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第五話 真っ赤な頬と楓の葉


 かけ湯をしてから浸かった乳白色のお湯は、肌にすべるように心地よく、程よい温度に体の芯から温まっていくようだった。

 ひさしぶりに天然の温泉に浸かった安里(アンリ)はほっと一息ついたが、自分を興味深そうに見つめてくる幾多の視線に、居心地悪く身じろぎした。いかに精霊を見慣れていようと、こんなに多くの精霊に一度に囲まれたのは初めてだ。まして今は頼りの守護精霊・花幻(ファーファン)も不在で、安里はたった一人で非情に心細かった。精霊が理由もなく危害を加えるような存在ではないと分かっていても、これだけ多くの気配に囲まれていては安心などできない。


 きょろきょろしていた安里の元に、先ほどの金色の美女がお湯の中を歩いて近づいてきた。酒盃と酒瓶を手にしており、顔が赤いのは湯で温まったからというだけではなさそうだ。


「どうだい、いい温泉だろう? 美人の湯だぞ?」


 にっ、と笑った顔はいかにも豪気で、迫力のある美形にとても似合っていた。安里がこくりと頷くと、美女はすっと安里の隣に座ってきた。


「……すごい温泉だ。てっきり人間が作ったものかと思ったが」


 安里が再びごつごつした岩に目を走らせると、金色の美女は可笑しそうに笑った。


「あはは、そうかい? 人間がこれを作ろうと思ったら大変だろうけどねぇ。……この温泉、今さっき掘り当ててできたばかりって言ったら、驚くかい?」


 そしてにやにやと含み笑顔で、手に持っていた酒盃を安里に差し出してきた。


「……精霊なら、可能だろうね」


 当たり前のように差し出された酒盃を、安里は断ることもできずに受け取った。だがその冷静な受け答えに、美女はがっかりした様子を隠さずに頬を膨らませた。


「なんだい、もっと驚くかと思ったのに。いやぁ、さっきね、あたし急に温泉入りたくなってさぁ。そんで地の精霊集めて掘ってもらったんだ。さすがによくわかってるよね、出るとこ。それで岩もごろごろ組んでもらってさっき完成したところなんだ。だから『精霊の秘湯』、ね?」


 楽しそうな精霊の様子に、安里は口元を緩ませた。注いでくれる酒からはふわりと杏の香りがする。


「ふふ、だいぶ力のある精霊なんだな、あなたは」


 安里がただ静かに呟いた言葉に、金の精霊はまばたきをひとつして安里を見つめた。


「……あんたこの辺の人間にしては珍しい髪の色だねえ。目の色も。……ずーっと西の方ではそんな髪の人間もいろんな瞳の色の人間もごろごろしていたけどね」


「……そうなのか?」


 美女は手酌で自身の酒盃になみなみと注ぎ、そして一気にあおった。ぷはっと息をつき、次の一杯を注ぎながら、彼女の言葉は楽しそうに続く。


「そうだよ。あたしは風の精霊だから、行ったことのない場所なんかないくらいにいろんな場所を見てきたのさ。この辺りの人間は黒目黒髪が普通だけど、他の土地じゃああたしみたいに金の髪とか、あんたのように銀とか、うーん、茶色とか、赤っぽいのとか? いろいろさ。肌が黒い人間もいたねぇ」


「……そう、なのか……」


 安里はちびちびと良い香りのする酒を舐めながら、金色の精霊が語る言葉にすっかり驚いていた。この地で気味悪がられるこの容姿も、他の地では当たり前のようだとは思ってもみなかった。自分が普段歩いている山々だって十分に広いと思っていたし、他の人より世界を知っているだろうと思っていたけれども、安里の知らない広い広い場所が、まだ世界にはあるのだ。




 西方か……、と考え込んでいる安里に、いい具合に酔っ払ったおしゃべりな精霊は金色の目を大きくして質問を投げてきた。


「で、あんた名は何と? あたしは飛飛(フェイフェイ)。自分で付けた名さ、なかなかいいだろう?」


 にかっと笑って飛飛は安里の酒盃にどんどん酒を注いできた。


「ああ、似合っているな。私は安里。鳳安里(フォンアンリ)という」


 静かに注がれる酒を見つめながら、安里はふわりと笑って返した。風の精霊にはなるほど、ぴったりな名前だ。


「アンリ、か。いいな、いい響きだ。……ん? フォンアンリ? 聞いたことがあるなぁ、ううん……」


 飛飛はそういってあごに手を当てながら安里をしげしげと眺めた。金の瞳に至近距離から見つめられた安里は居心地悪く身じろぎし、浴衣の襟元を整える様にいじった。飛飛はしばらくじっとしていたが、不意に思い出したかのように言った。


