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大嶋廻り余話005 -静止する世界-

 この世の地獄というものは存在するか。


 分からない――〇二%

 ないと思う――〇三%

 白守で見た――九五%(大嶋廻り一行調べ)


 もういい加減にしろってくらい吹雪く。息まで凍るから鼻息が霜を張って、瞬く間に氷柱つららになる。

 視界は真っ白。真っ直ぐに歩いてるつもりでも、本当のところは最早分かりようもない。これが山中ならまだしも、今いる場所は雪原で目印なし。そもそも吹雪のせいで見渡せるほど視界が開けてない。

 私たちは虎と一夜を共にしたあの日から、既に三日、雪原を彷徨っていた。その間一度として晴れ間はなく、昼も夜も吹雪。今やホワイトアウトした世界に投げ出され、完全に道を失っていた。

 勘を頼りに北を目指し、暗くなる前にかまくらを作って退避。その繰り返し。霧降山登山なんかとっくに諦めていたし、とにかく霧の通路かよいじの終点にある鵠宮くぐいのみやに辿り着くことだけを考えていた。


「もー無理だー!」


 隊列中央で放谷が叫んだ。神宝の深沓を履いている私たちと違って、放谷はかんじき。一歩一歩が重く圧し掛かるから、傍で見ていてもその辛さが分かる。


「おっけー! 今日はここでかまくらを掘ろう。阿呼、お願いっ」

「はいっ」


 かまくらを掘る。

 今の状況でぽっこり小山型に作るのは無理だから、地面の雪を掻き出して穴蔵を作るのだ。作業は至って簡単。先ず阿呼の風呂吹ふろふきで雪面を溶かし、適度な縦穴を穿うがつ。

 次に私がそこへ入り込んで横穴をザクザク掘る。この時、手だけを狼に移姿うつし乱断あやたちの御業をかけ、エ〇ム街の悪夢みたいになった爪でスピーディに掘り進む。縦穴に掘り出した雪は阿呼がどんどん溶かして行くから邪魔にはならない。

 こうしてできた横穴式かまくらに動けなくなった放谷を引っ張り込み、雪で穴を塞げば完成。空気穴は天井の隅に二ヶ所設けて、時折詰まった雪を取り除く。明かりは昔、神庭こうにわの街で購入した風防付きのランタンだ。

 雪は加工しやすいから、手間さえ惜しまなければ、それなりに快適な空間が確保できた。


「放谷、大丈夫?」

「もー懲り懲りだー。毎日こんなじゃ、あたいもうもたないよー」


 放谷は蜘蛛だからなのか、気温が氷点下の一定域を越えると突然体が動かなくなった。

 昆虫の場合、体液に氷核物質を含む凍結耐性型と、元より凝固しない過冷却能力を備えた凍結回避型がいて、寒冷地の生存に適応している。それらを持たない種は渡りをして温かい土地へ移動したり、或いは一年性で、冬を越さずに生涯を終える。

 放谷にも低温耐性はあるようだけど、白守の寒さが完全に上回ってしまっているのだろう。私には氷点下の気温を測る能力なんてないけれど、吹雪の中は半端なく寒い。過日目撃した小耳猫マヌルネコはマイナス五十度まで活動できる種だから、最悪そこまで落ち込んでいるということもあり得た。


「放谷って真神の冬はどうしてたの?」

「じっとして寝てたー」


 クラッと来た。要するに放谷は冬場活動しない冬眠型なのだ。何故それをもっと早くに言わない。計画段階で言ってくれてたら、今回の雪中行軍も再検討したり、適切な対策を講じるなどできただろうに。けれど今更それを言っても仕方ない。


「どうする? 緊急措置――。取る?」


 私は二人の目を順々に覗いた。

 緊急時の手段は当然考えてある。輪違わちがいを茅の輪にして白妙三冬神社や、より南方の神社に撤退してもいい。或いは風声みさを通信で南風はえさん辺りに連絡を入れ、迎えに来て貰うというのもありだ。

 二人の内どちらかでもギブアップと手を上げたなら、私は迷わず緊急回避手段を取る。でもそうでないなら、一から自分たちだけで計画した今度の踏破計画を、是非とも完遂したいと願っていた。


