苺サンデーの決意
「五カ国語をマスターして当然だって? フメルの王室はそんなに語学に力を入れてるのか」
「いえ、そういう訳では。ただ王太子妃なら当たり前だというだけで……」
言われてみれば、王室の方々は皆様そんなに語学が堪能だったのかしら?
国王陛下はかなりお出来になったとは思うけど、バスチアン殿下は勉強嫌いで外国語なんて一つも習得していなかった。
他の王室の方は……一緒に公務に出たことがないから、よくわからない。
考え込んでしまった私の様子に、答えを察するものがあったのだろう。サディアス様はまだ納得がいかない様子で、腕を組んで鼻を鳴らした。
「つまり、フメル王室の連中はあんたが勉強をして有能な王太子妃になってくれることを当然とみなし、おんぶに抱っこだったって訳だ」
「サ、サディアス様! あまり滅多なことを言うと、どこで誰が聞いているか」
あまりの言い様に真っ青になって嗜めたものの、彼は「知るかよ、のしてやる」と吐き捨てるように言った。
いかにも忿懣やる方なしといった調子で、怒りを逃すためなのか、早速運ばれてきた水を飲み干している。
「あーあ、くだらない連中だね。世間知らずのお嬢さんを縛り付けて頼り切って、情けないったらねえよ」
彼の反応を見ていると、どうやら本当に自分が世間知らずだったことへの実感が湧いてきた。
五カ国が当たり前と言われて信じきっていたことも含め、私自身が「くだらない連中」の内の一人なのではないだろうか。
サディアス様はそんなつもりで言ったわけじゃないと思うけれど、昨日までの自分はやっぱり酷いものだったように思う。
思考停止は場合によっては罪なのだ。どれほど課題に忙殺されていようとも、将来国を背負う立場としては考えることをやめてはいけなかった。だからこそ、私はやっぱり王妃の器ではなかったのだろう。
サディアス様は凄いな。いつだって自分の頭で考えて、自分の足で歩いている。
私も、彼みたいになれたらいいのに……。
「シュゼット、来たみたいだぞ」
名前を呼ばれて物思いから帰ってきた私は、ウエイトレスさんがトレーの上にのせたものに釘付けになった。
「お待たせ致しました。名物苺サンデーでございます」
綺麗な声での紹介と共にテーブルの上に置かれたのは、赤が美しい魅惑のスイーツだった。
はっきりと言おう。私はこの時ばかりは感慨と反省を忘却の彼方へと押しやった。
スイーツに勝てるものってこの世にあるのかな。ましてや生まれて初めてのサンデーで、しかも大粒の苺やクッキーなんかがこれでもかと積み上げられている、最高の品を目の前にした状況だもの。
「おいしそうっ……!」
声が掠れたわよね。仕方ない仕方ない。
サディアス様のカットメロンも到着したし、さっそく頂くことにしましょう!
「さて、食べるか」
「はい!」
私は長く造られたスプーンを手に取った。苺と生クリームを一緒に掬い、口の中に運んでいく。
「……美味しい〜っ!」
喉を上下させた瞬間、悲鳴じみた感動が勝手に飛び出してきた。
この苺、本当に甘くて美味しい。かといって酸味がないわけじゃなく、すっきりと爽やかで、きめの細かい生クリームとばっちり調和している。
トッピングのチョコチップクッキーも……美味しい! フルーツ屋さんなのに、隙がないわ!
