大嶋廻り余話003 -草原の大団円-
作中曲「野飛の歌」のDLリンクはメモ書き(https://ncode.syosetu.com/n5560gr/1/
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吾亦紅が揺れていた。
晴れた秋の柔らかな風がそよぎ、渡る尉鶲の群からは鈴生りの声が降って来る。
「この草原は、どこまでも美しく澄んでいるね――」
「お姉ちゃん。そういうのは現実逃避って言うのよ」
「……はい」
あれから三日。私たちは果てもない草原を彷徨い続けていた。
川筋の読みを違えたと悟った時には日が暮れていて、翌日は太陽を背に馬鈴川を目指して北へ。けれども川はおろか瀬音すら聞こえず仕舞い。再び夜を跨いで今日、最早地図と睨めっこをしても凡その現在地すら分からなくなっていた。
「お腹空いたねぇ」
「うん。奥所無で買ったおやつは馬車の中で全部食べちゃった。それからなんにも食べてない」
そう言う割に阿呼は平気そうな顔をしている。
狼だって毎日の狩りを成功させてばかりじゃないから、数日食べないなんてことはザラだ。でも私は無理。毎日三食上げ膳据え膳。黙っていてもご飯が出て来る前世だったし、楓露に転生してからこっち、生活の違いにも慣れては来たけど、絶食三日はさすがに辛い。
「よし、狩をしよう」
阿呼はそうだね、と頷いた。放谷はここ三日、ちょくちょく小蜘蛛に戻って狩をしていたから、空腹ということはなさそう。たまに口元に飛蝗の足とかが付いてて、そのたびにギョッとさせられた。
「でもさ、鳥はどこにでもいるけど、馬や鹿はほとんど見かけないよね?」
「うん。でもほら、あそこに土拨鼠がいる」
短草の野っぱらに遠く影を並べているのは草原土拨鼠の一家だろうか。二本足立ちして周辺の安全を確認しているみたいだ。彼らを狩の対象に想定した時、私の頭の中には一家惨殺の文字が浮かび上がった。
「あれはよしとこう。家族団欒の最中だもん。お邪魔しちゃ悪いよ」
自分でも言い方がおかしいとは思ったけれど、真神の象徴である団欒のキーワードが効いたのか、阿呼は素直に頷いてくれた。
続いて目撃したのは子守鼠。なんか矢鱈とモコモコした生き物が歩いてるな、と思ったら、体中にびっしり子供を貼り付かせたお母さん鼠。どっからどう見ても家族でピクニックを楽しんでいるようにしか見えない。
「あれも、やめとこう」
「うん、家族団欒ね」
「あっちの藪になってる場所はどうかな? 藪牛とかが隠れてるかも」
「行ってみよ」
「おけ。おーい、放谷ー、移動するよー!」
「はいよー」
ドロンと狼になって遅れて来た放谷を乗せる。小蜘蛛になった放谷は私の頭頂に陣取った。
近付いて行くと藪は入り組んでいて、棘付きの枝がチクチク刺さる。しかも苦労の甲斐なくこれといって匂いはしない。それでも足音を殺し、風下から風上へと獲物を探し回った。
「うーん、残香はあるけど、ここにはいないみたい」
残念、と尻尾を垂らして、来た方と反対側に藪を抜けた。広がっているのはそろそろ食傷気味になって来た代わり映えのない野っ原。
「おい首刈ー、すぐそこに穴があるー」
「おん?」
見れば土が剥き出しの場所にぽっかりと開いた穴。私や阿呼でも十分潜り込める大きさだ。
「何かの巣穴かな?」
「兎さんにしては大きいと思う。なんだろう?」
「臭いはしそーかー?」
「うんにゃ、しないね。土を浴びて臭いを落してると思う。そもそも蛻の殻ってことも……」
覗き込むように鼻面を近付けて行くと多少の獣臭を感じて、もっと詳しく嗅ぎ分けようと、穴の中に頭を突っ込んだ。
バチコーン――!!
