大嶋廻り余話011 -子託し事変-
人は自然を愛でながらもそれに触れるとなると一定の怖れを感じる。
名も知らぬ草花に毒はないか。
肌刺す虫に病はないか。
鳥に目を突かれることは?
獣に襲われたりは?
そして当然、風雪や豪雨、土砂崩れや津波といった災害に恐怖する。それでも尚、自然を愛する時、人は自ずと自然との付き合い方を考えることになる。
今、私の目の前に広がる荒涼とした世界は、これまでの旅で感じたことのない感旧を偲ばせて、とうの昔に克服した筈の望郷の念をじくじくと育てるかのようだった。
哀愁と言うのか。寂寥と言うのか。
季節に例えるなら紅葉の見頃をとうに過ぎた晩秋。からっ風に千切れ行く枯葉も絶えて、冬木立が姿を現す頃。
一体どうやって――。
風荒ぶこの地で人々は、どのようにして灰色の原野と向き合い、何を頼みに営みをしているのだろう。
「おー、さぶさぶっ。なー、いつまでも眺めてたって仕方ないだろー? 次の片端まではまだ三日四日かかるって話だー。なんなら滝口に引っ返すのかー?」
お伴の蜘蛛神は少し先で声を放った。風に吹かれてあちこち転がる枯れ草玉を、足で器用に転がしながら。もう何度目かの催促だ。
今は夏だ。終わりの頃ではあるけれど、普通なら未だ暑さに喘ぐ時節柄。けれどもここは海抜一〇〇〇米を超す風渡の台地。厚い雲の下を緩急荒い風が撫で付けて、薄着にはとても向かなかった。
過日、黒鉄の旅を終えて風渡を目指した私たちは、風の街道を南へ下り、宿貸神社までをのんびりと旅歩きした。
風の街道は魑魅縁と月卵山に挟まれた峪だ。南北に横たわる地溝を更に穿って通す峡谷だ。その名に違わず強風突風が吹き荒れて、ひと度向かい風になると進むことも容易ならざる難所と化した。
そうして散々、塵風に目をやられて、どうにか御鷹の道に入った。そこから私たちは難を逃れるように急ぎ足で高地を目指した。
断崖の上に建つ百千鳥神社を訪い、鳥居前に滝口の里を見渡した時には、まだ辺り一帯が夏化粧の明るさに彩られていたけれど、次の片端へ向かう段になると、半日も歩かない内にいよいよ景色は変貌を始めた。
「なんだか急に寂しくなって来ちゃったね」
阿呼のそんな台詞にただ頷いて眺望を続ける。何かを探している訳でもないのに不思議と足は棒になって、取り巻く世界に圧倒された。
「色々聞いてはいたけど、正直ここまで何もない場所だとは思わなかったよ」
「うん。滝口を出てしばらくは、ずっとお花畑が広がってたのに、本当に突然ね」
ここに花が咲いてない訳じゃない。可憐な高地の花がポツポツとは咲いている。種類はヒースか。日本ではエリカと呼ばれていたと思う。欧州寒地の荒れ野に咲く種で、寒地特有の健気を感じさせる花たちだ。
それらヒースに似た花が、ここ以西には絨毯のように敷き詰められていたのに、今は点々とうら哀しいかぎり。
理由は風だ。
全ての物が風に靡いていて、すると「耐えている」様子が浮かび上がって来る。
岩に当たって分かれる風の声もむせび泣くようで、自然、足が止まる。
姫美女桜のように一面の花絨毯なら一杯になる胸が、疎らなヒースの踏み止まる姿には締め付けられるような想いに染まる。
「時々さ。ふっと風が止むでしょ? そうすると音の一つもなくなって……。奇麗なんだよ? くすんだような色合いも、侘び寂って言うのかな、とっても素敵なんだけど、でもじゃあ、ここで暮らして行けるかって聞かれたら、お姉ちゃんはちょっと自信ないかなぁ」
「そうね。ちょっと寂しいかも。でもほら、お空には鳥さんたちが沢山飛んでる。色んな方からどこかへ向かって。どこへ行くのか知らないけど、みんなこの風渡で暮らしてるのよ」
鳥の数はさすがに多い。翼ある者たちの楽園と言われるだけに、風渡に入ってからは声を聴くことは勿論、姿を見ない間が一刻となかった。種類も様々だ。手や肩に乗せたくなる可愛いらしい小鳥から、落つ影に思わず身の竦む大型の猛禽まで、大袈裟に言えば同じ鳥を見ないくらい多種多様なのである。
