文章を織り上げるということ
これはポメラを愛する人間の個人的なレポートのようなものです。
用法・用量をよくご確認の上、お目をお通しください。
ポメラをお迎えしようと心に決めた冬の日から時はさらに流れ、今に至る。
結婚もして仕事も落ち着いた、人生ももう後半戦。
これからの人生をどのように生きようか、旅行に行って大好きな温泉に好きなだけ浸かって、美味しいものを食べる人生ってのも悪くはないわね、などと考え始めた私に、ワープロとの数奇な再会が待っていようとは夢にも思わなかった。
そう、もうここまで来たら運命なのだ。
言葉と共に生きていく、これが私が人生で成すべきことなのだろう。
きっとこの決断は間違いではない。
様々な検討を重ねた結果、選んだ機体は『DM200』。
福沢諭吉氏が4名ほど出張していった。
さてこの『DM200』。ぱっと見た目はかなり小ぶりなPCといった風体だが、ポメラの中では大型である。重さは約580グラム。麦茶のペットボトル一本分くらいだろうか。恐ろしいほど軽い。
またこの機種は、ありがたいことにディスプレイが従来のポメラよりも大きいため大変に見やすい。そしてバックライト式なのでワープロと全く同じ感覚で画面を眺め続けられる。
キーボードは折りたたまない方式なので、以前友人が言っていたような、わずかな段差による入力時のカクつきはない。
そしてさらに素晴らしいことに、PCとUSBケーブルで接続することによって、ポメラ本体を外部ストレージとして利用することが出来る。これによって内部データをテキストデータとして読み込み、保存することが可能なのだ。
もしもiPhoneユーザーならば、専用のQRコードリーダーアプリを使うことによってポメラで入力した文章を読み取り、文章をそのままスマホから投稿をすることができる。私は残念ながらAndroidユーザーなのでその恩恵にあずかれないのが悔しい。Android用のアプリも早く出してはくれないのだろうか。ポメラSyncやアップロード機能というものも搭載されているのだが、どれもAndroidにはうまく対応していない。キングジムさんはiPhoneやMacユーザーを優遇している気がする。えこひいきは良くない。
さらにSDカードにデータを保存することができるので、保存できる文章量は無限大。現在16GBのカードを導入しているが、まったく消費しきれる気がしない。
私の命が尽きる日まで言葉を紡ぎ続けても、この量ならば使い切れないのではなかろうか。
個人的に大変便利だと思ったのは、辞典が入っているということ。
今までは文字を入力しながら漢字を変換するときに、どの漢字が正しいのか電子辞書を片手に入力していた。このポメラならばファンクションキーを押すだけで辞書を起動させて、意味の違いを確認することができる。
このポメラと生活を共にして早三年。未だ故障を知らず今日も元気に稼働してくれている。初期不良がどうやら多いようだが、私のポメラはどうやら大丈夫な子である。ここから先何年壊れずにいてくれるだろうか。
ワープロとどちらが使いやすいかと言われたら、軍配はワープロに上がる。入力してレイアウトした文字をすぐに印刷できるし、なんなら起動はもっと早かった。画面はもっと大きくて文字も見やすかったし、キーボードだって大きくて入力しやすかった。
けれども私がずっと、これがワープロでできたら良いのに、こんな機能が搭載されていたらまだワープロを使えたのに、と思っていたことができる機械。それがポメラだった。
キングジム様、ポメラを開発して下さってありがとうございます。
そしてたった一人でも『お金を出してでも欲しい』と言って下さった社員の方、本当に本当に感謝しています。
それは私たちの声でもありました。おかげさまで我々、文字執筆中毒患者は息を吹き返すことができました。
本当に感謝しています。ありがとうございます。
けれども出来れば、もう少し耐久力があってAndroidユーザーにも優しく、さらに簡単にネット上にデータをリンクできるようにして頂ければ、我々は喜んで諭吉を派遣することでしょう。
