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滞在先、決まる

「ねえねえ見てこれ、貴族のお嬢様が家出したんだって!」


「かわいそう〜! 公衆の面前で婚約破棄とか、私だったら立ち直れないかも!」


 新聞を読んで呆然としていた私は、噂をする声にはっと意識を取り戻した。


 貴族階級や有名人のゴシップは民衆の噂話の格好の的だ。見れば買い物帰りと思しき若い女性が二人、新聞を開いて楽しそうにしている。


 列車内で新聞が売り切れていたのはどうやらこの記事のせいだったらしい。フメルという歴史ある国の大醜聞、注目を集めて当然だ。


 しかし公開捜索に踏み切るとは想像もしていなかった。

 私は確かに王太子殿下の婚約者ではあったが、残念ながら高い評価は受けていなかったから、代わりはいくらでもいるだろうと思っていたのだ。


 はっきりと公にしたら、王室の評判は地に落ちるはずなのに。

 つまりはここまでする程にフメル王室は大地の乙女を欲している、ということになる。


 何だか目眩がしてきた。肖像画まで載っているのだから、きっとすぐに見つかってしまう。

 せっかくここまで逃げて来たのに、このままでは——。


「さて、行くか。疲れただろ」


 暗い思考の渦に沈みかけたところで、軽い調子の声が聞こえた。ゆっくりと顔を上げると、青ざめる私に対してサディアス様は何事もなかったかのような笑顔だった。


「行く、とは……一体どこへ?」


 まだ今日の宿も決まっていないのに。これ以上サディアス様に迷惑をかけるわけには、いかないのに。


「大丈夫だ。普通にしてろ、しょぼくれてると目立つ」


 サディアス様が悪戯っぽく笑って人差し指を口元に当てた。ひょうきんな仕草を見ただけで、落ち着いてくるのだから不思議だった。


「は、い……はい。そうですよね」


「ああ、そうだ。早速だが歩くぞ、止まってても目立つからな」


 言うなり、サディアス様は自然な調子で歩き出した。今までと違っていたのは、いつの間にか私の手を握っていたことだ。


「あ、あのっ、サディアス様……⁉︎」


 私は驚いて、つい上擦った声を上げてしまった。

 ああでも、出会った時もこうして手を引かれて走ったっけ。あの時は勢いのお陰で気にならなかったけれど、今は状況が異なるのでは。


「シュゼット、平常心」


「そうでした、ごめんなさい!」


 反射的に謝ると、何がツボに嵌まったのか、サディアス様は目立たない程度に小さく吹き出した。「素直すぎて心配だよ、俺は」なんて仰っているし、どうやら揶揄われたらしいことに気付いた私は、あっけなく赤面した。


「こうでもしないとあんたどこかに消えそうだ。悪いけど我慢してくれよ」


 何でもないことのように言うサディアス様の横顔は、私には修羅場を掻い潜ってきた者の余裕を宿しているように見えた。

 我慢なんてしていませんと言えなかったのは、揶揄われて釈然としなかったのと、照れが抜け切らなかったからだ。


(多分……安心させようとして下さった、のよね)


