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「レンレセルを出る!?」
大声をあげテーブルに手を叩きつけるので食器が跳ねて恐ろしい音をさせた。夕飯の並ぶ食卓はキーアとスオ、それにアレクトの三人、二人と一匹で囲んでいた。
大きな音にキーアは身をすくませたが、その表情はビックリしたというばかりで、別段怖がっている様子はない。アレクトに至っては気にする様子もなく器用にスプーンを使ってシチューを味わっていた。
「どうして……何をしにどこに行くつもりなんだ!?」
どこか滑りの悪い舌が絡まったような口調だったが余程動揺しているのだろうその額に汗がにじんでいる。
その必死さにキーアは気圧されて言葉が思い浮かばず無意識に米を口に運んでいた。
「食べてる場合か!」
「ワハハハ。今は食事中じゃないのかね、スオ。取り乱しすぎだぞ。面白い」
茶化すアレクトを睨み付けるが銀色ウサギはどこ吹く風である。胆力を誉めるべきか性格の悪さに呆れるべきか。キーアは迷うがしかして彼の言動を考慮に入れるのをやめた。スオに目を向けると顔をしわくちゃにしていた。まるで迷子のようだ。
「スオ、魔王の大征伐の話は知ってる?」
「そりゃ、勿論……」
「それじゃあ、レンレセルが鎖国されるって話も?」
スオの口が開く。何事かを口にしようとして、吐き出す直前でやめた。モゴモゴと舌の上で弄ぶようにもて余している。その様子に思わずため息をついた。
「私、自分の事を明らかにしたいの」
スオは何も言わない。言わないのではない、言えないのだろう。
「このままレンレセルにいたら、多分私は後悔する。だから、私は私の事を明らかにするために方舟教の聖地、アークティーアに行こうと思ってる」
「天上方舟教会……」
西にある方舟大陸の名はかつてその地に神の作りし方舟と、神の使いである人間達が降り立ったという説から名付けられている。一般的にレンレセルでは与太話としか認識されていないが、彼の地にはこの説を信じる人々がいる。
彼らを天上方舟教会と呼び表す。
アークティーアは天上方舟教会における聖地であり方舟と人が降り立った地だとされており、神殿が建立されている。そこには方舟が存在し今も尚、神の声を受けているのだとか。
スオにとっては完全に異文化であり、理解できないものだ。そんな場所にキーアが行く。身震いがしたことだろう。
「そ……そんなところに、キーア一人で行けるわけないだろ」
震える声が動揺を隠しきれていない。
「勿論、アレクトもついてきてくれるって言ってる」
キーアの言葉にアレクトの耳がピョコピョコと動いた。
「そうさ、安心だろ?」
いっそ腹立たしい程の軽薄さである。そんな薄くて軽いものに何を任せられるものか。キーアの身に何かあったらと考えるだけで総毛立つ。
「俺も行く」
「……ええ?何言ってるの?」
異世界の言語でも聞かされたみたいな顔をしてキーアが疑問を呈した。
「スオ、戦団に入るための試験みたいなもの受けてるんでしょ。私に付き合ってたら戦団に入れなくなるよ」
「戦団には帰ってきてから入る」
「……そんな簡単に都合がつくの?」
「つかなきゃ来年入る」
意固地になったように無茶なことを言い出すスオにアレクトの道化を笑うような笑い声が響いた。
「勝手なヤツだな、スオ。バッツと組んでいるんだろう?アイツの事はどうするんだ?」
「バッツは……」
友人の顔がスオの頭をよぎる。一緒に戦団に入ろうと協力し切磋琢磨してきた仲だ。そうそう簡単には裏切ることはできない。
だが、世の中には、少なくともスオには優先順位というものがある。
「謝るよ。それで許してくれるかは分からないけど、とにかく謝るよ」
その瞳に、揺るがないものがあるのを認めてキーアはこれ以上反対することは出来なくなった。
その頑迷さに心を痛めざるを得ない。誰かに犠牲を強いたり、余分な苦労をさせたくない。自分の事は自分で終わらせたい。自立した人間でいたい。そういう独立独歩の気概を抱えたキーアにとって有り難くも、しかし困るものではある。
何故か悲しい。自らの力不足が、大丈夫だよと胸を張って言えない自分が、他者から不安視されるのを仕方がないなあと思ってしまう自分が。
この膨大でどうしようもない感情のやり場を、外には求められない。自分の内で処理しなければならない。
結局のところ、キーアが求めているのはそんな弱さをものともしないバイタリティだ。それを獲得するための決断なのだ。
それをスオは分かっていない。
身勝手な話ではあるけれども、それもまた悲しかった。