「あだっ!?」
穴の奥からボーリング玉でも飛び出して来たかと錯覚する重たい衝撃。
「ブヒン! ブガガガッ――」
仰け反った首元に追い撃ちを受けてひっくり返る私、皇大神。
「お姉ちゃん、大丈夫?」
「だいじょばない……。鼻血出た。今の何?」
「土豚か疣猪だろーなー」
してやられた。逃がした豚肉は大きい。
身を捩って立ち上がると、血の滴る鼻頭に阿呼のお鼻がピトッ。そこから星霊が流れ込んで来て治気の御業に癒される。あとは自前の清水で血を洗い流せばスッキリ。でもこれ、もし私が普通の狼だったら、鼻腔に充満する血の匂いで狩はおじゃんだよ。
「ありがとう、阿呼」
「気を付けてね」
「うん」
がっくりと肩を落し、獲物が逃げ去った方向に未練がましい視線を向ける。今のしくじりで増々お腹が減って来ました。
「お姉ちゃん」
「うん?」
「おっきな羊さんがいる」
「!!」
押し殺した声で身を伏せる阿呼。私も直ぐに草場に伏せて獲物を探した。
「いた。でも一頭だけ? 羊って群れるイメージだけど、野生は違うのかな?」
「分かんない。でも阿呼、羊さんのお肉が美味しいのは知ってる」
奥所無で食べた羊肉の料理が余程気に入ったのだろう。阿呼は口の端から垂れる涎を隠そうともしなかった。野飛に入って以来、随分と野生が解放されて来たみたい。
「よし、先ずは風下に回って大きく二手に分かれよう。狩に御業はご法度だから、放谷はそのまま頭の上で物見役ね」
「おー、たまには狼の狩を間近で見物したいしなー」
狩は生きることを本義とする全ての生き物にとって神聖だ。よって神であろうと御業で優位に立とうとは考えない。お互いの命をぶつけあって、勝った方が生き抜く権利を得る。そういう戦いだ。
放谷は本来の姿が掌に乗るサイズの蜘蛛だから、大きくなったりした時点で反則。なので元の大きさで私に引っ付いてて貰う。蜘蛛は蜘蛛で狩をして貰ってもいいんだけど、私たちの腕前を見たいと言うのだから、特等席で見て貰おう。
「今日は阿呼が仕留めてみる?」
「いいの?」
「うん。お姉ちゃんはサポートに回る」
「分かった。じゃあお姉ちゃんが先に仕掛けて、阿呼の方に追い立ててくれる?」
「了解!」
いつもは私が仕留め役で、阿呼が補佐なのだけど、ここへ来てずっと野生っ気づいてるから任せてみることに。
獲物は立派な螺旋角を持つ大柄な羊。黙々と草や木の新芽を食べている。角があるからといって羊の場合、雄であるとは限らない。とにかくあれで反撃されたら痛そうだ。私は背後を取るように大きく回り込んで行った。
(よしよし。油断と隙しかないね。このまま仕留められそうだけど、今日の主役は阿呼だから――)
と、その瞬間風が変わった。空気が空気を読んでくれない!
突然風上に置かれた私は、それでもここで音を立てて動く訳には行かない。ジッと身を伏せてやり過ごそうとするのだけど、果たして羊は異変に気付いた。
羊は私の匂いを感じてか、しきりに首を振って角をアピール。神経質に周辺を警戒し始めた。蹄を掻いて音を立て、反応がないかと窺っているようだ。
「どーすんだー? 行かないのかー。あいつ、逃げ道を探してる風だぞー」
放谷の直感は鋭い。考えるより感じるタイプだ。私はその勘に従うことにした。
「ガウッ――!」
ひと声吠えて走り寄る。追い立てるのが役目だからこれでいい。羊は一度、横長の瞳孔で私を睨むと、直ぐに身を翻し、私たちがさっきまでいた藪の方向へと走り出した。それを横合いから飛び出した阿呼が横倒しに圧し掛かる。けれども相手はやたらと体格のいい羊。力任せに立ち上がってまた走り出した。
「阿呼!」
「はいっ」
姉妹揃って獲物を挟み込むように追い縋る。
あと五米、
あと三米、
あと一米、
今っ!!
