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第九話 悲劇と真実


 

 ――三番目は女の子だ――


 先に気が付いたのは夫神の方で、妻に気づかれないうちに何とかしなければ、と冷や汗をかいていた。彼としては愛しいわが子が愛する妻の手にかかったりするなど考えたくもないが、気性の荒い彼の愛妻は、何をしでかすか分からない。どうしようと考えているうちに、名づけの時が来てしまった。


 ひとりひとりを抱き上げて、名前を付けていく妻神。春の神、夏の神……そして秋の神の前で彼女の手は止まった。抱き上げようと伸ばした彼女の指が、わなわなと震えているのを見た夫神は、最悪の事態を想定した。


 ぶつぶつと何かを言いながら頷いた彼女の手が、その我が子に伸びる一瞬前に、夫神はすでに名を付けられて成長を開始していた春と夏の神に妹を託し、愛妻の目の届かないところへ避難させた。


 もちろん、妻の目の前で別の女を助けた彼の行為は妻の逆鱗に触れ、彼らの住まう宮は崩壊、最後の子供である冬の神の名づけも大幅に遅れる、という事態になったが、危ういところで秋の神の命は守られた。








「そうして私はこの地に逃れてきました。何もできない、精霊の子供として」


 冷えてきたので起こした焚き木の火を囲んで、安里達は紅葉の話を聞いていた。パチパチと火の爆ぜる音が響き、揺らめく炎が紅葉の沈んだ表情を映し出している。


崔琳(ツゥイリン)のところにいたのは偶々なのです。あの人はそこらじゅうから精霊を集めて来るのが趣味だったようで、私も山の中でうろうろしているところを拾われたのですが、何の精霊かもわからず、役にも立たない私を邪魔に思っていたようで」


 紅葉はそこで言葉を区切って、安里のほうをみてにっこりと笑った。


「でも崔琳のところにいたお陰で、私は安里に出会えました。本当に良かった」


 心底安堵した様子の紅葉の笑みに、安里もつられて微笑んだ。しかし安里の隣で聞いていた飛飛は、紅葉の話の中の疑問点を冷静に口にする。


「……でもさ、何で安里だったんだい? それまでにもたくさん人間がいただろう? 力を持った精霊使いだって。何ならその崔琳ってばぁさんに付けてもらえばよかったんじゃないか? 名前」


 その質問に、紅葉は笑みを浮かべたままで首を振った。だが彼女が口を開く前に質問に答えたのは、その兄のソレイルだった。


「いいや、たとえそこいらの人間に名を付けられようとも、我が愛しき妹の力を覚醒させることはできないさ……。我らに名をつけることができるのは、我が母とこの世にもうひとり」


 あごに手を当てて思わせぶりに体を揺らしながらソレイルは安里に手を差し出した。


「……そう、あなたです。麗しの乙女、アンリ」


 いちいち面倒くさい人だなぁと思いながら、安里は愛想笑顔を貼り付けた顔で首を傾げた。そして助けを求めるように紅葉に目線をやると、紅葉はわざとらしくため息をついて兄の首根っこを掴んだ。


「お、に、い、さ、ま」


「うう、妹よ、兄さまに対してこの仕打ちは……」


「ああ、そうですわ、お兄様。私の髪を編んでくださります? お兄様はこういった細かい作業がお得意でしたね? 私覚醒していなくともお兄様たちのお話は聞こえていましたから存じ上げておりますわ。さぁ、お願いします。急に長くなってしまって、ちょっと邪魔に思っていたところでしたの」


 ソレイルを自らの後ろに隠すように追いやった紅葉は、ものすごく慇懃な口調で兄に『髪を編む』という仕事を押し付け黙らせた。そしてにっこりと安里達の方へ振り向き、何事もなかったかのように話を再開した。




「安里が不老不死の体なのは飛飛も知っていることですね? それは安里が作った薬の作用なのだけれども、その薬、作り方を書いたのは私たちのお母様なの」


「は?」


 安里と飛飛の声が見事に重なった。ふたりとも呆気にとられた顔で口をぽかんと開けたまま固まっている。


「時空の神である私達のお母様が昔戯れに書いたものだって私の記憶にあるの。ほら、私も一応神の端くれだし、母から生まれたものだから、母自身の記憶が頭の中にあって……」


「あ、ああ。それはまぁ神様の不思議ってことでいいんだけど、えっと、薬のことは」


 自分の人生を大幅に変えることになった薬の話に、安里は珍しく気が急いている。紅葉はそんな安里に気が付いて、急いで話を進めた。


「安里が作った薬、材料がとても変なものではなかった?」


「……ああ。そりゃあもう変なものばっかりで、集めるのが大変だったな。ええと確か一年間満月の光だけにさらした水晶とか、新月の日に採った黒曜石とか。卵を産んで死んだ直後の魚のえらとか、高度の高い山の崖裏にしか生えない希少な花の、朝取っためしべと深夜採ったおしべとか……」