「お姉ちゃん。放谷が向こうで待ってる。そろそろ行きましょ」
「そうだね。吹きっ晒しに立ち尽くしてたら夏風邪を引いちゃいそう。さ、出発だ」
妹と二人、先行く放谷を手繋ぎ鬼で追いかけながら、鈍色の厚い雲の下、風渡の旅が始まった。
***
片端の里はどこまでも平坦な原野に忽然と姿を現した。初めは錯覚かと思ったものが、近付くほどにポツポツと建物の影を成して、今、私たちは辻の真ん中に立っている。
「街道筋の里なのに住んでる人の数が少ないのかな? ちっとも活気がない」
「確かになー。それでも白守の時よりましだろー?」
そりゃそうだ。白守へは厳寒の真冬に行ったから、結局人とは会わず仕舞いだった。けれど今いる風渡は時期に秋と言ってもまだ夏場。
周りを見れば荒れ地を拓いた畑で汗を流す里人は見かける。その点で、活気がないと言うのは嘘になるけど、街道筋なら過客相手の店や宿がある筈なのに、その手の看板がどこにも見当たらなかった。
「これ、どっか民家に頼んで泊めて貰う感じ? 本当に宿の一軒もないのかな?」
「ちょいと手分けをして見てみるかー」
「なら阿呼はあっちへ行ってみる。しばらくしたらまたここに集合ね」
「おけ、じゃあ解散!」
来た方を除いて十字の辻を三方に別れ、足取りはすっかり散歩のそれ。
だって期待薄だ。里のド真ん中の辻に居て見当たらないものを、このまま里外れまで歩いたところで見つけられるとは思えない。
夏に合う歌を選んで口遊んでいると、畑と道を分ける柵を伝って、黄鶲や雪加がチョンチョンと着いて来た。嬉しくなって手を差し出せば、キョトンと小首を傾げていたものが、その内にピョンと飛び移って、すると後から後から小鳥たちが集まって来る。
「よーし、みんなで一緒に歌おう」
弾みを付けて歌い出せばピーチクパーチク大合唱。畑仕事の里人も曲げていた腰を真っ直ぐに、歌歩きの珍景を眺めている。考えてみれば畑の土をほじくりに来た鳥を一手に引き受けているのだから、私ってば随分と高性能な案山子だ。
ゴチン――。
気分よく歌っていたら何かが強烈に後頭部を叩いた。その拍子に我先と逃げて行く小鳥たち。咄嗟に振り返ったけど何もなくて、間もなくジンジンと熱ぼったい痛みが湧いて来た。
「あたた、せっかく盛り上がってたのに。にしても何が――。え?」
その時ふと気付いた。何って、誰かに手を握られているのだ。それが阿呼や放谷の手なら長い付き合いだから感触で分かる。どれとも違う感触は小さくて柔らかなもの。
「え、誰?」
「おかーたん」
「はい?」
軽く思考が麻痺した。
おかーたん? お母さんのこと? いやいや、私は違うよ?
見れば左手を握る千早姿の少女。背丈は一〇〇糎に届くかどうかで、面立ちを見てもまだ子供の神様に思われた。
「えっと、貴女は誰ちゃん?」
「おかーたん」
困惑――。
ひょっとして相当幼いのかな? 神様は見てくれと実年齢が異なるから厄介だ。私にしたって人の姿は十六、七。でも実際は生れ落ちて三年半。とにかく見た目は当てにならない。
さてどうするか。幸い千早を着ていることから、先ずは御神紋を確かめてみることに。
「うーん、この御神紋は見覚えないなぁ」
図柄は実に奇妙なもので、丸の中に巣からはみ出すサイズの雛が描かれている。風渡の鳥トーテムには違いないだろうけど、どこそこと判断できる要素は見当たらなかった。
「この手のことは阿呼の方が詳しいか……。後で聞いてみよう。――ねぇ貴女、お名前は?」
「おかーたん」
「うん? おかーたんどこ行ったんだろうね? あ、じゃあおかーたんのお名前は言えるかな?」
「おかーたん」
「……そか。おけまる。さてと、じゃあ辻へ戻ろう」
どうすんのこれ? マジで訳分かんないんだけど。てゆーかどっから来た? 空から落ちて来たとか?
