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第四話 精霊の秘湯



「……それで? お前の名は何というのだ?」


 腰に張り付いたままの女の子に、安里は訊ねた。本当は本当に係わり合いになりたくないのだが、もはや安里にはいい方法など思いつかない。とにかく適当に理由をつけて、女の子を崔琳の元へ送り返すしかないと思っていたのだ。


「なまえ、ない」


 安里に話しかけられて顔を上げたのも束の間、女の子はその表情を曇らせてぽつりとこぼした。その様子に安里は眉を顰める。


「人型になれるほど力を持っていて名を持っていないのか? お前は誰かの精霊ではないのか?」


 人型を取れるほどに力があるということは、単体でよほど力を持っているか、誰かの守護精霊だと考えるのが妥当であった。守護精霊であれば、主である人間に名を与えられてその力を増し、また主を真似て人型をとるものが多い。名前のない精霊は、人と関わりのない精霊か、その辺を漂っている力の弱い精霊くらいなのだ。


「……ちがう。あたし、だれのでもない。なまえは、かあさま、つけてくれなかった」


「は? かあさま? お前には母親がいるのか?」


 安里は女の子の言葉に首を傾げた。安里の知る限り、精霊に母や父は存在しない。彼らは生まれるべきときに自然とどこからともなく生まれるのだ。水の精霊であれば、水の中から、火の精霊であれば火の中から、と言うことにはなるが、それでもその水や火を父母と呼ぶものはいない。


「にいさま、も、おとうと、も、みんななまえ、ある。……あたしだけ、ないの」


 安里は益々訳が分からなくなって眉を顰めた。兄弟……厳密に言えば精霊はみな兄弟なのかもしれないが、明確にそんな関係のある精霊など聞いたことがない。


「ああ、ちょっと待て。なぁ、お前は一体何の精霊なんだ? まずはそれがわからない」


 そう、それが大きな問題だ。通常精霊から感じられる“属性”の気配が全くわからないのだ。火でも風でも水でも土でもない。安里の会った事のない、けれども確かに精霊なのだから困る。

 だが当の本人も、明確な答えを持っていなかった。


「え、っと、あたし、も、わかんない。にいさまは、はる、なの。それから、なつ」


 安里は頭を抱えた。全くもってどうしたらいいのかわからない。

 不意に木々の間から横に射してきた日差しにはっとして、空を見上げた。女の子とやり取りしている間に、いつの間にか日が傾いてしまっていた。太陽は山の頂にかかって、もう少しで向こう側へ落ちていっていってしまう。

 安里は舌打ちして考えた。こんな中途半端な山の斜面で夜を越したくない。第一寝る場所がないし食べ物もない。しかし日が落ちてからの移動は無用心だ……。


 すると安里を見上げていた女の子が突然、明後日の方向を見遣って鼻をくんくんと動かし始めた。その奇妙な行動に、安里がまばたきをしていると、女の子がにっこり笑った。


「……あたたかい、みず、においのする、みず、あった」


 そういうと、女の子は安里の手を引いて駆け出した。「おいっ!」と制止する安里の言葉も聞かず、一心不乱にその方向へ走っていく。不安定な山の斜面だというのに乱れることのない女の子の走りは、安里の足さえも安定させていて、安里はこの小さな女の子の不思議な力に疑念を抱いた。





 走ること半刻弱。安里達の目の前に、もわもわと湯気を立てる温泉が出現した。


 それは鬱蒼と木が茂る山の斜面にぽっかりと空いた窪地の部分。源泉のようにただ地面からお湯が湧いているだけの水溜まりではなく、大きな岩がごろごろと並び、その中にたっぷりと乳白色のお湯が満ちている。辺りは温泉独特の匂いと大量の湯気で霞みがかかって幻想的だ。


 安里は山育ちで温泉はさほど珍しくはない。里にも日常的に使える小さな温泉施設があった。だかこの山の温泉は、今まで見てきたものの比ではない大きさだった。

 ただ大きいというのでは語弊があるかもしれない。まず並べられた岩が、どこぞの山から砕いてきたままのような大きな状態で、決して整然と並んではおらず、とにかく隙間ができないように並んでいるといった様子だ。広さも一体何人が入ることを想定したのかよくわからない巨大さだった。安里は目算で一度に五十人、いや百人は入れるかもしれないと思った。

