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はじめての買い出し

 目が覚めたと思ったら置き時計がお昼を指していたので、私はたまらず叫び声を上げた。


 二日連続で大寝坊をしてしまった。いくら寝不足が抜けきらないとは言え、あまりにも怠惰な所業だ。

 フォルタンの屋敷にいた頃はどんなに辛くてもギリギリの時間には目が覚めていたのに、人は安心するとどこまでも眠れてしまうものらしい。


 こうしてはいられない。居候の身の上、家事経験が無くとも家のことをこなさなくては……!


 私は道中で買い求めた着替えに袖を通すと、リビングへと続く階段を早足で降りていった。


「ごめんなさい! 私、またしても寝坊、を……」


 しかし謝罪の言葉は宙に浮かんでそのまま消えていった。リビングルームは静まり返っており、家の何処にも家主がいないことが雰囲気から伝わってきたのだ。


 見ればダイニングテーブルの上に白い紙が置かれている。どうやらサディアス様の書き置きらしいと気付いた私は、その紙を手に取って読み始めた。


『おはよう。よく眠れたか?

 俺は今日から仕事だ。一人きりで残して悪いな。

 朝飯と昼飯は用意しておいたんで、適当に食べてくれ。

 家の中のものは自由に使ってもらっていい。

 一応書くけど、ちゃんとゆっくりしろよ。

 

 サディアス』


 それはさっぱりとしながらも気遣いに溢れた言葉だった。私はまた心を温かくしたのだが、一つだけ気になることがあった。


 朝食と昼食が用意してある、とは。もしかしてこの、何かの上に布がかけられているものがそうだったり……?


 私は恐る恐るチェック柄の布を取り外した。

 そうして中から現れたのは、黒パンとスクランブルエッグ、そしてソーセージが載ったお皿と、もう一つは彩りも美しいサンドイッチが載ったお皿だった。


 あまりの衝撃に声すら出てこなくなり、ふと視線を彷徨わせた先にホーロー引きの鍋を発見して更に血の気を下げる。震える手で蓋を開けると、野菜たっぷりのクリームスープが入っていた。


「サディアス様ぁッ……!」


 私はその場にくずおれた。


 何ということだ。サディアス様の完璧すぎるお振る舞いに対して、この私の体たらくぶりと来たら!


 今日からお仕事で忙しいはずなのに、一体いつの間にこんなに美味しそうな料理を?

 サディアス様は最低でも三日は家を開けていたはずだ。つまりは私を部屋に案内した後に買い出しに出かけたということなのでは……?


 よくない。すごくよくない。何というか、人としてまずい!


「う……うう……!」


 有難いのと情けないのとで、ちょっと涙まで出そうになった。しかし寸でのところで呻くだけに留めた私は、よろめきながらも起き上がり、そこでまたしても衝撃に出会った。


 スープの鍋の下に魔法陣が描かれたプレートが敷かれている。これは確か側面のスイッチに触れると加熱が始まって、火を使わずに料理ができるという代物だったはず。


 魔法調理器と呼ばれるこの品物は超が付く高級品だ。この世では魔導師でも無い限りは魔法を生活に利用するのが難しいとされてきたのだが、産業革命に伴って、少しずつ研究が進むようになった。

 しかし魔法を使った便利な品物はまだまだ開発途上で、私も魔法調理器は何かの折に遠くで見たことがあるくらい。さすがは大魔導師の家ということか。


 そっとスイッチに触れる。しばらく待つとスープの表面がコポコポと煮立ってきて、感謝を抱かずにはいられなかった。


 これもまた用意されていた器にスープを盛り付けて、黒パンのプレートと共に頂くことにする。

 祈りを捧げてから、まずはスープを一口食べる。


「……美味しい」


 そのどれもが滋養に効く味わいがして、私は知らずのうちにため息を吐いた。

 家庭の味というやつなのかもしれない。料理人が変われば味が変わる貴族家においては、多くの場合存在しないもの。少しだけ目の奥がツンと痛むような、優しい味。


 サディアス様はお母様にこの料理を習ったのだろうか。


 そんなことを思いついてしまって、私は黒パンをちぎる手を止めた。

 そういえばこの家にはご両親がいない。実家を出て暮らしているにしては広いお家だし、何より妹さんが同居しているはずがないから、ここは恐らくサディアス様の育った場所なのだ。