ともあれ風声通信で二人を呼び戻し、辻にて集合。当然、二人とも呆気に取られた顔をしなすった。
「え? お姉ちゃん、その子は?」
「分かんない。いきなり現れて、見ての通り手を放してくれない」
「ふーん。おかしな奴だなー。おい、お前なんて名だー?」
放谷が屈んで問いかけると、お子様は私の背に回って、
「おかーたん、おかーたん!」
「はいはい大丈夫だよ。放谷はちょっと離れて。怖がってるから」
しかしなんだこれ? 打つ手がない。
「おかーたん、お腹空いた」
「お腹すいちゃったか。じゃあどっかで……。って、この里はお店がないからなぁ」
「それならお姉ちゃん。向こうに無人宿があったから、そこを借りて食事にしましょ」
ひと先ずは落ち着く先があるということで、私たちは珍客を連れて無人宿へ向かうことにした。
中に入れば無人宿の常で造りは民家と変わらない。この頃は随分と旅慣れていたから、すっかり束の間の我が家といった感覚だ。台所の棚を調べれば一通りの物は揃っている。
「それじゃあ私は竈に火を起こすから、阿呼は使う分の食器や鍋を洗ってくれる?」
「はーい」
「あたいはー?」
「放谷は農家の人から適当に何か買って来て」
「はいよー」
「タダでいいって言われたら、ちゃんと幸をあげるんだよ」
「分かってるー」
そうこうして慌ただしく炊事が始まった。くたびれた犬神神社のレシピ帳を横目に調理開始。
献立は菊芋をメインにした味噌仕立ての野菜鍋。
次いで放谷がふんだんに貰って来た野菜を漬物と合わせて細かく刻み、野菜のふりかけ、やたらを作る。
吸物は貝柱の干物で出汁を取ったおくずかけ風のもの。
他は簡単に葉物のお浸しと蒸かした男爵芋を添えた。
「さぁさぁ、お待たせ。腕によりをかけたから沢山食べてね」
敷台にちょこんと座って待ってた子を囲炉裏のお膳に招いて「いただきます」。
「やたらが美味しい!」
「やたらに旨いなー」
相棒とほくほくしながら白米を掻き込んで大満足。肉っ気がなくて平気かな、とお子様の様子を窺えば、これがまた物凄い勢いで箸を進めていらっしゃる。その勢いたるや、斜向かいの阿呼がひっきりなしにお代わりを付けて、食べる暇がないくらいだ。
「凄い食べっぷりだなー」
「ねー、作った甲斐があるってゆーか、見てる方がお腹一杯になりそうな感じ」
慌てて食べて喉に詰まらせやしないかとの心配も他所に、お櫃もお鍋もあっという間に空っぽになってしまった。
「ごちそーさまでした。おいしくいただきました」
丁寧に食事を終えたと思ったら、そのまま後ろに倒れてスピー。あっという間に寝なすった。
「二人とも、この子どう思う?」
「将来の大物って感じかなー」
「迷子なら送って行ってあげないと」
暢気な放谷とは対照的に、阿呼は甲斐甲斐しく掛衣をかけて、柔らかな胆礬色の髪を撫でながら言った。
「だよね。あ、そうだ阿呼。千早の御神紋からどこの神社か分かったりしない?」
「どこのだろう? 阿呼も全部は知らないから、よく分からない」
「そっかー」
手掛かりなし。寝た子を起こすのも可哀相なので、私たちは後片付けをして寝支度を整えた。
***
翌朝――。
この日は大嶋廻りを一旦脇へ置いて、迷子の親探しをすることに。
お子様は相変わらず私の手を握ったまま、何を聞いても「おかーたん」しか言わない。
昨晩、床の中で相談した私たちは、結論として最寄りの神社へ行くことに決めていた。ご当地風渡の神様に聞きさえすれば、この子も神様なんだから、何も分からないということはない筈だ。
「それじゃあしゅっぱーつ!」
元気よく一歩を踏み出したらビンッと左腕が突っ張って見事にバランスを崩された。振り向けば足から根っ子を生やしたように微動だにしないお子様。
「どうしたの? 今からおかーたん探しに行くんだよ?」
ビッと指差す方向は御鷹の道を大きく逸れた真北。私は阿呼たちと顔を見合わせ、それから膝を折ってお子様と目線を合わせた。
「北へ行きたいの? そっちにおかーたんがいるってこと?」
するとお子様は、
「おかーたんはおかーたん」