「逃がすかっ」
「捕まえたっ」
両側から尻たぶに喰らい付いて、二頭の重さで羊の後ろ半身を崩しにかかる。だかしかし、
キャン、キャン――。
仔犬の声ではない。狼に近い種、例えば野干が警告を発する時の、鋭く刺すような声だ。私も阿呼もハッとして獲物を離し、声の方を振り返った。
いる。
草場に紛れて背を低くしているのは小柄な狼――藐狼だ。
私も阿呼も一瞬カッとなった。狩に集中して野生に帰っていたところを邪魔されたから、感情が先走った格好だ。けれども次の瞬間、その警告の意味をまざまざと理解させられた。
ヒュン――。
飛来した影がズブリッ、私の下腿に突き刺さった。
「ギャギャン! いったーーい!!」
見れば鷹羽の矢。
慌てて矢の飛んで来た方向を探ると、弓を構えた人間が二人、こちらへ向かって駆け込んで来る。距離はまだ二〇〇米と遠い。一人は弓を構えるのをやめて大声で騒ぎ始めた。すると逃げた羊がそっちへ走って行くではありませんか!
「何よもう! 放牧の羊だったんじゃない。道理で隙だらけな筈だよ、はぐれだったんだ」
「お姉ちゃん、早く逃げなきゃ」
この場合、阿呼の言う通り逃げるのが正しい。神だからと、人の姿になって正体を現せば、確かに人間たちはそれ以上矢を放っては来ないだろう。けれど、そうなった場合、今度は神が人間の家畜を襲うのか、という疑念が生じてしまう。知らなかったとはいえ、私たちが家畜を殺そうとした事実は変わらない。それを目の当たりにした人間たちは、以降、狼トーテムに対してよくない感情を持つようになるだろう。そして仲間の元へ帰ればその話を広めることにもなる。
私は即座に期尅で四肢を強化し、矢を咥えると同時に筋肉を締め上げて強引にへし折った。
「急ごう!」
痛みを堪えて全力で逃げる。逃げる私たちに並走して、さっきの藐狼が付いて来る。
普通、藐狼は体格差のある狼を見たら逃げ出すものだけど、助けてくれた上に付いて来るのだから、私たちも妙な親近感が湧いて、逃げながらもどんどん幅を寄せて行った。すると――。
「ねぇねぇ、貴女ってもしかして首刈様?」
まさか言葉を発するとは思わず面喰った。要するにこの藐狼は神様だったのだ。
「え? あ、はいっ」
「やっぱり!」
返事をすれば図に当たって嬉しそうな藐狼の神様。スッと先立って案内に立とうと言うのか、どこへかは知らず、私たちはその後を付いて行った。
***
緩やかな傾斜の野辺に、ぽつねんとその祠はあった。
奥所無の里から延々と続いていた景色は見違えて、色濃い緑に覆われた傾斜地。
「ここってどこなの?」
「ここはもう長首大原だよ」
「長首大原!? え、私たち奥所無から頬桁原に入ってって、それで………。え?」
祠で一息つき、阿呼の手当てを受けた私は、なんの気なしにの問いに予想外の答えを出されて混乱した。
「首刈様たちが狩をしていたのは氾濫原。だから長首大原でも他とは景色が違ってるの。頬桁原はもうずっと西の方だよ。ここは鹿放里の里に近い辺りだもの」
地名を言われても直ぐにはピンと来ない。私たちは人型に戻って地図を覗き込んだ。そうして見つけた場所は奥所無の遥か南東。距離からすると、例の舟形馬車で寝ている間に、相当な距離を流されていたことになる。
しかし驚いてばかりもいられない。何より先ずは恩人への挨拶だ。
