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「……おそらくこれでいけるだろう。確認してくれ」
走り書きのように書かれたメモの内容にトーカは目を瞠った。答えを明示しているわけではないが、ブレイクスルーのために必要な情報がそこにあったからだ。
まさに過不足無い助言。そのスマートさに思わず脱帽する。
「アンタ、本当に天才ね。専門分野でもないでしょうに、よくここまで的確な助言が出来るわね」
トーカの言う通り、それはカウツの専門分野ではなかった。カウツの専門分野は魔術式であり、トーカの持ってきた相談は機械工学の分野に魔術式を組み込んだものであり、彼女が期待していた助言はその魔術式からの視点によるものだった。
しかし、カウツの助言は機械工学方面もカバーしたものであり、その知識の幅広さを伺い知れるものであった。
「そうだな、それは……コイツのおかげだろうな」
カウツはそう言って、自身の頭の上で腕を組み顎を載せ目を薄っすらと閉じる銀色のウサギを指差す。
「俺はコイツに色々と教わった」
「そういや気になってたんだけど、それは何なの?人造生命体よね?何で自我があるの?普通、魂を持たない人造生命体がそんな自由意志を持ってるわけないんだけど」
怪訝なものを見るトーカの目付きにアレクトはニヤリと不気味に笑ってみせた。その、真っ当なウサギ、そして人造生命体には有り得ない反応に異質なものを感じ肌の痒みを覚え左肘のあたりを掴んだ右手の爪が食い込んだ。
人造生命体とは読んで字のごとく人の手で生殖によらない方法で生み出された生命体を指す。その製造方法は様々だが、共通して言えることが一つある。
彼らには魂が存在しない。
記憶と記録を司る魂を持たないために情報のアップデートが出来ない彼らには自我が存在せず送り込まれる電気信号によって命令を実行するだけの人形でしかない。
しかし、この銀色ウサギのアレクトは明らかに自由意志を持ち、自発的に行動し、あまつさえカウツの教師役まで務めたという。完全にトーカの常識外にある存在だった。
「さあ?何でだと思う?」
しかし、そんな謎生物であるアレクトはまるで人間のように悪意さえ感じるような返答をする始末である。まともに答える気はないのだということを理解して鼻息を漏らす。
「……そりゃ魂を入れたんでしょうけど、そんな技術確立してたら大変よね。魂の確保、保管、移管、定着。下手したら永遠の命が手に入る。いや、そういえば魔術院の院長は不老の体をしているって話だったっけ……」
ブツブツと思考を口にしつつ、仮説をまとめている。放っておけばどこまでも続きそうなのでカウツが声をかけようとしたところでだらけきった怪物の唸り声のような音がした。
「何だ、やっぱりまともに食べてないな」
トーカの腹の音だった。本人は気にした様子もなく「あー……」と呆けたように視線を虚空にやった。
「っかしーなー……半日前には食べたのに」
「良かったな。お前の身体は正常だよ」
やれやれとため息をつきながら半ば強引に食堂へとトーカを引っ張る。
研究施設はバラル・マンウェ大聖堂ではなく方舟の神殿という特別な場所にあった。
大聖堂が祭事を執り行う場所であるのに対し、神殿は方舟が安置されている場所、という情報しか一般には届いていない。
この神殿、その内実は円環教典の遂行を至上命題とし第一に考える者たち円環派の研究施設である。至天の円環に至るための施設と言ってもいい。
そんな、内部の者にさえ実情の知れない神殿に彼らが立ち入る事を許されているのは、それが至天の円環に至るために必要と判断されたからであり、多少の融通は利かせているのだ。
とはいえ、こんな集団が出入りしているのを一般信徒に見られるのは困るのでそのあたりは配慮された。生活の大体を神殿で行えるように生活環境を整えられ必要なものがあれば手配されるように手筈が整えられていた。
そのため神殿内はその名称に似つかわしくない静謐とはかけ離れた賑やかというか騒々しい、例えるなら宿場付きの工場のような様相を呈していた。
そんな雑多な物音に満ち溢れた内部の一角に食堂が設置されている。
カウツはトーカを伴ってそこに入る。
