16の冬、星空の下で重なった距離
2/14 20:26
しんとした空気の中に、急ぐ足音がタッタッと響く。私は、星空からその足音の方へとゆっくり顔を向けた。その男は私の目の前で止まると、苦しそうに肩を上下に動かしながら途切れ途切れの声を出した。
「ごめっ…お、遅くなって……」
ーー急いできてくれたんだ。
そう思いながら、膝に手を着いて乱れた息を整えている彼のことをじっと見つめる。私はあまり思ったことを口にださないので、なんの音もない空間には、彼の息遣いだけがただただ聞こえた。息が白く変わり、少しだけ膨らむとまたあたりの空気に溶け込んでいく。
寒いな…。
そう思ったが不思議と頬は緩み、心の中は温かいものが膨らんでいた。
もともと、寒いのは嫌いだった。体を動かせば温まるよ、なんて運動が苦手な私にとっては嫌いになる理由のひとつにしかならなかった。冬なんて寒いだけだし、年の節目はなんだか切なくなるし。好きなとこひとつ浮かばない季節。……そう思っていた。
でも、いまは違う。
ひんやりとした空気が、少しだけ気持ちよく感じる。雪で白く染まる景色も、街の違った一面をみれたようで好きだ。
そしてなによりもーー星が綺麗だ。
冬の澄んだ空気が。
夏よりも長い夜が。
なによりもありがたくて、少し大切に思える。
それもこれもーー
「畠野くん。部活、お疲れ」
ーー彼のお陰だった。
彼のことを意識するようになったのは、中学二年生の夏。美術部だった私は、コンクールで描く絵がなかなか決まらず、明日までに考えてくればいいといってくれた先生の言葉に甘え、少し早く部室を出た。夏のむしむしした暑さがうっとおしい。苛立つ気持ちを抑えつつ、流れる汗を拭ってはうわ言のようになにを描こうかとつぶやいていた。校庭には、夏の大会に向けて熱気が増す運動部がそれぞれ声を出して練習に励んでいる。彼らの目にはなにが映っているんだろう……。ふとそんなことを思い、校庭へと目を向けた時だった。
ーー世界が、止まった気がした。
まるでスローモーションかのように目の前の時が流れ、それとは反対に私の鼓動は強く、早く、音を刻んだ。
綺麗……。唇が、自然に動いた。
校庭で走り高跳びの練習をしていた畠野くんが、空に吸い込まれるかのように高く、まっすぐに飛んだ瞬間をみた。
それはまるで空を泳いでいるかのように、のびのびとしていて、美しかった。
何時の間にか下を向くことに慣れて、狭い世界で繰り返してきた日常の中に、いきなり大砲のようにドスンと深い青が入り込んできた。
今日、青空だったんだ。
そんなことさえも、知らなかった。
飛び終えてマットに沈み込んでいた畠野くんをみると、彼は上半身だけ起き上がり、自然に伸ばされた背中をこちらに向けて大きく伸びをしている。それはあの空を掴もうとしているかのように見えて…眩しかった。
その日から、私は毎日空を見上げた。いつもは見もしないものへも目を向けた。締め切っていた部屋の窓を開けて、風を浴びた。
久々の…忘れていたものをひとつひとつ拾い上げていくような感覚に、心の内側から外へと大きく広がって行くものを感じた。
こんなにも気持ちいいんだ。
こんなにも広かったんだ。
改めて教わったものは、新鮮で、刺激的で、開放的だった。
青空の中は、どんなに気持ちいいんだろう。
少しずつ広がる世界の中で、彼への思いを膨らませながら、私はその日も空を見上げた。
そして、中学二年生の冬。
「……星が、見える」
冬は星が綺麗に見えるんだと、初めて知った。
いつまでもいつまでもみつめていると、小さい星が次々と浮かび、暗い夜の空はいつしか
星で埋め尽くされていた。
私もこの中に飛び込めたなら…。
ふと蘇るあの風景。
ゆっくりと手を伸ばすと、手はただ宙を掴んだだけだった。
「眩しいな……」
小さな光なのに、眩しい。遠くて、遠くて、ちっとも届かない。青空の中、飛び込んだ彼の背中さえも届かなくて…。近づきたいと思った。少しでも近く、一瞬でも触れたい。
あの小さな星に。
青空の中の彼に。
いつか……。
いつかーーーーー
いま、目の前にはその彼がいる。
あの日から、ずっと近づきたいと思っていた彼が。
自然と手に力がこもった。こんな緊張したのなんて初めてだ。手にはほんのりと汗が滲んでいて、さっきから頭の奥深くには心臓の音が響き渡っていた。
こんなときに、コンプレックスである無表情な顔で良かった、と思えることが救いだ。
畠野くんは、一度も目を逸らすことなく私を見つめている。
届くだろうか。私の指先は、少しでもあの空に、彼に、近づけることができるのだろうか。
届け。
届け。
届けーーー
まっすぐに畠野くんへと、手にしていた紙袋を渡した。
「好きです」
寒さではない震えを含ませながら、はっきりとそう口にする。何度も何度も心の中で練習したとは思えないほど、不器用に。でも……まっすぐに。
「俺も、」
「俺も、好きだ」
「…………っ、そ」
ーーーーー嘘。
「鈴矢が好きだ。……だから。っいや、だからじゃないな……。鈴矢。俺と……付き合ってくれ」
ーー信じられない。
「………は…い」
ーーーー夢みたいだ。
夢……?
いや、夢じゃない。
夢じゃ……ないんだ。
肩の力が抜けると同時に、溜まっていた熱いものが一気に溢れた。止める術もなく、次から次へと溢れては流れて頬を伝っていく。
やっと、やっと届いたんだ。
嬉しくて、嬉しくて、実感が湧かなくて、彼の顔をみようと顔をあげる。しかし、ぼやけた視界では彼の顔がわからず、街頭の灯りがぼんやりと白く映るだけだった。急に恥ずかしくなって、慌てて手で顔を覆う。すると、頭に何かが乗せられた。
温かい……。
優しくて、大きい。
畠野くんの手だ。
こわごわと乗せられた手から、彼が戸惑っているんだとわかる。
気持ちが高まっているせいか、それとも寒さのせいか。私は躊躇することなく彼の腕を掴み、その先にある彼の体へと飛び込んだ。
「……ありがとう」
見上げた彼は顔を真っ赤にしながらも、優しく笑ってくれた。涙が、白い息が邪魔で見えない。時間も、止まれ。ずっとずっと、このままでいたい。
彼の腕が、私の背中に恐る恐る回される。
初めてのことなのに、この先の行動がわかった。彼の顔がゆっくりと近づき、私の顔に影を落とす。私は息を止めて、ゆっくりとまぶたを閉じた。
最後まで読んでくださってありがとうございます‼
この話しの一ヶ月前は
『16の冬、近づいた距離と繋がったもの』
にて書かれていますので、読んでみようかなと思った方はそちらもぜひ、よろしくお願いします‼