王都に着いて
サディアス様は極力感情を表に出さないように、じっと息を潜めているように見えた。
彼の人生には私の苦労など可愛く見える程の出来事があったのかもしれない。何の根拠もなく、そんなことを思った。
「もっと早くに言って下さったら良かったのに」
だから私はただ心の導くままに、答えだけを明るく告げた。
サディアス様の望みを叶えてあげられるかはわからない。けれどこうして話してくれたということは、きっと私のことを少しは信用して下さったということだ。
「わかりました。出来るかはわかりませんが、引き受けさせて頂きます」
家族を助けたいという、切実で優しい気持ち。何とかして力になりたいと思う。
「シュゼット……良いのか……?」
サディアス様が茫洋とした様子で言うので、私ははっきりと頷いた。
「勿論です! 出来うる限り頑張ってみます」
それは言い切った瞬間のことだった。サディアス様が両手を伸ばしてきて、私の手を握り込んだのだ。
「ありがとう。恩に着る」
真っ直ぐに向けられた瞳と、手に伝わる熱。
真剣な感謝が伝わる中、私はようやく彼との距離の近さに気付いて、場違いにも狼狽え始めていた。
男性に手を握り込まれるだなんて初めてのことなのだ。何だか顔が熱いけど、手に汗なんてかいてはいないだろうか?
「も、もう、サディアス様ったら。私、何となくですが国家機密に関わることかと思っていたんですよ」
わざとらしく話を逸らすと、サディアス様もいつもの調子を取り戻してくれた。小さな苦笑と共に、握られていた手がそっと離れていく。
「それはないな。だってウェリスは島国なんだ、大地信仰は一般的じゃない。つまりウェリスの王家は大地の乙女の噂を信じてないし、当然欲しがってもいないのさ」
言われてみればその通りだった。
大地信仰はエーヴェル大陸で発したもの。その他の大陸や島国に波及した例はあるが、ウェリスは全く別の宗教を国教としていると聞く。
「なるほど……では、私が住むのにはちょうど良い国ということになりますね」
「そうだと思うよ。気をつけるに越したことはないが、目立たないように普通に暮らしてりゃ、大丈夫なんじゃないかな」
雲間から光が差すような話に、単純な私は気分を浮上させた。
一人で生きていくのはきっと大変だろうけど、国が私の力を求めることがないなら、ややこしい事態には陥りにくいはずだ。
「あら? そういえば、サディアス様はどうして大地の乙女についてご存知だったのですか?」
「ああ、単純な話だが、うちのトリスタン殿下に聞いたんだよ。奴も噂を小耳に挟んだみたいで、雑談としてな」
「ええっ⁉︎ サディアス様、トリスタン殿下とお知り合いなのですか!」
何気なく沸いた疑問を投げかけたら、予想外の返答を得て大きな声を出してしまった。
汽車の特等個室でなかったら誰かに聞かれていたかもしれない。私は口元に手を当てて、すみませんと言い添えておいた。
「なんだ、あんたも知ってんの?」
サディアス様も意外そうな顔をしているけど、私の方が絶対に驚いていると思う。だって共通の知り合いがいるだなんて、考えもしなかったのだから。
「はい、何度か外交でお会いしました」
トリスタン王太子殿下は現女王陛下の長男であり、とてもとてもご立派なお世継ぎだ。
全身に王位継承者としての覇気を纏い、国や政治、ご自身の考えについて語る姿は見るものを惹きつける。
民の暮らしを一番に憂い、飢饉や病の発生時などは女王陛下をよく支えておられるのだとか。
外交の場でお会いした時などは、いつも優しく声をかけて下さったものだ。ご飯をちゃんと食べているのか聞かれたことは記憶に新しい。
「それは納得だ。俺は学生時代たまたま同期でさ、ただそれだけの付き合いのはずが、なんだかんだと関わりがあるんだよな……」
それなのに、トリスタン殿下について思い返すサディアス様は、心なしか遠い目をしているようだった。一体どうしたと言うのだろう。
「素敵なご関係ではありませんか。ご友人なのですね」
「いや、素敵じゃないだろ。トリスタンだぞ?」
「トリスタン殿下はとっても素敵な方だと思いますけど……」
不思議に思って首を傾げると、サディアス様は露骨に顔を顰めた。
「……シュゼットはああいう俺様王様タイプが好きなのか?」
「俺様王様タイプ? まあ、そうした見方もできるかもしれませんが」
実際に王様になる方なので気にしたことがなかった。確かにトリスタン殿下は個性的なお人柄だけど、とても心の温かい方だと思う。
私の反応が鈍いので、サディアス様は諦めたようなため息をついた。
「まあいいか。ともかく、シュゼットには平和に暮らして欲しいからな。ウェリスが良い所だと思ってもらえたら嬉しいよ」
