2.彼女の薔薇
今思えば、ドラモンドとして守るものを見つけるまでは好きにすれば良い、探すためにも色々やれば良い、そういう親心だったのかもしれないと思う。
「愛しているのに、それなのに、ずいぶん切ってしまったのね?」
もう一本薔薇を拾うとオリヴィアは慈しむように花弁に付いた汚れを払った。その手があまりにも優しくて、ローレンスはつい、言わなくても良いことを言ったと思う。
「これは、あってはいけない花なんです」
「あってはいけない花?」
「はい。生きていては、いけない花なんです」
「そう」
この薔薇は、彼女のために作った薔薇だった。彼女の瞳の色、彼女を思わせる大輪の一輪咲き、彼女のような、力強く香しいのにどこか儚さを感じる香り。
薔薇を愛する彼女のために、ローレンスが十三歳の時から七年以上をかけて彼女を思い描いて作った薔薇だった。
茶会で初めて彼女にあった日、王妃の薔薇園で彼女はじっと薔薇を見つめていた。「薔薇が好きなの?」と、名乗りもせずに聞いたローレンスに、彼女は振り返りもせず「花の中で一番好きよ」と応えてくれた。
あの時から、ローレンスは彼女の絵を描くのと同時に薔薇を育て始めた。ただただ彼女を家に呼びたい。そのためには珍しく美しい薔薇が要る。そんな、どうしようもなく不純な動機からだった。
今もドラモンドの庭の手入れをしてくれている庭師に教えを請いながら、様々な専門書を片っ端から読みながら。ローレンスは何本も枯らしながらもローレンスの薔薇園を作った。三年目、やっと納得のいく薔薇ができた年、ローレンスは彼女をドラモンド公爵家のタウンハウスへ誘った。
「美しいわ。本当に素敵。王妃様の庭園にも負けていないわ…!」
そう言って嬉しそうに笑ってくれた彼女が可愛くて愛しくて、その時の太陽のように輝く彼女の淡い琥珀の瞳が忘れられなくて、十三歳だったローレンスはこの薔薇の開発を始めたのだ。いつか彼女に九十九本の花束を跪いて贈るために。
そうしてもうひとつ、今ではドラモンド公爵領の特産のひとつになった薔薇ジャムを研究し始めたのもあの時だった。
「わたくし、薔薇ジャムって嫌いなの。でもこの薔薇ジャムは美味しいわ……とても不思議。これなら焼き菓子につけても紅茶に入れてもわたくし、好きだわ」
その薔薇ジャムは、ローレンスが薔薇園を作ろうと様々な薔薇を取り寄せている中に混ざって来た薔薇で作ったものだった。その薔薇は観賞用にするには花の形があまり良くないのだが香りが非常に強く、そしてとても良い。
せっかくなのでとローレンスが試しにジャムにしてみたところこれが大好評だったので、観賞用の庭園とは別にこの薔薇の薔薇園を作り、もっと良いジャムや加工品が作れないかと試行錯誤していたものだ。
「あの、僕が、作ったんだ。このジャム……」
「まぁ、そうなの?あなた、公子様としては大人しすぎるしどうかと思っていたけど…凄いわね。こんな素敵なジャムを作れてしまうなんて。これはきっと、ドラモンド公爵領の特産にもなるようなものよ」
「そ……そうかな。僕でも、ドラモンドの役に立てるのかな」
「何を言っているの?このジャムもあなたの育てた薔薇も。ドラモンド公爵領は南側の地域でしょう?十分に量産して特産として出荷できるものではないの。あなたはもっと自信を持つべきよ、公子様」
「その…公子様って、そろそろ止めて」
「じゃぁなんて呼べばいいの?」
「ローレンスで良いよ。みんな、そう呼んでいるでしょう?」
「みんなって、ウィルフレッド様とかライオネルとかセシリアとかじゃない。わたくし、侯爵令嬢なのよ?」
「レオは王子だしセシリアは公女だよ…呼び捨てにしてるでしょう、君」
「あら、そうね、そうだったわ。じゃあ、ローレンスって呼ぶわ。ローレンス、わたくし、あなたの薔薇園と薔薇ジャムが大好きよ」
あの日にきっと、ローレンスの歩む道は決まったのかもしれないと思う。ローレンスはすぐさま開発の結果を持って父と母にドラモンド公爵領での量産とその方法を提案し、そのまた二年後には試作が、さらに二年後には量産が始まった。他にも薔薇の花びらを精製水に漬けた薔薇水や薔薇の香油など様々なものの研究に着手した。数少ない、ローレンスがドラモンド公爵領に貢献できたものだと思う。
そのどれもが、全ては彼女のひと言から始まったのだ。
気も弱く、頭も決して良くは無く、容姿も貴族としては平凡な位ばかり高いローレンス。唯一の特技はずっと彼女ばかり描いていたらいつの間にか人から絵を描いて欲しい、描いた絵を譲って欲しいと言われるほどに上がっていた絵画の腕くらいか。
今のローレンスを形作ったのは間違いなく彼女だ。彼女と出会えなければローレンスはもっとろくでもない者になっていたはずだと思う。
「……ねえ」
声を掛けられてローレンスははっと顔を上げた。いつの間にか思考に沈んでいたらしい。声の主の方を見れば、少し釣り気味の大きな赤の瞳がじっとローレンスを見つめていた。
「あ、はい。なんでしょうか」
「この薔薇、わたくしにくれる?」
「え?どうぞ?」
「違うわ。この二本じゃなくて、切ってしまった花全て。蕾も含めて、わたくしにくれる?」
「え、これを全部ですか?」
ぐるりと周りを見回せばそれなりの数が落ちている。さすがに九十九本は無いが、固い小さな蕾まで足せばオリヴィアでは抱えきれない数はあるかもしれない。
「ええ。さすがに手で持って帰るのは無理だから王宮に送ってちょうだい。わたくしが、愛でるわ」
「あなたが?」
「ええ。わたくしに……王女オリヴィアから命じられたと言えば問題なくわたくしのもとへ届くはずよ、ドラモンド公子」
「僕を、ご存知だったんですね」
「驚かないあなたもわたくしを知っていたのね」
「名乗りもせずに申し訳ありませんでした」
「良いわ。わたくしも問わなかったもの」
ふっと、オリヴィアが静かに笑った。眼差しは良く似ているけれど笑顔は全く違う。彼女の笑顔は…オリヴィアと同じ年頃だったころの彼女の笑顔はきらきらと明るく輝いていた。
ローレンスが彼女の笑顔を目にすることは二度とないだろうけれど。




