卒業パーティーで僕を思いっきり口汚く罵り、蔑み、婚約破棄してくれないか?
数秒間、私の頭は考えることを放棄していました。ようやく言葉を絞り出して、婚約者へ問いかけます。
「……何を仰っているのかよく分からないのですが……」
「勘違いしないでくれ。僕は君を心から愛している。婚約破棄はあくまでも建前であり目的ではないんだ。今回の卒業パーティーが、公衆の面前で君に心置きなく罵倒してもらえる最後のチャンスなんだよ!」
「……だから、何言っているんですか、アラン王子?」
理解してもらえない事への遺憾の意を示すように、頭を振るアラン様。
「君は以前、王太子の自覚を持つように僕のことを何度も叱咤してくれただろう? まともに取り合おうとしない僕に対して、痺れを切らした君は『このままでは親の七光り無能お飾り出来損ない王子として馬鹿にされてしまいますよ』と強烈な暴言を寄越した……」
私にとっては怒りのあまり自制心を失くしてしまった深く反省すべき過去なのですが、アラン様は何故か恍惚とした表情で当時のことを思い出しているようです。
「君の言葉で目が醒めた僕は、王太子教育にも真剣に取り組むようになった。努力する姿を君も認めてくれて、それからは優しい態度で敬意を込めて僕に接してくれるようになったね。でも、心のどこかでその穏やかな日々に物足りなさを感じるようになっていたんだ」
悟りを開いた修行僧のように晴れやかな顔で私に告げるアラン様。
「そして、やっと気づいた。あの瞬間、僕は目覚めてしまったんだ、と」
これだけ説明されれば、何に目覚めたのかは、そちら方面の知識に疎い私にも察しがつきました。彼をこの手で立派な王太子に導くはずが、変態の道へと後押ししてしまっていたなんて。
「もしかして……最近私の前で何かと酷い粗相をなさっていたのは……」
「その通り! 全て君に激しく僕を責め立ててもらうためさ! それなのに君ときたら、僕がジャケットを前後逆に羽織っても、ガウンのまま登校しても、挙句の果てに君の名前を間違えた時さえ、僕の体調を心配するだけだった……一体何を考えているんだ!」
「その言葉、そっくりそのままお返しいたします……」
「止めてくれ……そんな恐ろしく汚らわしいものを見るような目をしないでくれよ……僕は、君にだって素養があると確信しているんだ」
「失礼なことを口になさらないでください! 私はアラン様のような特殊性癖を持ち合わせておりません!」
「果たして本当かな? 君は、あの言葉を放ったあの時、全く何も感じなかったのかい? 蔑むような冷たい瞳に、ほんの一瞬、愉悦の光を垣間見たのは、単なる僕の気のせいだろうか?」
「そんな……」
そんなことある訳がありません。ただのアラン様の馬鹿げた妄想です。
「どうしても認められないと言うのなら、たった一度だけでいい。どうか想像してみてほしい。大勢の卒業生が集まる場で、言葉の限り僕を罵倒する光景を」
必死に懇願するアラン様に根負けした私は、仕方なく目を瞑り、彼が言う通りの場面を思い浮かべます。衆人環視の中、アラン様を言葉の鞭で容赦なく打ち据える私の姿。彼の情けなく……愛くるしい表情を。
……ああ、そんな。
妄想で描いた素晴らしい愛の交流を実現したい。胸の中に確かに生まれてしまったその気持ちを誤魔化すことはできませんでした。
「……私は……」
「言葉にしなくてもいい。表情で分かるよ」
アラン様は慈愛に満ちた眼差しを私に向け、優しく頷きます。
「でも、大事な卒業パーティーの場を台無しにするような真似をしてしまったら、一体どんな処分を受けることになるか……」
「大丈夫だよ。あくまで卒業生からの刺激的な演劇というサプライズプレゼントだと言い張ればいいのさ。事前に教職員達にも根回しをしておこう」
彼らに手渡すために準備したであろう、分厚い書類の束をアラン様は取り出してみせます。
「……この私に、このような倒錯した欲求があったなんて思いませんでした……」
「本来恥ずかしがることでも、蔑まれることでもないんだ。愛の囁きや誓いのキスが、僕達にとっては心の籠った罵倒だという、ただそれだけのことなのだから」
私の頬に手を添え、アラン様は囁きます。
「君が僕の事を大切に想い、浴びせてくれた罵声だったからこそ、この気持ちに気付くことができたんだ。僕達の欲望は全く汚れてなんかいない。これは、れっきとした純愛さ!」
アラン様は言葉通り、これっぽっちも引け目を感じさせない、堂々とした態度でそう仰いました。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「この程度の罵倒で音を上げるなんて、そんな不甲斐なく軟弱な王子にこの国を背負うことができるとお思いですか?」
「ひぃっ……」
「これだけの生徒達に囲まれ、見つめられている中、蔑まれて悦ぶなんて、未来の王太子様はとんだ変態ですね!」
「くうぅ……」
会場の生徒達の6割は、ただただ壇上のやり取りから目を逸らしドン引きしていました。ですが、残りの学生達の胸中で何かが芽生えつつあることを私達の敏感な嗅覚は察知していました。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
私達は卒業し、様々な風評被害を乗り越えた後、無事に王太子と王太子妃に即位しました。
一部の教職員、学生、卒業生の熱意により、今でも毎年卒業パーティーの余興として立候補者による少々過激で情熱的な婚約破棄劇が行われているそうです。