「この姿では初めまして。私は首刈。こっちが妹の阿呼で、隣りはお伴の放谷。さっきは警告してくれてありがとう。助かったよ。それで貴女は?」
人型の姿は私よりも小柄。顔立ちは大人びて、くっきりと吸い込まれそうな本紫の瞳。髪色は毛並みに似た榛摺色。薄い肌が引き立つ萩色の紅を引いて、蠱惑的という表現がピタリと当て嵌まる印象だ。
亜麻色の千早に東雲色の袴を合わせて、被服の方は落ち着いた装い。御神紋は逆さに立てて巻いた尻尾に稲穂が絡む穂垂尻尾紋。初めて目にする御神紋だった。
「私は吉兆夢神社の夢伝。普段から御神座が性に合わなくって、この祠へはよく来るの。ここは昔、お母さんから神のいろはを教わった場所だから」
言草夢伝姫命。
彼女こそ、草原のトリックスターとして知られ、夢や噂にまつわる伝承を多く持つ、藐狼トーテムの主祭神だ。
かつて赤土で出会った犲狠神社の馳哮姫同様、狼の系譜に連なるトーテムの神様だから、感覚としては遠い親戚のような間柄になるだろうか。
「なんだか初めて会った気がしないね」
「本当に。首刈様は噂通りてらいがなくって、親しみやすい」
「噂?」
「そう。うちは噂集めにかけては大嶋一の吉兆夢神社。首刈様が生まれて間もなく、真神から渡って来た鳥にそのことを聞いたし、その後も方々から噂が集まって来て、こうして会う前からとっくに会った気になってたの」
「そ、そうなんだ」
どうせろくな噂ではあるまい。と内心冷や汗。しかも出合い頭に矢に射られたところを見られたりね。ほんと恥ずかしい……。
「てゆーか私、思いっ切り矢で射られたんだけど?」
「野飛の民は家畜に手を出す獣に容赦しないから。でも野飛月でよかった。普段はみんな馬に乗ってるもの。それだと逃げ切れてたかどうか」
「おおう、それは怖い……」
そういえば以前、馬宮衆の石楠さんに言われたことがある。私は狼だから、下手をしたら野飛では矢を射かけられるだろうって。本当にそうなってしまうとは思いもよらなかった。しかも見事に命中してるし……。でもそこはそれ、阿呼に当たらなかっただけよしとしよう。姉として、妹の盾にはなれたってことだからね!
何はともあれ、こうして四日間に亘る壮大な迷子にピリオドが打たれた。私たちは祠に仕舞ってあった茅の輪で吉兆夢神社へと渡り、そこで連日の歓待を受けることに。
***
それからは来る日も来る日も神々や吉兆衆と野原に飛び出して遊び回った。合間合間に鹿放里の里や近隣の在郷を訪ねたり、遊牧民の居留地にお邪魔してみたりと、草原の暮らしと遊びを存分に満喫。
そうこうする内に、恐らくは吉兆夢神社の方で噂を広めたのだろう、近くの神社から遠くの神社まで、野飛の神様たちが次々挨拶に来るようになって、その賑やかさに釣られてか、草原の動物たちも続々と集まり始めた。
馬も鹿も牛も様々な種類が一堂に会して、東の山岳に暮らす山羊や羚羊たちまで集まる盛況振り。挨拶して回ればみんな愛想よく迎えてくれて、そんな中、羊さんたちだけは阿呼の視線を避ける素振り。
「阿呼、食欲が駄々漏れてるよ」
「ハッ、いけないいけない」
どんたげ羊肉が気に入ったんだか。けれども草食動物に囲まれた環境だから、私たちは一貫して人の姿で、ベジタリアンな宴を楽しんだ。
「よーしっ、今日はあの丘まで競争ね! 一着になった人はどの神様に何をおねだりしてもおっけー!」
毎日がこんな調子で終わらないお祭りの日々。神も人も獣も一緒くたに混ざり合って、大草原の心は一つ!
