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大嶋廻り余話001 -光る海-

作中曲「青海の歌」のDLリンクはメモ書き(https://ncode.syosetu.com/n5560gr/1/

)にあります。

 大嶋広しを練り歩くと銘打った大嶋廻りの旅も無事に終わり、正式に皇大神の神座みくらを継いだ私は、春うららかな長床でのんびりと過ごしていた。

 昨年秋、真神で執り行われた継承式、一代一度の大奉幣いたほうへいからこっち、年初の月追つきおい神事に始まってあれこれと忙しくしていたのだけど、ようやく人心地ついた今日この頃。春眠暁を覚えずを地で行って、大欠伸を一つ。

 すると何やらサラサラと筆の流れる心地いい音。私は狼の姿で丸まっていた御神座で大きく伸びを打ち、ケモ耳姿に移姿うつして音のする方を窺った。


「あ、お姉ちゃんおはよう」

「んー、おはよー。なに? 阿呼は何を書いてるの?」


 文机に向かって姿勢よく筆を走らせていたのは妹の阿呼あこや。私はその隣りに寄って、文机を覗き込んだ。


「これは?」

「大嶋廻りの記録。旅の日記を元にをして、読みやすいようにまとめてるの」

「へー。ここんとこよく書き物してるなって思ってたけど、見聞録をまとめてたんだ。今書いてるのはどの辺り?」

馬追うまおい街道を行って青海おうみ川に出たところよ」

「あー、三宮の大磯伊佐浜宮おおいそいさはまぐうに寄った辺りだ。あの辺りの遠浅の海でものんびり過ごしたよねぇ」


 護解もりとけでは大変な騒動があったけれど、青海に入ってからはのんべんだらりとした平穏な日々。南北に延びる長い白浜の海岸線を眺めながら、道草に道草を重ねて旅をした。そんな懐かしい旅の一幕が目皮まかわの裏に浮かんでくる――。




 ***




「ひゃっほー! 大磯浜だーっ」


 青海川を小舟で下り、青海三宮に参詣したのは夏も盛りの赤土月あかはにつき

 一宮のある伊佐から三宮の大磯まで続く長大な白浜は大磯伊佐浜と呼ばれ、伊佐から堅塩きたしの里までが一歩海に入った途端深くなる鯨たちの海。堅塩から大磯までが遠浅の浜辺になっていた。

 中でも大磯周辺には三宮のトーテムである海豹あざらしの巨大繁殖地(コロニー)があって、白砂を蹴って浜に飛び出せば、雑魚寝する海豹の絨毯が無限に広がっているという景観だ。

 海豹たちは北からの寒流に乗ってやって来る。温暖なイメージが強い青海でも、この辺りになると寒流の影響で冬場の寒さは厳しさを増す。緯度的には札幌やローマと同じくらいなのだ。

 けれども今は夏。それも真夏。私は阿呼あこや放谷はなやつを引き連れて浜辺へ繰り出した。野鳥の会でも数えきれないほどの群を前に、海豹たちに砂風呂をしてあげたり、一緒になって寝っ転がったり、海に潜って貝を獲ったりして遊んだ。

 青海に来てからというもの来る日も来る日も海三昧。阿呼や放谷から山側はいいのかと聞かれても、青海と言えば海なんだから脇目を振ってる暇などないと、頑として海岸線から離れなかった。

 やだやだっ、もっと海で遊ぶの!

 だって奈良には海がなかった。転生して生まれ落ちた真神にだって海はない。海なし県民のDNAがそうさせるのか、青い海に魂を引かれるのですよ!

