第一話 「暗殺者と神託」
光が差さぬ新月の夜。
足音なく回廊を走り、目的の場所へと向かう。
ここは世界一の国力を持つディシュリア帝国の帝都、大宮殿。
つまり、世界で一番でかい帝国の王様のおうちってわけだ。
そんな場所であるにも関わらず、警備兵はおらず、がらんとした空気が広がっている。
当然だ。警備が薄くなる時間を事前に下調べして潜入したからな。
それでも警備してた少数の警備兵は全て、俺が背後から毒針を叩き込んでやった。
今の俺は明らかに招かれざる客だ。
見つかったら招かれる前に殺される程度にはな。
だから、やられる前にやる。
それが俺の身の守り方だ。
走り続けていると、一つの豪華な扉が見えてきた。
俺はその扉に辿り着くと…静かに、音を立てぬように扉を開けた。
豪華な調度品が並ぶ部屋。
そして、その中央には天蓋つきのベッドが置かれて、そこから静かな寝息がこぼれていた。
そう、そこに眠っている人物が、今夜の俺の獲物。
そして、今までの人生の中で最大の獲物だ。
俺は静かにそのベッドに近寄った。
やがて、そこに寝ている人物の顔がはっきりしてきた。
黒髪に、髭の生やした50代前後の男………寝ていても、その風貌は高貴で、腹立たしいくらいに上品だ。
こいつが現ディシュリア帝国の皇帝、ゼルグラッド3世。間違いない。
俺はその姿を確かに確認すると、静かに足に装着していたダガーを抜いた。
たまらない。
今、この皇帝の命は俺に握られている。
命の全権を握り、そして潰す。
それがたまらなく快感だ。
だから、暗殺、殺人はやめられねぇんだ。
俺は笑いながらダガーを掲げ、その男へと突き立てたーーーーー
「この蛮族め、余を暗殺するとは思い上がったことを」
皇帝がその瞬間に声を上げた。
脳がその言葉を認識したときには俺の腕が、足が、全身が……ぴくりとも動かなくなっていた。
まるで、自分の体が自分のものでなくなった…そんな感覚だ。
「余の家臣をことごとく闇討ちにして忍び込むまでは実に見事な手際であった。
しかし、その潜入自体がもう余の把握の範疇にないと踏んだ時点でとんだ誤算だったな、若造」
皇帝が起き上がり、嘲るような目で笑った。
俺は声を出すことも出来ず、わずかに動かせる顔をぎこちなく動かして、皇帝を思い切り睨んだ。
ムカつく。そうやって見下されるのが俺は嫌いだ…反吐が出る
「余のことをよく思わぬ分家が帝位欲しさに貴様を仕向けたことは知っておったわ。どうだ、悔しいだろう?マーダー家当主、バリー・マーダー」
屈辱。
その一言しかなかった。
世界を裏側から動かしてきた俺の一族がはじまって以来の屈辱だろう。
相手が国の王という場合でも、俺らは冷酷に、残忍に、仕事をこなしてきた。
俺もその仕事を引き継ぎ、何人も何人も…この手で命を奪ってきた。
失敗すれば、死ーーー
俺が、負けたっていうのか?この、俺が?
皇帝が起き上がり、寝間着のまま外にでたが俺の身体はぴくりともしなかった。
体さえ動ければ、あのクソな皇帝をぶっ殺してやるのに。
だが、金縛りの魔法にかかった俺に出来るのは、僅かに動く部分で悔しさを噛みしめるだけしか出来なかった。
そのあと………俺は、皇帝が連れてきた衛兵に連行され、武器を取り上げられ、服も囚人服にさせられて鎖につなげられた。
身体は動くようになった。やはりあれは皇帝の魔法だったようだ。
それにしても腹立たしい…
この俺が、こんな形で捕まるなんて。
それから数日間、その牢屋に放られていた。裁判なんてすることなく、当然処罰は死刑。
当然と言えば当然の結果だ。
俺はただその牢で苛立ちと殺意を滾らせながら、ずっと、ずっと黙っていた。
月日は流れ、死刑執行前夜になった。
その日もただ、何もせずに待ちぼうけていた。
表から、やけに甲高い足音が聞こえてきたのはそんなときだった。
その足音はだんだん近づいてくる。
飯はさっきおいてったばかりだし、普通なら誰も来ない時間帯だ。
やがてその足音の主は俺の入れられてる牢の前で足を止めた。
俺はずっと俯いていたが、反射的にその音に反応して見てしまった。
鉄格子の向こう側に一人の女が立っていた。
こんな薄汚い牢屋には不似合いな法衣を身にまとい、杖をついている。
その出で立ちは、明らかに犯罪者とは無縁な僧侶。しかも格好からしてみれば高位の神職者。
その高位の僧侶な女は、気持ち悪くなる位安らかな笑顔を向けてそこに立っていた。
「………死ぬ前の懺悔ってやつか。俺はそんなのに興味ねえ。とっとと消えろ」
