大嶋廻り余話002 -草原の迷子-
本日は晴天なり。
私は今、水走一宮に夜刀ちゃんを訪ねて大巳輪芽喰神社の御神座に上がっていた。
折角の快晴も地下のお社に来ればひんやりと薄暗い。私は御神座に置かれた長テーブルを回り込んで、上座に座る夜刀ちゃんの斜向かいに椅子を引いた。
「はい。続き、持って来たよ」
「あら、ありがとう。次は青海編ね」
手渡したのは先日阿呼が書き上げたばかりの見聞録、青海編。既に真神、水走、赤土、護解の各編は渡し済みだ。
折に触れて風声通信でやり取りをする中、ふと見聞録のことを話したら、是非目を通したいと乞われたのが始まり。過日四篇を渡し、今日になって続きを持って来たという訳。
「護解編まではどうだった?」
「よかったわ。事細かに書かれていて、場景が目に浮かぶようだった。阿呼は中々の文才を持っているわね」
「そりゃあ私の自慢の妹だからねっ」
自分が褒められた気になって胸を反らせば、夜刀ちゃんは眉を上げて、金色に輝く蛇目を半眼に据えた。
「本来であれば、こういった物こそ貴女が書くべきなのではなくて?」
「やぁ、まぁそーなんだけど、私ってば多少大雑把なところがあるもんで」
「貴女今、多少と言ったの?」
「うん? そだよ? なんか変だった?」
「いいえ、別に……」
夜刀ちゃんは何か言いたげな顔をして、それを誤魔化すように切子のグラスに手を伸ばし、赤く揺れる葡萄酒を一口味わった。
私自身、阿呼の見聞録を読んでみて、その出来栄えには随分と感心させられた。私も日々、日記をつけてはいたけれど、丁寧かつ克明な阿呼のそれとは比較にならない。メモ書きにも似た一行日記だから、それを元に見聞録など書こうものなら、穴だらけの内容になることは請け合いだ。
「ん? あれ? この赤土編だけなんか……」
読了と差し戻された四篇を奇麗に揃えて重ねて行くと、月白の表紙の真神編、竜胆色の表紙の水走編と来て、朱殷の表紙の赤土編にだけ妙な違和感を覚えた。次に来る花葉色の護解編と比べても確かに微妙な違いがある。
私は夜刀ちゃんを見た。
夜刀ちゃんは自然を装ってツイと手元の青海編に目を落した。
「夜刀ちゃん?」
「…………。何かしら?」
「これ。赤土編だけ読み癖が付いてないんだけど。他のは私が読んだ時よりしっかり読み癖が付いてるのに」
「…………。気のせいではなくて?」
一々返答に遅れる夜刀ちゃん。あからさまに怪しい。
「もしかして、赤土編だけ読んでないでしょ?」
「よ、読んだわよ」
「嘘だっ、絶対嘘。今、目ぇ逸らしたもん!」
僅かに揺らいだ瞳を見逃さず、私は苛斂に追及した。すると夜刀ちゃんは開き直って、
「いいじゃないの。赤土へは私自ら出向いたんだから。わざわざ文字に直したものを読む必要もないでしょう」
私は半眼横目に透かす目で追い討ちをかけた。
「そりゃあね。夜刀ちゃんにしてみたら赤土の一件は黒歴史だもんね」
「うるさいっ」
こういう時の夜刀ちゃんてホント好き。
理由は単純。私自身が皇大神らしからぬと自他共に認めることもあって、万古神と呼ばれる夜刀ちゃんが、らしからぬ態度を取るたびに、親近感を覚えてしまうから。
赤土に於ける一件は、大本の原因が夜刀ちゃんと私のご先祖様による過去の馬鹿騒ぎにあって、当時の記憶を黒歴史だからと封印していた二人のせいで、数千年単位の後手後手対応になったという経緯があった。
大地の亀裂での言い訳がましい夜刀ちゃんも中々の見物だったけれど、未だにその話が出ると、そっぽを向いて聞こえない振りをしたりするから可愛い。
「まぁまぁ。折角私の可愛い妹が書いたんだから、一度くらい読んであげてよ。それにあの阿呼だよ? 事実だからって夜刀ちゃんのことを悪し様に書いたりはしないよ」
今度は声色を優しく変えて、そっぽを向いてしまった気持ちに呼び水をかける作戦。
「赤土編は置いて行くね。気が向いた時にでも読んであげて」
余りしつこくするのも逆効果なので、後は本人の意思に委ねる。神々の最長老である夜刀ちゃんは、全ての神を自らの子のように愛しているから、阿呼が頑張って書いた物を決して無下にはしない筈だ。
「まぁそうね。阿呼に悪いし、気が向いたら目を通しておくわ。それに――」
「それに?」
「全編通して貴女の奇天烈な行動や失敗の連続だから、私のことなんか霞んでしまっているでしょうからね」
おい。ゆーたな?
