4.絵の中のふたり
道具を片づけ本邸ではなく離れへと向かう。用意されていた湯を使い体を清めるとローレンスはのろのろとアトリエへと向かった。
アトリエに入れば眼前には一枚の大きな絵。もう少しで完成なのだがさて、完成させても良いものか悩みつつも毎日少しずつ筆を入れている。
描き出されるのは一組の男女。銀の短い髪に濃紫の瞳の美丈夫と、隣には世にも美しい少女。ふたりが手を取り寄り添い合い見つめ合う、その瞬間の絵。
けれど、その少女は彼女ではない。ライオネルの隣に並ぶのは、今の王国で最も見目麗しいであろう、淡い金の波打つ髪にライラックの瞳のまるで淡い光そのもののような美少女。
茶会など縁遠いローレンスなのにセシリアに呼び出されて何かと思ったが、セシリアの思惑半分、政治的なお芝居半分で寄り添ったふたりを見て『絵を描け』ということかと瞬時に悟った。
何をしたいのかは分かったが、さて、描くのは良いが本人たちの許諾無しにセシリアに渡して良いものかは悩ましい。絶対面白がってとんでもないことに使う。セシリアは常識人に見えて今も昔もそういう女性だ。
何より……。何よりまだ、ライオネルの隣に彼女以外を置くことを、ローレンスは心のどこかで拒絶していた。
彼女の隣に在るのは自分でありたかったと思うのに、彼女がライオネルの隣にいるのが当たり前だとも思っていた。それが本当に、誰にとっても自然なことだったのだ。
ライオネルの隣には彼女がいて、彼女の弟がいて。そうしてローレンスが、グレアムがいて。学園に入ってからはそこにハリエットたちが加わった。
誰も彼もローレンスよりずっと出来が良くてローレンスはいつも少しだけ置いてきぼりで、けれど誰もがローレンスを振り返り、待っていてくれた。
本気で、ずっと皆で一緒に居られると思っていた。卒業しても、大人になっても、あのウィルフレッドを支えて皆で呆れたり慌てたりしながら高位貴族の紳士淑女にあるまじき大笑いをして過ごすのだと思っていた。そうしてそんな彼らを、ローレンスは馬鹿みたいに何枚も絵にして残すのだと思っていた。
けれど、彼女とライオネルが婚約することは無いだろう、とも思っていた。だからどこかでローレンスは楽観視していたのかもしれない。
「ローレンス、わたくし、ライオネルとの婚約が内定したわ」
ドラモンド公爵家の庭の四阿で薔薇を眺めながら彼女がそう言ったとき、ローレンスは彼女のために用意していた茶をそのまま落としそうになった。
「え……どうして?」
「お祖父様の希望よ」
「でも、でも君はアドラムでしょう?」
アドラム侯爵家は建国以来の功臣。侯爵家ではあるが王家との繋がりは公爵家以上に強く、ほぼ寄り添っていると言っても良い間柄だ。
アドラムは権力を求めず、常に王家を守り支えるように振舞ってきた。そんなアドラムには何度も王族の血が入ったが、アドラムは決して、王族に入ろうとはしなかったのだ。過去四百年以上の歴史の中で、一度も。
「そうね、わたくしはアドラム。本来であれば妃として王族になることは無い。だけどウィルフレッド様がライオネルを手放すはずがないからライオネルの臣籍降下は無い。だから、特例、ね」
「どうして?ライオネルがいまだにセシリアを好きだから?」
「そうじゃないわ。そこをぐだぐだ言うライオネルじゃないでしょ。………お祖父様とお兄様が無理やりねじ込んだのよ」
「ねじ込んだって…侯爵は?君の御父上は何て?」
「お父様はお祖父様には逆らえないわ。お父様だけじゃない、誰も、お祖父様には逆らえないの。確定ではなく内定で止めるのが精いっぱいだったわ」
「そんな…………」
なぜだか分からないがローレンスはどうしようもなく嫌な予感がした。
まだ内定とはいえアドラム自身が『あり得ない』と言い続けた王家へのアドラムの輿入れ。相手が王太子ではなく第二王子とはいえ、それが『アドラムの』希望でねじ込まれた。
何かとても嫌なことが起こる。そんな気がしてローレンスはふるふると、何度も首を横に振った。
あの時―――どうしようもなく嫌な予感がしたあの時、もしローレンスが跪いて彼女に薔薇を捧げていたら、もしかしたら何かを変えられたかもしれない。
公表されていない内定の段階であれば、ドラモンド公爵家の公子であり長子であるローレンスからの求婚を無碍にすることは難しい。
ましてや『内定』で止まったということは恐らく、王家側なのか臣下側なのかは分からないが彼女の父であるアドラム侯爵以外にもこの婚約を通したくない勢力がいた。少なくとも、待ったをかけることはできたはずだ。
けれど、ローレンスにできたのはただ、情けなく眉を下げて何度も疑問を口にすることだけだった。
「君は、それで良いの……?」
「ライオネルの妃なら悪くないとは思うわ。恋はできないでしょうけど、ライオネルなら絶対、大切にしてくれるもの」
「そ、う、なの?」
「ええ。………それにね、覆すなら、それなりの力が必要なの」
「ち、から?」
「そう、力。覆せなくとも変えるなら、力と、覚悟が要るわ」
じっと、ローレンスを見つめる彼女の淡い琥珀の瞳に絡め捕られたように思考が働かなくなって。あの日、その後に彼女と何を話したのか、ローレンスは覚えていない。
その翌月、ウィルフレッドとセシリアは結婚してセシリアは王太子妃になった。そうしてそれから更に半年後、セシリアが刺客に襲われた。
ローレンスが夢見ていた温かく優しい未来はそれをきっかけにぼろぼろと崩れ始め、そしてたったの半年足らずで完全に砕け散った。
じっと、絵の中で微笑む銀の髪の美丈夫を見つめる。
酷く優しい目で光の色の少女を見つめていたライオネル。それが作り笑顔で無かったことをローレンスは知っている。
「そろそろ、潮時だね、レオ」
かたりと、チェストの一番下の段を開けるとローレンスは無造作に放り込まれたスケッチブックの中から古い一冊を取り出した。
そこに描かれているのは淡い琥珀の瞳の美しい女性。笑う彼女、怒る彼女、真剣に本を読む彼女、薔薇を幸せそうに眺める彼女。
ぱらりぱらりと何枚もの紙をめくっていく。最後から三枚目に辿りつきローレンスはぴたりとめくる指を止めた。
スケッチブックの最後の三枚。描かれているのは、赤の瞳を悲し気に細めて微笑みながら薔薇を撫でた、あの日の少女。
「………覚えて、いますか」
ローレンスは一度絵の中の薔薇を撫でると、そっとスケッチブックを閉じて他のスケッチブックの下へ押し込みぱたんとチェストを閉めた。




