95・アラタール
かくして二人は補給を済ませると男達の目を逃れるようにしてそそくさとスナを旅立った。
スナから北上し途中で列車に乗り交差都市国家セイキョまで到着した。
セイキョは古都大陸、方舟大陸、魔王領を繋ぐ交通と貿易の要所であり、センティーアと並ぶ世界有数の商業都市国家と言われている。
非常に発展しており、その活気は並大抵ではないが特徴として目立つのは水運が発達している点であろう。
葉脈のように大小の河川が枝分かれしたこの国では川を行く船が運送の要として利用されている。その風景は物珍しくカウツも興味を惹かれた。
「相変わらず壮観な眺めですねえ。同じように発展しているセンティーアとはまた違った趣があります」
と、ビチューが言う。
「ビチューさんは以前にもここに来たことがあるんですか?」
「ええ。もう二十年くらい前でしたか。大陸大横断で来たことがあります」
「大陸大横断……そういえば、もうじきありますね」
「帰りはそれで帰れるかもしれませんねえ」
砂漠を渡ってきた事を思い出せば、それは願ってもない話だった。大陸大横断鉄道にも三日三晩の高霊素濃度地帯という鬼門はあれど、ずっと楽には違いがない。
「船で帰れればタイミングを測る必要もなくて楽なんですがね」
水上を行き交う大小の船を眺めながらカウツがしみじみと言う。船は列車や車と同じように魔力を利用した動力源による乗り物であり流れに逆らった運用も可能であり、速度こそ陸上を行くそれらには劣るものの水上という地形を利用できるため地表の大部分が海である以上、交通機関としては破格の移動範囲を有している、はずだった。
「海運は海中からの霊素獣襲撃によるリスクが高すぎて運行不可能ですからねえ。襲われれば積載している荷はほぼアウト。乗客も魔術師が助けられる数は限りがありますからねえ」
霊素濃度の管理は人の手でもある程度可能だが、それはそこにあるものを別の場所に移すくらいの方法でしかない。増大し続ける霊素を逃がす場所として海上が選択され続けていった結果、海上は霊素濃度が上がり続け海中には無数の霊素獣がひしめき海には人間が進出出来なくなっていた。
「……霊素獣がいないと分かっている人里の川ぐらいしか使えなくなったから船という乗り物は廃れたんでしたね。国外に出る機会がなければ船の存在さえ知らない可能性もあるのか……」
「レンレセルというか東側ではそうですねえ。西側は教会の護衛圏だから船は神聖な乗り物として扱われているから知らない事はないでしょうけどねえ」
「……天上方舟教会か。彼らの教えは聞いたことがありますが、共感は難しい代物でしたね」
「神から方舟と使命を賜ったから空にある円環に辿り着くため頑張りましょうって話でしたねえ。まあ、要領を得ない話ですねえ」
「……まあ、目的はどうでもいいんですが。人生の為すべき事を勝手に決めつけられるのはゴメンだなと思ったんです」
うつむき加減に首を傾げ、思い思いの場所へと向かう人々の足運びを観察しながらカウツが言う。
「いずれにせよ君は魔術師です。君の生き方が教会によって強制されることはないのだから深く考えずともよいのでは?」
「……そうですね」
「目に余るようなら教導を殴り飛ばして君が人の道を説けばいいじゃないですか」
教導、教会における最高責任者の役職名である。それをフック気味に拳を突き出して殴る仕草を見せながらそんなことを言う。
「……さすがにそこまで思い上がっていませんけども。そうですね、何かやらかしそうになったらその時はお願いします」
「勿論。お任せあれ」
にっこりと微笑むビチューにアレクトがケラケラと笑いその額をカウツが打とうとするが巧みに避けられてしまった。