 日がな一日眺める海は、山間の清流にも負けない透明度で、見る者を飽きさせない。私は三宮に半月以上も逗留して、毎日浜辺でゴロゴロしていた。

 そんなある日のこと。


 ゲシッ――。


「!!? ぐぼぉ……。み、みぞおちに……。けへっけへっ」


 ゴマちゃんを抱き枕に寝そべっていたら、脈絡もなく蹴っ飛ばされた。涙目で差す影を仰ぎ見れば、セーラー服のちっこい女の子。


「噂通り海辺でゴロゴロと、だらしないったらないわね。立ちなさい、ほらっ」


 言われるままに立ち上がると、打って変わって下から睨み上げてくる紅い眼。それは私のよく知る人物だった。


「多比能さん?」

「ようやくお目覚めね。さ、行くわよ」


 青海二宮の鯱神しゃちがみ磐根咋多比能姫命いわねさくたびのひめのみことは回れ右して海の方へ歩き出した。


「へ? どこへ? てゆーか、なんで蹴っ飛ばしたんですか!?」

「無様に寝っ転がってるからよ」

「どうゆう理屈なの。私皇大神なのに……」


 釈然としないまま付いて行くと、波打ち際に勢揃いしているのは阿呼、放谷、そして多比能姫の妹神である波城なみき姫と快波かなみ姫。五つ帆の丸絡みでお世話になった面々だ。


「なになに? どゆこと?」

「今から青海鏡に連れてってくれるんだって。楽しみね、お姉ちゃん」

「ほえ?」


 青海鏡とは海岸線にある一宮と三宮、それから沖合にある二宮の三点を結んだ海域で、青海の象徴そのものと言える海だ。今、目の前に広がるこの海のどこへ連れて行ってくれると言うのだろう。


「でも、もう夕方ですよ? 今から沖に出たら夜になっちゃいません?」

「夜がいいんだよ」


 快波姫が少年にも似た笑顔で答える。すると波城姫が後を継いで、


「夜になって青海鏡の中心へ行くと、その名の由来にもなった、青く光り輝く海が見れるんだよ。めっちゃ奇麗なんだからっ」


 光り輝く海ですと? その言葉だけでもうワクワクが止まらない。


「へーっ! 見たい見たい! わーっ、どんななんだろう? そうと決まれば早く行きましょう」


 どういう風の吹き回しか、そんな珍しいものを見せにわざわざ来てくれたという鯱神姉妹。私たちは反化した鯱の背に跨って、夕闇迫る青海鏡へ出帆した。

 うねる波に揉まれ、潮風に巻かれながら、次第に暮れて行く海を行く。青海鏡はどこも穏やかで、滅多なことでは荒れない海だけど、夜ともなれば黒一色になって、闇に浮くような怖さが付きまとった。


「そろそろよ。周りをよく見て御覧なさい」


 多比能姫のガイドに従って暗黒の海に目を凝らす。新月の海。星明りだけの海原に何が光ると言うのだろう。


「お姉ちゃん、見て! 光ってる!」


 快波姫に乗った阿呼が背鰭せびれを頼りに膝立ち姿勢で指を差す。放谷も見つけたらしく直ぐに歓声を上げた。


「奇麗な青だなー。どーなってんだー?」

「えー、どこどこ?」


 出遅れた私は必死に向かう先を見た。すると、


「あっ、光った! 光が跳ねた」


 青い蛍光色の光が海面に小さな飛沫を上げた。見れば遠間のあちこちで光る飛沫が立っている。


「このまま光る海域に入るわよ。今度は私の周りを見ていなさい」


 新たな指示に従って、海面を切る多比能姫の頭部辺りに視線を落とす。


「うわっ!? 凄い!」


 突然青い光が流れて、多比能姫の流線型の輪郭がくっきりと闇に浮かび上がった。光の帯は間断なく流れ続け、振り返れば曳光の帯を長く長く引いている。阿呼と放谷も同じ光景に目を奪われているようだ。


「これってなんなんですか? この青く光ってるのは一体……」

「生き物よ。刺激に反応して青く光る藻類。この辺りは一年中こうなの。何年かに一度大量発生すると、これが浜辺まで押し寄せて、波打ち際を走れば光る足跡が残るくらいよ」

「へーっ! これ全部生き物の、命の輝きなんだ。奇麗だなー」


 夢ともつかない現実は渦鞭毛藻うずべんもうそうが織り成す生命の奇跡。まるでオーロラを映したように、海面を揺らめきながら輝いて、二つとない幻想を織り上げて行く。


「潜るわよ」

「ほわっ」


 俯角を取って海面下に沈み込む。慌てて背鰭に抱き付くと、噴気孔から出た泡がすっぽりと私を包み込んで、さながら深夜の移動水族館。私は横並びに見える阿呼と放谷に大きく手を振った。

 そして、ここからが海中の一大スペクタクル。


「何あれー! めちゃくちゃ光ってるーー!!」


 迫り来る光の正体は魚群。まるで一頭の巨大な怪魚の如く、群れて泳ぐ魚たち。それに反応した渦鞭毛藻が夜の海に光のパノラマを描き出す。どこぞの光のパレードなんて目じゃない。