何卒よろしくお願いします。
さて文章をひたすら書き殴った先には、推敲という名の魔物が潜んでいる。
この大して内容のない文章でさえ、入力して熟成し、推敲に至るまでに実はかなりの時間が費やされている。一旦この魔物にとりつかれると文章の一字一句が気にかかるようになる呪いがかけられる。恐ろしい魔物である。
PCで文章を入力し編集するという作業もしていた頃、推敲時の文字を消して、再度言葉を入力する、という単純作業に対するレスポンスはワープロの方が良い気がしていた。そしてポメラ、このスピードが(私にとってかもしれないが)とても良い。まさにワープロ級。
これは単にポメラの性能が良いためなのかもしれないし、単なるワープロ中毒患者故の思い込みに過ぎないのかもしれないが、文字入力能力はPCよりも頭一つ抜きん出ていると言えよう。
またつい先日気づいたのだが、単語登録機能という便利な機能があり、ここに通常では変換できない言葉を登録しておけるのだが、なんと自動で学習をし登録してくれているようなのだ。
この機能、ありがたいが時々自動で登録された文字を眺めていると、普通に入力を間違えて変換してしまった言葉を登録しているときがある。
普通はこんな変換しないけど、あなたは変換したいのよね。仕方ないなあ、私は覚えておいてあげるわよ。といった感じなのだろうか。どうにも恥ずかしい。すぐに変換してエンターキーを押してしまう癖があるようだ。仕事上PCで文章を入力していた名残かもしれない。
文章を書くことは、楽しいけれども難しい。
どうしても気分のままに書いてしまったものだと内容が支離滅裂になってしまうし、いろいろと頭を使ってどうにかうまいこと言ってやろう、などと言葉をこねくり回して生まれてきた文章は、やはり読みづらい堅い物になってしまう。本当に難しい。
中庸な文章をすらすらと書ける人間になりたい。
最初、私の願いは頭に浮かんできた言葉を好きなときに好きなだけ入力することができたらいいな、くらいのものだった。
それがポメラを手に入れてからというもの、せっかくだから書いた文章を見てもらいたい、他の文章を趣味で書いている人と交流を深めてみたい、になり、今では機会があったら文章を書く学校をのぞいてみたいという願望も頭をもたげ始めた。
あまりにも分不相応な願いだと思っているけれど、ポメラと一緒なら、そんなささやかな夢も叶うような気がしている。
別に小説家として名を馳せたいとか、コラムニストになって雑誌に連載を持ちたいとか、夢があるわけではない。
これは私の生涯学習なのだ。
私たちの毎日は勉強の連続でできている。
なにも机の前にしがみついて単語を頭にたたき込むこと、難しい数式を覚えることが勉強の全てではない。大人になった私たちはそれを知っている。この世に無駄なことなど何もないのだ。
きっと私は生涯、言葉を紡ぎ続けることは辞められないのだろうと思う。これも私の学びの一つなのだ。
日常のほんのささやかな時間に文字を入力し続けるということは、学生時代のあの頃から何一つ変わっていない。
私はポメラを起動すると胸がときめく。
わずかだが高揚感を得る。
脳内で構築した文章をどのように文字に起こしていくか考えていると、本当に些細な出来事だったとしてもそれらは宝石のように眩くきらめき、光を放つ。
海辺で拾った貝殻、深夜のドライブ、雨が降った後の緑色に湿った空気の匂い、コンビニのチャイム。
人生はまだまだ捨てたもんじゃないと思う。
ポメラのある人生は、想像していた以上に幸せだった。
今日も私はポメラの液晶を起こし、ウォークマンの電源を入れる。
高校時代にワープロの電源を入れ、CDラジカセの電源を入れていたあの頃と同じように。
そうそう。
先日Amazonのレビューによりポメラを好む人たちのことを『ポメラニアン』と呼ぶのだと知った。
ポメラニアン、なるほどめんこい。
個人的にはポメラニャンが一押しです。
私は犬も猫も好きです。