 

 はて、誰がどうしてこんな立派な温泉をこんな山奥に作ったのだろう? と首をかしげて考えていると、女の子に服を引っ張られた。


「……はいる、はやく」


「お、おい!」


 意外にも強い力で引っ張られて、安里はふらついた。

 誰のものか分からない温泉に入るのは危険だ。人間は所有したがる性だ。特にこんな大きな温泉を造るくらいだから、持ち主は絶対強欲な人間だろう。安里の容姿は人と違っている点で希少であり、これまでもその手の人間達に狙われたことは一度や二度ではなく、見つかったら面倒なことになると容易に想像できた。だが安里の戸惑いを知らず、女の子は安里の服の裾を掴んでどんどん温泉に近づいていく。


「だからちょっと待てって!」


 焦った安里は、女の子の腕を掴み、足を踏ん張って止めようとした。だがどうしたことか女の子の力は増すようだ。そのままずるずると引きずられてしまう。安里が温泉の方を見遣ると、霞の奥に浮かぶ人影が見え、またがやがやと話すいくつもの声が聞こえてきた。やはり、誰かがいる。……しかもかなりの大人数だ。

 ざわめきと水がぱしゃぱしゃとはねる音が近づいてくる。安里の制止も功を成さず、とうとう温泉の淵の岩まで辿り着いてしまった。


 額を押さえてため息をついた安里の耳に、涼やかな声が届いた。


「……おや? 珍しいな、こんなところに人間が来るとは」


 そして大量の湯気をかき分けるようにして、安里の目の前に女性が現れた。


「はぁい、小さなお嬢さんたち。こんなところに何の用だい?」


「……いや、済まない。私は別に……」


「いれて! あたたかい、みず! やすむ、ここで」


 安里は見つかってしまったことに慌てていたのと、人の入浴を見てしまったことへの申し訳なさにすぐに顔を逸らしてしまい、目の前の美人の風変わりな容姿をよく見てはいなかった。

 ところが顔を背けた安里の隣で、女の子は美女に大声で温泉に入れるように言った。その響き渡った声に、温泉に入っていた他の気配もこちらへ移動してくるのが見ていなくとも安里には分かった。いくつもの視線が興味深そうにこちらを向いている。


 立ち去ろうとする人間とそれを阻む精霊。その構図が美女のお気に召したらしい。


「ははは、面白いねぇ、何の精霊なんだい? お嬢ちゃんは。それから精霊を連れてるってことは、あんたは精霊使いなんだろう? いいさ、入りなよ。迷いの結界が張ってあるのにここまで来られたのも何かの縁だろう。……ようこそ、『精霊の秘湯』へ」


 当たり前のように言われた『精霊』という言葉に、安里はようやく目の前の美女に目を遣った。


 それ自体が光を放つような黄金の髪は、緩やかな滝のように背中に流れ落ちている。整った鼻梁と妖艶な色を放つ髪と同じ金色の瞳。浴衣(よくい)を纏ってはいるが濡れて体に貼り付いているため、その豊満でかつ締まった美しい肢体は全く隠れてはいない。だが目の前の美女はそんなことを気にしていない様子で腰に手を当てて楽しそうに安里を見ていた。


 そして腕を広げて妖艶に笑う彼女の背後に、何十、何百もの精霊がひしめき合ってこちらを見つめていることにようやく気づいた。


「な、ここは……」


 人間が作った温泉ではないのか、という安里の言葉を遮るように、湯の中から何体も精霊が飛び出してきて安里と女の子の体を掴んだ。それに驚いている間に、安里は大きな岩の影へと運ばれ、はっと気づいたときには浴衣を着せられていて、湯に入る準備が整ってしまっていた。

 女の子は、といえば、着ている服も実際にあるわけではない精霊なので、もうすでにお湯の中につかってはしゃいでいる。

 

 安里は一連の出来事をきちんと頭の中で整理する時間も与えられず、さあさあ、と促して来る精霊たちに囲まれて、巨大な岩風呂へと足を向けた。







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