私の表情が形容し難いものになると、夜刀ちゃんはしてやったりとばかりに、小指に嵌めた指甲套で切子のグラスを鳴らした。
「そう言えば夕星からも聞いているわよ」
悪い予感がしつつ、「何を?」と尋ね返せば小癪なしたり顔の夜刀ちゃん。
「貴女、野飛の大草原で盛大に迷子になっていたらしいじゃないの」
「……あったよーななかったよーな」
「あったのよ。貴女が野飛を離れてしばらく。夕星ったらここへ来るたんびにその話をしていたもの」
「…………」
おのれ夕星め。どうしてそう、人の失敗談をあっちこっちに広めて回るんだ。最悪の出会いからすっかり仲良くなって、今では親友だとすら思っていたのに、よくも裏切ってくれたな……。
***
枯草色と常磐緑の入り紛う大草原。
雄風誘う秋嵐に押されて、彼方から押し寄せて来るのは乱層雲か。
ここは野飛の南部原野、奥所無。四方には文字通り奥所無く広がる構造平原が見渡せる。
「うおおおお!! これが野飛かっ、スケールやっばーい!」
「くらくらするくらい広ーい!」
「どこまでも真っ平らだなー。青海の海を陸に移したみたいだー」
秋口になって青海を出た私たちは、馬追街道を北上して青海と野飛の境界を跨ぎ、先ずは鐙盗の里に入った。
鐙盗には野飛で唯一の調査局が設置されている。私たちはそこで情報を仕入れ、野飛と呼ばれる所以が一目で分かるという街道上の絶勝、奥所無を目指した。そして――、
来た。
見た。
魂消た!
「なんだかこう、引き込まれる広さだよね」
「うん、阿呼はもう走りたくてうずうずしてる!」
「分かる! お姉ちゃんも走り回りたいっ」
「その前に飯食おー」
姉妹の感動と食欲を天秤に掛けるな。とはいえ確かに空腹だ。鐙盗から奥所無まで三日間、日に夜を継ぐようにせかせかとやって来たのだから。
私たちは奥所無の里に入り、適当な食事処を見つけて野外の席に陣取った。丁度テラスのように盛り上がった丘辺にあるお店で、雄大な原野を眺めながら食事を楽むことができる。
「これ、馬乳酒だ」
「乾酪の匂いがするのね」
「酸っぱい酒だなー」
料理より先にドンと出された馬乳酒を味わい、強い香りと控え目な発泡を喉越しに楽しむ。その味わいたるやもう、野飛へようこそ! と言われているようで堪らない。
続いて出て来たのは羊のお肉を香草と一緒に柔らかくなるまで煮込んだ料理。ご当地の味噌がベースなのか、もつ入りで味も濃く、馬乳酒との相性はピッタリ。ナンに似たパンに挟んで食べると、おタレがパン生地に染み込んでほっぺが落ちそうな美味しさだ。
「んふーっ、幸せー!」
「お肉がとっても柔らかい。羊さんてこんなに美味しいんだ」
「狼は食べる方。羊は食べられる方。昔話にはよく対になって出て来るよなー」
そう。野飛は見ての通りの草の海。そこに暮らす生き物たちの大多数が草食動物で、私たち狼姉妹にとっては格好の狩り場なのだ。
鐙盗の調査局で尋ねてみたところ、野飛の原野は大きく四つに分かれていて、そのどれもが異なる特色を持っているのだと教えられた。
東の長首大原は最も広大で、波状に連なる緩やかな斜面の連続。降水量が多く、至る所に浸食による細溝が見られると言う。
北の眼間原は石灰岩や泥灰岩の地質に覆われたカルスト地形。草原の間に間に点々と白い鋲を打ち込んだような景色が続いていると聞く。
西へ行くと海に突き出す野面大原。海岸平野と洪積台地が融合する陸と海とが生み出した原野だ。海に向けて緩やかに下る標高の低い土地は農業に適しており、遊牧が主流の野飛に於いて、定住民が最も多く見られる土地柄だそう。
そして南部が今、私たちのいる頬桁原。太古の地質に覆われた平らかな楯状地が主体となって広がり、山影らしきものは一つもない。沿岸部を除けば雨量は少なく乾燥気味で、気候に左右されない短草や低木が多く見られた。
ここまででお気付きの通り、首、眼、面、頬とそれぞれに銘打たれている。これは野飛の版図がお馬さんの頭部の形をしているからで、他にも鬣川や面繋山、馬鈴川など、馬の部位や馬具にちなんだ名称が、土地土地に刻まれていた。