「阿呼はまだ頑張れる。でも、放谷は辛そうよ」

「いやー、いいよー。でも、こうやって体が利かなくなるからー、あたいもう蜘蛛に戻ってじっとしてるー。懐にでも入れて連れてってくれー」


 自分はリタイヤするけどパーティはリタイヤさせない。そういう決断を放谷は下した。

 あの日、石舞台に馳せ参じて、旅のお伴に名乗りを上げた放谷。それを思えば本人もほぞを噛む思いだろう。

 私は余計なことは一切口にせず、「分かった」とだけ答えた。




 ***




 クゥーー、クゥクゥクゥ――。


 一瞬の晴れ間を突いて低く低く、私たちの目の高さを白鳥の群が飛んで行った。


「お姉ちゃん、見た!?」

「うん、あの方角だ! 阿呼、吹雪くまでにできるだけ距離を稼ぐよ!」


 神宝の深沓に託して雪の上を全力で走る。この白守で白鳥の行く先は一つ。彼ら自身が祀られているくぐいトーテムの三宮、鵠宮くぐいのみやを除いて他はない。

 晴れても風は強い。

 気温も大して上がらない。

 そうなると雪原に風紋が浮かび、地吹雪が押し寄せて来る。だけど負けるか。この晴れ間だってそうは続かない。今進まずしていつ進む。


「阿呼ー! 向こうに霧降山が見える!」


 走りながらぐるりを見渡し、見つけた目当てに指を差す。

 この日は放谷がリタイヤしてから二日目。今や後方に見える山の位置からすると、私たちは吹雪の中で大きく道を西に逸れ、丁度、霧降峠を迂回する形で進んでいたことが分かった。

 山の位置。白鳥の飛び去った方角。これらの情報から、ほぼほぼ正確に割り出せた現在地。やがて再び吹雪が始まったけれど、こうと針路の定まった私たちは、めげることなく歩き続けた。


「お姉ちゃーん! 待ってー!」


 進め進めと躍起になって前ばかり見ていたせいか、いつの間にか阿呼との距離が開いていた。着込んだ毛皮のせいか子熊に見える阿呼は、何故だか両手に大きな雪玉を抱えている。何をやってるのかと迎えに行けば雪玉の正体は白鳥。


つまづいたら白鳥さんが凍えてたの」

「それは大変だ。湧魂わくたまは?」

「もうかけた。お姉ちゃん、あれ」

「おん?」


 阿呼の目線を追うと、さっきまで私がいた辺りに何かが見える。吹き付ける雪に覆われたそれはすっかり背景に溶けていて、けれどもよくよく目を凝らすと鳥居だと分かった。


鵠宮くぐいのみやだ! きっと一の鳥居だよ。行こう!」


 半分は雪に埋もれているのだろう。私たちは低くなった棟木の下を潜り、次の瞬間、嘘のように静かな世界の中にいた。


「ふわーっ! 晴れてる! これってどうなってるんだろう?」

「阿呼分かる。風の御業には天気を操る力があって、きっとこの御神域はそれとおんなじ力で守られてるの」


 なるほど。風象祈ふうしょうきと呼ばれる風の御業の系統には、風雨雷雨を操るように天候を左右するものが確かに存在する。

 やがて二の鳥居を潜ると、気温もグンと和らいで、氷の張っていない湖に数千羽、いや、数万羽はいるかと思われる白鳥の群。中には他の水鳥たちも混ざって、みんな楽しそうに戯れていた。


「凄い……。ここは真冬のオアシスだね」

「うん、水面が光って奇麗。あっ……」


 バサッと羽音を立てて、阿呼の腕から白鳥が飛び立った。


「よかったね。あの子、仲間とはぐれずに済んだよ」

「うん。ここなら春まで安心ね」


 それにしても彼らはどうして、こんなにも寒く厳しい土地に生きることを選んだのだろう。答えのない問いは目の前の光景に溶かされて、私たちはそのまま、時も忘れて立ち尽くしていた。




 ***




 三宮の参詣を終えた私たちは一晩のねやを借り受け、直ぐにまた次の旅支度にかかった。

 鵠宮くぐいのみやの主祭は不在。なんでもこの時期は、お宮を目指して北上して来る眷属の誘導に忙しいのだそう。あれだけの数が更に増えるとなれば納得だ。

 本来、白鳥は冬季になると温暖な南へ渡って行く。けれども神域の過ごしやすさを知っている一部の眷属は、悪天候を押して北を目指す。鵠宮に集まる白鳥の多くは、野飛、青海、黒鉄から長旅をして来ると言う。

