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魔術院のセキュリティは非常に厳格である。
レンレセルへの入国さえ厳しい審査が必要となり観光程度では許可が下りることはない。魔術院の敷地内への立ち入りにはいずれかの施設の関係者であれば自由だが、各建物への立ち入りは許可制であり許可なく立ち入りは不可能である。
公共性の高い役所等は申請すれば簡単に許可が下りる。ただし建物内の移動まで自由というわけではなく当然制限がある。
セキュリティクリアランスに従い、魔術院内部の移動可能範囲は変化する。特に行政機関への立ち入りは厳しく制限されている。
魔術院にはその行政機関として総務省、法務省、外務省、財務省、文部省、厚生労働省、農林水産省、経済産業省、国土交通省、防衛省、魔術省の十一省が存在している。
これらを統括するのが魔術院府であり、魔術院府庁舎は最高レベルのセキュリティクリアランスを要求している。
その魔術院府庁舎にカウツは足を踏み入れようとしていた。いくつもの塔が集合し、その中心となる塔の突き出た様は鋭鋒の山を思わせる。
敷地に足を踏み入れる。許可がなければこの時点で警告がなされ退去を求められる。それがないということはしっかり許可が下りているということだった。
庁舎に入り広々としたロビーに備えられたソファに腰掛ける。大変高級な代物であるのがその座り心地の良さから伝わってくる。
見回してみればまるで芸術館のような雰囲気さえ漂う内装が得も言われぬ緊張感と優雅さを同時に醸し出しており、庁舎内の調度品のレベルはこのソファと同じくいずれも高いレベルにあるのが伺いしれた。品良く格調高い、素晴らしい品々である。
カウツはあまりこういったものに興味はないが、権力を握ると往々にしてこういった趣味嗜好に走るのは共通したものであるらしく、上流階級にはよく見かける方向性と言えた。
したがって、最高レベルのセキュリティクリアランスを求める以上ここに集まる人間も同様の気配を纏うものだ。
次々と訪れる面々はそうそうたる顔ぶれであり、いずれも新聞に目を通していれば顔も名前も知らないわけにはいかない人物ばかりである。
そういった面々がカウツに気が付くと足を止め声をかけてくる。軽い挨拶や世間話に花を咲かせるがそんな他愛のないやり取りが酷く気疲れする。
何人目かの後ろ姿を見送ると新たな客人がやってきた。
ある意味この場に最も相応しい装い、自らを飾り立てることに躊躇がなく、赤い色の権威という名のロングコートを着た伝統的な既得権益継承者にして権力の象徴。
シムがカイを伴って現れた。
その姿を認めるとカウツは腰を重そうに持ち上げた。まるで老人のような所作である。
シムもまたカウツの姿を見つけ喜色満面で声をかけてきた。
「やあやあ、よく来てくれた。待たせたかね?」
「……ええ、お陰様でお歴々にご挨拶が出来ました」
他の連中よりも遅れてきてるぞ、という皮肉を込めた一言だが、シムはぐらりともしない。
「それは重畳。では、行くとしようか」
黙ってその後に続く。赤いロングコートの後を、黒いロングコートと白いロングコートを着た二人が並んで付いていく。
魔王大征伐関係閣僚会議。魔王の大征伐に関する前後についての会議であるため鎖国に関わる諸問題からその出席者は十一省全ての大臣職にあたる。
先に訪れた人々はつまりそうした人々である。そして彼らがそうしたように三人もまた案内に促され扉の前に立つ。扉が開かれると、そこには小さな舞台が部屋の中央に備えられている。白い石造りの舞台であり、二段ばかりの意義の薄い階段がここから登れと存在を主張している。
三人はそこに立つと、青い魔力の層で包まれた。徐々にその層の色が濃くなっていき、遂に外部の様子が窺えなくなると一瞬、視界が歪む。そして、彼らを包んでいた魔力の層が消滅し、舞台を下りて扉の前に立つと扉がひとりでに開いた。向こう側から開かれたのだろう。
扉が開くと短い廊下の先にまた扉があった。そしてその扉も開かれると一斉に光が襲いかかってきた。
大きなガラス張りの部屋、外からの光を良く取り込み広い部屋を明るく照らしている。その広々とした部屋の中央には巨大な楕円形でダークブラウンのテーブルが置かれてある。
そのテーブルを囲むように人々が着席し、あるいはその後ろに控えている。一番奥の席、上座はまだ誰も座っていない。
「やあ、皆様方。息災のようでなによりだ」
かんらからからと手を上げて笑いながらぐるりとテーブルを回る。その巨体が通りかかる度に一部の人物などは眉をひそめていたが当人が気付くことはなかった。
そして、テーブルを一周し上座の椅子に手をかけると、一瞬その場にどよめきが走った。
シムはその動揺に対して薄く笑い、手を離した。
「ああ、いやいや。失敬。ついつい間違えてしまった……!」
「シム魔術省大臣、度が過ぎるのでは?」
思わずといった様子で口にしたのは青いロングコートを着た禿頭の老人である。その職務は総務省大臣職にあたる。
集まった面子の中でも最高齢であり、職歴の長さから翻って発言力も大きい。特にその役職の名で呼んだあたり言外に戒めの意味を含めていたのは明白だったがしかし、シムは穏やかに微笑み軽く頭を下げてみせた。
「失礼。ここの所、睡眠もままならない程職務に忙殺されている有様でして。ええ、ついつい間違えてしまったのですよ」
「……」
白々しい物言いに老人は何も口にはしなかったが、不快感はそのしわだらけの顔にあってさえ尚、深々と刻まれていた。他の者が追従することはなかったが、皆同様にして面白くはなかったのだろう似たような顔をしている。
特に、防衛省大臣セッツァーは顕著だった。黒いロングコートに身を包み、腕を組んだ指が苛立たしげに二の腕を、足元で何度も黒い革靴の爪先が床を叩いていた。
その姿を眺めシムは楽しそうに笑っていた。
その笑みの理由がカウツには何となく想像がついた。
何しろそれが自分である。戦団に所属していた頃からシムはカウツに対してラブコールを送っていたがセッツァーはこれに対して不快感をあらわにしていた。それがカウツを伴って現れたのがシムにとってはセッツァーに対してしてやったりといった気分なのだろう。
シムの行動に対して文句を言っていたのはセッツァーだけではない。その隣に座る戦団長トトミーもまた引き抜きを行おうとするシムに対して再三苦言を呈していた。
その彼らが黙して語らずにいるのは先日の輝翼鳥のためだろう。
元はと言えば戦団の戦力であるカイを借り受けるという事にシムへの借りが発生するというのが業腹な事だろうが、それでも名目上魔術省の預かりであり、セッツァーがシムと良好な関係を築いていればこういった事態にはなり得なかった。
そういう意味では自業自得と言えなくもない。もっとも魔術省と防衛省は、魔術の実験及び開発、その成果を実践し進歩させていくという互いに必要不可欠な存在でありながら同時に犬猿の仲であり、その不仲はもはや歴史的なものでさえある。
魔術主義たるカニス派と国家と国民の安寧を第一とするルプス派の先鋒たる彼らは暗黒時代からの因縁を持つ。組合とは魔術師として自由を求めた者達であり、自由気ままに魔術を使い研究をするために魔術院を出て行った。彼らの振る舞いによって様々な弊害が発生し世は乱れた。これを正した勢力はルプス派に引き継がれ、カニス派はその姿勢から疑いの眼差しを向けられており暗黒時代の延長に等しい関係性を今もなお続けている。