と私の目を真っ直ぐに見て言い、次いで、
「おかーたんもおかーたん」
と再び真北を指差した。
訳が分からない。しかし少なくとも、この子自身が示した初めての手掛かりには違いない。
御鷹の道を行くのは終点に八大宮、風渡雲居大社があるからで、大嶋廻りを脇に置くと決めたなら、この子の言う方角へ行ってみるべきなのだろう。
「どっちへ向かったって神社はあるだろうから、構わないよね?」
「うん。行ってみましょ」
「当てのないぶらり旅もいいもんだー」
北へ行けば何があるのか、ともあれ私たちは歩き始めた。追い風、横風、向かい風と、絶え間ない風の合間を縫っては鳥影を追って。
面白いのは道々「お腹すいた」と訴えるお子様の体内時計の正確さ。都度都度懐中時計を開けばお十時、正午、お三時と、寸分の狂いもないと来ている。その上、実によく食べた。昨晩は元より、今朝も目を瞠る食べっぷりだったので、輪違の中は里で仕入れた食材がてんこ盛り。それがみるみる減って行く。果たして旅をしているのか子育てをしているのか。けれど、ピタッと付いて離れない子にせがまれればなんの手間を惜しむだろう。索漠とした僻陬の地を行けば一歩毎に、守ってやらねばという想いが強まった。
そうして三日目。風よけの木立で野宿と朝餉の後片付けをして細道へ戻ると、青髪を引く、目の大きな女神が道を阻んで空から降り立った。
「びっくりした。どちら様ですか?」
「やっと見つけた。辿采ちゃん。さ、おばさんと一緒に帰りましょ」
こっち三人そっちのけでお子様を抱き上げる女神。おばさんと言うからには母親ではないのだろうけど――。
「あのー?」
「あら御免なさい。貴女方も大変でしたね。どうせまた突然押し付けられたのでしょ? 呼子の性とは言え断りもなしに。随分迷惑したでしょう」
「え? あの、話が見えないんですが……。その子は貴女の知り合いのお子さん?」
「ええ、まあ。隣り神社の付き合いです。そう言う貴女方はどちら様?」
「大嶋廻りをしている皇大神とその一行ですね、はい」
「はい?」
「はい。首刈と申します」
「…………はいぃぃぃ!!?」
青髪の女神は大きな口をぱっくり開けて驚きを露わにした。慌てて抱いた子を下ろし、その頭を押しながら自らも深々と低頭。そのままの姿勢で、
「辿采ちゃん、貴女知ってたの!?」
「この人おかーたん」
「おかーたんじゃありません! この方は真神の皇大神ですっ」
「おかーたんだよ?」
「違いますっ! 貴女の本当のお母様はどうせまたその辺で遊び歩いてるんだからっ」
「っ……。うぇぇぇん! おかーたーん!」
始末に負えなくなって来た。
聞けばこのお子様、神名を継世辿采姫命と言って、呼子神社の主祭、不知宅托戸姫命の姫神子。しかも次代を担う珠の子なのだと言う。
「そんな大事な子を放っぽり出して、当の托戸姫は何をしてるの? 遊び歩いてるとか言ってたけど」
「いえ、それが……。呼子鳥は元からそういうものなので」
しどろもどろに言い淀むのは夜余啼戦鬼姫命。随分と物々しい神名だけど、こちらは夜鷹トーテムを祀る夜夜神社の主祭神。
天然パーマなのか、青い長髪はフワッと広がりを帯びて人目を惹く。目も口も大きくて、菫色の唇などは口裂け女かと思えるほど。けれど全体のバランスは整っていた。
「皇大神は呼子鳥をご存知ありませんか?」
「ありませんね。阿呼は知ってる?」
「うん。呼子神社のトーテムで、郭公のことをそう呼ぶのよ」
「ああ、郭公か!」
その名を聞けばカッコウカッコウと童歌が脳裏を過る。鶯や烏同様、鳴き声で分かる鳥の筆頭格だ。かてて加えてその習性にも際立つものがあって、それが托卵。別の鳥の巣に卵を産みつけ、巣立ちまでの世話をすっかり他人に任せてしまう、育児放棄の達人だ。
ん? するとつまり――。
「やられたっ! これって托卵だったのかっ」
三度三度の食事はおろか、十時三時のおやつまで、すっかり毟り取られてけつかるわっ! してやられた! 可愛さ余って憎さ…………いや、辿采ちゃんは普通に可愛いんだよなぁ。
一瞬にして吊り上がった目尻も辿采姫を見れば急降下。