そう、野飛と言えば一も二もなくお馬さん。今も遠くに野生らしき馬群が流れて行くのが見える。街道筋では遊牧民たちが連れている馬群を何度も見かけた。彼らは普段草原の奥まりで放牧をしているけど、都度都度、街道筋の里へ来ては買い物や物々交換をして行く。勿論、馬も商品として売り買いされることがあった。
「秋の風に草の香りが漂って、胸がスーッと安らぐね」
「うん。とってものんびりした気分」
「馬糞の匂いも凄いけどなー」
「もー、放谷は一言多いんだよっ」
「まーなー」
自覚ありとか、ホント質の悪いお伴だよ。
でもまぁそれはいい。食事も済んだし、考えるべきはこの後をどうするかだ。
「まだお昼をちょっと回り込んだ辺りだけど、お姉ちゃん、今日はどうする? ここでお宿を探してお泊りしてく?」
「それなんだけどさ、ちょっと思ったんだよね」
「おー? どっか行くのかー?」
「うん。今日はこれから草原を好きに走り回って、適当な場所で野宿にしない? まだ秋に入ったばかりだから、そんなに寒くもないし。なんならどっか遊牧民の所にでもお邪魔させて貰ってもいいかも。なんて思ってるんだけど、二人はどう?」
私の思い付きに二人は顔を見合わせ、揃って大きく頷いた。
「じゃあ決まりね! ここでおやつになるような物を買って、早速草原に飛び出そう!」
「おー!」
そしてやらかす皇大神。この後、私たちは初めて分け入る大草原で壮絶な迷子となり果てるのだった――。
***
「東へ行こう」
青海でお腹一杯になるまで海を満喫した私は、海から遠ざかる方角を指して先頭に立ち、野中のばらを歌いながら歩いた。
草場を往けば脚絆や水干の袖に引っ付く巻耳を伴連れに、虫追う鳥たちを道案内に立てて歩いて行く。秋の気配が誘う肌寒さに、どこか故郷の真神原を思い出しながら。
「どこまで行っても変わらない景色だねー」
「お姉ちゃん、もうそろそろ?」
手庇しで見渡す私の隣りで、待ちきれない様子の妹。阿呼にしては珍しくはしゃぎたい気分のようだ。
「よし、ここからは狼に戻って思いっ切り走り回ろう! 放谷はどうする?」
「んー、あたいちょっと食べ過ぎたから、首刈に引っ付いてくんでいーかなー?」
「おけ、じゃあ振り落とされないようにね」
ドロンと移姿せば秘色の毛並みにピトッと飛び乗る小蜘蛛。それを合図に白狼になった阿呼と並んで猛然とダッシュ!
これこれ! これぞ狼に生まれついた者の生き様ですよ。
大地を蹴り、藪を飛び越え、小岩を見れば飛び乗って更に高くジャンプ! 滞空時間の間に見渡す草原は秋の陽射しに輝いて、それを呑み込もうと北から迫る乱層雲。
「あの雲が来たら雨になりそうかな?」
「どーだろー? 雨の気配は感じないけどなー」
「そか、ならおっけー!」
「お姉ちゃん、早く早く!」
よっぽど楽しいのか、阿呼が一人飛び出して行く。年相応にはしゃぐ姿はとても可愛らしくて、私も遅れまいと後を追いかけた。
やがて北からの雲が頭上に到達し、けれども雨は降らず、運動で温まった体に心地よい涼を提供してくれた。
「ふーっ……。阿呼ー! おねーちゃんギブアップ! ちょっと休憩しよ」
「はーい!」
白い毛並みを翻して戻って来る阿呼。
私たちはそのままの姿で低木の影に移動し、腹這いになって体を休めた。
「久し振りの全力疾走、気持ちよかったねー」
「阿呼はまだまだ平気よ」
「阿呼は若いから。お姉ちゃんは休憩してからじゃないと無理だよ」
「生まれた日はおんなじでしょ」
そーなんだけどね。前世持ちの私は人の姿でいることが多かったから、狼としての体力は阿呼に一日の長があるんだよ、きっと。
「お、これは来るなー」
「ん? 何が?」
耳の間で小蜘蛛が呟く。どうも空を見上げて言ったようだ。
「さっき雨は降らないみたいなこと言ってたじゃん」
「うん、雨はなー」
「? 雨じゃなきゃなんなのさ」
「雷だー」
「えっ!? かみな――」
ピシャー! ガラガラガラー、ドドーーン――。
閃光と同時に大気を震わす轟音。私も阿呼も跳び上がって身構えた。
「ちょっと! めっちゃくちゃ近くに落ちなかった!?」
「お姉ちゃん、あそこ! 木が燃えてる!」
ひええっ。五〇米も離れてない場所にある木が焦げっ焦げになって真っ二つに割れている。
ピシャー!
