第29話 妻との出会い
これは麦さんだけではなく夫にも、中川先生にも話を聞かねばならない。
俺は麦さんを家に送り届けて中川先生のところへ向った。
「小谷さんお待ちしてました」
「あの、電話で話した件ですけど」
「ええ…そろそろ頃合いだと思ってました」
彼は教室ではなく自宅に俺を招き入れた。
「彼女との、麦との出会いから話します」
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私が彼女と出会ったのはとある神社です。
当時私には付き合っていた彼女がいて、病弱だった彼女が手術を控えていたので、手術が成功するようにと毎日お参りに来ていました。
ある日、薄汚れた猫がこちらに視線を送っていたことに気付きました。
私はその猫に歩み寄り、持っていた食べ物と飲み物を与えました。
猫は相当お腹を空かせていたのか、物凄い勢いで食べました。
それから毎日のお参りと猫に食事を与えるのが日課となりました。
病弱の彼女のことについても話したと記憶しています。
言葉が分からないなりに私の話に耳を傾けて聞いてくれていたように見えました。
猫も次第に私に懐いてきました。
無意識ではありますが、こうすることで彼女の手術も成功すると思ったのでしょう。
そして、彼女の手術は無事成功しました。
お礼も兼ねて神社に向かうと猫はいつものように食べ物を求めてきました。
その日は手ぶらだった私はその猫を家に連れて帰りました。
彼女の手術が成功したのはきっとこの猫のおかげなんだろうと思って。
家に帰ると彼女も猫を歓迎してくれましたが、猫は居心地が悪いと感じたのか、人間に飼われることを良しとしなかったのか、気付いたら窓から外へ出ていってしまいました。
それからしばらく経ったある日、私の勤めていた会社に一人の女性が中途で入社してきました。
それが麦だったのです。
麦は非常にバイタリティーがあり、どちらか言うと病弱で控えめな性格な彼女とは真逆でした。
そんな麦に私は次第に惹かれていってしまい、いつしか恋に落ちました。
そして私は彼女と別れて麦と一緒になりました。
私達は3人の子宝にも恵まれて貧しいながらも幸せな日々を過ごしていました。
私は本業以外に休日にはアルバイトをして生計を立てていましたが、日に日に疲れも溜まっていき、体は限界に近付いてました。
そんなときに私はアルバイトで車を運転中に自宅の近くで人身事故を起こしてしまいます。
が、そのとき轢かれそうになった人を直前で麦が道路の脇へ突き飛ばして彼女が身代わりになったのです。
私は慌てて車から飛び降りました。
すると、彼女の姿はそこにありませんでした。
そこにいたのは一匹の猫。
あの日神社で出会った猫がそこに。
麦は?どこだ?
私は車の周辺を必死で探しました。
しかし、いたのはその猫だけ。
よく見るとその猫の首には私が麦にプレゼントしたネックレスが!
そこで全て理解しました。
あの日の猫が化けた姿だったのか、と。
猫は負傷していましたが、私は恐怖からその場を離れて逃げ出しました。
彼女とはそれっきりです。
私は彼女を、娘たちを捨てて逃げてしまいました。
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「この日以来、私は麦とは連絡を取り合っていませんし、娘たちともです。ノアがここに来たのは以前話した通りです」
離婚の理由は夫の浮気と聞いてはいたが、実際は彼女と別れて麦さんと一緒になり、猫に変身したのを目にしてショックを受けて、行方をくらませたということか。
ということは、娘たちの今の状況は知らなさそうだけど。
「実はルナがある理由で猫の姿に変身したまま我々の前に現れなくなってしまって」
「ルナも猫に?そうですか…。麦の子供ですからそうなっても不思議じゃないですよね」
この様子だと子供たちが猫に変身することはノアからも聞いてなさそうだ。
そもそもルナ以外の子供たちがそれを知っているのかが分からないが。
「ルナが猫に変身したある理由とは何ですか?」
中川先生の疑問に俺は事の詳細を伝えた。
「そうですか、そんなことが。私が知ってるルナは人見知りで恥ずかしがりやな面がありましたから、それも関係してるのかもしれないですね。こんなこと言うのは親としてどうかと思いますが、時間が解決してくれるのでは?」
仰る通り、拡散された動画も削除されて時が過ぎればルナは再び俺たちの前に姿を現してくれるだろう。昔から人の噂は七十五日と言うし。しかし、麦さんが言ってたパワーの使いすぎが寿命に影響するってことが気になる。
「ご存じでないと思いますが、人間が猫の姿で長くいると寿命に影響するんです。無論その逆も同じです。なので、長引けば長引くほどルナの今後にも影響するんです」
「その逆って…ということは、麦は今どうしてるんですか?」
「これは…俺の口から言うのはどうかと思いますが、見た目は健康そのものに見えます。けど、離婚してから人間の姿で長く働いてきたので、残された寿命は僅かのようです…」
「彼女がそう言ったんですか?」
「はい、俺もここに来る前に聞かされましたから」
中川先生は言葉を失った。
別れた、いや逃げ出したとは言え、やはり元妻の現状を聞いて言葉にならない想いがあるのだろう。
「私に出来ることは何かありますか?」
先生はこう申し出たが、残念ながら何もない。
何も思いつかないというほうが正しいのか。
俺自身もついさっき目にした事実が真実かさえ解らないのだから。
「ルナのことを想ってやってください」
今の俺はこう言うのが精一杯だった。