 ダイニングテーブルには、私が掛けているものも含めて四つの椅子。家具には使い込まれたことを示す傷跡が残っていて、キッチンに満ちる空気はどこか温かい。


 私はこの家が持つ過去に思いを馳せたが、その想像は憶測の域を出るものではなかった。いつか昔話でも聞けたなら光栄だとは思うけれど、かと言って詮索するつもりはない。


 何せ私は、ただサディアス様に助けてもらっただけの身の上だ。

 恩に報いるためにも彼の力になって、出来うる限り早く自立する。今はそのことだけを考えなくては。





 朝食兼昼食を頂いた後、まず私が考えたのは、夕飯こそは私が用意しなければということだった。


 お世話になりっぱなしというわけにはいかない。料理は一度もしたことがないが、食べたことはあるので何とかなるはずだ。

 ……ええ、ものすごい理論だという自覚はありますよ。でも、そういうことにしないと何も出来ないというわけで。


 失礼ながらキッチンの収納を一部確認したところ、食材はにんじん、じゃがいも、そして黒パンが見つかった。サディアス様のお言葉に甘えてこれらをお借りするにしても、流石に買い出しに行かなければ何も作れないだろう。


 部屋に戻って所持金を確認すると、まだ八割ほどが残っていた。宝石とドレスはそこそこの値段で売れたのだが、この方法で旅の資金を得たことは、少なからず罪悪感があった。


 しかしながら、このお金をお父様に返す方法はない。いつかお返しできることを祈って、働き始めた暁には使った分を補填していこうと思う。


 私は幾らかの銀貨と銅貨をポケットに入れ、キッチンに置かれた網籠を持つと、まずは門のところから顔を覗かせた。


 昨日は暗いのと緊張しているのとでわからなかったが、サディアス様のお宅は商店街のすぐ近くにあった。なんと、八百屋さんなどは徒歩三十秒ほどの距離に位置しているではないか。


 あまり家の外を歩き回らない方がいい状況ではあるが、この距離で何かしらの事件が起きる可能性は低いように思う。一般的なワンピースも身に馴染んできた気がするし、きっとバレないのではないか。


 私は何気ない風を装って、通りへと一歩を踏み出した。


 緊張で胸が大きく弾んでいる。何か変なところはないだろうかと、自分の身なりや振る舞いが王城に上がっていた頃よりも気にかかる。


 しかし徒歩三十秒は思った以上にすぐだった。雑然と積み上げられた野菜たちを前に、私は思わず感動のため息を漏らした。


(すごいわ。何て綺麗なのかしら……!)


 調理されたものとは違う、色とりどりの皮がついたままの野菜は、瑞々しくて美しかった。緑に黄色、そして赤が雑然と積み上げられた様も、生活感に溢れていてわくわくする。


 公務で城下に降りるたび、遠くに見つめていた光景だ。何だか素敵だなと思っても口に出すことはできず、一生足を踏み入れることのない世界だと思っていた。


 それがまさか買い物のために訪れることができるだなんて夢のようだ。


 何を買うべきか。実はどれがどれだかよくわからないのだけど……これは多分キャベツ、かしら?