 サディアス様は私が王城から出奔するに至った経緯を知ったのに、詳しい話を問いただそうとはしなかった。

 興味がないだけかも知れないけど、やっぱり優しい人であることに間違いはないのだろう。


 私は空いている方の手で胸の辺りの布地を握りしめた。


 彼の優しさが嬉しくて、温かかった。

 私は母が亡くなって以来初めて独りきりではなくなったのかもしれない。漠然とだけれど、そんなことを思った。






 駅に着いた時の高揚感は緊張によって消え失せて、結局のところ街を眺める余裕など少しもなかった。


 長いような短いような道のりを歩いた先、サディアス様が足を止めたのは、どこか懐かしい風情の小さな一軒家の前だった。

 ベージュ色の煉瓦で造られており、玄関扉は温かみのある木造。都市部だというのに緑の生い茂る庭が完備されており、その向こうには小規模ながら木のテラスがある。


 街明かりに照らされたその家だけが、灯りを点けずにひっそりとしていた。この建物は一体何なのか、私の疑問を汲み取ったサディアス様がにっと笑う。


「ここ、俺の家」


「ええっ! サディアス様の⁉︎」


 驚いたものの、そもそも行くところなんてサディアス様の家くらいしか無いのも確かだった。

 出会ってすぐにお家に突撃してしまうとは、今更だがとんでもなく図々しいことをしている気がする。


「はい、とりあえず入った入った」


「えっ、あの……!」


 まごついている間にも玄関の鍵を開けたサディアス様に背中を押されてしまう。私はつんのめるようにして、彼の家にお邪魔することになった。


 呪文の声もないまま玄関のランプに火が入り、まずは木の靴箱と空の花瓶が照らし出される。殆ど物がない空間は清潔を保っていたが、同時に人が出入りしている気配もなく、春の冷気が染みて静かだった。


 どうやらこの家ではサディアス様の魔法によるランプが採用されているらしく、奥へと伸びる廊下のランプも点灯したと思ったら、更には扉の向こうが明るく浮かび上がる。


 貴族家以外のお家を拝見するのは初めてだ。広すぎるフォルタンの屋敷よりも、よっぽど落ち着くような気がするのは何故なのだろう。


「さ、どうぞ。狭いところだけどな」


 サディアス様は慣れた調子でどんどん奥へと歩いていき、先ほど灯りを点けた部屋へと入っていってしまった。私は緊張を覚えつつもゆっくり歩き出して、彼が消えた扉の中を覗き込んだ。


 やはりリビングルームのようだ。ソファの前にはテーブルがあって、端には広々としたキッチンが設られている。ダイニングテーブルには椅子が四脚用意されているのだが、来客用だろうか。


 サディアス様は「うわ、結構冷えるな」などと言って肩をすくめながら、魔法を使って薪ストーブに火を入れた。簡単そうに見えるが呪文もなしでここまで魔法を使いこなすのは、本当にすごいことなのだ。


「シュゼット、ちょっとこっち」


 呼ばれるままにサディアス様の前まで歩いていく。すると彼は先ほど買った新聞を取り出して、何の前触れもなく私の横に翳したではないか。


「やっぱな。この肖像画、あんたに全然似てないぞ」


「……え?」


 どうやら私の顔と新聞に掲載された肖像画を見比べていたようだ。しかし似ていないとは、私の見解とは正反対と言える。


「そんなことはありません。ほら、この陰気な感じ、そっくりではありませんか」


 私は新聞を受け取って、影が差した目元のあたりを指差した。銅版画で描かれたらしい肖像画は、現在の私にそっくりの良い出来をしている。


「いや、似てないって。シュゼットは陰気なんかじゃないだろ」


「いいえ、似ています。顔貌から雰囲気まで、かなりの再現度ですよ」


「いーや、似てない。絶対に似てない!」


 サディアス様が珍しくも憤りを隠せない様子で言い切るので、私はついに押し問答に勝つのを諦めた。何よりお世辞でも陰気じゃないと言ってもらえたのは、とても嬉しかったから。


「朝になったら鏡見てみろ。あんた、この二日で随分健康的になったよ」


「そうでしょうか……?」


「ああ。出会った時は確かに多少似ていたかもしれないが、今のシュゼットはこんな酷い顔をしていない。本物は似ても似つかないくらい、断然美人だ」


「なっ⁉︎」


 私は露骨に絶句した。

 何ということを仰るのだろう、この方は。

 お世辞にも言い方というものがある。真顔で言われてしまっては、本気でそう思っているように聞こえるではないか。


「この肖像画なら誰も気が付かないだろ。だから安心して、しばらくはこの家でゆっくりしたらいい」


 そして絶句しているうちにさらりとすごい提案がなされたような。


「とにかく今日はもう寝な。うちには客間なんてないから、妹の部屋を使ってくれ」


「妹さんの……そういえば、妹さんはどちらへ?」


「病院だ。うちは俺一人だから、気にせず居てもらえると助かる」


 色々と気になる。気にはなるけれど、もはや後には引けない状況であることも確かだった。


 サディアス様は肖像画を見ても誰も気が付かないだろうと言うが、仮に本当に似ていないとしても、正体が露見する危険が無いとは言い切れない。それに彼もまた、妹の病気を治すかもしれない人間があっさりと捕まっても困るのだろう。