そう吐き捨てても女は表情を変えずにこちらに笑いかけていた。
そして、口から高い声が漏れた。
「私は、この帝都で聖女と呼ばれる者です。神の言葉をお伝えに参りました。」
「知るか。とっとと消えろっつってんだよ。不愉快だ」
女は俺の言葉を無視して続けたを
「私はセレナ・エムリエンス。この街の大聖堂を預かるものです」
「大聖堂?ハッ、またまたえれー人がでてきながったな。で?そんな神官サマが死刑囚に何の御用だよ。さっきも言ったが懺悔はしねえ、帰れ」
「あなたに、神託が下りました。是非いらしてください。全てをお話しします
「なんだよ、もったいぶんなよ目障りだ。」
「これは正式な神託です。拒否することは不可能です」
それからこのセレナとかいう女は俺の言葉を聞かず兵士を呼んでこさせた。
そして、鍵を開けると魔法で俺の手枷を外し、立つよう勧めてきた。
わけがわからねえ。何考えてんだこの女。
俺は、黙ってその女についていった。
階段をあがり、宮殿の玉座へと辿り着く。
その途中で俺を恐れるような物珍しそうな視線で見る野次馬どもを一瞥し、俺は何度も舌打ちをした。
やがて、謁見の間にたどり着いた。
女が扉を開けると、そこには皇帝が解せない顔で鎮座していた。
「セレナ殿、その大逆人を戒めもなしに牢から出すとは、いかなる神託なのであろうか?」
見るからに機嫌わるそーな顔。
そりゃそうだ。自分を殺そうとした犯人がひょっこり出てきたんだからな。それはそれでおもしれえ顔だが、俺を出した理由が分からないのは俺も同じだ
なにがいいてーんだこの女。
やがてその女は杖を高々と掲げた。
そして、ゆっくりと杖を振り下ろして俺を指し示すと、杖がゆっくり光を放ちこう言い放った。
「我、セレナ・エムリエンスは女神アーファリティの名の下に、バリー・マーダーはこの世界を救う勇者であるということをここに神託す」
その言葉を聞いた者は、みな時が止まった
「………は?」
なにいってんだか、全く理解できなかった。
勇者?世界を救うだって???
こいつなにいってんだ…
神の言葉ってそんな胡散臭いもん誰が信じるかっつーの…
流石の皇帝もその言葉に目をまんまるにしていた。
そりゃそうだよなぁ。信じられるかってんだ。
「セレナ殿……誠なのか?その神託は…?そやつは余の命を奪おうとした不届き者、神の目に叶うものではとても…」
「神託はゆるぎません。来る災厄に立ち向かえるのは、バリー・マーダー。彼だけです」
皇帝の問いに、この女は毅然とした態度で応じた。
そうすると皇帝も口を濁した。
皇帝が頭の上がらないほどの人間らしい。
普通の聖職者ならまぁまずこんな犯罪者のことを鎖なしで解放することなんてできっこない。
でも、あまりにもぶっ飛びすぎて、俺もそろそろ我慢が出来なかった。
俺はそいつの胸ぐらに掴みかかる。
「おい女!!どーいうことだ、俺が世界を救う勇者だぁ!!??寝言は寝ていいやがれ!!!」
そばにいた兵隊が俺に駆け寄ろうとするが、女は目配せすると兵隊は駆け寄って来なくなった。
そして、俺のことをまっすぐ見据えて来た。
その眼差しに、らしくねえがなにか息が詰まって一瞬怯んじまった。
「神のお言葉は絶対です。あなた世界を救うのです。これは定められた運命なのですよ」
「な、納得できるわけねーだろ!!」
そういって女を解放した。
わけわかんねぇ。
「陛下。彼の衣類を渡してあげてください。あと、帝国に伝わる秘宝も。」
「…にわかに信じられんが、今間で何度も神託を賜り、奇跡を起こしたセレナ殿の言葉だ。わかった。」
皇帝は腕を振って兵隊に合図した。
そしてしばらくてから、俺が着ていた服と、何やら高そうな装飾のついた箱を持ってきた。
「これは、ずっと昔の神託で帝国に託されたものです」
女はその箱を開けた。
中には、銀色をした胸当て、肘当て、そして鞘に収まった剣が入っていた。
正直言ってドン引きだ。
俺は暗殺者、闇の世界で生まれた生粋の暗殺者だ。
豪華で派手なモンは全然興味ないし、むしろ邪魔だ。
しかしその装備は、まるで光を形で表したもののように光り輝いてる。
剣なんて無駄だろ。杖くらいにしか仕込ませられねぇじゃねぇか。
と、いうことで嫌悪感剥き出しにしていると、女がまた言ってきた。
「勇者の装備、これをつけてこの世界に災厄をもたらす存在…魔族たちと戦ってください。世界を救った暁には、あなたの罪は消えているでしょう」
もう、つきあってらんねー…
がっくりと項垂れ、
俺の頭の中は真っ白だった。
そんなわけで、俺は何故か勇者になったのだ。