少しばかり強引に話がまとめられたような気もしたが、彼の言うことは私の気持ちと同じだった。
この短い滞在期間でも、何となくウェリスという国に居心地の良さを感じている。だからこそ私のことを受け入れてもらえたのなら、それは凄く嬉しいことだ。
*
汽車での旅はあっという間だった。客船の時と違って睡眠で終わることもなく、サディアス様と取り留めのない話をしながら、車内販売のサンドイッチを食べたり、窓の外を眺めて過ごすうちに、いつのまにか終点へと到着していたのだ。
アーチ状の駅舎に降り立った私は、まず大きく伸びをした。
それは体が勝手に動いてのことで、快適に過ごしたつもりでも実際には固まっていたらしいことが解った。そして旅の目的地に到着して深呼吸をすることは、とても気持ちがいいことなのだということも。
「ついに到着ですね……! すごい数の人です!」
早足でホームを行き交う人の波を前に、私は思わず歓声を上げた。
ウェリスの王都ケルダンは、世界でも有数の生活水準を誇る華やかなりし城下町だ。
工業と魔法が同居した活気のある街並みは、エーヴェル大陸において「煙と光の都」と呼ばれ、一目置かれる存在となっている。
「ここ、まだ駅だからな。街に出たりしたら、あんた好奇心で倒れるんじゃないのか」
サディアス様は苦笑しているが、私は「そんなことないですよ」とは即答できなかった。
夜とはいえホームもランプの灯りで煌々としているし、街並みもよく見ることができそうだ。私は夜の街を出歩いたのなんて、それこそ王城から放り出されたあの日くらいだったし、当時はフラフラで街並みを観察するどころではなかった。
そんな人間がこの活気があることで有名なケルダンに繰り出したりしたら……うん、目を回して倒れるくらいのことはやりかねない。
「わ、わかりました。なるべく周囲を見ないように歩きます……!」
「そこまでしろとは言ってないけど」
サディアス様は楽しげに笑って、ふとすぐそばの売店に目を留めたようだった。新聞を買ってくると告げて早歩きで向かい、すぐに目的のものを片手に戻ってくる。
「今日の夕刊だ。汽車では売り切れだったからな、情報収集しとかねえと」
「そうでした。ありがとうございます、サディアス様」
新聞は大事な情報源だ。一応は追手を躱して飛び出してきた都合上、もしかすると私のことが何か載っているかもしれない。
……ええと、はい。一面を開いたサディアス様が眉を上げたあたりで、嫌な予感はしていましたよね。
私はサディアス様の隣に立って紙面を覗き込んだ。その途端に目に飛び込んできたのは、でかでかと刷られたトップニュースの見出しだった。
『フメル王太子の婚約者フォルタン侯爵令嬢出奔!婚約破棄を苦にしての家出か』
記事の内容は夜会での婚約破棄、王太子殿下の謹慎、国王様の会見などなど、どうにかして探し出したいとの思いが溢れたものとなっていた。
そのどれもが正確な情報であり、王家が観念して真実を開示したことが示されている。
極め付けはなんと私、フォルタン侯爵令嬢シュゼットの肖像画付きという点で、私は血の気が引く思いがした。
まずい。とてもまずい状況です。
ああ、こんなにもしっかりと新聞に載ってしまうとは、誰が想像できたでしょうか……?
***
夕刊に一通り目を通した私は、夕食後の紅茶の隣に紙面を置いて、一人微笑んだ。
「シュゼット嬢はあの王城を出たのか。これは是非とも探し出して彼女の勇気を讃えねばなるまいな」
私の独り言を聞きつけた副官のモーリスが怪訝な眼差しでこちらを見る。この壮年の副官とはもう数年の付き合いになるが、どうにも心配性なのが玉に瑕だ。
私に対して心配など必要ない。何故なら王となる立場ゆえに、道半ばで倒れる気など毛頭ないからだ。
「トリスタン殿下、あまり無茶をなさいますな。女王陛下がご心配召されます」
「案ずるなモーリス。私が讃えれば道は開ける。私の全責任の元に歴史を切り拓けば、民は着いてくるっ!」
私は立ち上がって右手を前へと突き出した。動きの性急さによってマントが翻り、風を巻き込んでばさばさと音を立てる。
「私は私の未来を信じているが、友の未来は案じねばなるまい! モーリス、我が第一魔導師団の力を使い、シュゼット嬢を探そうぞ!」
「はい。そう来ると思っていましたよ」
「さすがはモーリスだ! 頼りにしているぞ、副官殿! はーっはっはっはっは!」
モーリスの溜息が愉快で、私は高らかな笑い声を上げた。
シュゼット嬢、待っていてくれ。
貴殿は私の友人だ。私は絶対に、友の窮地を見捨てたりはしないぞ……!