「うひゃあ!」
「怖いっ」
「おー、近かったなー」
ガラガラガラ――。
「あわわわっ」
「あっちもこっちも!」
「どんどん鳴るなー」
ドドーーン――。
「ここ、やば過ぎなんだけど!?」
「逃げなきゃ!」
「賑やかなもんだー」
はっなっやっつ! どこまで暢気なんだあんたは! いい加減にしろっ。
なんて文句を言っても始まらない。とにかく走る。脱兎の如く。けれどもこのかみなり雲、鬼か悪魔か、まるで狙い澄ました雷撃魔法のように私たち目がけて雷を落して来る。走って走って、ひたすら走り続け、命からがら逃げ延びた時には、どこをどう走って来たかも分からず、南天まで分厚い雲に覆われては太陽の位置すら掴めなかった。
「草原やばい……」
「お姉ちゃん、私たちひょっとして迷子になった?」
イエス! 完全に迷子ってる。
調子に乗って走り回ってたら雷に追い回されてこの体たらく。空も大地もぐるり三六〇度、目印の一つもない。
「そうだ阿呼、地図出して地図!」
大嶋の地図を広げるとやはり、私の記憶は正しかった。ふははははっ。
「ほらっ、北へ行くと馬鈴川がある! 川沿いを下って行けば街道に戻れるよ」
「うん、でも、北はどっちなの?」
はうっ、き、北は……北は……。
「お、お茶碗持つ方?」
「それは左よ、お姉ちゃん」
ジト目で冷静なツッコミをありがとう。
「北なら夜を待って星を見れば一発だぞー」
「知ってる。でも今はまだ明るいし……。そうだっ、太陽! 太陽が出てる方が南だから……」
「お空は雲で覆われてるの」
「ぐぬぬ、憎い雲めぇ」
はい。この程度の知力で知りもしない草原に飛び出すなと言うお話でした。皆さんも気を付けましょうね!
さあ、じっとしてたって仕方がない。はぐれたならまだしも全員揃って迷子なのだ。全天雲となればいずれは雨。それに、再び雷が落ちて来ないとも限らない。遠くではまだゴロゴロ言ってるしね。となれば雷雨を凌げる場所を探さなくては。
「て言っても、こうも平らな草原のどこにそんな場所が……」
途方に暮れながら当てもなく歩き続ける。その内にポツポツと降り始めた雨が、一気にバケツをひっくり返したような勢いになり、追い撃ちとばかりに雷の音が近付いて来た。
「南部は乾燥してるって言ってたのに!」
「でも降る時は一遍に降るって言ってた!」
「恵みの雨だー! わっはっはっー」
刻々と雨を吸い取って重たくなって行く毛皮。私も阿呼も寒い真神の狼だから、毛足が長い分たっぷりと水を吸って、何度も立ち止まっては全身を振るった。
「お姉ちゃんあれ! あそこに馬車がある!」
「おお、助かった!」
視界に飛び込んで来たのは舟形馬車。渡河を前提として木舟に車輪と幌を付けた馬車で、以前、西部劇かなんかで見たことがあった。
近付けば手前に干上がった川。それが土砂降りの雨にみるみる増水し始める。私たちは慌てて川を渡り、放置されている舟形馬車に飛び込んだ。
「ふー、やれやれ。参った参った」
ケモ耳姿に戻って清水の御業を紡ぎ、濡れほぞった体から水気を拭い去る。
「馬も人もいないのに、随分としっかりした馬車だなー」
「ほんとだ。これ、まだまだ現役で使えるよ」
不思議に思って見回せば幌には穴一つなく、木の枠組みもしっかりしている。幾つかある木箱を覗いて見ると、燻製肉や乾燥させた玉蜀黍などの保存食。他にも革袋に詰めたお酒なんかが入れられていた。
「これ絶対捨ててった馬車じゃないよ。ひょっとしたら人が戻って来るかも?」
「うん。来月には戻って来るんじゃないかな」
「来月? 阿呼、どうして来月なの?」
すると阿呼は可愛く眉尻を下げて、困った姉だとでも言いたげな様子。
「今月は野飛月でしょ」
「うん」
「野飛月になるとお馬さんは?」
「ああ! そっか、今月は馬を使役したり食べたりしちゃいけないんだ」
