乙女ゲームの世界らしい④
(うーん、レストラン!)
豪華だ。無駄に豪華すぎる。
エイダと共に学園の食堂へやって来て、それがだいぶ想像とは違ったので、セルジュは目をぱちぱちと瞬かせた。
学食といえば、前世の大学にあったような食堂しかイメージがなかったのだが、さすが貴族が多く通う名門学園ーー食堂というよりはホテルの高級レストランだ。
一応は貴族であるはずのセルジュだが、実家が貧乏なために一度もこういったレストランに行ったことはなかった。高級レストランより大衆食堂に慣れている貴族って、もうそれ貴族じゃないよなと思わなくもない。
空いているテーブルに好きに座って良いようなので、エイダと端の方のテーブル席に座る。
テーブルの上に置かれていたメニューを開いて思わず「ひぇ」と声が出る。
「た、高そう……」
料理名が無駄に長い上にどういう料理なのか想像できないものが多い。まるっきり庶民の反応に向かいに座るエイダが苦笑した。
「次のページに軽いのもあるみたいだ」
「あ、本当だ。サンドイッチとかある……いやルーベンってなに?」
「コンビーフにザワークラウトとかを挟んだやつ」
「へぇ」
これも自分が知らないだけで、前世にもあったサンドイッチの種類なのだろうか?
他にもよくわからない料理が多くピンと来なかったので、ルーベンというサンドイッチを注文することにする。
「特待枠は当然取れたんだよな?」
「うん、一応ね。特待枠取れてなきゃ来れないなあ、これは」
「商会の方では稼げてるだろ」
「あんまり力入れてないし、子どもの小遣いだよ」
セルジュが立ち上げた商会はささやかなもので、今は細々と利益を上げている程度だ。こんな値段も書かれていない昼食を毎日続けようものなら、あっという間に貯金も尽きてしまう。
ケルディック魔法学園には特待枠というのが設けられており、セルジュは特待枠で入試を受けていた。
この特待枠に定員は決まっておらず、普通入学よりかなり上の合格点が求められるが、特待枠で入学ができれば、入学料や授業料の免除、食堂の無料利用といった恩恵を受けることができる。
エイダが「もったいないよなぁ」と言いながらテーブルの上の呼び鈴を鳴らした。
音はしなかったが、すぐにレストランのウエイターの男性がやって来る。魔導具なのかな……と、セルジュがジッと呼び鈴を睨んでいるうちにエイダが注文してくれていた。
(なんだ、微弱な魔性波か)
セルジュは興味を失ったように「そういえば」とエイダに声をかける。
「腕の方は問題ない?」
「ああ、入学前に一度メンテナンスに行ったから」
「そっか」
エイダは常に両手に白手袋をつけているので、パッと見はわからないが、右腕は肩口から全て義手となっている。
この世界にはそれなりに便利な道具が溢れているのに、義肢装具は一般的ではないため、エイダは数ヵ月に一度、ボウエン領で一番大きい町にある義肢装具士の店に通っている。ボウエン領で一番大きい町ーーとはいっても、ボウエン領は他領と比べて狭いので、町はふたつしかない。
「それよりさ」
「うん?」
「オリヴィラがすごい残念そうにしてた」
「何に?」
「Sクラスになれなかったことと、今日ランチ来れなかったこと」
あー……と、なんとも言えない声を出す。
セルジュのふたりしかいない友人の片方がオリヴィラだった。
彼女は兄の友人の妹で、やはり家格的に普通はボウエン家などお近づきになれないような家門のご令嬢である。
「そっか、ふたりとも同じクラスだもんね」
エイダのネクタイはテールグリーンに金色のラインが入ったデザインでーーAクラス。
ふたりとも幼い頃から厳しい教育を受けてきたこともあって学力は申し分ない。加えて地頭も良い。だがAクラスになったのには然るべき理由があった。
(コントロールがな……)
