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21. 薬茶

 ダンスタイムも終わり、夜会の参加者たちはメインホールで思い思いに談笑をしていた。


 この時間は貴族同士の商談や縁談を持ちかける、とても大事な駆け引きの時間でもあったのだが、しかし、マキシムはそんな人々のやり取りから一歩引いていた。


 ロクサーヌの誤解も解けたことで、一応は役目は終わったと思ってはいたが、それでもなんとなく、マキシムはロクサーヌの側に居るようにしていたのだった。

 このお嬢様の行動は相変わらず全く読めないので、最後まで気を抜けないと本能的に感じ取って、他の参加者との交流を諦めていたのだ。


 ふと、こちらの方をチラチラと見てくる令息と目が合った。

 向こうは直ぐに慌てて目線を逸らしたが、マキシムの方は構わずに相手を観察した。


(まぁ、この組み合わせが気になるんだろうね。)


 ステイン家とノルモンド家の二人がずっと一緒にいる様子に、夜会参加者たちが色々な憶測を好き勝手に囁いているのは気づいていたが、マキシムはもう特に気にせず放置していたのだ。


(ステイン家とノルモンド家が仲良くしているところを広く見せつけるのが、殿下の狙いでもあるからな……)


 そんな風に、マキシムは一人色々な思惑を巡らせていたが、彼の側に居るロクサーヌはそんな事は全く考えていなかった。

 彼女はただ単純に、マキシムが近くにいてくれる事を嬉しく思い、彼に対しての感謝の気持ちと、それからほのかな好意を寄せていたのである。

 だから彼女の行動はいつもより素直で、大人しくマキシムの側に控えていた為、何か新しい問題が起こる訳でもなく、夜会はつつがなく進んでいった。


 そして、そろそろお開きといった頃合いだった。


「お集まりの皆様、少しこちらを注目していただけますか?」


 ホールの中央で、そう言って主催者であるヴィクトールが、参加者の注目を集めたのだ。


 確かこの夜会でヴィクトールの婚約が発表されるのでは無いかと噂されていたので、参加者たちはいよいよその時なのかと好奇心に満ちた眼差しで彼の発言を待ったが、しかし、ヴィクトールが切り出したのは、全くもって違う事なのであった。


「実は新しいビジネスを始めようと思っていましてね、今日はその商品を皆様にご覧いただきたく思います。」


 そう言って、ヴィクトールはメイドに壺に入った茶葉を持ってこさせたのだった。


「こちらはジオール公国ではポピュラーな茶葉ですが、我が国にはまだ流通しておりません。嗜好品というよりは薬に近く、事実、ジオール公国の国民は、毎日このお茶を飲んでいるからか流行り病に強く、我が国と比べると平均寿命も長い。」


 いつの世も権力を持つものは不老不死に憧れるものが多い。そこまでではないにしろ、シュテルンベルグの貴族たちにも健康志向の者は多く、このヴィクトールが紹介した茶葉には参加者の多くが関心を寄せた。


「私はこの度向こうの商会と独占的に取引を出来る契約を結びまして、これから広くこのシュテルンベルクでも流通させようと思っております。これから皆様に試飲をお配りしますので、どうぞこの薬茶をご自身でお確かめ下さい。」


 そう言うとヴィクトールが手ずからお茶を淹れて、恭しくレオンハルトの側に控えるラウル・アストラの前に進み出たのだった。


「先ず最初は是非、殿下に献上をしたいのですがその前にどうぞラウル様、危険な物ではないかお確かめ下さい。」


 満面の笑みを浮かべるヴィクトールに、マキシムは彼の僅かな悪意を感じ取った。


(多分、何かしらラウルに恥をかかせるような仕掛けをあのお茶に仕組んであるんだろうな。)


 そうは思ったが、ラウルだって殿下の側近を務めるほどの人物だ。自分で対処出来るだろうと、マキシムはこの流れを静観することに決めた。

 ……のだったが、ここでまた、予期せぬ声が彼女から発せられたのだった。


「待ってくださいお兄様!ラウル様だってお客様なんですから、毒味役でしたら私がやりますわ!!」

「ロクサーヌ様?!」


 突然の出来事に、マキシムも流石に驚いてしまった。まさかロクサーヌがこんな行動に出るとは思ってもいなかったのだ。


「ロクサーヌ様……貴女は自分が何を言っているのか分かっていますか?!」


 彼女は勿論ですわと頷くと、とても真剣に、マキシムに耳打ちをしたのだった。


「お兄様はきっとお茶を飲ますことでラウル様に嫌がらせをしようと企んでいると思うんです。だからそのお茶を私が飲んでしまえば、お兄様の企みは完全に阻止できて、この夜会も無事に終えられますわよね。」