確か以前、閑野生の街で同じことを諭されたけど、あれから丸一年を経て、私ってばまったく成長してない。かっこわる。
「とにかくこれで雨露は凌げる。それに、馬車が放置されてたってことは人通りがあるってことだし、その内に誰かが通りかかるかも」
「だなー」
適当な相槌だけで、体は木箱の方を向いている放谷。
「こら放谷、食べ物に手を付けるんじゃないの。それやったら泥棒だよ」
うひひっ、と悪びれもせず誤魔化し笑い。そんな放谷は、阿呼の鋭い視線に気付くや殊勝にも口を閉じた。当然だ。お行儀一つで叩かれるんだから、泥棒なんぞしようものならどんなお仕置きが待っていることか。
結局私たちは、外が暗くなり始めたこともあって、草臥れた体を倒し、折り重なるようにして眠った。何せ今日は、久々に狼の姿で体力の限界まで走り回ったし、かと思えば雷騒ぎでてんやわんや。ザーザーと降りしきる雨の音も気にせず、横になるなりこんこんと眠り込んでしまった。
***
「んむ……。ちょっともぅ放谷、揺らさないでよぉ」
「んー? あたいなんにもしてないよー」
「何言ってんの。さっきから揺れて……。なんかめっちゃ揺れてる!」
「お姉ちゃん大変!」
ガバッと上体を起こせば後方の枠に手をかけた阿呼が外を指差している。
「げえっ!? 流されてる!」
隣りに並んで見てみれば、これは夢かと疑いたくなる状況。
舟形馬車とはよく言ったもので、私たちは寝ている間に増水した川に流されてしまっていた。
「どーすんのこれ?」
「分かんない」
「この流れじゃ飛び込めないなー」
土を削って赤く濁った川の水がザッパザッパ跳ねかかる。夜通し降った雨は既に上がっていて、空も明るかったけれど、氾濫した川は当分収まりそうにない。
「いや待って、飛鳥で飛べば脱出できるよ」
「でも馬車は? 荷物も載ってるし、このまま川に流しちゃうの?」
ううむ。確かに、無人だったとはいえ一晩お世話になった馬車。しかも月が明ければ取りに来る人がいただろうと思われる。それを打ち捨てて逃げ出すのは神としては気が引けた。
「でも、じゃあどうする?」
「適当に糸で引っかけるかー」
「それだ! 岸の木でも岩でも糸で括れば馬車は岸に寄るから、そしたら私の木賊や石動で引っ張り上げられる。それで行こう!」
私と阿呼は先に飛鳥で外へ出て、流される馬車に並行して飛んだ。そうして一人残った放谷が岸辺の岩に糸を掛け、遅れて飛鳥で飛び出して来る。糸で括られた馬車は弧を描くようにして岸辺に寄り、私たちはその近くに降り立った。
「木賊! 石動! 馬車を岸へ引っ張り上げて。木賊は手前から引っ張る。石動は奥に回って押す」
命形呪の式神を木切れと石くれで二体ずつ創り出し、自重の重い石動を川中へ回り込ませる。途中、流木にぶつかって石動が一体流されてしまったけど、どうにかこうにか力押しで馬車を激流から上げることができた。
「お姉ちゃん、車輪が片っぽ壊れちゃってる」
「うん、先に注連をかけて強化しておけばよかったね。でも胴体も荷物も無事だし、車輪は持ち主に直して貰って、他の部分を強化しておけば釣り合いは取れるよ」
注連で強化すれば耐用年数はうなぎ登りに跳ね上がる。片側の車輪さえ小まめに手入れしておけば、きっと親子三代に亘って使い続けることができるだろう。ただし、この場所を探し当てられたらの話だけど……。
「ねえ、今思ったんだけど。この川を辿って行けば馬鈴川に出るんじゃない?」
「そうかも!」
「ならそこまで流されて行けばよかったなー」
この判断が大失敗。この時きちんと太陽の位置を見て、方角を定めて進むべきだった。後々になって分かったことだけど、この川は増水した馬鈴川の水が流れ込んで氾濫したもので、流れに沿って下れば下るほど、馬鈴川からは遠ざかってしまうのだった。




