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自身の利益と不利益を判断し、トーカは仕方ないと言わんばかりに肩をすくませた。
「分かった。何とか話できるようにしてみる。余分な人には聞かれたくないのよね?」
「ああ。内密にお願いしたい」
小切手にトーカが金額を書き込んだ。それを突きつけるようにしてカウツに見せる。
「こんだけ貰いたいけど払えるの?」
そこに記された額は人が二回ほど人生を働かずに過ごせる程の額だった。本気でこの額を要求するつもりはない。二十歳にもなっていない子供には到底払える額ではないからだ。それは半ばおちょくるような気持ちと試すような気持ちの半々だった。
冗談でもこんな真似は控えた方が良いという戒めもあったかもしれない。とにかく、それは流石に断るだろうという考えがあった。
「ああ。大丈夫だ」
にも関わらず、カウツは一つも動揺せずに頷いたので、むしろトーカが言葉に詰まる羽目になった。
「……何で眉一つ動かさず頷けるの?アンタどんだけ稼いでるのよ」
「そうだな。正直、それが払える大体上限の額だったとだけ言っておく」
その返答に、トーカは他人事だというのに苛立ちを覚えた。
「……アンタ、将来設計とか考えてないの?それとも金なんてまたすぐ稼げるとか思ってるわけ?」
我知らず責めるような口調になっていた。自暴自棄みたいな生き方をしているのが腹立たしかった。
苦しい生き方を強いられた過去のある身としては真剣に生きていない、何も考えていない、見通しが甘いとしか思えないその姿勢が勘弁ならなかった。
「俺の最優先事項は今やってるタスクだ。そのためにかかる費用は全て必要経費にすぎない」
しかし非難めいた物言いに対して心外だと言わんばかりにカウツが言う。
その価値観の違いに立ちくらみすら覚えかねない。理解出来ないその在り方になおも何かを言わなければとしたその瞬間、第三者の笑い声がいかにもおかしそうに響いてきた。
「まあまあ、お嬢さん。気持ちは分かる。コイツのやってる事は傍から見れば異常だからね。でも、これはこの男にとって存在意義にも等しいことなのさ。君が生きていくために金を求めるように、この男は生きるためにこんな事をしているんだよ」
くつくつと笑いながらそう補足したのはアレクトである。カウツの頭を馬鹿にするように軽く叩きながら説明するものだからカウツは鬱陶しそうに肩に乗るウサギを払い除けようとするが小器用にするすると動いて避けている。
存在意義、人生の目的、あるいは使命。そう言い換えもされればトーカとしても納得せざるを得ない。彼女が金を求める理由の究極が、彼女の人生を豊かにすることであり、選択肢を奪われ不自由を強いられている妹を助けることにあるのだから。
カウツが何を求めてそうした生き方をしているのかはトーカには分からない。しかし、そうしなければならない理由、そうするだけの衝動があるのならばそれを認めないわけにはいかなかった。
「分かったよ。でも金はもらうからね。後から返せって言われても返さないから」
「そんなこと言わない」
短く、キッパリと言い切る顔に未練だとか躊躇だとかいったものは欠片もなかった。トーカにとって優先順位の高い金が、カウツにとってはさして価値のあるものではないという事に複雑なものを感じざるを得なかった。
「で、カウツ。ビチューはどうするんだい?一応監視役だろ?あの男の目を掻い潜って密談が出来るのか?」
カウツの頭頂から額を叩くアレクトが愉快げに言うとカウツは静かに答えた。
「勿論話す」
「オイオイ。絶対に止められるし最悪拘束されるぞ?」
「戦団……ルプス派にとっても益のある話になるはずだ。それで納得してもらえなかったら、レンレセルを出奔するしかないだろうな」
さして大したことでもない様子でとんでもない事を言い出すので驚いたのは傍から聞かされていたトーカである。
「ねえ、あんまり滅茶苦茶言わないでくれる?アタシ、アンタから金を受け取りづらくなるじゃない」
馬鹿な子供から金をむしり取ろうとしているようで良心が咎める。トーカは確かに金が必要だがそのために何をしてもいいとは思っていない程度には正常だった。
その躊躇いにカウツは「ああ」とあまり信用のおけない声音で頷いた。
