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空間転移、あるいは瞬間移動に類する魔術はいくつかあるが、大別すれば二種類に別けられる。
掌握空間内を移動するか、掌握空間外を移動するかの二つである。前者は比較的容易く可能であり、多くの魔術師が使っていた。後者は実現不可能とさえ考えられていた。ある種の方法を用いればごく短距離においては可能だが、それは結局空間掌握を行って空間転移する以上の距離的成果を得られない。求められているのは超長距離を転移する術式だが、この研究が難航していた。
そんな夢物語に近い魔術を可能にしたのが魂という存在領域、天然自然の掌握空間を基点とする考え方である。この発想そのものは以前から存在したが、これを行うには魂の研究や基本線、術式構築の研究不足があり、結果としてこの術式は発案者の名から取ったサーティマ予想として魔術師の命題の一つとなっていた。
この術式は暗黒時代の遺物からレンレセルでも部分的に使用されている事が明らかとなっており、サーティマ予想を補強するものとなっていたが、しかし術式の解明には至らず数百年もの歳月を経ていた。
これを証明したのがカウツであった。
その結果様々な魔術研究が進んだが、肝心要の空間転移は極めて高難度の構成が必要であり使用可能な術者がほぼいない事まで明らかとなった。
この開発初期段階にあって非常にコストのかかるシステムを余人が使えるように一般化する事が次の目標となっている、というのが現状である。
「……現状は緊急を要する場合を除き、魂を基点とした空間転移は不可能です。段階的に運用するために緊急避難にも用いるよう試用段階にはあります」
「ああ、そうだろうとも。我々としては魔術の発展こそ第一であり、他の事は些事ではあるがその最先端を切り開くのは魔術院でなくてはならない。組合に遅れをとってはならないのだよ」
鷹揚に頷いて見せるシムの素振りは一々芝居がかって見えた。我々ーーその指し示す所は魔術院における三つの派閥の一つ、カニス派である。
カニス派は魔術の研究開発、その研鑽こそが全てであり何よりも優先すべきとする派閥である。
その思想に対しカウツとしては諸手を上げて賛成することは出来ない。出来る事なら距離を置きたい相手であった。
とはいえそういった思惑を顔に出すような事はさすがに自重して話を変えることにした。
「それは追々。ところで何か別件でお話があってこられたのではないですか?まさか魔術省の大臣職に就かれている方が雑談のためにわざわざ時間を作ったりはしないでしょう」
「うむ、実のところはだ。明日開かれる魔王大征伐の会議に君も参加してもらいたいのだよ」
「何故です?」
「有識者の意見は常に必要だろう?特に征伐後のインフラについては君の意見を聞かない理由がない」
成程、と納得した。先に空間転移魔術について話を振った理由がここに繋がってくるかと半ば感心した。
シムとしては征伐後の鎖国に反対の立場なのだろう。魔術の研究には外界との繋がりがあった方がいい。勿論、鎖国をするからといって完全にレンレセルから出られなくなるわけではないがその管理はより厳しくなる。
現状、魂を基点とした空間転移魔術は戦団が独占しているに等しい。それを何とか自分達にも使えるように間口を広めたいのだろうとカウツは理解した。
「私は口利きなど出来ませんが」
「構わんよ。言っただろう?有識者の意見が必要なのだと」
ふ、と薄く笑ったその顔が酷薄なものに見えた。何か策略で以って貶めようという意識があるでもないだろうにそう見えるのは、カウツがシムという男の人間性を悪辣なものとして捉えているからなのかもしれなかった。
独裁者でもない限り殊更政治家というものは外面が良くなければならない。自分を装う事さえ出来ず人間性が滲み出ているような者は政治家向きとは言い難い。
そういった意味ではシムもまた外面を気にしているはずで、彼をよく知らない人間にはよく見えているはずだった。だからこそシムを悪く捉えるカウツの見る目が厳しいのは間違いなかった。
「……分かりました。詳細は追ってご連絡いただければ」
「ああ。よろしく頼んだぞ」
はっはっはと快活に笑って肩に置かれた手が脂ぎって重い。言葉にならない嫌悪感を必死に隠し頭を下げるが、立ち去らない気配があったので顔を上げると死んだ魚の目をしたカイがそこにいた。
「先日は……本当に助かった」
顔を寄せ、蚊の鳴くようなか細い声で礼を言う。
「それはお互い様でしょう。カイさんが出なければ、最悪俺に白羽の矢が立っていたかもしれない」
盗み見るように視線を動かす。先に行ったシムが少し離れたところにいるのを確認してから、やや早口でまくしたて始めた。
「……フィーダもミツもいなかったからな。シム室長が許可を出さなければ、確かに最悪お前の出番だった可能性はある……が、それは団長が嫌がっただろう。だからこそシム室長は要請を受諾したとも言えるが」
「トトミー団長に借りを作るためですか」
「そうだ。いかにもあの人が考えそうな事だろう」
その言い草に思わず笑ってしまいそうになる。一つも冗談めかしてないのに、カイの認識と自分の認識がさして変わりないのがどうにも面白くて仕方なかった。
そして同時に気の毒にも思う。カイは戦団からの出向で魔術省の大臣であるシムの護衛という任に就いていた。立場上、身の危険があり、さして戦闘能力に秀でているわけではないという理由から魔術省の大臣には戦団員が護衛に就くのが決まりとなっている。
そのためカイは戦団員でありながら、その預かりは魔術省のものとなっていた。
前回の輝翼鳥の一件で戦団がシムに借りを作ったというのはそういうことである。
「何をしている、カイ!さっさと来んか!」
カイが付いてきていないことに気がついたシムの怒声が響き、カイの目が虚ろなままにそちらに向いた。
「申し訳ありません」
言い訳一つせず頭を下げるその姿に思わず同情しそうになる。その憐憫の視線に気が付いたのか、カイは顔色一つ変えず首を小さく振ると「それでは、また」と一言残し去っていった。
その後ろ姿を見送っている間にもシムのカイを罵倒する声が延々と響いていた。




