1. マキシム・スタインの憂鬱
「ミハイル、マイヨール侯爵家のアイリーシャ様と婚約したって話は本当なのか?!」
王太子殿下の側近であるマキシム・スタインは登城するや否や、同僚のミハイル・メイフィールの執務室に行き、彼にいの一番に詰め寄った。
ミハイルの婚約話が、寝耳に水の話だったのだ。
「あぁ、そうなんだ。先日正式に婚約を結んだんだ。」
朝一番に物凄い剣幕でやって来た同僚に少し驚いていたが、ミハイルははにかみながら嬉しそうにマキシムの問いに肯定した。彼は実に幸せそうだった。
しかし、そんな幸せそうな顔のミハイルとは対照的に、マキシムの顔はミハイルの報告を聞いてどんどんと暗くなっていったのだった。
そしてミハイルの事をじっとりした目で見ると、彼は一段と低い声で恨みを言った。
「……お前、裏切ったのか?!」
「はっ??!」
恨みがましいものを見るような目でマキシムから問いかけられたが、ミハイルにはそれが何のことだか分からなかった。何も裏切ってなどいない筈だ。
だから思わず間の抜けた声を上げてしまったが、直ぐにある事に思い至って、狼狽えながらマキシムに問い返したのだった。
「まさかマキシム、お前、アイリーシャ様の事が好きだったのか?!!」
「違う、そうじゃない!!」
マキシムに全力で即否定されて、ミハイルはホッと胸を撫で下ろした。
けれどもそれならば、彼は何故怒っているのだろうか。その理由がミハイルには皆目検討つかなかったのだ。
しかし、彼が怒っている理由は直ぐにマキシム自身が説明してくれたのだった。
「なんだって王太子殿下の婚約者候補だった御令嬢とお前が婚約したんだよ?お前あの時
"自分の事は、自分で対処致しますので。殿下はお気になさらずに"ってそう言ってたじゃないかっ!!」
以前主君である王太子レオンハルトに呼び出されて、ミハイルとマキシムは殿下の婚約者候補であった御令嬢たちから婚約者を選ばないかと打診された事があったのだが、その場で二人とも断っていたのだ。
それなのに、ミハイルは殿下の婚約者候補であったアイリーシャと婚約を結んだので、マキシムは納得がいかなかった。
「だから言葉通り自分でなんとかしたんじゃないか。途中で殿下にバレなくて本当に良かったよ。あの人にバレたらきっとろくな事になってないし、最悪この縁談自体が無くなってたかも知れないしな。」
「待った。……その口振りだとつまり……ミハイルは前からアイリーシャ様のことを慕っていたというのか?」
「あぁ、そうだね。それも随分と前から。」
衝撃の事実にマキシムは足元から崩れ落ちそうになった。
何と言う事だ。
つまりあの時既にミハイルは殿下の元婚約者候補だった御令嬢の一人に心を決めていて、本人に従う意思が全くなかったとしても、結果としてレオンハルトの提案にハマった形になったというのだ。
ミハイルは一緒に殿下の馬鹿な提案を一蹴する仲間だと思っていただけに、マキシムは酷く裏切られた気分だった。
これでは、自分一人だけがレオンハルトの無茶振りを受け入れていない事になる。
殿下に一人で抵抗するのは骨が折れるなと、マキシムは目の前が暗くなっていった。
「まぁまぁマキシム、先ずはミハイルを祝福してあげようじゃないか。ほら、婚約おめでとう。」
不意にマキシムは背後から肩を叩かれ、宥められるように声をかけられた。
もう一人の同僚ラウルも、ミハイルの婚約にお祝いを言うために彼の執務室にやって来ていたのだ。
「有難うラウル。お前ももうすぐ式を挙げるそうだな、そちらもおめでとう。」
「あぁ、有難う。一応俺の方が兄だからな、年功序列に煩い親戚筋がいるから、妹のレスティアたちより前に結婚する事にしたんだ。」
「そうか、それはそれで大変だな。」
ラウルは、妹のレスティアが王太子殿下の婚約者に選ばれたので自分たちの結婚の予定を少し早めたと語ったが、その顔はどこか嬉しそうだった。
最近婚約したミハイルと、最近結婚式の日取りが決まったラウルは、お互いに「おめでとう」と祝い合い、見るからに嬉しそうに笑っている。
そんな二人の会話を、マキシムは恨めしそうな目でじっと見つめていた。婚約者も恋人も居ない彼は、この手の話題に加われないのだ。
なんだか居た堪れなくなったので、話に盛り上がっている二人を尻目に、マキシムはひっそりと自分の執務室に戻ろうとしたのだが、ドアを開けたその時に、今一番遭遇したくない人に会ってしまったのだった。
「おや、ここにみんな揃っていたんだね。」
ドアを開けたらそこには、主君でもある王太子のレオンハルトが、目の前に立っていたのだった。