「おかーたん?」
「辿采ちゃんは心配しなくていいよ。悪いのは本当のおかーたんだから」
二人静の色をした円らなおめめに絆されて、すっかり矛先の引っ込む私。
「それにしても戦鬼さん。隣り付き合いならもっと口酸っぱく注意しとかなきゃダメなんじゃないの? 普段から厳しく言っておけばこんなことには――」
「それがそうも行かないもので」
「どうして?」
「既に言いましたけれど、それが呼子鳥の性だからです」
「……むぅぅ」
確かにそうだ。かつて心媛に指摘された通り、寄生、托卵、共食い、果ては子殺しに至るまで、それが生きる為の手段ならこの世界は受け入れる。托卵が呼子鳥の生存戦略である以上、そのことを槍玉に挙げて責めるという訳には行かなかった。
ともあれ留まっていても仕方ないから、先ずは呼子神社まで行こうということに。
***
郭公の鳴く声に誘われて参道を行けば、防風林に囲われた境内は清々として、社殿群の間に間に鳥系の神社でよく見られる櫓や、銅鐸を吊るした鐘楼が並んでいた。
参拝を終えて呼子衆に声をかけると、案の定主祭の托戸姫は不在。
「ご心配なく。既に手は打っておきましたから、じきに現れると思います」
請け合う戦鬼姫の言を容れて、私は案内された離れで辿采ちゃんと手鞠遊びを始めた。阿呼と放谷は托卵事情で浪費した食材を補う為、鳥居前の小さな里へ。
ひとしきり遊んで縁側へ戻り、お手玉を始めた辿采ちゃんを挟んで戦鬼姫とお茶を啜る。
「それにしても、托戸姫は私を皇大神だって知ってたのかな?」
「恐らくそうでしょう。皇大神の手元なら間違いもないと思ったのでは?」
「なるほど、確信犯か――。本当ならお灸の一つも据えたいところだけど、それが習性だって言われたらどうしようもないなぁ」
「確かに。辿采姫は何より大事な跡取りです。ですから托戸姫も預け先に他所の主祭を選ぶことが多いんです。私も既に三回は預かりました」
「三回も!? それはまた……。で、その間托戸姫は遊び歩いといると」
「何分自由な方ですから」
自由過ぎるだろ。どこぞでパチンコでも打ってるんだろうか。最悪な母親像しか浮かんで来ない。
けれども呼子トーテムは八十柱にも数えられる人気のトーテム。主祭筋こそ我が子を神々に託すことが多いそうなのだけど、従神や呼子衆は往々にして人里に子を託す。すると貴重な種を預かる栄誉から、人々は一層信仰を厚くするのだと言う。なんとも不思議なものだなと、感心するやら呆れるやら。
と、そこへ甲高い声が響いて、間を置かず何かが落ちて来た。
ズザーッと玉砂利の上を滑って捲れた土が煙と化す。よろけ様にバサつく羽。それがドロンと化けて派手な黄緑の袖を翻した。
「おかーたん!」
「あいたたた……。あら辿采。貴女一人で帰って来たの?」
「あっちのおかーたんと来た!」
「えっ、あっち?」
我が子を抱き上げる女神の視線がツイとこちらへ向けられた。
「どうも、首刈です」
「…………。おーっほっほ! これはこれは首刈様。あたくしの娘が大変お世話になりましたわ。まさかまさか、手ずから送り届けて下さいますとは、幾重にもお礼申し上げますわぁ。カッコウ! ほら、辿采もお礼を言いまちょーねー」
「おかーたんありがとー」
なんて調子のいい親なんだ。しかも圧が凄くて圧倒されてしまう。反則でしょ、こんなキャラ。
「いえホントにね? 皇大神にお世話頂いたとなれば、この子は言祝がれたも同然でございましょ? 道を行かれるお姿を見止めた時には、これはもう是が非にもと、勢い我が子を投げ付けた次第なのですわ。おっほほほ」
何がおっほほほだ。子供を投げ付けるな! こっちはたん瘤こさえたんだぞっ。
「いや、ちょっとは反省して下さいよ」
「カッコウ!」
むがちん! ふざけた女だな! 如何にも育児放棄するズボラな母親って感じ。習性と呑み込むには無理がある。
「あのねぇ!」
さすがに腹に据えかねて一言だけでも言ってやろうと縁側を立った。その瞬間「危ないです」と袖を引く戦鬼姫。縁側に引き戻された途端にズバンッ――!