「まだまだ、これからよ」

「へ?」


 これ以上何があるのかとキョロキョロしていると、突如として四分五裂した魚群の中から鯨の群が現れた。勿論彼らも青い光を纏ってのご登場だ。圧倒的質量が暗い海中でネオンのように浮かび上がる。何回も、何頭も。


「うわーっ、うわーっ、うわーっ」


 もう言葉なんか置いてけ堀で、意味を成さない感動だけが口を突いては溢れ出た。

 雄大な海の狩りが青い光を幾度となく翻して、しかもそれが鯨たちだけじゃない。旗魚カジキ海豚イルカといった、海のハンターたちが入れ替わり立ち代わり、光る姿も鮮やかに、青々と輝く魚群のカーテンを捲り返して行くのだ。


「信じられない……」


 こんな世界があるのか――。

 大好きで見漁っていたネイチャー番組でも、ここまで圧巻かつ神秘的な場面を見せてくれたことはなかった。

 この迫力。

 この躍動。

 釘付けになってしまうほどの美しさ。それは野生の、ひた向きな命にしか成し得ないものだろう。

 水を切る魚たちのひれの音。

 鯨たちのクリック音。

 海豚たちの歌にも似た鳴き声。

 海の中に弾ける光と音の群たち――。


「光る、命の渦だ……」


 海と言う、おかに生まれついた私には計り知れない世界が一度に押し寄せて来て、訳も知らずに涙がこぼれた。




 ***




 想像を絶する世界を後に、再び海面に戻った私たちはゆっくりと星の降る海を渡った。鼓動はまだ早い。胸の熱さに身悶えするほどに。


「ありがとう、多比能さん。でもどうして?」

「さあ? 陸育ちの皇大神に、海を知って貰いたかったってのはあるわね」


 ゆったりと泳ぎながら、多比能姫はそんな風に答えた。恐らくそれが本心だろう。どこか俗っぽさの抜けた今の心境にスッと入ってくる答えだった。


「素敵な海でした」

「ふふん。貴女もようやく分かって来たわね」


 らしい台詞で笑みを含む彼女の大きな背中は、どこか誇らし気だ。


「そろそろ行くんでしょう?」

「……はい。次は野飛です。馬っ気の強い友達が首を長くして待ってますから」


 今日のことで区切りも付いて、新しい旅に出る気構えもできた。これから秋、冬と、寒くなる野飛を思って億劫おっくうにしていたけれど、草原には草原の、そこにしかない輝きが満ちているに違いない。


「多比能さん」

「何かしら?」

「今、青海の歌が完成しました。聴いてくれますか?」

「あら、磯良いそらより先に聴いてしまっていいのかしらね」


 いいのだ。青海八大の磯良媛には明日、三宮の茅の輪を借りて会いに行けばいい。私は今、仕上がったばかりの青海の歌を、他のどこでもない。この青海鏡の洋上で歌いたかった。

