閑話 アリッサ・スタインの憂鬱1
マキシムの妹とロクサーヌの話です全3回
私アリッサ・スタインは、なんとも言えないモヤモヤした気持ちを抱いたまま、目の前に座る令嬢と向き合っていた。
お兄様が我がスタイン家と犬猿の仲であるノルモンド家の夜会に参加しただけでも驚きなのに、まさかそのノルモンド家の令嬢であるロクサーヌを我が家に招いて私と引き合わせるだなんて、全くもって理解できなかったのだ。
ノルモンド家は我が家と同じ五大公爵家の一つだし、お兄様からの頼みとあっては会わない訳にはいかないが、私は、このロクサーヌ・ノルモンドの事が嫌いだった。
彼女とは王太子殿下の婚約者候補だった頃、何度となく顔を合わせてきたが、彼女はいつも、私がミューズリー系譜である事に嫌味を言って遠回しに蔑んできたのだ。
(お兄様が引き合わせたのだから、今日はきっといつものようにミューズリーを見下した態度は取らないと思うけど……)
私は複雑な顔で、前に座るロクサーヌ様を眺めた。すると彼女は、神妙な顔で私に対して頭を下げたのだった。
「本日はアリッサ様に謝罪したくて参りました。」
「謝罪ですって?!」
「私、王太子の婚約者候補として貴女と競い合っていた時に、ミューズリー系譜だと言うだけで随分と嫌味を言いましたわ。その事について、謝りたいのです。」
彼女の口から出てきた想定外の言葉に、私は思わず淑女らしからぬ大きな声を上げてしまった。
謝罪ですって?!
あのロクサーヌ・ノルモンドが?!!
俄には信じられなかったし、そもそも何故そんな事を今更蒸し返すのかが分からず、私は困惑しながら彼女を連れてきたお兄様の方をチラリと見た。
すると、お兄様は私の言いたい事を察してか、何故こうなったのかを説明してくださったのだった。
「ロクサーヌ様の兄上、次期ノルモンド公爵のヴィクトール様の意向なんだ。彼は古臭く頭の硬い前公爵とは真逆の考えの持ち主でね、ミューズリー系譜だろうと、そんなの関係なく我が家とも仲良くやっていきたいんだそうだ。」
「……今更ですか?」
「そう、今更。だけれども、良い方への考えの変化なんだ。今更だけど悪い事では無いと思うよ。」
お兄様は感情を隠すのが上手いので、お兄様の表情からは、彼が本心ではどう思っているのかは読み取れなかった。
(ノルモンド家が謝罪ですって?!本当に??信じられないわ。でもお兄様は、このノルモンド家の謝罪を受け入れるおつもりだから、彼女を私に引き合わせたのでしょうか……)
この会の意図が完璧に掴めずに私は一人で困惑していたが、そんな私の戸惑いなど他所に、信じられない事に目の前に座るロクサーヌ様は本当に謝罪の言葉を口にしたのだ。
「あの時の私はお祖父様の言うことが絶対でした。”ミューズリーの血を高貴な王家に入れてはいけない”、”ミューズリーは愚かだから仲良くしてはいけない” お恥ずかしいですが、お祖父様の言葉を鵜呑みにしていましたわ。アリッサ様にも随分と失礼な態度を取ってしまいましたわ。ごめんなさい。」
目の前でしおらしく頭を下げるロクサーヌ様を私は信じられないといった目で見つめた。
だって、あのロクサーヌ様がミューズリーの私に頭を下げたのよ?!有り得なさすぎて目の前で起こっていることが信じられなかった。
とはいえ、自分だって五大公爵家の娘なのだ。家同士の思惑……ノルモンド家と仲良くした方が良い事は分かっている。それに令嬢が謝罪の言葉を述べて頭を下げたのならば、受け入れるのが筋だ。
そう、分かっている。
……分かってはいるが、心が追いつかなかった。
「……これが正式な謝罪であると言うならば受け入れます。受け入れますが、だからと言って、私自身が貴女のことを許した訳では有りませんわ。」
私は精一杯の譲歩を口にした。
過去に彼女から言われた事を思いだすと、「はいそうですか」と私自身がすんなり謝罪を受け入れる事は出来ないが、しかし、スタイン家としては変わろうとしているノルモンド家からの謝罪を拒否するのは得策では無い。
だから、”謝罪は受け入れるけど貴女のことは許していませんからね”と、家としての体裁を保ちつつ、自分の気持ちも正直に伝えた。
だってやっぱり許せないんだもの。
まぁ、けれど一応は謝罪は受け入れた形になったから、これでこの茶番は丸く収まるでしょう。
……そう思っていたのに、ロクサーヌ・ノルモンドは、それを納得しなかったのだ。
「それでは意味が無いのです!」
「えっ……?」
「アリッサ様に許していただかないと、マキシム様にご一考して貰えないんですわ!」
「ご一考……?一体何を……?」
意味が分からず私は再びお兄様の方を見た。このやり取りに一体どんな取引があったのか、きっとお兄様は知っている。
だから私は物言いたげな顔でじっとお兄様の目を見つめたのだが、するとお兄様は、私と目が合うとすっと視線を逸らしたのだ。
(お兄様は何か隠している!!)
疑念は確信に変わった。
「お兄様、一体何をご一考するのですか?」
「それは……」
「それは、私との婚約ですわ!」
不意に出たロクサーヌ・ノルモンドからの爆弾発言に、私は思わず固まってしまった。
は?
この人は今なんて言った??
私は耳がおかしくなったのかしら?
いえ、おかしくなったのはロクサーヌ様の頭だろう。そうとしか思え無かったが、しかし何も言わずに黙っているお兄様を見て、そういった取引が本当に有ったのだと、察せざるを得なかった。
……まぁ、察したところでそんなもの到底認められる訳が無かったが。
「嫌よ、ありえないわ!貴女と義姉妹になるなんて!!」
「こ、これは我が兄のヴィクトールの意向ですわ!政略的にお互いに有益ですわよ!」
「そうだとしても、無理!無理よ!!」
「いいえ、私は諦めませんわ!」
この後はもう、本当に散々だった。
お互いに令嬢らしからぬ大きな声で喚き散らして、それはとても見られたものじゃなかったと自分でも思う。
結局、見兼ねたお兄様が間に入って何とか場をまとめて、ロクサーヌ様にはそのままお帰りになって貰った。
当たり前だ。これ以上彼女と話すことなどこちらには無いのだから。
彼女が去ったテラスで、私はふぅと息を吐くと気分を落ち着けようと、侍女に紅茶を淹れ直してもらった。
突然の出来事に狼狽えてしまったが、しっかりと拒絶の意を示したのだからこれでもう彼女と会うこともないだろう。
そう思いながら私は、嫌な事は直ぐに忘れようと、大好きな紅茶の匂いを楽しんだ。
うん、今の事は忘れよう。あれだけ言い合ったのだからきっともう来ないでしょう。
疑いようもなく、そう思っていた。
……しかし、この時の私はまだ知らなかったのだ。ロクサーヌ・ノルモンドが、とても面倒な性格である事を……。