「いらっしゃい! お姉さん、うちはどれも新鮮だよ〜!」


 店の奥から年若い男性店員がやってきた。エプロンと短髪がよく似合う、いかにも手慣れた店員といった様子の青年だ。

 私は事前に考えていた作戦を、勇気を出して実行することにした。


「あのっ! 私、実は料理をしたことがないのですが! 素人におすすめの野菜などはありますか⁉︎」


 緊張して変に勢いが出てしまい、恥ずかしさに顔が下へと向いていく。


 この名付けて「開き直って全部聞いちゃおう作戦」だが、せめて年配の方相手だったらまだ聞きやすかったのに。若い方からすれば、同世代で料理をしたことがないだなんて、きっと呆れているだろう。


「料理が初めて? お姉さん偉いねえ!」


「……え?」


 私は信じられない思いで顔を上げた。店員さんは感心した様子で大きく頷いている。


「初めて料理をするために買い出しに来るなんて立派だよ! お姉さん頑張ってんだね!」


 それは彼のリップサービスだったのかもしれない。しかし私にとっては本当に嬉しい一言であり、この国での一歩にあたって背中を押してもらえたことに間違いはなかった。


 頑張ってる。そうか、そういう考え方もあるのね……。


 王太子殿下の婚約者だった頃、何かを覚えたり新しいことに取り組むことは、そうそう褒められるようなことでは無かった。だから私自身も当たり前だと思っていたし、知らないことは恥ずかしいことだと思っていた。