落ちて来た時同様に玉砂利の上を滑り転げて行く托戸姫。彼女が元居た場所には羽根飾りの美少女が立っていて、その腕にしっかりと辿采ちゃんを抱き抱えていた。
「おかーたん?」
「違います。貴女の母親なら向こうで尺取虫みたいになってるわ」
美少女はスタスタとこちらへ来て、私と戦鬼姫の間に辿采ちゃんを座らせた。それから一歩下がって奇麗なお辞儀を披露して、
「皇大神にはお初にお目にかかります。この身は真白斑の神座を預かります、反天逆躍千羽姫命と申します」
「あ、どうも。初めまして」
呆気に取られて棒読み挨拶。すると千羽姫、藤黄の瞳をギラッと光らせて、
「どうも? 格の違いがあるとは言え、初対面の挨拶にどうもではおかしくありませんか?」
「あ、はい、御免なさい。初めまして、首刈です」
こわっ。何この娘? 突然降って来て当社の主祭を吹き飛ばしたと思ったら、今度は私の不挨拶に鋭い切り口。礼を失したと言われればそうだけど、何しろ威圧感が物凄い。
「よく来てくれました。千羽姫」
「いいえ、戦鬼様。貴女からの風声様通信に驚いて、文字通り飛んで参りました」
風声様通信? 風声通信でよくない? ひょっとして風声媛大好きっ娘なのかな? 見れば左流しの髪に片目を隠す髪型といい、羽根の外套を羽織る姿も風声媛にそっくりだ。風声媛に憧れて真似をしているのだろうか。
「えっと、戦鬼さんが千羽姫を呼んだの?」
「はい。何事も道理を重んじる千羽姫なら、此度の托戸姫の不心得にも、筋目を通して貰えると思いまして」
「筋目?」
チラと窺えば千羽姫は厳しい目付きで頷いた。
「子託しは呼子の習いですが、それをしても大嶋廻りでお忙しい皇大神に託すというのは常軌を逸しています。こちらへ渡る途中、運よく見付けたので捕らえて参りました。皇大神の前で欠片の殊勝でも示すならそのまま引き返すつもりでいたのですが、托戸姫と来たら先刻の悪びれない態度。皇大神もご立腹のご様子と見て、追い撃ちをかけた次第です」
「な、なるほど」
真白斑は鷹トーテム。矢の如き鷹の攻めを受ければ郭公なんかひとたまりもない。チラッと托戸姫の様子を窺えば、折もよく尺取虫のお尻を揺すってガバッと立ち上がった。
「参りましたわぁ。あらあら、こんなにも土埃に塗れてしまって。あたくしの美貌が台無しですわぁ」
よれよれの足取りでゴージャスな胆礬色の髪もボッサボサ。それでも笑顔を崩さないのだから、なんともまぁ神経の太ましいお方だ。
「千羽ちゃんってばもう少しおしとやかにしないと、殿方がみんな逃げて行ってしまうわよー?」
「大きなお世話です。それよりも、皇大神に対する非礼をお詫びしたらどうですか」
「あら、非礼だなんて嫌だわぁ。カッコウ! 首刈様だって辿采と過ごせて楽しかったのでは御座いませんこと?」
「それはまぁ、確かに」
「ほらほら! こう仰って下さるんですもの。それをお詫びだなんて、それこそ鶍の嘴と言うものですわぁ」
「貴女ねぇ!」
「あら怖いわぁ。ささ、辿采、怖いお鷹様がいるからお家へ引っ込みましょ」
娘を抱き上げクルリと反転。けれど去るかと思った足が中々遠ざからない。
「首刈様。もしもよろしければ風渡滞在中は辿采をご一緒させて頂けたり――」
「しませんね」
「カッコウ! あらあら、残念ですわぁ。それでは皆々様。ごゆるりとお過ごし下さいませですわ。ほら、辿采もちゃんと御挨拶して」
「はーい。またねー、おかーたんたちぃ」
母神の肩越しにぶんぶん手を振る辿采ちゃん。その愛らしさに釣られて手を振り返しつつ、私ははたと気付いて千羽姫を見上げた。
「ひょっとして千羽姫も?」
「はい。二度ほど押し付けられたことがあります。本当に質の悪い習性です」
「ホントだよね」
仮親経験者が三柱並んでうんうんと。それでも手を振り続けている辿采ちゃんを見れば目尻は下がって、実に締まりのない空気が辺りを漂った。