 どうだ!と言わんばかりの得意げな顔でそう話すロクサーヌに、マキシムは頭を抱えた。

 何か仕掛けてあると考えるのなら、何故それを自分が飲んで大丈夫だと思うのかその根拠まで示して欲しかった。

 恐らく彼女はそこまで考えておらず、場当たり的に行動する事は今までの言動で分かりきっているので、今回もきっとそうなのだとしか思えなかった。


「ロクサーヌ様、ラウルは特別な訓練を受けています。たとえお茶に、嫌がらせで異物が混入してあっても彼なら問題ありませんよ。」

 マキシムは優しく彼女をなだめてみたが、彼女の決意は強かった。


 マキシムの他、兄ヴィクトールの静止も振り切って、ロクサーヌはラウルが手にとろうとしていたグラスを素早く掴むと、一気にお茶を飲み干してしまったのだ。


 ……そして、彼女の挙動に会場が静まり返って注目していると、ロクサーヌは目に涙を溜めて引き攣った笑みを湛えたのだった。


 しかし、それも長くは続かなかった。ロクサーヌがその場に崩れ落ちると顔を顰めて悶えだしたので、会場は騒然となったのだ。


「ロクサーヌ様!!」

「ロキシー!!」

 マキシムとヴィクトールが、急いで彼女を助け起こすとロクサーヌは泣きながら訴えた。


「お兄様!このお茶、物凄い苦いですわ!!」

「そりゃ、薬茶だからね。一気に飲む物じゃ無いよ!それに、ラウルに飲ませようと特別に濃く苦く抽出してあるんだからね。」


 そう、ヴィクトールは、ラウルに嫌がらせとして特別に苦いお茶を淹れていたのだ。

 一応殿下への献上という形を取っているので、下手したら不敬罪になってしまうから異物混入は出来なかった。

 しかし、ただ苦いだけならいくらでも言い逃れは出来るので、ラウルにみっともない姿を人々の前で晒させる為に特別に苦くなるように抽出したお茶を用意していたのだ。


 それを一気に飲み込んだのだから、ロクサーヌの苦悶は計り知れなかった。吐き出さなかったのだけは本当に褒めてあげて良いくらいだ。


「ヴィクトール様がラウルの事嫌っているのは分かっていたから、下剤くらいは盛ってるのかなって思ってたけど……苦いだけとはね。」

 マキシムはロクサーヌを気にかけながら、これを仕掛けた張本人の様子を伺った。


「あぁ、皆様落ち着いてください、毒ではありません!ただ苦いだけです!!」


 ヴィクトールはマキシムと同じ様に妹を気にかけながらも、ロクサーヌの様子を見てざわめき出した夜会参加者たちに説明をするのに必死そうであった。


 まぁ、自業自得ではあるし、すぐに誤解は解けるだろうからこちらは放っておいても問題ないだろうと判断し、今度はチラリと主君であるレオンハルトの様子を伺った。


「……殿下、堪え切れてませんよ……」

「だって、ねぇ……くくっ……」


 横にいるラウルに窘められながらも口元を手で押さえて俯きがちに小刻みに震えているレオンハルトは、この茶番を大いに楽しんでいる様だった。


 会場は混乱はしているけれども、当初危惧していた深刻な問題ではなく、何とも滑稽な状況である。

 今日のことは貴族の間で暫くは噂されるだろうとは思うが、それもきっとくだらない話として直ぐに忘れられるだろう。


「……まぁ、これくらいで収まって良かったって所かな……」


 最悪、この国の土台である五大公爵家の均衡が揺るぎかねなかったので、これ位で済んで良かったと一つ大きく息を吐き出すと、やっと本当に全ての肩の荷が降りたと感じたマキシムは、最後の仕事としてあまりの薬茶の苦さに泣いてしまった令嬢の背中をさすって宥めながら、会場を抜け出したのだった。

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