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第一話 山の中で、町の中で

『精霊姫の初恋』の続編となっております。まだの方はそちらをお読みいただいてからのほうがより楽しめる内容になっています。


 時間軸は安里が蒼潤の元を去った安里28歳時点です。


 このお話では蒼潤は出てこずからみもありませんのでご了承ください。


 それは夏から秋に変わろうとする時期で、じりじりした日差しの中に、秋の風が吹き抜ける過ごしやすい季節だった。

 山の木々も、今はまだその瑞々しい緑色を太陽に向かって大きく茂らせているが、もう少しすれば、黄色く染まっていくもの、赤く染まっていくもの、少しずつ枯れ落ちていくもの、様々に秋仕様に変わっていく。

 

 秋はいい季節だ、と安里は思う。


 果物も茸もおいしく熟してくれるし、紅葉した葉は目を楽しませてくれる。落ち葉をひたすら踏んで歩くのもあのくしゃっという音が楽しい。あんまり高い山に分け入りさえしなければ寒くはないから体感的にも過ごしやすい。

 だから早くもっとちゃんとした秋になってほしい。そういえば今年はなんだか夏が長いなぁ。……そんなことを考えながら歩いていただけだったのに。


「……なんで付いて来る?」


 安里は山の緩やかな斜面の途中、耐え切れなくなって振り向いた。


「いく、ところ、ない」


 安里の視線の先でにこっと首をかしげたのは、十歳くらいの女の子だった。特徴的なのはその赤みがかった茶色の髪と、髪と同じ色をした瞳。髪の毛は肩口くらいまで伸ばされているが、整えられてはおらずバラバラの状態で、にっと笑えば、生え変わる途中なのだろうか、前歯が一本ない。ぷに、とつつきたくなる丸い鼻に桃色の頬。上等とは言えない綿の黄色い衣の腰の部分を茶色い帯で留め、その下には薄い朱色のズボンを穿いている。


「……別に面白いところへなど行かない。元いた場所へに戻れ」


 安里は女の子に冷たい視線を遣ってため息をつくと、また前を見て歩き出した。


「……もと、いたところ、わからない。かえれ、ない。ついりん、いった。どこでも、いけ」


 女の子は安里の言葉も視線の意味するところも全く気に止めず、安里の後ろを付いていく。手に持った木の細枝をぶんぶん振り回して両脇に生えた丈の低い植物に攻撃しては面白がっている。

 安里は何を言ってもこうして後をついてくる女の子に歩きながらこっそり目線をやり、こめかみを揉んだ。外見の割りに女の子の言葉がたどたどしすぎるのも変だと思いながらまたため息をついた。……なんでこんなことに。


「なぁ、どこへだって行けと言われたとしても、私についてくることもないだろう。好きなところへ行ったらいいんだ」


 突然立ち止まった安里にぶつかる形で女の子は止まった。そして安里の顔を下から見上げてきた。安里も長身ではないが、さすがに子供の背丈は越えている。


「すき、な、ところ、ない。わから、ない。いくところ、ない。ついて、いく」


「だから崔琳(ツゥイリン)殿のところへ戻れと私は言っているんだ」


 上目遣いの大きな茶色の瞳がじっと見上げて来る様は、見る人が見ればもんどりうって可愛いを連発する部類であろうが、安里には一切通用しない。先ほどより更に冷たさを増した視線と声音で女の子を威圧するように見下ろしている。さすがの安里ももう少しで我慢の限界なのだろう。

 女の子はそんな安里の苛立ちを一切読まず、あろうことかそのまま安里の腰に抱きついてきた。もう離れないぞ、といった体で。


「……いや! いっしょ、いく」


 これまで生きてきた中で、こんな困った子供とやり取りする機会がなかった安里は、額に手を当てて途方にくれた。せめて今このとき、いつも一緒にいてくれる守護精霊の花幻(ファーファン)がいてくれたら間違いなくこの少女を引き剥がしてくれただろうに、頼りの彼女はいない。彼女は今、平たく言えば修行中で、安里はしばらくの間ひとりで過ごさなければならなかった。