 暗かった夜空がほんの少し紺の色合いを帯びて来て、渡る潮風に海鳥の鳴く声が響いている。

 私は一つ、大きく深呼吸をして、鯱の背に立って両手を広げた。



 幸せあふれる世界を

 青く包みこんでくれる

 命の海 母なる声

 すべてをつなぐ 広い心


 私たちは知らない

 深い深い海の底の

 泡にこもる 惑星ほし息吹いぶき

 那由多なゆたてから続くもの


 今 瞬いた極星きょくせい

 かじたくし 波を切る

 朝 明星みょうじょうに 誘われて

 開かれた未来



 私の歌に応えるように、天の星々が瞬いて、この広大な海にも無数の星が息づいていることを改めて知る。

 生命は海から来たと聞かされて、それがようやく飲み込めたかのように、私の中の潮騒が胸を浚って行った。



 真白ましろな 浜辺に

 寝っ転がって

 伸ばした 手のひら

 つかんだ星がこぼれ落ちた



 幸せあふれる世界は

 貝がら一つで伝わる

 クジラの声 海鳥たち

 大波小波を 追いかけて


 私たちは揺蕩たゆた

 青海鏡おうみかがみいだかれて

 すこやかなれ める時も

 命の限りくすことを


 今 流れ星輝いた

 願い事を 胸に秘め

 さあ 海の星 すくいあげ

 あなたとの未来


 波踊る夢を



 白い貝殻のたった一つ。それを耳に当てただけで心の中には海が広がる。

 手のひらに収まる小さな宇宙。次の旅路に就く前に、袖に貝殻を忍ばせて行こう。

 何かに迷うような時、この大らかな海の音色がきっと支えになってくれる。

 昼には金色こんじきの海原。

 夜には青く光る海。

 絶やさぬ光が希望となって、数多の命と共に、私たちの旅をも導いてくれる――。


「どうでした?」


 問えばいつの間にか寄り添って泳いでいる波城姫と快波姫。二人は口々に感想を述べた。


「いいねー。あたしがまだチビだった頃の海を思い出したかなー」

「僕も、北の海で生まれて、初めて青海鏡に来た時のことを思い出した。懐かしかったな」


 そう言って二人とも、拍手代わりなのか、同時に潮を噴き上げた。

 それから二人の背に乗る阿呼と放谷も、


「海岸線からの眺めとか、磯良姫と潜った潮の道とか、色んな景色が流れて、とっても奇麗だった」

「そーだなー。海は陸とは随分勝手が違うけど、喰いもんは色んな種類があって、どれもみんな美味かったもんなー」


 放谷、あんたってばいっつも食い気優先だな。大体が胃袋で覚えたことしか記憶してない手合いだもんね。


「多比能さんはどうでした?」

「まぁ悪くはなかったんじゃないのかしらね」


 またそんな。ここで多比能節を出さなくてもいいでしょーが。


「ただ一つ、問題があるわ」

「え、問題? それは一体……」


 過去、水走、赤土、護解と歌を贈って来た中で、問題があると言われたのはこれが初めてのことだ。一体何を言われるのかと気を揉んでいると――。


「鯨は出て来たのに鯱が歌われていなかったじゃないの。これは大問題よ?」

「……あ、はい。ソウデスネ」


 以後気を付けますと、棒読みで対応しておいた。すると波城姫が、


「クジラの声って部分をシャチの声に変えちゃえばいーんじゃなーい?」


 などと言いだし、快波姫までもが、


「そうだね。それなら多比能姉さんも満足で、丸く収まるんじゃないかな」


 なんてことを言う。待て待て待てと。


「ちょっと、人が作った歌を勝手に改悪しないで下さいよっ」


 反射的に言い返してしまったのだけど、これがよくなかった。


「改悪!? 首刈ちゃん、クジラをシャチにするってことの何が改悪? おねーさんその辺詳しく聞きたいなー」

「え? いや、その……」

「僕は深く傷付いたよ。皇大神がそんな差別的なことを言うだなんて」

「や、ちょっと待って下さいっ。あっ、ちょっと! 多比能さん、なんで潜るんですかぁ!」


 ヘソを曲げたのかフリなのか、多比能姫が潜ってしまって私はぷっかり海面に浮いた。


「あーあ、あたし知ーらないっと」

「僕も今回は擁護できないな」

「お姉ちゃん早く謝って!」

「おー、このままだと海に置いてかれちまうぞー」


 阿呼と放谷までひどいっ! そりゃ確かに言葉選びはよくなかった。でも歌のこととなると私にも譲れないものがある。


「いいもん! 浜まで犬かきで泳いで行くからっ」


 私は開き直って狼に反化し、バチャバチャと足をバタつかせて泳いだ。すると海面下から急浮上して来た多比能さんが、私を大空に弾き飛ばした。更には水族館シアターのオルカ芸よろしく、器用に立ち泳ぎしながらポンポンポンとお手玉する始末。


「ちょ、やめ! 分かった! 分かりましたから! 謝るからやめてー!!」


 散々ぼてくり回されて、背中の上に落ちた時には完全にグロッキー。ぐったりと黒い背中に運ばれて行く様は、霊柩車に乗った遺体さながら。光る海の感動から一転、結末はご愁傷様に。

 とまあ、こんな調子でどうにもおかしな幕引きになった青海の旅。けれども、いつかこの日を振り返った時には面白おかしな笑い話。

 旅の恥は掻き捨てて、次はいざ、万馬駈ける野飛の大草原へ――。

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