そうしてセイキョを出立し更に北上する。ここからの旅はバスを利用する事ができた。そうして長旅の末、ようやく二人と一匹はアークティーアに到着した。
天上方舟教会総本山、神聖国家アークティーア。
水に満ち水路が入り組み白亜の建造物が立ち並ぶ。その中央に佇む巨大な半円を掲げたそれこそバラル・マンウェ大聖堂である。
巨大な青銅の門には二人の男性のレリーフが刻まれている。それは神の御使いバラルの一人、教会の創始者にして最初の教導たる聖者マンウェともう一人の彼にして彼の影、スーリモを象ったものと言われている。
門の前に立つ二人の衛兵に院長からの書状を渡すとそれを確認した。
「……確かに。遠路遥々ご足労いただき有難うございます。案内の者を呼び寄せますのでしばしお待ち下さい」
それに頷きしばし待っていると案内役の者が来た。それに続き中へと入る。
聖者の名を冠する大聖堂は汚れなき白亜の城のようであった。雲を思わせるようないくつもの塔が天高く空を突き、その只中に鎮座する銀の半円が半眼の一つ目のように地上を見下ろしている。
開いた両腕が囲むように作られた壁の中の庭園がカウツたちを出迎えた。
草木や花々、噴水などの自然的な彩りは白い世界を一層に際立てる。石灰岩や花崗岩、白玉石などを使い病的な程に白にこだわっている。
この地にあってはカウツ達の黒いロングコートは対照的に過ぎてひどく目立った。遠くから一枚の絵として見ても白紙に墨を落とした染みの様に目を引くことだろう。
白とは汚れなき者、可能性の象徴。未来を望む未発進の始発点である。
至天の円環を目指す教会の人々にとって相応しい色だと言えるのかもしれない。
大聖堂に踏み入る。ひんやりとした空気が臓腑を絞るような気配を漂わせている。薄暗い。光が十分に取り込まれていない。広いホールが白い床を叩く足音を甲高く響かせる。
そして、それ以上にパイプオルガンのどこか機械的で力強い、管楽器の震える音が響き渡っていた。声がする。女性の歌声が十重二十重に折り重なっている。
大聖堂の奥、巨大な舞台装置のようなパイプオルガンがあり、それを操る演奏者がその機構に組み込まれたパーツのように座っている。その左右に女性達が並び賛美歌を歌い上げていた。
演奏が終わる。演奏者が立ち上がりこちらに慌てずゆっくりとした歩みで向かってくる。
白い服。黒の中に白の目立つ髪、初老に差し掛かり皺の目立つ顔。老人とは呼びづらいが、そろそろそのカテゴリーに入らざるを得ない頃合いの男。その人としての機能に明白な衰えを見せ始める年齢には似つかわしくない苛烈な眼差しをカウツに向けていた。
「魔術院の戦団から来た若い天才……想像していたよりも随分華奢だな」
「カウツと申します」
「ビチューと申します」
「うむ」
言葉短く、飲み込むように頷く男ではあるが自ら名乗ろうという気配はなかった。
「おい、爺。お前は名乗らないのかい?」
茶々をいれるのはアレクトである。カウツが小さく「やめろ、アレクト」とたしなめるが、アレクトは応えるように小さく鼻を鳴らした。
「礼儀がなってないのは誰であろうと良くないもんだよ、カウツ。それを指摘してやる奴が居なくなっているのは当人にとってさえ不幸だ」
アレクトの言葉はいちいちもっともだった。カウツとしてもそれは正しいと思うが、正しさですべての道理は通らない。力ある者の勘気に触れればそういった小賢しい正しさは鎧袖一触で薙ぎ払われる。
しかし、怒るでもなく男は鼻を鳴らした。
「小賢しい口を利く家畜だな。兎。だが、もっともだ。名乗るまでもなかろうと思ったが、あえて名乗るとしよう」
男が胸を張る。居丈高に力強く己の名を口にした。
「余はアラタール。神の代弁者にして迷える子羊を教え導く教導である」
教会における最高権力者がそう名乗った。