入試科目のひとつに魔力コントロールというものがあって、あまり高いレベルは求められないらしいのだが、ふたりともこの魔力コントロールが足を引っ張っているらしかった。
エイダの方は、正直仕方がない。
人体の一部を欠損していると、魔力のコントロールは格段に難しくなる。
ではオリヴィラはというと、魔力量は多いのに、本人の大雑把な性格が災いしてかコントロールがシンプルに下手だった。
「セルジュ、眉間」
「んああ」
言われて眉間をぐりぐりと押す。眉間に皺を寄せるのはセルジュの癖だ。
「明日は一緒に食べようだってさ」
「うん、わかったって伝えといて」
ちょうどよく食事が運ばれてくる。
セルジュはルーベンサンドイッチとコーヒー。エイダはナポリタンのようなパスタと紅茶だ。
「エイダはガーミロン家のウェミラ様って知ってる?」
セルジュはコーヒーに角砂糖を入れながら、声を潜めて言った。
「えー? あー……知ってるけど……」
「なにその反応」
「いや、なんでまた?」
当然の反応だった。そういえば特に理由を考えていなかった。なんと言おう。
「ちょっと知りたくて」
「ふぅん?」
何を言っても嘘になるので、セルジュはもごもごと答えてコーヒーにミルクを入れる。
「Sクラスって聞いたけど。ああ、知り合いが……」
「そういないの」
「うん、うん、だよな。ガーミロンは長い黒髪で、えーと……」
エイダは左手でパスタをフォークに絡めながら、変な顔をした。少しこちらに身を寄せて「なんでこっち見てるんだ?」と戸惑った声。
「ん?」
「お前の後ろの方にそのガーミロンが座ってる」
「えっ、近い?」
「いや、結構席は離れてるが……なんかちらちら見てくるぞ。何かしたのか?」
ぶんぶんと首を横に振る。
「エイダを見てるんじゃなくて?」
「おれは覚えがない」
「私だってない」
沈黙。セルジュはルーベンサンドイッチを一口かじった。おいしい。
「ちなみに、ティファっていう子は知ってる?」
エイダはいよいよ眉を潜めた。
今まで社交界や貴族家に興味を持っていなかったセルジュが、唐突に人名をふたつも出したので「なんでまた」と怪訝に思っているようだった。
「ハーミッド家の令嬢だな」
「エイダなんでも知ってるね」
セルジュは素直に感心する。もしかして学生名簿をどこかで閲覧できるのだろうか。
「今朝、盛大にクローヴィス殿下にぶつかってたのをたまたま見てな」
「それは……」
イベントだなあ、きっとーー閉口した。
「ええと、同じクラス?」
「いや、Aではないな。ピンクっぽい色の髪の小柄な女子生徒だ」
「ふむ」
Sクラスにピンク髪はいただろうか? 記憶を辿る。カラフルな頭が揃っていたが、ピンクはいなかったような……やっぱりBクラスか。
「セルジュ」
思案していると、エイダが視線だけで「あっち」と言ってくる。
「へ」
エイダの視線の先に目をやると、薄汚い白衣を制服の上に羽織った男がこちらに真っ直ぐに向かってきていた。
明らかに周囲から浮いており、悪い方で注目を集めながら、その男は足早にやって来る。セルジュは思いっきり顔をしかめた。
「イル兄……」
イル兄ーーもといイルヴァン。
ボウエン家の次男であり、セルジュのふたつ上の兄だった。真っ白な髪を持つセルジュと違って、彼は目元の見えないボサボサな赤毛である。しっかり血は繋がっていて正真正銘の兄妹なのだが、その外見は全く似ていない。
「せっかく来てやったのに露骨に嫌そうな顔するなよ」
「なんでそんな格好してるの……」
オリヴィラの兄ーーイルヴァンの友人から「イルは学園ですごい浮いてるから友だち全然いないんだよ」とは聞いていたが……。
「えーっと、イルヴァン様、お久しぶりです」
「ああ、エイダか。久しぶり」
イルヴァンはエイダの隣に座り呼び鈴を鳴らした。やって来たウェイターにコーヒーだけを注文する。
「お昼はもう食べたんですか?」
