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男の夢を見た。
遠ざかっていく。失われていく。あったはずの物が取り上げられる。
喪失は喜びを知っているからこそ尚、強い痛みを伴う。
その感傷に涙をこぼす。
既にほとんど体の自由がきかないが、やらねばならない事は明白でスオの指先は一線を引く。
莫大な霊素が膨大な魔力を生成しあまりにも巨大な魔力弾が放たれた。
杖を介さない魔力弾は、その精度がガタ落ちしていた。制御はあまりにも中途半端で、迸るエネルギーが暴走している。
それでもそれは死魂蟲へ向けて放たれた。着弾と同時に爆発する。異様な熱量が削られた存在領域を更に熱し焦がして剥がしていく。
その熱波はスオにまで及んだ。無意識に張られた魔力障壁も益体なく溶かされていく。ちりちりと皮膚を焦がすその痛みを半ば感じることさえできないまま、死の危険に晒されていた。
チリンと涼やかな音がする。鼓膜を震わせ、鈴が鳴る。
エオメルの投擲した鈴がスオの耳を掠め、爆風の中まっすぐに飛んでいく。
聖鈴騎士の鈴だ。大量の霊素が封じられている。個人の証明に使われるエオメルの歴史が鈴を内部から破壊して漏出する。その霊素がスオを爆発から守った。ロングコートの襟を掴まれ後ろに投げ飛ばされる。
意識が飛ぶ。スオの出番はここまでだった。後はエオメルの仕事である。
スオを守った霊素の膜を自ら突き破り熱波の中へ身を晒す。エオメルの存在領域は霊素獣のそれと同じく堅固な守りを発揮し吹き荒ぶ暴威の中を突き進んだ。
すっかり薄くなった死魂蟲の存在領域に触れる。それでも第三段階に相当する守りはあるだろう。生き残った腕に光る霊素の剣が吹き出すように出力を上げそれを突き破り侵食する。
蛍の形をした死魂蟲の霊核に刃が届く。
深く沈み込むような感触と、命を砕く軽い音がした。
大気を震わす声なき声が響き渡る。その絶叫は荒波のように周囲の物を吹き飛ばす。それはスオの魔力弾の爆発をかき消し、エオメルもまたその衝撃で吹き飛ばされ体が地面に投げ出された。
死魂蟲の存在領域がポップコーンのように爆ぜて無数の蛍の光のように拡散していく。
イルミネーションに飾られたみたいに夜が明々と照らされている。仰向けになって倒れながらそれを眺めるエオメルは目を奪われていた。
「……ああ、綺麗じゃないか」
呟く声に力はなく、体もうまく動かない。限界が来たようだった。
その疲れ切った体に、細い糸のような光の筋が痛みもなく突き刺さる。
見上げた先には無表情に見下ろすジョージがいた。
「これで詰みだな。コイツは死魂蟲の霊撃を研究して抽出した魂を抜き取る魔術だ。範囲は狭いし準備には時間かかるしであんま役に立たないが、この状態なら関係ない」
光る糸はエオメルの胸に突き刺さり、しかし痛みもなく、傷一つない。しかし、確かに何か、命を握られている気配がした。
これが魂を掴まれる感覚か。寒気を覚えるように体の奥底で冷たいものが生じている。
「……それが君の研究か?」
「その一つだ。俺の仕事は魂にまつわる研究で、その一環として霊素獣の霊撃を人間の魔術に落とし込むというものがあったんだ」
シジューの周囲に張られた糸を思い出す。そして先程出会った霊糸蜘蛛を。
「あの蜘蛛は君が放ったのか」
「そうだ。お前の注意を逸らすために使ったんだ」
「……何のために?」
一度、二度と口を開いて、また閉じた。どこか説明をためらっているように見えた。
「……色々あったんだよ。もっと上手くできるはずだったんだ。それがこのザマだ」
自嘲するように吐き捨てると、エオメルは生命の危険などないような呑気な顔でふうん、と頷いた。
「何をやろうとしてたか知らないけどさ。でもなんかこのシチュどっかで見た気がするよ」
「ニャ助であったな。まあ、ニャ助は殺さなかったんだけど」
「殺せるわけないよねー。何だかんだ理屈つけて別れの言葉を告げて去っていくの端的に言って泣けた」
「銃の種は……めっちゃ殺し合ってたな」
「完全に殺しにかかってたしどう見ても死んでたよね。まあ生きてたんだけどさ」
「アドルフに勧告したい」
「名作すぎる。まあ、やらかした事があれすぎるんで殺し合いも仕方ないよね」
他愛のない会話だった。まるで命のやり取りをしているなんて嘘のようだった。昨日の延長で続く今日が明日も来るのだと信じられていた、いつかのようだった。
それこそ嘘だった。
ふぅ、とため息をつく。
「よし、そろそろいいだろ。殺しなよ」
「……勘弁してくれよ。何でそんな死にたがってんだよ」
ジョージの無表情が崩れる。心底嫌そうに丸められた紙みたいに顔をくしゃくしゃにする。
おかしな話だった。生殺与奪を握っている側が泣き言を口にしている。そして握られている側が朗らかな表情を浮かべていた。
「正直に言えばね、僕はホッとしているんだ。君を弾劾せずに済むからさ」
