9.真っ白のキャンバス(終)
見合いというより花見を無事に済ませオリヴィアたちを見送った後、とにかくローレンスは叱られた。
まずカイルに叱られた。淑女を立たせたまま茶の席にも案内せず長話をしてはいけません、と。ついでに、湯が冷めるから長引くなら合図くらいくれ、と。
もちろん、四阿に辿りついてすぐにカイルが用意してくれた茶は適温で、焼き菓子も生菓子も万全の状態で、ついでに目を冷やすための冷たい布と温めるための蒸し布が大量に用意されていた。
次に、ウォルトに叱られた。婚約者でもない妙齢の淑女に、しかも王族であるオリヴィアに容易に触れた上に口づけるとは何事かと。唇ではないから良いというものではありません、そんな不埒ものに育てた覚えはございません、とそれはもうつらつらと長々と叱られた。
脱水してはいけないと果実水を手渡され腫れては困るとウィンター商会の新作だという軟膏を目の周りに塗られながら。
それから、ウォルトの妻…上級メイドのハンナにも叱られた。いや、特に小言を言われたわけでではない。ただ、「ドレスをお贈りになった方がよろしいですよ。すぐに手配させましょう」とため息を吐かれただけだ。「その前にお花と小物とお詫びのカードは贈りましょうね」とも。
仕立て屋を待つ間にとカタログを持って来てくれた時、「よろしゅうございましたね……」と唇を震わせていた。
妹に簡単に手を出すなとでも怒られるかと思っていたライオネルには一切怒られなかった。
「良かったな、ローレンス」
そう言って肩を叩き、いつもの笑顔でにやりと笑ってくれた。そうして「これからはお義兄様と呼べよ!」と楽しそうにからから笑いながらオリヴィアと帰って行った。ライオネルの目元が少し赤かったのと、いつも無表情のライオネルの護衛ジェサイアが口角を上げて頷いてくれたのがどうにも恥ずかしかった。
ライオネルを本物の護衛のように立たせておくわけにもいかないので少し離れた場所に茶席を用意していたのだが、結局ずっと側で見えないように見守ってくれていたらしい。
「カイル」
「はい、若様」
しっかりと叱られ着替えをし、目元の処置を終え仕立て屋が帰ってから。ローレンスは夕日の色に染まる離れのアトリエでキャンバスを眺めつつカイルの淹れた茶を飲んでいた。
「泣きすぎた」
「左様でございますね」
すぐに冷やして温めてを繰り返したお陰か軟膏のお陰か腫れはそこまででは無いのだが、とにかく痛い。ひりひりする。
結局、四阿に辿りついたあとは残り時間も少なくなっており、オリヴィアに悪いかと思い処置はあとにしようと思ったのだが、「今すぐやればそこまで腫れないのにやらないほうが非効率」と両断されてカイルから手渡される布を温冷交互に目に当てながら話をすることになった。
「カイル」
「はい、若様」
「チョコレートの、美味しいお店を知らない?」
「ミルク多めの甘いものが得意な店とカカオの苦みのあるものが得意な店、どちらがよろしいですか?」
「どっちだろう。どちらも好きそうだった」
「ではカカオの強い店の詰め合わせがよろしいですね」
「うん、まずはそれで。好みはこれから覚える」
「承知いたしました」
甘いものを好むと聞いたので色々用意したのだが、オリヴィアは特にチョコレートの含まれるものを好んで食べていた。
何が好きなのかをオリヴィアに直接聞けば良いだけなのだがそれでは意味が無いようにローレンスには思える。自分の目で見て、共に過ごして。できることならオリヴィアの口にしない部分までオリヴィアを分かりたい。オリヴィア自身ですら気づけないところまで。
「カイル」
「はい、若様」
「僕はたぶん、父上にかなり似てる」
「はい。似ていらっしゃると今までも思っておりましたが……自重をお勧めしたいところまで似ていらっしゃるかと」
「やっぱり、そう思う?」
「ええ。若様が今考えていたことを想像するに、とても」
「分かるんだ」
「父に比べればまだまだですが、それなりに」
何とも言えない顔でほんの少し視線を逸らしたカイルにローレンスは口角を上げた。恐らく、カイルの想像は半分以上当たっている。
目の前にあるキャンバスは真っ白だ。描きたい思いが強すぎて、何から描けば良いのかすら今のローレンスには分からない。
「もう、失いたくないんだ……」
キャンバスをなぞりながら言ったローレンスに、カイルは茶のおかわりを注ぎながら「左様でございますね」と静かに言って頷いた。
の、ではあるが、もちろんそれで終わりでは無かった。
やはりと言うか何と言うか、最も怒ったのは母だった。
「ローレンス。そこに座りなさい」
「座っています、母上」
「違います、絨毯よ」
「………はい」
オリヴィアもライオネルも、ローレンスが何をしでかしたのかを父にも母にも話さなかったらしい。ウォルトもカイルも積極的に話そうとはせず軽くぼやかそうとしたようなのだが母に聞かれて答えないことはできない。
見合いから数日後に王宮での療養を終えてタウンハウスに帰って来た父と母を出迎え、オリヴィアに会いに王宮へ行っている間にウォルトもカイルもハンナも父と母に呼ばれて洗いざらい聞き出されたらしい。王宮から戻ったら即座に応接室に呼ばれて今、ローレンスは絨毯の上だ。
「アナ、お手柔らかにね……」
「はじめが肝心なのです。あなたのようになったら困るでしょう」
「え!?僕、困らせてたの!?」
「私とオリヴィア様は違います」
「あ、アナは困ってないってことだね!?」
「とりあえずあなたは黙っていていただけますか?」
「あ、うん。ごめんね、アナ」
母に窘められてしょんぼりと父が肩を落とした。そんな父を「困った人ね」と呆れたように苦笑いしながら、けれどとても優しい目で見た母は、ローレンスを見るとすんっ、と半目になり冷たい微笑みに変わった。
「ローレンス、あなたという子は………?ローレンス、何を笑っているの?」
絨毯に膝をついて座るローレンスの顔を見て、母の氷の微笑が困惑に変わる。どうもローレンスは笑っていたらしい。
「申し訳ありません、母上。オリヴィアと母上は似ているなと、思ったら、つい」
ふ、と声まで出して笑ったローレンスを見て力が抜けたのか、母は「呆れた………」とため息を吐いてウォルトが用意した茶に手を付けた。隣で半泣きになった父が、「良かったね、ローレンス」と頷いた。
もちろんと言うか、母の説教の時間が短くなることは当然全く無かったが。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
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