なんて調子ぶっこいてたら、ついには一宮の夕星までもがやって来て、開口一番すら置き去りに、私の頭に拳骨を見舞った。
うぇーん、痛いよぅ。
ここで時間をちょい巻き戻し――。
その日も野駈け遊びに興じていた私は、何度目かの競争を経て野っ原に張った幄舎に入り、甘露な水に喉を潤していた。そこへズカズカと足音高く踏み込んで来たのが野飛一宮の主祭神、野狭飛逆髪夕星媛命だ。
先ず目が合った。
次に夕星が拳を振り上げた。
私はしゃがみガードの体勢を取った。
鉄壁の防御を軽々と砕いて旋毛の辺りに走る衝撃。
馬力が半端なかった。
目から火花が飛び散った。
頭を抱えてのたうち回る私。
ここで遅れ馳せに開口一番。
「貴女! 鐙盗から伝魔を寄越しておいて、こんな所で何を油売ってるのよ!」
「いや、違うんだってば。聞いてよ」
「聞く耳持つかっ、人が今日か明日かと首を長くして待ってるってのに、てんで見当違いの方向にいて、毎日毎日どんちゃん騒ぎなんじゃないの!」
激怒、止まず。
八大神と皇大神の攻防では割って入る者とて無い。
しかし分かる。
そりゃ怒る。
私は野飛に入って直ぐ、いつ頃着くよと手紙を書き、阿呼に頼んで伝魔をかけた鳥さんに運んで貰っていたのだ。
鐙盗から奥所無まで三日。奥所無から一宮がある丸里まで三日。余裕を持って七日もあれば着くからねと書いた。それを迷子のドサクサですっかり忘れ、吉兆夢神社に来てから早七日。短気で喧嘩っ早い夕星が怒らない訳がない。
だかしかし! それでも私には切り札があった。
本当なら十分にその土地を巡ってから八大神に贈って来た土地土地の歌。だけど野飛に関しては、どうせ短気な夕星のことだから、早く早くと矢の催促だろうと踏んで、来て早々に歌を考え始めたのだ。
奥所無の秋野千里を見渡せば、立ちどころにメロディと歌詞が降りて来た。けれどもそれは、雷と川流れ、そして飛来した矢によって始末が付かなくなってしまい、ご破算に。
ところが救いの神はいるもので、私は運よく夢伝姫に出会うことができた。そうして始まった遊嬉宴楽の日々。私は夕星のことは忘れても、歌を作ることは忘れなかった。それを口にしたら火に油を注ぐことになりそうだから言わないけれど、とにかく歌は完成したのだ。
「ごめん、悪かった!」
「絶対許さないでしょ!」
「分かってる! でも歌ができたんだよっ」
「…………え? それって野飛の歌?」
「うん。まだ秋の景色しか見てないけど、異世界にして歌えば、きっと碧く光る草原が広がるよ」
どうですか? 許して貰えますか? と上目遣いに顔色を窺う。すると夕星はポリポリと頬を掻いて、ちょっとだけ唇をとんがらかし、
「それを先に言いなさいよね」
やったぁ! チョロイ! でもそこが好き!
すっかり機嫌のよくなった夕星は、固唾を飲んで見守っていた周囲に声をかけ、野飛の歌のお披露目だと触れ回り始めた。
「お姉ちゃん大丈夫?」
「思いっ切りぶん殴られてたなー」
「正直、頭蓋骨が陥没したんじゃないかと思ったよ」
頭に触れると物凄いたんこぶができててヒリヒリした。それを阿呼が治気の御業で治してくれて、ようやく人心地。
飛び出して行った夕星を追って、遅蒔きに幄舎を出ると、神も人も獣も円形劇場の観客のように遠巻きに輪を作っている。
「凄いプレッシャーだ……」
夕星は私の異世界は凄いだの、こんな機会は滅多にないだの、放っておけば幾らでもハードルを上げて行きなさる。早いとこ始めて黙らせようと、私は円の真ん中に進み出た。
見渡せば奥所無で見た全景のように三六〇度を取り囲む神、人、獣。けれど考えてみればこれほど歌うに相応しい舞台もない。
広報担当よろしく歩き回っていた夕星が座に収まってのを見て、私は二度大きく柏手を打った。そして静寂――。
「えーと、今からみんなに野飛の歌を聞いて貰います。まだ野飛に来て日は浅いけれど、ここ数日、みんなと一緒に楽しい毎日を過ごせたから、とってもいい歌ができました。遊んでくれたみんな、ありがとう。危ないところを助けてくれた夢伝姫には特にお礼を。それと、待ちぼうけを食らわせちゃった夕星にはお詫びの気持ちを込めて」
ドッと笑いが起こる中、夕星が「いいから始めなさいよ」と照れ臭そうに袖を振る。私は頷いて、爪先でリズムを取り始めた。そのリズムに合わせて星霊の輪を広げて行くと、波長を受け取ったみんなが段々と同じリズムに乗って足を踏み鳴らし、手拍子を打ち始める。
私は勢いに乗って踊り始めた。前世も今生も踊りを習ったことなんてないから、適当極まるものだけど、心が弾めば体だって弾むもの。
「行くよー!!」
天に拳を突き上げて、そこにみんなの心を集める。さあ、大草原へ繰り出そう!
