7.抱擁
本当に、ローレンスはどこまでも情けないのだ。いい年をして八つも年下の女性に諭され、しかも泣かされて。みっともないと分かっているのに涙をさっさと止めることすらできない。
これがライオネルならあの美貌に涙が輝きを添えて画家たちが絵に描くこともできず陶然と眺めてしまうような光景になるだろうが、鼻を赤くして泣きじゃくるいい年をした平凡なローレンスなど見苦しいだけだというのに。
不甲斐ない自分があまりに惨めで恥ずかしくてローレンスがぎゅっと目を閉じると、ふわりと、柔らかなものがローレンスの目元に当てられた。目を開けば、困ったように微笑んだオリヴィアが片手でローレンスの手を握ったまま、もう片方の手でハンカチをローレンスの目元に当てていた。
「あの時はこうして触れることは許されなかったけれど、今はもう良いわよね?受け入れる気はあるのでしょう?」
ぼろりと、大きく見開いたローレンスの目から更に溢れ出した涙に驚いたように目を丸くすると、オリヴィアはまた小さくため息を吐くと労わるように柔らかく微笑んだ。
「返事は?ローレンス」
「~~~~~っ!!!」
「ひゃっ!?」
堪えきれずに、というのはこういう時に使うのだろう。ローレンスはぼろぼろと泣きながら思い切りオリヴィアを抱きしめた。あまりに無遠慮にぎゅうぎゅうと抱きしめたせいで「苦しいわよ」とオリヴィアに笑われてしまったが、オリヴィアは嫌がることも無くそのままローレンスの背に手を回し、ぽんぽんと宥めるように背を優しく叩いてくれた。
「………クロエです」
「え?」
「薔薇の名前……クロエ、です」
「そう、クロエ。素敵な名前ね」
知っていただろうに、オリヴィアはいまだに抱き着いたまま嗚咽を止められないローレンスの背をよしよしと撫でながら腕の中で頷いた。
「そう、でしょうか」
「ええ。とても素敵ね。気高くて、気品に溢れて、力強くて。なのにそれでいて、どこか儚い。ぴったりの名前よ」
「そう……でしょうか……」
ぎゅうと、更に抱きしめる腕に力を籠めると「ローレンス、さすがに緩めてちょうだい」とオリヴィアから苦情が入った。
「放せとは、仰らないのですか」
「放したいの?」
「嫌です」
「ふ…ふふ!あなたでもはっきりものを言うことがあるのね?」
「………そう、みたいです」
少しだけ腕を緩めると、ふぅと息を吐いたオリヴィアが「手加減はしてね」とまたくすくすと楽しげに笑った。
「無駄だとは、仰らないのですか」
「何が?」
「こういう、その、触れ合い?」
「あら、触れ合いはとても大事よ?うちの家族、見たことがないのかしら?まぁ、先王陛下と王太后陛下とはほとんど触れあったことは無いけれど」
「ウィルも、レオも、セシリアも、ウェリングバロー大公閣下も、度を越していて、参考になりません。うちの、両親もですが」
「そうね。宰相も重症だものね」
いつの間にか涙は止まっているが、真っ赤に腫れてしまっているだろう顔を見せるのが嫌なのと柔らかな温もりが消えてしまうのが嫌でオリヴィアを胸に抱いたままで話を続ける。
今頃きっと、茶の準備をしているカイルたちは中々来ないローレンスにやきもきしていることだろう。後ろで見守っているだろうウォルトとオリヴィアの護衛役ふたりが何も言わないことがむしろ恐ろしい。
「よろしいのですか、殿下」
「何がかしら?」
「本気で、いらしたでしょう」
「………気づいていたのね」
「僕は、絵を描く人間ですから」
このような状況で聞くべきでは無いのかもしれない。けれど、このような状況だからこそ聞けるのかもしれない。
オリヴィアの、ベンジャミンを見つめる目はいつも挑戦的で、力強くて、ぱっと見にはそこに恋情があるようには見えなかった。けれど人の表面ではなく内心をこそ描きたいと必死に観察眼を磨いてきたローレンスの目には、はっきりとオリヴィアの瞳の中の熱が見えていた。
「そう……。そう、ね。本当はね、もうずいぶんと前に諦めはついていたのよ。さすがに全く脈が無いまま六年は長かったわ」
「そう、ですか」
小さく笑いながら淡々と話すオリヴィアの声が震えた気がしてローレンスはそっと艶のある蜜色の髪を撫でてみた。オリヴィアはそれも嫌がらずに受け入れ、しばらくして大きくため息を吐いた。
「あなたこそ、嫌では無いの?」
「何がでしょうか」
「わたくしの心が別の場所にあることが、よ」
ローレンスの思い。オリヴィアの思い。年月の長さや形に差はあれど、それでも長く叶わぬ思いをどこか諦めた気持ちで互いに抱え続けてきたそのことに、ローレンスは不思議な解放感を覚える。
捨てなくて良いとローレンスの思いを許してくれたオリヴィアの思いを、ローレンスが否定することなど、ない。
「そう、ですね。殿下が長く捨てずにいらしたのなら、きっと大切にすべきものなのでしょう。そんなことより、お心が別の場所にあるのに今こうして僕に触れられて、嫌ではないのかの方が、よほど心配です」
「そんなことより、ね。ふふ、意外と嫌では無いわよ。視線だけですら煩わしい人も多いけど………意外と、これはこれで、悪くはないわね」
「そう、ですか………」
ぽん、とまた背を軽く叩かれた。まるで幼子をあやすような抱擁は、今のローレンスにはちょうどいい。ローレンスもまた同じように、オリヴィアの頭をそっと撫でた。
「ローレンス」
「はい」
「オリヴィアと呼びなさい」
「オリヴィア殿下?」
「違うわ。オリヴィア。敬称をつけては駄目よ」
驚いてぱっとオリヴィアを見れば、オリヴィアもまた顔を上向かせてローレンスを見つめている。
「酷い顔ね?」
「見合いになりませんね」
「わたくし、喉が渇いたわ」
「この顔でも良いですか?」
「わたくしは良いけど、冷やすものだけは持って来させましょう」
赤の瞳が心配そうに細められた。薄っすらと、奥に紫を感じる美しい赤。
初めてじっくりと見つめたオリヴィアの瞳のあまりの美しさに、気が付けばローレンスはオリヴィアの瞼にそっと唇を落としていた。