「ご迷惑では、ありませんか?」


「まったく」


 さらりとした口調に無理が無いのを読み取って、私は深々と頭を下げた。


「では、恐れながら……お世話になってもよろしいでしょうか」


「もちろんだ。それじゃ、部屋に案内するよ」


 リビングルームには二階へと続く階段があった。先んじて登り始めたサディアス様の背に従って、二人並ぶゆとりのない階段をゆっくりと上がっていく。


 何だかすごいことになってしまった……。


 今日からしばらくの間、サディアス様と二人暮らし。ずっと怒涛の展開でいまいち実感が湧かないが、王城を摘み出された時はこんなことになるなんて少しも想像していなかった。


 けれど、まさか一生ここに住むわけにはいかない。外に出れば正体がバレる危険があるとはいえ、近日中には家と仕事を探し始めなければ。


「はい、到着。シュゼットの部屋はここだ」


 物思いに耽る間に扉の前に到着していた。サディアス様が扉を押し開いて、中のランプに灯りを点ける。


 そこはいかにも女の子が好みそうな、可愛らしい部屋だった。

 熊のぬいぐるみにアンティーク人形、フリンジ付きのピンク色のカーテン。繊細な意匠のドレッサーの上には、陶磁器のアクセサリー入れが置かれている。棚や机は白で統一されていて、可愛い上にこだわりが漂う素敵な空間だ。


「あの、本当にこのお部屋をお借りしてもいいのでしょうか」


「大丈夫だよ。もう数年戻ってきてないからな」


 数年もだなんて。妹さんの容体はかなり悪いのかも知れない。


 私はサディアス様に似た銀髪の女の子が、病に苦しむ様を想像した。人の病気は一度も治したことがないけれど、何としてでも力になってあげたいと思う。


「サディアス様、何から何までありがとうございます。私、頑張りますからね」


 勢い込んで両手で握り拳を作ると、サディアス様は「無理しないようにな」と言って小さく笑った。




 ***




 シュゼットを部屋に案内した後、俺はリビングに戻って再び新聞を広げた。

 ソファに腰掛けると薪が爆ぜる音が近くに聞こえる。ちらちらと蠢く炎に照らされて、記事の内容が頭の中に浸透していく。


 読み終わった瞬間、その新聞を薪ストーブの中に放り込んでやった。


 内容はもう覚えたから問題ない。要約すると「公衆の面前での婚約破棄について、こちらが全面的に悪かったのでどうにか戻ってきて欲しい」だ。


 あまりの怒りに視界が燃えたような気がした。こんなに腹が立ったのは本当に久しぶりだ。


 ……ふざけやがって。シュゼットはようやく自由になれたところなのに、こんな腐った連中の思い通りにさせてたまるか。


 ああだけど、俺も同じようなものだ。何せ個人的な都合でシュゼットの力を借りようとしている。今まで散々な目にあっただろうに、どうして彼女はあんな風にまっすぐに、俺の願いを聞き届けようとするのだろう。


 大地の乙女の力で、本当に妹を治せるのかはわからない。けれど二つ返事で承諾してくれたシュゼットのことは、どうあっても俺が守ろう。

 彼女がどうか健やかに、この先の人生を生きていけるように。



「来るなら来いよ。俺が全員返り討ちにしてやる」








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― 新着の感想 ―
[一言] お〜先が気になりますね! トリスタン殿下は今のところ良さげな人ですが…
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