「銀の髪、紫の瞳……風の守護……うーん、ああ! あれだ、アレ! 不死の体になったという人間! あはは、こんなところで会おうとはねぇ」


 膨大な記憶の中から安里の情報を引き出すことに成功した飛飛は嬉しそうに安里を指差した。安里はそんな飛飛とは対照的ながっかりした表情で額に手をやった。崔琳に言われた時も思ったが、自分のことがそれほどに知れ渡っているとは思わなかったのだ。


「……何なんだ、まさか精霊にもこの話が伝わっているのか……」


「ははは、精霊は元来噂好きだからねぇ。こんな面白い話ならなおさら早く伝わるさ」


 そう言って飛飛はぶすっとした安里の顔を見ながら楽しそうにくすっと笑った。


「そうか、なるほどな、アンリ。ふふ、でも不思議なものだねぇ。こんな小さなお嬢さんが、数多の人間が願って求め続けた不老不死の妙薬を作ってしまったとはね……」


「……自分で飲むつもりなどなかったのだぞ」


 頬を膨らましてぶくぶくと湯の中に半分顔を埋めてしまった安里の銀の髪を、飛飛の細く白い指が撫でるように触れる。


「ああ、そうだろうね……、そうでなければ邪念が邪魔をして完成しなかっただろうさ。だけど、あたしが思うに……」


 遠くに目線を投げてそこで言葉を止めてしまった飛飛を安里は訝しげに見上げた。だが飛飛は口元に笑みを湛えたままで首を振って話を終わりにしてしまう。


「……いや、この話はやめよう。ああ、ところであっちの小さいお嬢ちゃんは? アンリの精霊かい?」


 唐突に飛飛があごをしゃくって示した方向では、あの女の子が乳白色のお湯の中を楽しそうに泳いでいた。

 

 他の精霊の間を縫うようにしてすいすい泳いでいく姿は魚のようで、女の子が傍にくると水が動いてくすぐったいようでそこここで小さく歓声があがっている。




 すっかり女の子のことを忘れていた安里は、その様子を見て頭を抱えた。


「いや……私の精霊ではない。というかほとんど知らないも同然なんだ。勝手にくっついてきただけで」


 安里の渋い表情を見て、飛飛は不思議そうに首をかしげた。


「へぇ、そうなのかい? あの子の懐いている様子からいっててっきりアンリの精霊かと思ったんだけどな。しかし不思議な子だなぁ。何の精霊なのか……」


 目を細めてじっと女の子を見つめる飛飛に、安里は驚いて尋ねた。


「飛飛、精霊であるあなたにも分からないのか? あの子が何の精霊なのか」


「……わからないねぇ。何しろ力の波動を一切感じられないんだ。様子から察するに、風……に、近いような気もするけど、違う。だから余計に分からない」


 眉を寄せ、唇を尖らせて飛飛は言った。そうやってふたりで考え込んでいるところに、女の子がすいっと泳ぎ寄ってきた。


「おんせん、きもち、いい、たのしい」


 安里を見てにこっと笑い、女の子は嬉しそうに言った。つるりと滑らかな頬は真っ赤に染まり、雫を弾いている。前歯の欠けた見ている者を脱力させる笑顔に苦笑しながら、安里はその赤い頬に手をやった。


「大丈夫さ、精霊だよ? その子は。湯当たりなんかしないさ。……それよりさ」


 安里の行動の意図を知り、口を挟んだのは飛飛だ。心配そうな表情の安里を見て、嬉しそうに笑っている。


「その子、名前ないんだろう? アンリがつけてやりなよ。ひょっとしたら力が上がって何の精霊なのかはっきりするかも知れない」


 その言葉に安里は目を大きく開け、その後何度かまばたきをした。そして飄々とした様子の飛飛に思いっきり嫌そうな顔で返答する。


「……飛飛、わかっていて言っているのだろうが、私がその子に名を付けたら、その子は私の精霊になってしまうじゃないか! 私には守護精霊がいるし、第一こんなわけの分からない子精霊は」