 何だかウェリスって、皆さんが寛容で良い国なのかもしれない。単純なようだけど、こう感じるのも真実であるように思う。


「初心者さんにおすすめの野菜、っていうかレシピを教えようか」


「えっ⁉︎ よろしいのですか!」


「うん、うちでは野菜に合わせたレシピの添え書き作って、無料で配ってんだ」


 店員さんは店の中を見渡すと、どれが良いかなと呟きながら歩き始めた。


「苦手なものはある?」


「いえ、ありません」


 野菜はなんでも大好きだ。そういえばサディアス様のお好みは聞いたことがなかったから、今日にでも尋ねてみなければ。


「それなら、今が旬の新玉ねぎと、春キャベツ、あとはトマトでどうだい? レシピはこんな感じ」


 店員さんはレシピの添書きの紙を取り出して、簡単な説明をしてくれた。これなら私でもできそうだと思えるほど、聞いた限りでは少ない手順で簡単そうだった。


「全部美味しそうです。三つとも下さい!」


「まいどあり!」


 会計をして野菜を籠に入れる。「また来てね!」との明るい声に上機嫌で礼を伝えて店を後にした私は、次にすぐ近くのお肉屋さんに向かった。


 ショーケースに並ぶのは大量のお肉だ。私は生のお肉を間近で見るのは初めてで、またしても感嘆のため息を吐いた。

 野菜とはまた違った迫力があるのに、一つ一つ色味や形状が違うのが面白い。動物と部位の違いで、こんなにも沢山の種類があるものだったとは。


「いらっしゃい! 今日は鳥もも肉が特売だよ!」


 丸いお腹に筋肉質な腕を持った、大きな体のご主人が笑顔を見せる。私もまた笑顔で挨拶をして、特売コーナーに視線を移した。


 先ほどもらったレシピは鳥もも肉を使う内容だったので、まさに丁度良い出会いだと言える。


 リムは重さの単位で、ゼルカが金額。100リムで140ゼルカとなると、一枚だといくらになるのだろう。


 私はいつも何リムのお肉を食べていたのだったか。加熱すると縮むというけれど、実際どれくらい小さくなるのかはわからない。

 というかそもそも、サディアス様は私の思う一人前で足りるのだろうか。一般的な男性の食事量も未知数で、いろいろな意味で見当のつけようがない。


「鳥もも肉ですが、少し多めの二人前となると、何リムになるのでしょうか?」


 また「開き直って全部聞いちゃおう作戦」だが、もう恥は捨てたので何ともない。

 ご主人はにっと笑って、気さくな調子で答えをくれた。


「二枚あれば足りると思うよ。500から600リムってところか」


 つまりは最大で840ゼルカほど。持参したコインにも余裕がある金額だ。


「わかりました。では、こちらのもも肉を二枚下さい」


「まいどあり!」


 景気の良い返事をして、ご主人がお肉を包み始める。慣れた手付きを興味深く観察していると、彼は作業しながら話を続けた。


「お姉さん楽しそうだね。新婚さん?」


「い、いえいえ! 違いますよ!」


「何だ、そうなのかい? 当たりだと思ったんだがな」


 豪快な笑い声と共に包まれた品物が差し出される。会計を済ませた私は、礼を言って気さくなご主人と別れた。


 商店街を見渡せば、小さな子供だけでおやつを買い求める姿や、老人がゆっくりと散歩をする光景が目に留まる。


 本当に平和で親切な良い街。サディアス様がお住まいなのもわかる気がする。

 お店の皆さんの協力のおかげで、私でも何とか料理を作ることができそうだ。成功するかはまた別の話だけど。


 この時の私は生まれてこの方感じたことがないほどの達成感に包まれていたので、まさかあんなことが起こるなんて思いもしなかった。


「はっはっは! 未だ手がかりなしとは、中々難しいものだな!」


 ——この特徴的な高笑いは……!


 私は思わず、不自然な勢いで振り返ってしまった。


 そこにいたのは穏やかな商店街に仁王立ちする一人の男性。艶めく黒の長髪を一つに括り、軍服に似た魔導師の正装を着こなしている。


「出奔からの日数を計算するに、ケルダンにいる可能性も無くは無かったのだがな! ここはやはり全く別の国にいると考えるべきか!」


 トリスタン殿下は私もよく知る自信満々の口調で、部下らしき男性と会話をしている最中だった。


 目の前の現実を受け止めきれない私は、咄嗟に動くことができなかった。確かにここはトリスタン王太子殿下のおわすウェリス王国だが、彼ほど高貴な人物がなぜ下町の商店街に……⁉︎


「は。世界に散った部下たちの情報にも期待するべきかと」


「うむ、私も国外に出てみようか。サディアスも帰ってきたことだし、不在にしても問題は——」


 トリスタン殿下が口をつぐむ。怪訝そうに首を傾げた彼が見つめるのは、明らかに……私だ。


「んん……? んんん?」


 真っ青になった私が立ち竦んでいる間にも、トリスタン殿下はうんうん唸りながら距離を詰めてくる。目の前までやってきたところでぴたりと足を止めると、ぐいと顔を覗き込んできた。


「レディ、貴女にはどこかで会ったことがある気がするぞ。何者だ?」


 私は心の中で悲鳴を上げた。

 トリスタン殿下に会うことはないと思っていたのに、まさかこんなところで出くわしてしまうとは。

 正体は隠した方がいいだろうか。サディアス様の言う通りバレてはいないようだけれど、切り抜ける方法が思いつかない!


「おやめ下さい殿下! レディに対して、あまりにも不躾です!」


 するとその瞬間、鋭い声が飛んだかと思ったら、端整なお顔が思い切り背後へと引っ張られた。

 思わぬ助け舟の正体は、トリスタン殿下の部下らしき男性だった。


「はっはっは! なんだモーリス、私の直感を信じればよい!」


「直感はこの場合別の問題です! 貴方様のエキセントリックな行動のせいで、トラブルが起きないようにするのが私の役目でございますので!」


 モーリスと呼ばれた壮年男性は、高笑いをするトリスタン殿下の首根っこを掴んで離さない。かなりの信頼関係があっての事とは思うのだが、私はこの男性が罰せられたり、何よりトリスタン殿下が怪我をしないか心配になった。


「あ、あの……! 私のことはお気になさらず、まずは落ち着かれては如何でしょうか」


 そうして声をかけた時のこと。トリスタン殿下の動きがぴたりと止まり、素直な驚きを表した顔がこちらへと向く。


「……まさか、シュゼット嬢か?」


 ——はい。やっぱりやらかしましたね。


 声はなかなか誤魔化しが効きませんよね。本当に、迂闊な自分を殴りたいです……!



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[一言] 仕方ない…脳味噌鈍磨されてたんだから仕方ないんだ……
[一言] 家でおとなしくしていればよいものを。さすが社畜系トラブルが向こうからやってくる、でも人柄は良さそうなのできっとよい方へ転がるのだろう。続きを楽しみにしてます。
[一言]  ああ、そりゃバレるよ。  サディアスに迷惑がかかるよ。
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