全てない子供、両手足骨が折られてる子供、上げていればキリがなかった。刑事はたまらず、若い警官は全て帰した。あとは子供を警察に送るだけ、慣れた刑事だけで手は足りた。
荷台から悲鳴と泣き声と笑い声が止まらない。この怒りをどこにぶつけていいか分からなかった。奴隷小屋の男たちは、極刑すらまぬがれるかもしれない。こんなにやるせない事件は久しぶりだった。
「運転を変わろう」
「申し訳ありません」
震える2年後輩に耳栓を渡した。気休めくらいにはなるだろう。エンジンをかけると、あることに気付いた。ずっと建物を見上げている少女がいる。刑事はぎょっとなった。
「おい、まだ、子供がいるぞ」
「え、全員乗せたと思ったのに」
「俺が迎えに行く、お前はここに」
刑事は慌てて走っていった。全裸の少女がぼーっと奴隷小屋だった場所を見上げている。肩にはバーコードの刺青がある、間違いない、この小屋の子供だ。
「君、早く乗りなさい」
なるべく、優しい口調で話しかけた。少女がふり返った瞬間、刑事は喉の奥で小さく叫んだ。月光がそのまま形になって目の前にいるかと思った。今まで遭遇してきた事件には美しい女が関わってくることは多々あったが、少女は次元が違った。こんな綺麗な生き物見たことがなかった。
刑事がしばらく見とれていると、後輩刑事からどうしました、と叫ばれる。我に返り、刑事は少女に上着をかけてやると車まで腕を引いた。
「一緒に行こう」
少女は黙ってついてきた。少女の右手には、マジックで13と書いてあった。
食事を与えると、子供たちは獣のように食べていた。げんきんなもので、食事をしている姿を見ると少しほっとできた。関係者は全員逮捕、関係資料はまるまる残っていた、顧客が逮捕されるのも時間の問題だろう。
眠い、椅子に項垂れる刑事の元に珈琲が運ばれる。女性警官にありがとう、と礼を言うと、足元で13番と目が合った。こんな記号で呼びたくなかったが、こう呼ばないと反応しない。
ざっと子供たちを見てきたが、彼女が一番安全で、そして最も危険だった。獣のように噛みついてくることもない、怯え泣き叫ぶこともない、色目を使ってくるわけでもない、ただ何もしゃべらず、表情一つ動かない、動かない。
「食べなさい」
こうして食べるよう命令しないと、自分から食べようともしないのだ。恐らく彼女が一番の人気商品だったのだろう、この美貌にこの躾だ、彼女の顧客リストの数を見て目が眩んだ。彼女の奴隷記録は、0歳のときからあった。そんな子は彼女だけ、恐らく奴隷の子が産んだ子なのだろう。彼女は生まれながらに奴隷だったのだ。
子供たちは、全て、いつもの施設に引き取られることになった。精神病院も併発している大型児童施設、被害者か加害の子供たち、いきばをなくした子供たちの行きつく先だ。たださすがに今回は数が多すぎたため、全国に散り散りになった。
離れるとき、子供たちは不安そうにしていた。それはどちらかといえば、仲間と離れ離れになることの不安というよりは、新しい環境を警戒しているように見えた。
だが直に慣れるだろう、というか、慣れてもらうしかない。ニュースを見た物好きが、子供たちを引き取りたいと何件か問い合わせがあったが、冗談じゃないと思った。ようやく自由になったのに、何をする、させるつもりだ。
県内の施設行きの班には、13番もいた。彼女はずっと刑事の手を握っていた。
「先輩に懐いてますね」
「よせ」
感情を映さない目は、ただじっと刑事の手だけを握ることを固執していた。まさか懐いてるなんて自惚れない、彼女は恐らく、一緒に行こうという命令をじっと守っているのだ。ただ、それだけだ。
施設についた。ここに来ると、人間がそう悪くないものだといつも思う。
「こんにちは、お疲れ様です」
「こんにちは。お、ちょっと痩せたかな」
「もう、からかわないで下さい」
顔見知りの職員と軽口をたたき合いながら、一人、また一人と子供を渡していく。警戒しながらも歓迎されると、子供たちはどうにか施設に入っていってくれた。まだまだ親が恋しい年頃だ。
さて、最後にこの子だ。手を離したときわずかに寂しさがあったが、しょうがない、と刑事は少女に笑顔でさようならを言った。少女は相変わらず無表情のまま、目の前の職員の手を取った。一人一人笑顔で迎えていた彼女の顔色が変わった。
「…刑事さん。この子はちょっと」
「…え?」
「ごめんなさい、本当に…もう、いませんね。じゃあ、私はこれで」
「お、おいっ」
そのまま職員は逃げるように施設に入っていってしまった。13番が何事もなかったかのように、刑事の元に帰ってきて、また手を握ってきた。
とりあえず時間を置いてもう一度、今度は電話で施設に問い合わせてみたが、預かれないの1点張りだった。他県の施設にも声をかけたが、彼女だけは預かれないと言われた。連絡網が回っているのか。
なぜ彼女だけ、刑事は意味が分からなかった。確かに人形のようだが、危害を加えるわけじゃない。考えすぎて頭が悲鳴を上げた、ろくに寝てないんだ。単に定員いっぱいなんだろう、刑事はそれで納得つけた。
「…お前、家に来るか?」
13番が虚ろな目でこちらを見た。