 私たちは白鳥衆に見送られて白雪のみちへと踏み出した。白鳥衆からは散々止められたのだけど、いざという時の避難手段はあるからと説得して、どうにか袖を振り解いた形だ。

 白雪の途は長い。途中、私の名前と同じ読みの末枯すがるの里があるけれど、そこまでで霧の通路の全長ほどもある。更に先へ進めば途中、海を渡って二宮である企鵝宮きがぐうを終点としていた。

 私たちは道なりには進まず、末枯の里から北東に逸れて一宮を目指す。三冬山脈でも最も険しい氷柱山系の山中へ分け入り、最北の社へ。


「阿呼、放谷、心の準備はいい?」

「阿呼は準備万端よ」

「おー、あたいもこれならなんとかなるー」


 三宮で復活した放谷は、今や完全に着膨れの達磨さんと化していた。その格好で白鳥衆が用意してくれたそりに乗り込み、それを歩くに不自由のない私と阿呼が曳いて行く。まるで主人が曳く犬橇だね。わははっ。

 無論、放谷一人に楽をさせようとの考えではない。放谷には移動をしない代わりに橇の上から御業をかけて貰う。全員をすっぽり覆うサイズの風衣かざごろもで、雪と風の猛威から守る役目だ。

 ここから先は相当厳しい行程になる。

 前夜、地図と睨めっこして過ごした私は、夜刀ちゃんから取り寄せた資料を元に引いた緯度線を何度も確かめた。

 霧降峠で北緯六〇度。これは地球で言えばフィンランドの首都ヘルシンキに相当する。目指す一宮は六八.五度。それはアイスランドのレイキャビクすら越えた、思い浮かぶ都市の名もない場所だ。

 このように単純に照合しただけでも益々の寒さが思われるけど、地球と楓露では地形、海流、気象、全ての条件が異なる。

 白守に入って悟ったことは、この地の寒さが異常だということ。最早極地気候に近いのではないかとすら感じられる。ここまででそう思うのだから、ここから先の危険は相当なものだろう。


「そりゃジーノスやバースタンを誘っても来たがらない訳だよ……」

「お姉ちゃん、何か言った?」

「んーん! なんでもない」


 名うての調査員である二人が、自らのトーテムに参詣できる機会をフイにしてまで断った事実が思い返される。きっと命知らずにもほどがあると思ったんだろうね。ほんと、今になればその気持ちが手に取るように分かる。


「さぁ、行こう」


 襟巻を口元に引き上げ、肩に担いだ引き綱を固く握った。


「うん、がんばろっ」


 妹の笑顔が緊張に固まった体をほぐしてくれる。


「しゅっぱーつ!」

「おー!」


 綿々霏々(めんめんひひ)と絶え間なく降る雪が、風の膜に遮られて脇へと流されて行く。気温の低さはどうしようもないけれど、膜を越えて来る風はそよ風程度だから、体感温度の低下は防げた。


「いいじゃんこれ! 行けるじゃん!」


 出だしは好調、足取りも軽い。放谷には大分着込ませたから、限界が来るにしても当分は持つだろう。白鳥衆からは温石おんじゃくまで貰ったし。

 そうそう。白鳥衆と言えば、雪に埋もれた白雪の途をどう辿ればいいかも教えてくれた。

 目印は樹氷じゅひょうだ。

 白雪の途は長い長い林道。道の両脇には豪雪に埋もれた木々が並んでいて、その突き出した突端が雪っ被りの樹氷になって現れる。だからその間を進んで行けば、道を外れる心配がなかった。ただし、ホワイトアウトすれば視界はないも同然。その時に道を外れてしまえばアウト。

 鵠宮から末枯の里までは、夏場なら八日で踏破できる距離。今のペースを維持できれば、十日以内には着けるだろう。それ以上かかって里に着かなければ迷子になったと見るべきだ。

 不安な点はもう一つ。霧の通路では蓬の関、霧降峠などのポイントがあったけれど、白雪の途にはこれと言ったポイントが存在しない。何かあってもそうした目印を頼りに立て直すのが困難な道だった。