「おそらく、大丈夫だ。そのための交渉材料も用意してる。何も、無駄にするつもりはないんだ。俺だって」
準備はしてきた、とカウツは語る。しかし、ここに来てカウツという男の危うさを知ったトーカにはその発言がいまいち信用できなかった。
……カウツという男は紛れもない天才である。その眩くほどの才能は嫌でも人を惹き付けるし魅力的に見える。それは本人の資質を保証するものではないのに、ただ才能がある、優れているというだけでカウツに対する信用、あるいは信頼でさえ無条件に等しくなされていた。トーカもまた同じだ。つい先程まではカウツならばという信用があったにも関わらず、その幻想はすっかり崩れてしまった。
今はもういつ爆発するかも分からない不発弾ぐらいにしか見えていない。
「何にせよ、クロス・セージだ。コンタクトはいつ取れる?」
トーカの不安を余所にカウツが聞いてくる。ため息の一つもつきたい所だが、何とか堪えて何の気なしを装い答えた。
「クロス部長は確か明日か明後日かに来るよ。何だったっけ……視察だか何だかの名目で来るらしいけど、多分本当の所は違うんだろうね。まあ間違いなくヴィンギロトに関係してると思う」
その言葉に、カウツの表情が一瞬強張る。その変化にトーカは訝しがるが、真意は読み取れなかった。
「……そうか。それじゃあ頼む」
そう言うとカウツは立ち上がった。
「保護者のとこに話しに行くの?」
「そうだ。先延ばしにしてもいい事ないからな」
皮肉にも意に介さず答える。冷笑家ぶった方が馬鹿みたいに見えて仕方ないのでトーカは己の発言を後悔した。
食堂を出て、カウツは周囲の目を盗み神殿を離れた。
バラル・マンウェ大聖堂へと向かう。ビチューは神殿への立ち入りを許されず、そこで一日を通して待機をしている状況だったからだ。
「しかし、ビチューさんは俺の監視で来たのにこれじゃあその役割を果たせないな」
「……どうだろうねえ」
頭上のアレクトが含みのある言い方をするのでどういう事かと追求しようかとも考えるが、止める。まともな答えは返ってこないだろうし、何となく想像はついたからだ。
大聖堂の天井は高い。床を叩く踵の音が反響する閉塞感と、よく伸びる音が遠くまで広がっていくような開放感の相反する感覚が不思議とカウツの胸中に不安を呼び起こす。逃れるように中庭へと続く扉を抜けると、手入れをされた緑の園が広がっている。花は少なく草木と石で構成されたそこは素朴であるからこそ美しいものが表現されている。
その一枚の絵として見えてきそうな片隅に二人の男が相対している。
一人は黒いロングコートを着た魔術師、ビチュー。もう一人は山か巌か、どこを見ても逞しい筋骨隆々とした体躯をアウトドア用の深緑のジャケットで包み首を取り巻くファーがさながらたてがみの様にも見える獣の如き相貌をした恐ろしげな男である。
「……まったく。時の流れは残酷じゃねえか。貴様を見てると死にたくなるぜ」
「そうですか。まあ、誰も彼もがいつかはという話ですからね。俺としては今の自分が嫌いではないんですよ」
「日和やがって、クソッタレ。どんだけ魔術院はぬるいんだ。死んでいき殺されるのを喜んで受け入れる。マゾの集まりかよ理解出来ねえな」
「人はいつまでも同じ生き方を出来ません。どこかで新たな生き方を選び取る瞬間がやってきます。俺は君の目からしたら死んだのかもしれませんが、そうじゃない。新しい生き方を選んで、きっと生まれ変わったんですよ」
「……ジジイの言葉だな。永遠に理解したくねえ」
二人の会話の意味はカウツにはいまいち理解できない。だからというわけではないが、その間に割って入ることが出来なかった。
しかし、ビチューの視線がカウツを捉えるとビチューは微笑み頷いた。
「申し訳ありませんが、用事が出来ました。これで失礼します」
「ああ。出来れば二度と会いたくねえもんだな」
吐き捨てるように言って男は大きな体を揺らしながら去っていく。カウツはその空いた場所に滑り込むようにビチューの元へと近寄った。
「今のは組合の人間ですか?」
「ええ、古い知り合いです。友人にはなれそうにもない程度の間柄ですよ、ところで」
困った様に笑ってビチューがカウツに向き直る。
「相談に来たんですよね?」
お見通しだと言わんばかりにそう言った。