 はぁ、と大きくため息をついて、安里は元来た方向へと向き直る。


「じゃあ一緒に崔琳殿の下へ戻ろう」


 どうしても付いてくるというのなら、持ち主のところまで送り返そう、そう安里は思って歩き出した。しかし腰にくっついたままの女の子は自分の足をつっかえ棒のようにしてその移動を止めた。


「……おい」


「いや! かえる、いや! いっしょ、いく!」


 駄々っ子、というものに安里は人生で初めて出会った。


 安里は女の子を腰に張り付かせたまま、心の中で精霊に助けを求め頭を抱えた。……花幻、早く帰ってきてくれ……!








 本格的な春が訪れるのを待たずに都を、もっといえば蒼潤(ツァンルン)のもとを離れた安里は、紅武(ホンウー)とも別れ、また以前と同じように山の中をふらふらする生活に戻っていた。


 それから数ヶ月。


 じりじりと焼き付ける夏の日差しも和らぐか、という頃に、花幻(ファーファン)の提案でふたりはとある小さな町へやってきていた。

 花幻が買いたがっているのは安里の秋物の衣だ。家というものを持たない安里は、季節の服を保管しておくことがない。毎年その季節がやってくる前に、適当に摘んだ薬草を売って手にしたお金でそのとき着るだけの服を買う。季節が過ぎればまた売るか、もしくは着物の買えない貧しい家の前にそっと置いてくる。


 荷物を持てば持つほど動きづらくなることを知っていた安里は、また生来の執着心のなさもあいまって着物に頓着しなかった。着られるものがあれば着る、というのが安里の基本方針で、それに待ったをかけるのが、他でもない安里を溺愛する守護精霊、花幻であった。

 花幻は着飾らない安里に少しでも美しい格好をさせたいと日々努力していた。そのため季節の衣を選ぶのは花幻の役目だ。多少値が張るものでも花幻は躊躇なく買う。誰に見せる衣でなくても、主には常に綺麗でいてほしいからだ。気に入った反物があればそれを着物に仕立てることもあるから本格的である。

 とにかく秋、そして山ではすぐにやってくる寒い冬のための衣を手に入れんと、花幻は息巻いていた。


 町に着いていつものように布を頭から被った安里とその隣でふよふよと浮いた花幻は、目的の衣屋(ころもや)を見つけ、早速店に入った。山に近かったせいか、夏も終わろうかどうかという今の時期に、秋物からちょっと綿の入った初冬の着物までを準備していたことが花幻を喜ばせた。

 今ある程度手に入れておけば、後は本格的に秋がやってきてから厚い毛皮のものを買えば間に合うと、花幻はにっこり微笑む。安里はといえば、店のものに不審に思われないように花幻を盗み見て、彼女の言う通りのものを購入するべく必死だ。

 

 言葉を話し、感情を持ち、物にも触る花幻は、安里からすれば全く人間と変わりないのだが、実際のところ精霊である花幻は、見る能力を持たない大部分の人間の目に映らないし、声も聞こえない。うっかり街中で花幻と会話しているとすれ違った人からは思いっきり不審な目でみられる羽目になる。想像すればすぐに分かるが、何しろ中空に向かって相手のいない会話をしているように見えるから頭の狂った可哀想な子、という認識ができてしまうのだ。安里は昔この失敗を繰り返しており、出入りできない村や街がいくつもある。


 だから何か買い物をするときは、一人で買い物に来ている、と頭の中で繰り返しながらさも自分で選んだかのように物を買うように注意している。しかも布で頭から顔を隠した安里の様子と背丈から、皆十五、六才の人見知りの少女と思うようで、不審に思われないように少し高いものを買うときは、「お母様のお使いなの」と小さな声でおどおどと付け足すことも忘れない。