まさか置いて帰るわけにいかないから、一旦引き取ることにした。人が良すぎると上からも下からもからかわれ続けた。刑事は13番の手を引き、家に帰った。帰るなり、ずっと待っていたらしい妻が飛びだしてきた。
「お帰りなさい」
「ああ、ただいま」
「―まあ、可愛い!お名前は!?」
「…しゃべらないんだ」
「あ、あらそうなの。言ってることは分かるの?」
「ああ、それは平気だ」
「なら、良かった。今日からここがあなたの家よ」
妻が嬉しそうに13番を抱きしめる。相変わらず少女の目は虚ろだったが、嬉しそうな妻に大人しく抱きしめられてる彼女を見ると、またげんきんに、ほっとした。
妻には、事件関係者の娘を一時的に預かると説明した。息子たちには親戚の子供を一時的に預かると説明した。妻は嬉しそうにそわそわしている、彼女はずっと娘を欲しがっていてそれが敵わなかった。彼女の存在が嬉しくて仕方がないといった様子だった。ただ少し落ち着くと、さすがに彼女の異常さに直面していた。
「ずいぶん、その…可愛いけど…なんていうか…一体、どんな事件の…」
「…っ、すまん」
「…そ、そうよね。ごめんなさい。さあ、いっぱいご飯食べさせなくっちゃ。何が好きかしら」
少女の様子を見に行った妻が悲鳴を上げた。中学生の長男と次男に捕まり、少女は髪を引っ張られていた。
「何してるの!女の子なのよ!」
「え、こいつ生きてるの?人間なの?」
「何を言ってるの!男2人がかりで情けない…ごめんね、大丈夫?」
妻が少女を抱きしめ、刑事が息子2人に軽くげんこつをした。長男がいてえ、と大げさに叫び、次男が拗ねたように唇をとんがらせた。
「だって、そんな可愛い顔、クラスにもいないもん」
「…ほお、可愛いねえ」
刑事が笑ってそう聞くと、次男は真っ赤になって否定した。家庭内に笑いが溢れかえる、その笑いの中でも少女は無表情だったが、それでも、いつか笑ってくれたらいい、刑事はそう考えていた。
その夜、妻は少女と一緒に風呂に入り、一緒に寝ていた。彼女の素性が素性のためちょっと心配したが、妻は本当に楽しそうだったから安心した。相変わらず少女は無表情だったが、家族に危害を加える様子は一切なかった。
「おかえりなさーい。じゃーん。見てみて」
「…お」
翌日、帰ってきた刑事は思わず笑った。どこで買ってきたのか、少女はお姫様のようなワンピースを少女は着させられていた。なんとなく、顔色が明るく見える。
「もう何着ても可愛くて可愛くて。今日ずっと一緒に買い物してたのよね」
そう問うと、少女は反射のように頷いた。驚いた、頷けるのか。
「可愛いじゃないか。いいなあ、お前。俺なんか靴下に穴が開いてるのに」
「もう、それは今度のセールで買うったら」
「ずりい、贔屓だ!!」
今日は機嫌が悪い日らしい次男が少女の手を引き、自室にそのまま引っ張っていってしまった。さすがに心配になってついていったが、次男は一通り少女に怒鳴り終えると黙って終わった。表情も変わらず、何も言い返してこないから怒ってる方が馬鹿らしくなるのだろう。
静かになった、心配してもう一度覗くと、また面白いものを見た。
「こんにちは」
「…」
「こーんーにーちーは」
「…何してんだ、お前」
「?言葉、教えてるの」
「そうか」
刑事は笑って、扉を閉めた。少女はしゃべれないのだが、次男はそういうことが理解出来ても諦めないらしい。新しいおもちゃを見つけたように、次男は少女に言葉を教えたり漫画を見せたりゲームを見せたりしていた。するとその様子を見ていた長男が、わざわざ買ってきたのであろう、ずいぶんと可愛らしいお菓子を少女に向かって投げつけ、そしてまた自室に籠った。爆発したように刑事夫妻は笑った。
最初は施設を説得するまで、と思っていたが、このまま家の子になってもいいかもしれないな、と刑事は思い出していた。そしてその考えがいかに浅はかで、なぜ施設の人間が彼女だけを断ったのか、分かる日はそう遠くなかった。あまりにも早すぎた。
少女を引き取って三日目の夜、喉の渇きで刑事は目を覚ました。水道水を飲み干し、自室に戻ろうとすると、子供部屋の方から妙な物音が聞こえた。
まさかまだゲームをやっているのか、刑事が叱ろうと部屋に行ってその扉を開けると、その光景に目を疑った。横たわる裸体の少女に兄弟そろって虚ろな目で跨り、獣のように彼女を求め続けていた。
「 」
何て。何て怒鳴ったのか分からない。何て言えたのか、何を言うべきだったのか分からない。ただ、叫ばずにはいられなかった。
救えたかもしれない、もしかして、幸せにしてやれたかもしれない。ただ少なくても施設の人間は見抜いた上で彼女を預かるのは無理だと判断し、刑事もまた、苦渋の選択をした。
「すまない」
泣きながら彼女に謝ったが、少女の目は、来たときと何も変わらず、ただ、そこに立っているだけだった。妻はずっと泣き崩れ、次男は高熱を出し、長男は今日は学校だというのに部屋に籠って出てこなかった。
妻と話しあい、少女は遠縁の寺に預けることにした。向こうは快く引き受けてくれた。さすがに寺までは送ろうと思ったがそれすらも刑事は怖かった。自分が自分で怖かった。まだ高校生にもなってない息子2人を取り込んだあの美しく可愛そうな悪魔と一緒にいる自信がなかった。寺には、女性警官に送らせた。見送りにも行けなかった。