「いつも食べないだけ」
「いや、食べなよ……ガリガリだし、青白いし、どう見ても不健康すぎる……」
というか不気味すぎる。
セルジュはサンドイッチをひとつイルヴァンに押しつけた。
なかなか家に帰って来ない兄だったが、なんだか前に見たときよりも悪化している。ざわざわと周囲から遠巻きにされている気がしないでもない。
イルヴァンはサンドイッチをナプキンの上に乗せて、小脇に挟んでいたファイルをテーブルの上に置いた。
「これ、修了試験の受験申し込み用紙」
そう言ってイルヴァンはファイルから一枚のプリントを取り出した。はい、と渡される。
「ああ、Sクラスだけ受験できる、必修スキップのテストですね」
「エイダもいる?」
「おれはAなので」
「なんで? コントロール?」
「前よりはマシになったはずなんですけどね……」
兄であるイルヴァンは超が三つ付くくらいの人見知りだ。
この見た目と人見知りの性格のせいで友人が全然できないでいるらしいが、エイダとは子どもの頃から知っている仲なので問題なく話せている。
注文したコーヒーがテーブルに置かれる。イルヴァンは角砂糖をぽんぽんと放り込んで「今書けば放課後持ってってあげるよ」と言った。
「職員棟に?」
「行く用事があるから」
今度はミルクをどぼどぼ入れる。隣でひきつった顔をしたエイダが「甘党兄妹……」と呟いた。
「イル兄、ありがとう。助かる」
今日の放課後にでも職員棟へもらいに行こうと思っていたからとても助かる。
この見た目不審者で人見知りの兄は、これでいて非常に面倒見が良いのだ。お節介焼きとも言われているが……。
さっそく今書いてしまおうと、制服の内ポケットからペンを取り出す。
(えーっと、実践科目は授業に出るから……)
とりあえず名前を記入していると、背後から「あのう」と控えめな声がした。目の前でエイダが目を丸くしている。
今度はなんだ誰だと、セルジュが振り返ると、そこには濡れたような黒い髪の女生徒が立っていた。その後ろには背の高い青年が控えている。
「お話し中のところ、申し訳ございません。私、ウェミラ・ガーミロンと申します」
セルジュは驚いて、ペンを持っていた手をカップにぶつけた。コーヒーがテーブルにこぼれる。すぐにイルヴァンが魔法で元に戻した。兄は無駄に優秀である。
「素晴らしいですわね……。ええと、お話がたまたま聞こえてしまいまして……必修をスキップできるって本当ですの?」
兄は答えない。心なしか仰け反るようにエイダの方へ体を傾けていて、エイダが「ち、近い」と窮屈そうにしていた。
「ええ、こちらの用紙を書いて申告すれば、修了試験を受けられますよ」
「まあ」
ウェミラのネクタイはやはり青に銀だ。同じクラス。セルジュはレストランにいるかなりの生徒たちがこちらを見ていることに気がついた。やはりウェミラ・ガーミロンってすごく目立つ人なのでは……。
とりあえず兄のファイルにたくさん同じプリントが入っていたので、二枚取り出してウェミラへ渡す。
ウェミラはおずおずと「ここにご一緒しても?」と尋ねてきた。
「もちろんです」
ノーとは言えず隣のイスを引けば、イルヴァンは「ええ……」と嫌そうな声を上げた。そういうところだぞ!
「申し遅れましたが、私はセルジュ・ボウエンと申します」
「エイダ・シャーレイです」
「それと、兄のイルヴァンです。……すみません、かなりの人見知りでして」
「そうでしたの。急にお邪魔してしまってごめんなさい」
「本当に」
「兄、黙って!?」
ウェミラは気を悪くしたようでもなく、ふふと笑う。
「こちらは侍従のスコール・ターナーです。彼もご一緒させてください」
紹介された背の高い青年ーースコールは軽く会釈した。彼のネクタイも青に銀である。
どうぞと答えて、セルジュは少し気まずげにコーヒーを口にした。なんでこんなことになったんだろう……。