 人のいるところに来ると何かと面倒だからできるだけ山に篭っていたい、というのが安里の本音だ。だが毎回買い物に来るたびに大喜びする花幻のために、年に何度か重い腰をあげるのだ。





 衣屋で意中の着物を手に入れたふたりは、他に何か買っておくものはないだろうか、と市を物色して歩いていた。

市は大通りの両側に区画を区切って小さな露店が並んでおり、店舗を構えていない流れの商人や、農家が自分で作った作物を直接売っている場合もある。そんな市に並んでいる商品は見ているだけでも面白い。食べ物から薬、身に着ける物や飾り物、置物、日用品まで様々なものをたくさんの店で取り扱っている。さすがに都で一番大きな市場とは比べ物にならないが、小さな街の市場でも、多くの人が行き交い、それなりの活気がある。

 より多く稼ぐべく、左右の店から元気な声が飛んでくる。「そこのお嬢ちゃん! 桃はどうだい? もうこの夏最後だよ!」と日に焼けた浅黒い肌の恰幅のよい果物売りが声を掛けて来るのを小さく手を振って遠慮して、安里は薬を扱う露店の前で足を止めた。


 よく薬草を摘んでお金に換えている安里だが、小さな露店ではどんな薬草が取引されているのか興味があった。また薬の調合について、少し疑問に思っていることがあるからできればそれも解消したい。大きな薬問屋のような場所では、調合に関する様々な手法が秘密にされているため、聞いても教えてはくれないからだ。


「いらっしゃい」


 しわがれた声が安里を迎えた。店主は七十歳くらいの腰の曲がった老女だった。安里はちらっとその人を見ると、髪が見られないように布をしっかり握り締め、俯き加減で口を開いた。


「……少し聞きたいことがあるのですが、いいでしょうか?」


「ほい、何だね? ……おや? お前さん……」


 店主の言葉が途中で途切れたのを不審に思って安里は少し顔を上げて様子を伺った。女性は首を傾げてにっこり笑って言った。


「ふむ、お前さんの精霊はかなり力が強いの。……三百歳くらいかのう?」


 その言葉に安里は目を瞬かせ、老女の背後を探った。すると老女の背中から女の子がぴょこんと顔を出し、横から隣に立つ青年にその頭を引っ込めさせられた。奥の椅子に腰掛けている老人はずずず、と茶をすすり、その前には火の玉と泡のような水の玉がふわふわと浮いている。……全て、精霊だった。


「……失礼ですが、どちら様でしょうか? こんなにも多くの精霊を従えるとは、力のある方なのでしょうが」


 固まってしまった安里の代わりに花幻が口を開いた。安里を守るように少し前に出て老女を睨む。店主は顔中を皺くちゃにして笑い、広くはない店の奥に誘い入れるように腕を広げた。


「ふふ、わしは崔琳(ツゥイリン)。詳しいことはお茶でも飲みながら話そうじゃないか? のう、鳳安里(フォンアンリ)よ」


「……私を、知っているのか?」


 老女のしわがれた声が自分の名を呼ぶのに安里は驚いた。自分の記憶によれば、崔琳という人物にあったことはないし、目の前の人物に面識はない。


「ああ、知っているよ。不老不死の薬を飲んだ……じゃろ?」


 片目をつぶって合図され、安里は居心地悪そうに身をすくめた。花幻は怪しい老女に対し臨戦態勢を解こうとはせず、じっと睨みつけている。


「さあさ、移動するよ、藍翁(ランワン)。お湯も沸かすんだよ」


 崔琳はお茶を飲んでいた老人に向かって声を掛け、ゆったりした動作で奥へと入っていってしまった。たくさんの精霊の視線に見つめられた安里と花幻は、顔を見合わせてどうするか考える。だが、同じ精霊使いに招待されて断る理由もないし、相手は安里のことを知っている。いざとなればいつでも逃げ出せる手段もあるし……と、目配せをしあったふたりは奥へと消えていった崔琳の後を追うのだった。




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