「だーけーどーさー、そのままにしてたってその子はアンリにくっついて行くよ?」


 大きな声で安里の言葉を遮った飛飛は、もっともな意見を口にした。安里は苦い顔で押し黙る。その安里の顔を見て、飛飛はくっくっと楽しそうに笑う。


「鳥の親子みたいにさ、その子くっついていっちゃうよ。だからさぁ、名前付けなくたって同じだし、だったら付けて一体何の精霊かはっきりさせた方がよくないかい?」


 鳥の親子状態はすでに経験済みだった安里は口を尖らせて黙ってしまった。その不貞腐れた表情が飛飛の笑いのつぼに入ったようで、彼女は美人も形無しな様子で豪快に笑い出した。


 その大きな笑い声につられるようにして、もともと安里たちに興味津々だった他の精霊たちは、遠巻きにしていたその輪を縮めて近づいてきた。


「なぁに、なぁに? 何の話なの?」


「聞かせて、聞かせて! 飛飛!」




 ざわめきだした周囲に飛飛は苦笑した。


 今現在湯に浸かっている精霊はざっと百五十。その全てが安里の周囲に集まってきている。老若男女の人型をとるもの、とらずにまたとれずに球体となってふわふわ浮いているもの、様々な色を纏った様々な精霊が、その意識をただひとりの少女に向けている。当の安里は考え込んでいて周りの様子まで注意を払っていないようだ。


 長いこと生きているが、こんな風にたくさんの精霊たちがひとりの人間に興味を持って近づいていく光景は本当に珍しい。自分も含め、なぜこんなにも精霊たちが安里に惹かれるのか、最初は飛飛にも分からなかった。一目見てただなんとなく気に入ったから温泉に招いたのだ。


 だが安里が精霊たちの間で有名な不死の存在であることが分かってその謎の一つは解けた。力のあるものに惹かれていくのは精霊の性だ。だからこそ飛飛の周りにも精霊がたくさん集まるのであり、安里は不死であるために実は人間よりも精霊に近い存在になっている。そのことが精霊たちの興味を知らず知らずのうちに集めていたのだ。


 そして飛飛はそれだけではない安里の魅力に気づいていた。自分が強い力を持つ精霊であることを認識して、利用しようと思わない人間などこれまでいなかった。だが安里は利用するなどということをこれっぽっちも考えていないだろう。ただそういうものだと自分を受け入れてくれた感じが、飛飛には驚きでありながら嬉しかった。


 だから目の前で安里が、たった一体の子精霊がついて来るのを嫌がって、ぷくっと頬を膨らませて考え込んでいる様子が本当に可愛くて面白くて、飛飛は笑いながら周りに応える。


「いやぁ、アンリにこの子の名づけをお願いしたのさ。力が弱くて何の精霊だか分からないから」


 そう飛飛が言うと、周りの精霊たちは口々に言った。


「えー、かわいそう! アンリ、付けてあげて!」


「そうだよ、付けてあげてよ! いい名前、付けてあげて!」


「アンリに付けてもらえるなら、ボクも付けて欲しいなぁ……」


 その多重の声は温泉中にわんわんと響いた。屋外とはいえ豊富な湯量に比例するように遠慮ない湯気がたゆたっている。そのもわりとした空気の中に百以上の声が一度に響き、耳が痛い上に重苦しいことこの上ない。



 その声と視線の圧力に耐えかね、とうとう安里は声を上げた。


「あ~もうっ! わかった、付ければいいんだろう、付ければっ!」


 投げやりの様子で言い捨てた安里に、精霊たちは拍手喝采を送った。いつの間にかお祭り騒ぎのようになっているのに、安里はようやく気づいて唖然としたが、咳払いをして見なかったことにした。


「こほんっ。えっと、じゃあ、何にしようか……」


 じっと女の子を見つめ、安里は考えた。見つめられた女の子は、相変わらず真っ赤な顔をしてくりっとした大きな目を安里に向けている。



 安里がその赤みがかった茶色の髪を撫でようとしたら、どこから落ちてきたのか、緑色の楓の葉がひらりと湯の上に浮かんだ。


 葉っぱをつまみあげて軸の部分を持ってくるりと回すと、それを見つめる女の子の目もくるりと回った。その葉っぱと女の子の赤く染まる頬を交互に見て安里は微笑んだ。


 そっと、女の子の頭を撫でて優しく告げる。



「……お前の名前は、紅葉(ホンイエ)、だ」




 

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