碧い風の吹くままに
どこへまでも旅しよう
一面の花 飛び立つ綿毛
無限に広がる草原へ
空と大地に挟まれて
跳べ 走れ 笑い転げ
あの丘めざせ 力の限り
ここは楽園だ!
お馬さんが駈けて来る(パヤッパヤッパー)
うさぎさんが飛び跳ねる
子鹿ぷるぷる
ミツバチぶんぶん
やばい 矢まで飛んで来た!(逃げろー!)
歌い出しと同時に足下の野原が可憐な野の花で埋め尽くされて行く。
八方隈なく広がる花畑に風が円く吹き抜ければ、舞い上がる花弁、その後に続く白い綿毛たち。空と大地の狭間はさながら大自然のカーニバルだ。
馬群は飛ぶように走り、野牛の行進は大地を震わせる。
高く跳ねる兎、鈴生りの子供を抱えて動き回る子守鼠。
藐狼が鳴けば空を往く鳥たちが陽気に応える。
走ろう! それが生きることだと信じて、力一杯。目一杯。
私たちはこの、碧い大地の揺篭に抱かれて、輝く命を育んで行くんだ。
碧い風に誘われて
君と僕と あと誰ー?
みんな飛び出せ 後れを取るな
泣く子も笑う大行進
草の海をかき分けて
一番乗りを決めよう
真剣勝負 恨みっこなし
転んでも泣くな!
お日様と起きる朝に(パヤッパヤッパー)
月を枕に寝る夜
おめめパッチリ
疲れてウトウト
次の朝がやって来た!(起きろー!)
生まれて来て、自由があって、目の前にはどこまでも広がる遊び場。
同じ草を食み、同じ木の実を分け合って、草原に友達の輪が広がって行く。
知ってる子も知らない子も、みんな輪になって遊ぼうよ。
太陽と一緒に起きて、月と一緒に眠る。初めましてとまた会おうねを繰り返す素敵な毎日。そんな日々がどこまでも続いて行くんだ。そう、この緑豊かな草原のように。
日めくりの おもちゃ箱
夢の中までキラキラ
いい子でねんね また明日
碧い風の吹くままに
どこへまでも旅しよう
一面の花 飛び立つ綿毛
無限に広がる草原へ
空と大地に挟まれて
跳べ 走れ 笑い転げ
あの丘めざせ 力の限り
ここが楽園さ!
