物置の屋根から飛び降りる
私は三毛猫。
私は、体力は無い、のろい、頭は悪いとおおよその能力は人並みの中の下であった。
ただひとつだけ、飛びぬけているものがある。
それが勇気だ。
思い切りが良いというか、思いついたときには行動してる。
恋人が出来るのも、恋人と別れるのも、引越しをするのも、「した」と報告するといつも友人達から「いつの間に!?」と驚かれる。
そんな私だが、この思い切りの良さはあまりプラスに働いたことがない。
穏かな日常を、急に非日常に変えてしまう力を持っているのだ。
この話は、そんな間抜けすぎる無謀な挑戦の数々の記録である。
物置の屋根から飛び降りる
小学生の頃、私は家の物置の屋根に登り、寝転んで空を眺めるのが好きだった。
ゴザを担いではしごを掛け、本やらお菓子やらを持ってきて、太陽の熱で熱いくらいの屋根にゴザをひいてごろんと寝転がる。
「屋根寝」日和はもっぱら天気のいい日に限る。中でも快晴よりは、ぽかぽか暖かく、穏かに雲が流れている日が最適だ。
屋根の上は誰にも邪魔されず、空を見る為の障害物が周りに無い。
近くの高校で野球部が練習している声が小さく聞こえてくるのもいい。そのうち決まってうとうとしてくるが、うとうとしてくれば逆らわずに寝てしまえばいい。
基本ぐうたらな私には、その時間が至福の時以外のなにものでもなかった。
そもそも初めて屋根に登ったのは、姉と家の前でバトミントンをしていた時のことだった。
羽根が物置の屋根の上に乗ってしまい、仕方なくはしごを掛けて屋根の上に登ったのだ。
もともと高い所は苦手ではなかったので、するするとはしごを登って屋根の上に降り立った時、なんともいえない爽快感を感じたのを覚えている。
それ以来、休日になると、母に「ねぇねぇ屋根に登っていい?」と了承を得、たびたび屋根の上で過ごすようになったのだ。
母も初めは「だめだよ、危ないでしょ」と言っていたが、あんまり私が怖がらないもので、呆れて「また登るの?」とだけ言うようになった。
それでも母が家にいないときは登らなかったし、必ず了承を得てから登っていたのだから偉いものだ。
母も私が昇り降りする時は、昇降場所がちょうど見える居間の大きな窓から決まって見守ってくれていた。
そんなある日、屋根の上にいて、ふとはしごの昇り降りが面倒くさくなった。
考えてみれば、何か家に取りに行く度にこの不安定な足場を行き来しなければならない。
そして地面を見下ろしてみると、どうやらさほど高くないように感じた。
実際には、平屋の建物の屋根であるから、二階建てのベランダとほぼ同じ高さだ。
しかし、屋根に登りすぎて高さに慣れてしまっていたせいか、根拠も無く「いけるんじゃないかな……」という思いがよぎり、次の瞬間には飛び降りていた。
その時の感覚はやたらリアルに覚えている。
傍目には一瞬のことだったはずだが、途中で「あれ?長い……」と思った。「長い」というのは滞空時間のことで、想像していた「ぽんっ」という感じと違ったのだ。大げさに言うと遊園地のタワーハッカーで落ちる感覚に似ていた。
そして着地した瞬間、思ってもいなかった衝撃が両膝に走った。
「ズシン」という衝撃は、今まで塀の上やなんかから飛び降りていた感覚とは全く違う。とにかく膝から下が痛く、その場に座り込んだ。
「なにやってるの!」とすぐに母が窓を開けて大きな声で言った。
信じられないという顔をしている。当たり前だ。
私は気まずく、「いや、飛んで降りれるんじゃないかと思って……」と言って笑ったが、「馬鹿じゃないの!」と言って、母が笑い返してくれることは無かった。
幸い大事には至らず、しばらくすると普通に歩けるようになったが、立ち上がれるようになるまで、これで万一病院とかに行って骨にヒビなんか入っていたりしたら、どうして怪我をしたのと聞かれてなんて答えればいいだろうと考えていた。ちょっと屋根から飛び降りて……なんて言って、どうしてそんな事したのとまた聞かれて説明するのも阿呆臭い。
何事もなくて本当に良かった。
ただ、この一件で私の「屋根寝」には禁止令が下り、快適な屋根ライフを失う事になってしまったのは悔やみきれない痛手であった。