中は百人程度の使用を想定した広さと座席が用意されていた。無機質ではないが、さして豪奢ということもない部屋の入り口に白い箱が積み重ねられている。
カウツはそれを二つ取ると適当な場所を陣取って座った。
「ほら」
対面に座ったトーカに箱を渡す。蓋を開けると貧相ではないが然程豪華でもない食事が詰め込まれていた。
トーカはそれを箸を使って食べていくが、その様子はまるで燃料補給のようで、味だとか食に対する喜びはまるで見られず無表情に咀嚼している。
カウツは自身も食べながらそれを眺め、眉をひそめた。
「お前は好きな食べ物とかないのか?」
「特にないかしら。食べられれば何でも同じ……とは言わないけど栄養素が十分なら味にこだわりはないわね」
「それは……」
少し考える。簡単な否定では意味がない。どのように言えばトーカの食事に対する関心を誘えるか吟味していた。
「お前、お前の肉体的機能を疎かにしている。好物を始めとする食に対する喜びは肉体のパフォーマンスの向上に直接的な関わりがある。士気の高い兵隊と低い兵隊では前者の方が良い仕事をするだろう?」
「つまり、食を単なる栄養補給の手段に留めるだけでなく副次的な性能向上を視野に入れたルーティンにするべきだって言いたいわけ?」
「そうだな。その通りだ」
小難しく言えばな。という言葉は飲み込んだ。そもそもそういう論調を用いたのは自分である。
頭の上でアレクトが震えているのが伝わってくる。まず間違いなくつまらない事を小賢しく話している子供らに対する笑いを噛み殺しているものだろうとカウツには想像がついた。
とりあえずそれは放置する。改めてトーカを見ると口に運んだ食べ物を難しそうな顔で咀嚼し吟味しているようだった。
「甘辛い」
「美味しいか不味いかは?」
問われて首を捻り、もう一口食べる。
「分かんない。多分美味しいんじゃない?」
不明瞭なことを口にする。味覚が発達してないのか情緒が死んでいるのか。あるいはその両方かもしれないとカウツは嘆息した。
「……まあ、この食事自体がさして有り難みのある中身じゃないからな。仕方ないと言えばそうだろうが」
「食えるだけ有り難いわよ。特に自分でゴミを漁るような真似しなくていいんだから」
何の気負いもなく、当然の事のように言われたその言葉にカウツの指が凍りついたように止まった。トーカはその様子に気付かず、また難しい顔をしながら食べ物を口に運ぶ。
二度、三度とカウツの唇が開いては閉じを繰り返す。そうして、四度目で息を大きく吸うように口を開いた。
「それは……そういう経験が?」
言葉を選び、痛みどころを探るようにカウツが聞く。
「まあね。親は妹を産んで死んだから」
トーカは何でもないことのように頷き、また同様に身の上について語る。サバサバとしすぎてどう扱っていいものか測りかねた。
「俺は組合の護衛圏について詳しくは知らないが、そういうのは珍しくないのか?」
「アタシがいたところはね。福祉がしっかりしてるところはきちんとしてると思うわよ。多分。それにアタシもなんだかんだで組織に助けられてるしね」
「……何かの実験サンプルになったとか?」
「バッカじゃないの?……って一蹴できないとこもあるけど、アタシはそうじゃなかった。基本組合の方針でさ、組織力の強化のために子供の頃から英才教育を施して将来役立たせようって孤児とかは集められるわけ。アタシもその口」
「……成程」
目を伏せてカウツが小さく呟く。
「組織に保護されるまではそういうの知らないから生きるためにゴミ漁りもやったし盗みとかもやった。周りに頼れる誰かもいなかったしね。そうはいっても子供だからね。あっさり捕まって自動的に教育機関送りだったわけ。アタシは戦うのとかヤダったし研究者になれるよう頑張ったのよ」
「妹は?」
「妹は生まれたてホヤホヤだったからね。しばらくは普通に育てられて、何かちょっと特殊な才能あったからそっちを伸ばす方面で囲われてると思うけど、アタシとしては真っ当な生活送ってもらいたいの」
「真っ当というと」
「組合だとかの組織にガッツリ関わんないで普通の女のコみたいにしてほしいのよ。だってあの子がそんなの強制されてるのはあの子自身の責任じゃないからね」
一息つくように鼻息を漏らしてトーカが腕組みをし、しみじみと口にする。カウツはその言葉に対して押し黙る他なかった。