 私たちは些細なことでも報告し合って、慎重に進んだ。雪に埋もれた無人宿を見付ければ潜り込み、見つからなければかまくらを掘ってやり過ごす。ここらに宿があるだろうと、道を外れてまで探しに行くことはしなかった。

 放谷は毎日、中盤から終盤にかけてリタイヤした。けれどそれまでは風衣に守られて弛まぬ足取り。中々のペースで進んでいるなと、日に日に自信が芽生えて行った。


「雪の進軍!」

「二ばーん!」



 かぬ乾魚ひものに 半煮え飯に


 なまじ生命いのちの あるの内は


 こらへ切れない 寒さの焚火


 けぶい筈だよ 生木がいぶ


 しぶかほして 功名談こうみょうばなし


 いとふのは 梅干ひとつ



「続けてー!」

「三ばーん!」



 着のみ着のまま 氣樂きらく臥所ふしど


 背嚢はいのう枕に 外套がいとうかぶりゃ


 背なのぬくみで 雪()けかかる


 夜具の黍殻きびがら シッポリ濡れて


 結びかねたる 露營ろえいの夢を


 月は冷たく かほ覗きこむ



 こんな風に歌を歌う余裕まで生まれて、他にも雪山賛歌やスキーを繰り返し歌いながら、吹雪け嵐と意気盛ん。

 そして迎えた九日目。もう夜ばかりが長くて、昼間はほんの数時間。ペース的にはひょっとしたら里が見えて来るかもと、私たちは常より慎重な足取りで進んでいた。

 空模様は代わり映えもなく吹雪。できれば放谷が氷点下の気温に負けない内に里を見つけてしまいたい。無人宿は雪に埋もれていたけれど、里なら除雪をしてるだろうから、家屋の影も目立つ筈だ。


「見えないね。この辺じゃないのかなぁ」

「心配しないで、お姉ちゃん。ちゃんと樹氷の間を進んで来てるし、今日見つからなくても明日には見つかると思う」


 この時、私は口に出さなかったけれど、既に通り過ぎてしまったという線もあるのでは? と感じていた。これだけ吹雪いている中だ。見落としの可能性は否定できない。


「おーい。なんだか雪が弱まって来てないかー?」


 空を見上げると降る雪が随分と細かくなっていた。手袋の上に掬えば奇麗な雪の結晶。つの花だ。


「ねぇお姉ちゃん。どうして雪はこんな形になるの? どれも形が違ってて不思議」

「どうしてだろう。こればっかりはお姉ちゃんにも分かんないなぁ」


 その時、耳の奥で何かがキンと鳴って、はたと雪が止み、風の音もしなくなった。そして急激な冷え込み。


「や、やばいやばばい、これれやばばいよよよ、さぶぶぶ――」


 直感的に分かった。

 一の冬が終わって二の冬が来たのだと。

 二の冬は全てを凍り付かせる静寂の世界――。


 私は咄嗟に阿呼を抱きしめた。その動きすらスローモーション。そりを見れば不動の放谷。けれど服が固まって形を残してるだけで、放谷自身は蜘蛛に戻ってしまっているだろう。


「あああこやや、ふふろ、ふろろふふ、ふき、ふききき――」


 歯の根がまったく合わない。あと五分でもこのままなら確実に死ぬと思った。

 私は全力を振り絞ってのろのろと阿呼を摩り、少しでも温めて御業を紡いで貰おうと頑張った。

 阿呼は無言だったけど、意図を察して集中していたのだろう。直ぐに足下が溶け出して、互いに引き綱を握ったまま、滑り台のように斜めになった雪洞へと滑り降りた。後から放谷を乗せた橇が勢いよくぶつかって来たけど、そんなこと気にしている場合じゃない。全員揃ったところで速攻穴を塞ぎ、輪違わちがいから一番大きなお鍋を出して雪からお湯を沸かした。