「うげぇ、何それ」


 聞いていた飛飛が思わず顔を顰めるほどに風変わりな品々を安里は口にした。時間と手間をかけなければ手に入らなそうな材料に、ピンときた飛飛は目を瞬かせて紅葉に問うた。


「……まさかそれが狙いとか?」


「はい、母の記憶によると、膨大な時間と手間をかけて採取した材料に、また手間隙をかけて練成する、その根性と力量を兼ね備えた人がもし現れるなら、母自らがその願い、不老不死を叶えよう、とそういう意図だったようです」


「……ということは薬自体には薬効はないと?」


 あの散々な日々が全て神のいたずらだったことに、安里はがっくりと肩を落とした。


「薬自体には体を鍛える、いわゆる滋養強壮の効果はあったようですね。でも薬が母の書いた記述の通りに完成するその前日に、母はあなたに会ったようなのですが、覚えていますか? 安里」


 その紅葉の言葉に、安里は銀の髪をがしがしと掻いて口を尖らせた。


「……覚えている。まさか神が私に語りかけていると、あの時は思っても見なかったが」


「まさか本当に薬を完成まで導くものが現れるとは、母も思ってみなかったようです。しかしあなたはやり遂げた」


「母は女嫌いだから最初はどうしようかと思ったのだそうだよ。しかしあなたが可愛らしいながらまだ年端も行かない少女だったことと、あなたの熱心さ、そして類稀なる才能にやられたと母は言っていたな」


 口を挟みたくてうずうずしていたソレイルが、紅葉の後ろから白金の髪を揺らしてとうとう割り込んできた。懲りない兄に紅葉も呆れたようだが、少し好きにさせてやる気になったらしい。冷たい視線を固定しつつも黙っている。


「あなたの夢枕に立ったのでしょう? ああ、できればこの私も……ではなくて」


 美声を響かせ、大げさな身振りでまた彼の世界へ旅立とうとするのを賢明にも自力で踏みとどまり、ソレイルは続けようとしたが、安里のぽつりと零した呟きに、彼は目を細めて口を閉じた。


「……約束は約束だから、とそう言われた」


「……ええ、そうです。神たるもの、自らした約束は守らなければ。……だからこそ母は、あなたの時間を止めました。あなたが薬を飲む、その前に」


 ソレイルによって静かに告げられた内容に、安里は紫の瞳を大きく見開いて固まってしまった。




 パチパチという焚き木の音だけがその場に響き、赤い火が揺れてそれぞれの表情を隠さずに映す。


 ゆっくりと口を開いたものの、声が出せない様子の安里に、飛飛が代わりに聞きたいことを聞いてくれた。


「……じゃあ、安里が不老不死になったのは、薬の効果じゃなくって、薬を完成させたことの……つまり褒美として?」


「……そうです。不老不死の薬の書は、元々そういう意図を持って書かれた書でした。薬を飲んだものにではなく、薬を作り上げたものに不老不死を授ける書……」


 安里の心情を推し量って静かに遠慮深く告げたのは紅葉だった。




 安里は不意にごろりとその場に背中から倒れこんで、両手で顔を覆った。


「……なんだ、なら最初から、私は、私自身が不死になるために頑張っていたようなものなのか……。私はちっとも、そんなことを望んではいなかったというのに……」


 小さく、震える声で呟かれた言葉に、飛飛は眉を寄せた。そうだ、この子は決して自分のために作っていたためではない。だからこそ完成させることができたのだと、飛飛もそう思っていた。


「……母も、そのことは分かっていたよ。麗しの銀の姫よ、あなたが不死を望んでいないことくらいはね。けれども神は、約束を違える事はできないのだ。たとえそれが面白半分に書いた書の内容であっても」


 ソレイルが母のしでかした重大なことを、自分の失敗のように悲痛な面持ちで語る。


「でも母は安里が薬を完成させてその後どうなるかを知っていたの。あの……領主に切られることも」


 紅葉も泣きそうな顔で小さな声で告げた。神も涙は流さない。けれども彼女の表情を見れば、ひどく心を痛めているのは手に取るように分かる。

 事情を詳しく知らない飛飛は、何と声をかけていいか分からず、安里のことを心配そうに見守っていた。


「…………」


 地面に仰向けになり、両手で顔を覆ったままの安里は、無言のまま体を震わせていた。泣いているのかもしれない、と飛飛は思った。



 それもそうだろう、不老不死になったために安里が苦労してきただろうことはこの数日間一緒に過ごしただけでもよくわかった。西の方では確かにありふれた色であっても、黒目黒髪以外を探す方が苦労するこの地にあって、安里が穏やかな日々を過ごせるはずはなく、隠れるように山の中をうろついているのだと言われずとも理解できた。


 ひとりぼっちの安里。


 守護精霊はいても、それでもそれは精霊であって、人間の友達でも家族でもない。どんなに心を痛めても、精霊である自分も安里の役には立てないことを飛飛は歯がゆく思った。



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