「朝飯にサンデーとは、あんたも中々やるようになったな」
サディアス様の笑顔がどこかホッとした様子だったので、私ははたと我に返った。
フォルタンの屋敷にいた頃には、好きなものを食べるだなんて考えもしなかった。
栄養バランスの取れた食事に不満なんてなかったし、そもそも朝食にサンデーだけだなんて一般的に見てもかなり不思議なメニューと言えるだろう。
「好きなものを好きな時に食べられるって、素敵なことですね」
私は自然と笑顔になっていた。
もちろん毎回好きなものだけを食べる気なんてないけれど、これからは何を食べたって文句を言う人はいない。自由って素敵だ。
「ああ。これからは好きなものを食べるだけじゃなく、やりたかったことをして良いんだ」
「やりたかったこと……」
そうか、そうよね。
もちろん働いたり家事をしなければならないのは理解している。だけどこれからは、自分のためだけに時間を使ってもいいんだ。
ああそれなら、やりたいことがたくさんある。近しい未来への希望は際限がなくて、私は目を輝かせた。
そうだ。この逃亡劇が無事に続くのかなんてわからないけれど、だからこそやりたいことは全部やろう。
全部全部やり尽くすことができたのなら——きっと、どうなったって後悔なく生きていける。
「サディアス様! なんだか私、すごく楽しみになってきました!」
「……そうか。そりゃ、最高だな」
失うものがないって最強なのかもしれない。睡眠と食事を堪能したこともあって、何だかすごく体が軽いし、意志も強く持てている気がする。
気分が高揚したのとサンデーが美味しいのとで、私はサディアス様が瞳に罪悪感を映していたことになど、気が付かなかったのだ。
***
「騎士も諜報員も、ことごとく記憶を失った状態で見つかっただと!」
「も、申し訳ございません、陛下! 皆、捜索を命じられた辺りまでしか覚えていないとのことで……!
私は拳を執務机に叩きつけた。報告をしてきた近衛騎士団長は、国王である私の剣幕に慄いて肩を震わせている。
シュゼット嬢が出奔して三日目。相当数の捜索隊を動員して探しているのに見つかることはなく、しかもその内の何名かは国の各地で記憶を失って倒れていたのだというから呆れたものだった。
「一体どういうことなのだ。なぜ揃いも揃って記憶を失うなどということが起きる」
「は。腕のいい魔法使い……いえ、魔導師の仕業と考えられます。恐らくは騎士や諜報員たちの記憶を奪い、各地に適当に転送したのでしょう。捜索の撹乱には非常に効果的な手法ですが、ここまでのことを成し遂げるとなると……」
「相当の力を持った魔導師としか考えられない、ということか」
私が言葉を引き取って言うと、近衛騎士団長は神妙な顔で頷いた。
厄介な状況だ。行き先もわからず、しかもシュゼット嬢の側には腕利きの魔導師がくっついている可能性があるとは。
シュゼット嬢は『大地の乙女』と呼ばれる存在だ。
古くから時の権力者の間でまことしやかに囁かれてきた噂がある。それはごく稀に大地の乙女と呼ばれる存在が現れることがあり、その少女が住まう国は必ず大きな繁栄を遂げるのだという。
民間にまでは浸透していない、神がかり的な噂話だ。故に近頃は権力に近しい者すら知らないことが多いのだが、私は絶対にかの大地の乙女が欲しかった。
為政者たるもの、国を繁栄させることは喜びだ。どんな手段を使っても、私はこの国を豊かにしたい。
実際のところシュゼット嬢が生まれてからの我が国は繁栄の一途を辿っていた。あの大国ウェリスに並ぶ程の力をつけ、民の生活は豊かになり、戦のない時代を過ごしている。
だからシュゼット嬢をバスチアンの婚約者としたのだ。感情が昂ると目がエメラルドグリーンに輝く大地の乙女を隠すために、厳しい教育を課して心を鈍化させ、飼い殺しにした。
フォルタン侯爵も納得していたはずだ。しかし口の軽いバスチアンには秘密にしていたせいで、最後の最後に失敗してしまった。
「見つけなければ。シュゼット嬢が心配だ……」
もしも大地の乙女に何かあれば事だ。絶対に、絶対に探し出して保護しなければならない。
「仕方がない。こうなればあの手を使うぞ」
私は重々しく言った。近衛騎士団長が青ざめた顔を上げ、苦しげに頷いた。