「今のはやばかった――」

「阿呼、あのまま樹氷みたくなっちゃうのかと思った」

「あたいも、一瞬でなんにも分からなくなったなー」


 手湯をして体を暖めながら、別の鍋を出して適当に煮込み料理を作る。


「ごめんね、阿呼。もうずっと阿呼に頼りっぱなしだ」

「いいの。阿呼は役に立てて嬉しい」

「あたいらも温める御業を覚えなきゃなー」


 ほんとそれ。でも、こんな風に凍えてちゃ、とてもじゃないけど暖かい想起なんてできっこない。


「でもー、あたいはここまでだなー」

「え?」

「この先は二人でどうするか決めてくれー。あたいはもう、蜘蛛になってじっとしてるー」


 言うなり小蜘蛛になって、放谷はもそもそと私の懐に潜り込んだ。それっきりウンともスンとも言わない。


「…………。阿呼、どうする? ここで諦める?」


 阿呼はしばらく黙り込んで、それからゆっくりと首を横に振った。


「さっきはびっくりしたけど、これが二の冬ならまだ始まったばっかり。明日も明後日もこうとは限らないでしょ? 阿呼は明日また様子を見て、それから決めるのでも遅くないと思う」

「そっか……。そうだね。せっかくここまで来たんだし、結論は明日の様子を見てからにしようか」

「うん」


 放谷のリタイヤは残念だ。それでも一宮の近くにまで来ていることは間違いない。あと少し、阿呼と二人で頑張ろう。そう心に決めて、私たちは抱き合うようにして眠った。




 ***




 翌日、朝になったかどうかも分からない暗さの中で、私と阿呼は雪原を見渡していた。


「昨日みたいに寒くない。雪も風もないよ」


 妹の言う通り、空には鉤雲が棚引いて、その向こうにキラキラと冬の星座が見えている。

 懐中時計では朝の八時。空は濃い藍色で、気温もマイナス二、三十度くらいだろうか。寒いことは寒いけど、動きが止まってしまうほどではなかった。


「山影も見える。末枯の里は見つからず仕舞いだったけど、あの山を目指して行けばいいよね」

「うん。いつ冷え込むかも分からないから、今の内に行こ」


 先に立つ阿呼に続いて、私は黒い稜線を見渡した。すると遠くに天に突き立つ柱のような際立った山影。


「阿呼、きっと向こうに見えてる高い山が氷柱山だよ」

「ほんとだー。すっごく高い山ね」

「一宮はもっと南だから、この分ならどうにか辿り着けそう」


 音のしない静かな世界。物言わぬ樹氷の中を付かず離れず姉妹で歩く。

 やがて山裾に差しかかり、しゃがんで掴めば柔らかな雪。夜刀ちゃんから貰った深沓がなければ一歩たりとも登れはしなかったろう。


「だんだん明るくなって来た。あっ、見て、お姉ちゃん! あそこで何か光ってる!」


 振り仰げば、低い太陽の光を浴びて柱状に輝く微細な氷霧。


「ダイヤモンドダストだ……。うわー、奇麗だねー」


 氷の精霊たちが舞い踊る煌めき。それは白守の冬が見せた極上の自然美。ここまで頑張って来た私たちへのご褒美だ。放谷にも見せてあげたかった。


「なんだか泣けて来ちゃう」

「だめよ泣いちゃ。すぐに凍っちゃう」

「あはは、確かにっ」


 それから一時間もせずに太陽は沈んで、尾を引く薄暮から真っ暗な夜へ。

 私たちは山に入ってから二度かまくらで過ごし、ついに夜が明けない世界へと踏み込んだ。

 二人でいても心細くて、繋いだ手を放さずに歩く。

 寒さは常時、限界に近い。

 どこかで雪崩の音がするたびに足は止まり、次の一歩を踏み出すのが怖かった。


「あっ!」

「きゃあ!」


 稜線へ出た。そう思って見渡しのいい際まで進もうとしたら、途端に足下の雪が傾いて、私たちは足場ごと向こう斜面に落っこちた。

 雪庇せっぴだったのだ。

 しまったと思ってももう遅い。六畳敷きほどの雪板は私たちを乗せたまま斜面を滑降。もの凄い勢いで山肌を滑るから、落ちないようにするのが精一杯で飛鳥あすかで逃げ出す余裕もない。何度も跳ねながら一気に山裾まで下り、最後は大きな岩に当たって砕け散った。

 私も阿呼も高らかに宙へと投げ出され、束の間、まるで冬の星座が落ちて来るような視界。それから固い締雪しまりゆきの上に叩き付けられ、そのまま気を失ってしまった。

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