第19話 ビデオの中の世界
昨晩、麦さんから会社で使っている社用車の調子が悪く明日にでもディーラーに持っていって欲しいと頼まれた。
会社の事務員さんにでも頼めばよいことなのだが、少し大きめの車なので運転に自信がないとのこと。
事故にでも遭ったら大変だしな。
俺は快く引き受けた。
ノアとモカが俺に対して少し心を開いてくれたこともあり、普段やる仕事も軽減されつつある。
ノアは朝食の準備の手伝い、モカはバイトが入ってなければニャンコたちの朝飯の世話も率先してやってくれるようになったからだ。
麦さんはそのことを知っているのか、それとも知らないフリをしてるのか、どっちか分からないが、特に何も言わない。
知っているからこそ他の仕事を俺に振ってくるのかもしれない。
どちらにせよ俺にとっては好都合なことだ。
一通り仕事が終わったので、ディーラーに連絡して車を持っていくことにした。
途中、昔の職場の近くを通った。
昔と言ってもほんの数ヶ月前だ。
あれから生活がガラリと変わった。
俺が夢見ていた未来図から正規の道を飛び出してかなり曲がりくねった道を進み出している。
どの選択が正解なのか見えない道をただひたすらと進む。
どんな道であっても最終的にはゴールにたどり着けばそれでいい。
未知なき道を進む、ただそれだけ。
「それじゃ、お車の方お預かりいたしますんで。こちら代車になります」
「よろしくお願いします」
俺は代車に乗ってまっすぐ会社に戻った。
会社の駐車場は地下にある。
数台の営業車と送迎車の計5台停まっている。
来客用の駐車場もここになるので、結構広いスペースとなっている。
今回俺がディーラーに持っていったのは営業車だ。
忙しいときは全車稼働しているようだが、今は少し落ち着いた時期なのだろうか。
そうでなければ修理に頼むこともないだろうし。
俺は空いてるスペースに車を停めて、シートを倒してしばし車内で休憩をとることにした。
そのとき、停まっていた1台の車から人の声が聞こえた。窓が開いてるのだろうか?
誰かが車に乗って出かけるのかな?と思ってそのまま目を閉じて休憩していたが、一向に車は出ていかない。
1人で静かになれるかと思っていたが妙に気になって落ち着かない。
俺は全神経を集中させて聞き耳を立てた。
変態だと思ってもらっても構わんぞ。
「あっ…あっ…うぅ…」
話し声というより、その…行為をしてるときの喘ぎ声のような感じがする。
ビデオの向こうの世界で見たことがあるあの声だ。
まさか車の中で?
それもビデオの向こうの世界でよくあるシチュエーションだが、リアルで経験したことないので想像を膨らますしかない。
「あっ…いや…ふぁっ…」
肩が凝っててマッサージしてもらってるときに漏れる声ではない…と思う。
インチキ整体師の口車に乗って最後までコトを済まされるアレに違いない…と思う。
悲しいくらいソッチの方向にしか想像が膨らまない。
俺は車から出て、秘密工作員のように物音一つ立てずその車へと近づいた。
そして、開いている窓から中をこっそりと覗き込んだ。
「(ん?佐藤さん?)」
暗くてよく見えなかったが、髪型と顔の輪郭で彼女だと判った。
上着を脱いで寝そべっているようだ。
近くにいるのは…随分色黒だな。
会社にこんな男いたか?
それとも社外の人間か?
顔がよく見えないな。
俺は目を凝らしてよーく見てみた。
すると人間にしてはフォルムがおかしいことに気付いた。
これは…俺がよく見慣れている…猫か?
猫が佐藤さんとそのような行為に及んでいる。
単にじゃれ合っているとかではない。
完全に主導権は猫にあるように見える。
佐藤さんは恍惚の表情をしており、俺に見られていることには全く気付いてない様子だ。
猫はどうなんだ?
手を舌を休めることはしていない。
ひたすら愛撫している。
これはいったい…。
ただならぬ現場を目撃してしまい、俺は速やかにその場から離れて、駐車場からも出ていった。
毎日たくさんの猫たちの世話をしてて夢か幻でも見てるのか?と思ったが、俺の手の中には代車のキーがしっかりと握りしめられていた。
動物とプレイしているのもビデオの世界であったような気がするが、もっと人間の体格に近い動物や長さがある動物だったはず。
猫では人間を満足させられないと思うが。
しかし、あの表情は完全に人間の相手とのソレに近かった。
テクニシャンの猫なのだろうか?
いやいや、テクニシャンの猫って何だ?
そう言えば宮尾家の猫を選んだのは佐藤さんだと言ってなかったっけ?
利き猫みたいな特別な能力があるのだろうか?
しかし、これは見てはいけないものを見てしまった気がする。
当然本人には聞けないし。
とりあえず、車がしばらく代車になったことを伝えに行くか。
「これ、代車のキーです」
「ありがとうございます。わざわざすいませんでした」
「引き取りに行くときはまた俺が行くんで声掛けてください」
「ありがとうございます」
「よく見たら今日は事務所内が閑散としてますね」
「そうなんですよ。だから車のこと頼める人もいなくて助かりました」
「みなさん外回りですか?」
「いや、全員ではないはずですが。会議室も使用中になってましたし」
「そうですか。それじゃまた声掛けてくださいね」
家に戻ると佐藤さんが夕飯の準備に取り掛かっていた。
いつもと変わらぬ表情だ。
男だとやましいことがあれは顔に出るような気がするが、女性だとそうならないのか?
「あっ、車の件ありがとうございました」
「いえいえ、佐藤さんこそお疲れ様?です」
何言ってんだ俺は。
「お疲れ様です。そっち頼めますか?」
「あっ、はい。任せてください」
今日の佐藤さんが妙に色っぽく感じたのは言うまでもない。




