第34話 もう一人の娘
「麦さんが猫に変身することはそれがきっかけで離婚したという事実からご存じだとは思いますが、その娘であるルナも猫に変身できることが判りました。実の親の前で話すのも心苦しいのですが、ルナはアヤさんと体の関係を迫ります。ルナがアヤさんを宮尾家の使用人として働くことを勧めたのはそのためです」
「それはアヤさん本人の口から聞いたことですか?」
「そうです。実は私もこの話を聞く前にその現場を偶然目撃してます」
「まさかそんな…」
「そして、ルナは人間の姿だけではなく、猫の姿に変えてアヤさんと同じことをしています」
「それって…あの…」
「普通の感覚からすれば変態ですね。繰り返しになりますが、実の親の前で話すのは失礼だとは思います。しかし現実としてそれが起きてます。猫の姿になったソレも俺は目撃しています」
「それは愛し合ってる、すなわち偏愛の一部ではないのですか?」
「どうなんでしょう?少なくとも私にはそうとは見えませんでした」
「その、ルナとアヤさんがそのような関係だというのは理解しました。普通じゃないのも解ります。いろんな愛の形がありますし、こんなこと言うのも何ですが、問題ないのでは?」
「ルナさんの性格のことについて、先ほど何て仰ったか覚えてますか?」
「ええ。ルナは人見知りなところがあると」
「大人になった彼女は現在も人見知りなところが見受けられます。アヤさんはその性格を逆手に取りました」
「それはどういうことですか?」
「麦さんの、宮尾家の仕事についてご存じですか?あなたと離婚して麦さんが立ち上げた会社ニコネコカンパニーのことを」
「噂では聞いたことありますし、ノアからも何となく伺ってはいますが詳しくは存じてません」
「実は先日、ニコネコカンパニーの事業拡大のために会社の宣伝動画を撮影することになりました。そのイメージキャラクターとして宮尾家の3人の娘を起用することが決まり、俺が監督を務めることにもなりました。その動画の撮影時にルナの着ていた衣装だけが何者かの手によって特殊な生地で作られたものに差し替えられており、水に濡れたルナの衣装だけが透けてしまって、その動画が世界中に拡散されてしまったのです。ルナはそのショックで猫の姿に変身してしまい、元の人間に戻れないでいます」
「その動画を拡散したのって、誰なんですか?」
「おそらく、というかほぼ間違いなくアヤさんです。衣装に手を加えたのも彼女でしょう。動画についても撮影自体は中止にしたので、公式にはupしておらず、集めた関係者の中に隠し撮りしていた怪しい人もいなかったので、アヤさんでほぼ間違いありません」
「彼女が、アヤさんがそんなことをする理由は何ですか?」
「彼女本人の口から出ましたが、母から父を奪った麦さんとその娘ルナへの復讐だそうです」
「復讐…」
先生はしばらく黙り込んだ。
自分に元交際相手との間に生まれたであろう子供がいた、その子供が別れた妻の娘からイジメを受けていた、イジメを受けていた子供が別れた妻と娘に復讐をしている。
とんでもない構図だ。
まず誰に謝罪すればよいのかさえ分からないのだろう。
しかも元交際相手はすでに亡くなっている。
俺は平和的に解決できる糸口を掴みに先生のところへ来たのだが、俺が逆の立場でも同じように黙り込むだろう。
全て嘘であってほしいと思うだろう。
しかし、これは紛れもなく現実なのだ。
「その、アヤは今の私の存在についてはどの程度知っているのでしょうか?」
「話を聞く限りでは父親の存在はすでに過去の人として捉えてると思います。私も彼女にあなたの現在のことは伝えてません」
「会って話すことは出来ますか?」
「どうでしょうか…。突然現れても困惑するだけだと思いますが、会うことを望んでいるのなら俺から話をしてみますけど」
「心の準備が必要なので少しお時間いただけますか?」
「それは構いません。ただし、ひとつだけお伝えしておきますが、人間が猫に変身するには大きなパワーを使います。逆のパターンも同様です。長期間猫の姿でいると寿命に影響します。すなわち死期を早めることになります」
「それって、どれくらいがリミットなのですが?」
「それは私にも分かりません」
「ということは、麦は、麦は今どうしてるんですか?」
「麦さんは今も健在です。ですがお察しの通り、麦さんは長く人間の姿で活動してきました。あなたと別れてからは今の会社を立ち上げるために四六時中働いていたそうです。その弊害で寿命もどんどん短くなり、今では人前以外では猫の姿で大人しくしてるようですが、そう長くは生きられないそうです」
「麦が…そんな…」
「俺の話は以上になります」
再び長い沈黙が流れた。
元嫁とはいえ、人間ではない猫だったとしても、一緒に暮らした期間は家族だったはずだ。
交際していた女性も亡くなったと知り、実の娘も命の危機だとも知り、その母親も余命いくばくもないと知る。
その命を預かっているのが突如として現れた腹違いの娘の存在。
俺でも逃げ出したくなる。
「改めてこちらから連絡します」
先生はこう絞り出すのが精いっぱいだった。
先生から連絡があるまで宮尾家ではなるべく波風立てないようにこれまで通り過ごしていこう、俺はそう思った。
「それじゃ、今日のところは失礼します」
「あ、ちょっと待ってください」
「バキィィッ!」
「ドンガラガッシャーン!」
一瞬目の前が真っ暗になった。
俺は数メートル先まで吹っ飛んだ。
殴られたのか?
なぜ?
理由に納得がいかなかったから?
先生は棚に向かって指を差した。
「生徒が作った器が派手に壊されたので、手直し料として一発殴らせていただきました。一発だけでは足りませんがサービスです」
先生は振り向いてそそくさと床に散らばった器を拾い出した。
ケンカなんてしたことないからこんなことになる。