「いぇーーーい!!」
出だし同様、締め括りにも高く拳を突き上げて、春とも夏ともつかない晴れやかな幻想は次第に秋空に溶けて行った。それでも足下に残るのは円形に切り取られた季節外れの花や綿毛たち。
円陣から人や獣の子供たちが流れ込んで、花を摘んだり、若草を食んだり。綿毛を飛ばしてはしゃく子もいれば、花冠を作って、動物たちの首にかけてあげる子もいる。みんな歌の間中踊っていたから、大人たちは子供の元気に遅れて花畑に入って行った。
混然一体――。それは一見無秩序なようでいて、その実しっかりと大切なものが共有されていた。
「みんな笑顔ね」
そう、笑顔だ。
私は寄って来た夕星の手を取って、一回転二回転と続きを踊った。足を止めたらフワッとお日様の匂いに包まれて、気が付いたら夕星に抱きしめられていた。
「いい歌だった。本当にありがとう」
「いえいえ、どう致しまして。ずっと前からの約束だったからね」
手を繋いだまま笑い合って、そこへ阿呼と放谷、夢伝姫も加わって、なんともほっこりとした空気。
「野飛は今までで一番の大歓迎だったから、それこそ今までで一番ハッピーな歌に仕上がったよ」
「はっぴ?」
「はっぴじゃないよ。ハッピー! 渡人の言葉で幸せって意味」
なんだそうかとまた笑いが咲いて、目の前の幸せ溢れる風景にとっぷりと浸る。
「でも首刈、貴女にしてみたら足りてないものがまだあるのよね」
「足りてないもの?」
「この輪の中に、今、まだ渡人の姿はない。野飛はまだまだ青海や水走、護解なんかとは違うから」
それは事実だ。野飛だけでなく、赤土、黒鉄、白守、風渡と、渡人が生活の場を持たない土地は沢山ある。
「そうだね。でも、いつかは変わるよ。ゆっくりとでも変えて行くんだよ。次は一時的に封鎖してた赤土の門が開かれるし、黒鉄も鉱山の一件で渡人が出入りし始めた。それに野飛は街道が整備されてるから、一度人の流れができちゃえば、あとは早いんじゃないかなぁ」
期待を素直に言葉にすれば、今目にしている光景と相まって、希望の光が胸を射す。夕星も共感するものがあったのか、ゆっくりと頷いて言葉を紡いだ。
「そうかもね。私も融和策のお蔭で馬競に出られるようになったし、もう野飛が渡人を拒む理由もなくなったよ」
「そっか、馬競神事って今月だったね。いつだっけ? 夕星は今年走るの?」
大嶋随一と名高いお祭りに食い付くと、夕星は一転、苦虫を噛み潰したような顔になった。
「明日よ」
「明日!? それは気忙しいね」
「貴女が見当違いの場所で油を売ってたからでしょ」
「その話はもういいじゃん。それで、今年からは夕星も出るんでしょ?」
「今年は出走しない」
「えっ、なんで!?」
「いーの!」
「えっ、よくないよ。折角八大の隠遁が解けたのに勿体ないじゃん!」
「しつこいっ、もう終わったのよ!」
「え? だって神事は明日なんじゃないの?」
「…………」
質問するたびに機嫌が悪くなって行く夕星。私はこの追及が地雷だと悟って、口を閉じることにした。
後日、漏れ聞いた話では、どうやら夕星は、予選の段階で負けを喫していたらしい。情報元は勿論、噂に強い吉兆夢神社だ。
私たちは慌ただしく暇を乞い、夢伝姫やお世話になったみんなに名残惜しい別れを告げて、競大社へと続く茅の輪を潜った。
以上、これが迷子から大団円に至る出来事の一切。
失敗の連続でも最後はただでは起き上がらないという、首刈流の旅の処方でありましたとさ。めでたしめでし。
ちなみに、この年の馬競神事では、予選会で夕星を負かしたお馬さんが見事栄光に輝いた。その時、私は会場の神明櫓で夕星と一緒だったけど、夕星ったら筆舌に尽くしがたい表情で、青い顔と赤い顔を行ったり来たり。最終的には紫色になって自棄酒をたらふく呷っていた。
「見てなさいよ! 来年はこうはいかないんだからっ」
鬼が笑いそうな意気込みを吠える夕星は、それでも長らく続いた隠遁の時代から解放されて、私の目には幸せそうに映った。
その横顔に時代の変わり目を実感して、野飛にもいい風が吹き始めたことを嬉しく思う。
そして私は旅を続けよう。碧い風の吹くままに、どこへまでも――。