「正義の味方になるんじゃなかったのかよ」
「そのつもりだったから、本気で君を止めようとしたしあの霊素獣だってやっつけた。こうなったのは単に力不足の問題だよ」
「あの小僧も俺は殺すぞ」
その断言にはさすがに眉をしかめる。
「うーん……それはちょっと申し訳ないな。どうだろう。僕の命だけで勘弁してもらえないかな。彼は助けてやってほしい」
「無理だ。助けるにしてもお前だったんだよ。魔術師を放置出来るか」
「そうか……じゃ、仕方ないね。そうだ、一つお願いしてもいいかな」
「……何だ?」
「僕の墓前には新刊を供えてくれ。それで存分に語り合おうじゃないか」
「……教会の教えじゃ、魂は霊流に還り、いつか新生するんだろ」
一瞬、キョトンとした顔を見せたが、すぐに噛み殺すようにエオメルが笑う。ひどく意地の悪いイタズラめいた笑みだった。
そして、とっておきの秘密を打ち明けるように口にした。
「そんな教え、知ったことじゃないね」
聖職者としてあるまじき事を聖鈴騎士はぶちまけた。
「僕はね、教会の教えのもとで育ったし、そいつで倫理観を構築したりもしたけど一から十まで正しいなんて思っちゃいない。さもなきゃ正義の味方になんて憧れるもんか」
創作の中に夢を見た。作り話の英雄に憧れた。その道徳と倫理に共感した。
その中には教会の教えに反するものもあった。それでもそちらの方が正しいと感じてしまった。
それなのに、エオメルは聖鈴騎士になった。そのほうが都合が良かったからだ。
「僕は矛盾した生き物だ。でもそれでいい。僕は僕の信じる正しさに味方したいだけなのさ」
「何て自己中な」
友の本心に、ジョージは呆れ返るしかなかった。
でも。笑ってしまう。その身勝手さが痛快だった。
「でも、そうだな。お前の言うとおりだ」
光の筋がエオメルの胸から引き抜かれる。寒気がなくなり、どくんどくんと心臓の音が蘇ったような気さえした。
「……何を」
しているんだ。そう言う前に、ジョージは自らの胸に光の筋を突き刺した。
「ジョージっ!?」
「……あー。こんな感じか」
まるで他人事のように、虫の観察をするみたいに気の抜けた声をしていた。
光の筋がその胸から引き抜かれる。その先端には丸く茫洋とした大きな蛍の光にも似た何かが突き刺さっていた。
そして、ジョージは声もなく倒れた。
「ジョージ……?」
呼びかけには応えない。虚ろな瞳が光を失っていた。
ジョージはその時、既に死んでいた。
「嘘だろ、ジョージ……?何だよ、それ。意味分からないじゃないか……!」
砕けた蛍の光が宙を舞う。行き場を失ったように明滅する。その光に混じって湖からこっそりと顔を出すようにして光が浮かび上がってきた。
一つ、二つ、三つ……数え切れない程の光が浮かび上がり、空へと登っていく。火の粉のように糸の切れた風船のように。
光が空へと飛び去る前に、うすぼんやりとした影が浮かび上がる。それは人の形をしていた。
死魂蟲の霊素が砕け散ったからか霊素溜まりがそこら中に濃く出来上がっていた。幽霊たちの記憶と記録が映し出されて、声まで聞こえてくる。
『ありがとう』『嬉しいよ』『幸せだ』そういう事を誰もが笑顔で口にする。
森の向こうから人がやってくる気配がする。この光景に驚きの声を上げている。
「こ、これは……」
女性の声がした。ロシリエルの声だった。
「一体何が起きてるの?」
キーアの声。
「どういう事情か知らないけど地下空洞から解放された魂が霊流に還ってるんだ」
アレクトの声。
「……あ」
そんな中で、ミアの声だけは小さく震え、今にも崩れてしまいそうだった。
「おとうさん……?」
『ミア、どうか幸せに……』
その幽霊は小さな何かを抱きかかえ、愛おしそうに頬を寄せていた。その存在が在る事に無上の喜びを覚え、惜しみない愛を注いでいる。それが見る者すべてに伝わってくる。
「お父さん……!お父さん……!」
泣き崩れる少女の声は、しかしもはや悲しみだけではなかった。愛されていた事への喜びと感謝で満ちていた。
その背中をそっとロシリエルが撫でる。少女は声が枯れるまで泣き続けた。
その声が耳に入りながら、しかしエオメルは全くの他人事にしか感じられなかった。
「なんでなんだよ、ジョージ……」
空に問う。返ってくるはずもない答えを待ちながら、涙で滲む空を見る。
だから気付かなかった。ジョージの魂が糸が切れたように空へと登っていく事に。
そして、魂が霊素溜まりを通過して色写りの悪い写真のようにジョージの姿がそこに映し出された。
『……理由なんて聞くなよ。友達だろ?』
その声に、吐息が漏れた。唇がわななき、止められない。喉の奥が震えて何か、言葉にならない声を上げていた。
ーー僕を大切に思う人は僕の人生を粗末に扱えずその重さに潰されてしまうかもしれないーー
なんて馬鹿だ。自分で言ったのに。人に自分の選択権を委ねてはいけないと。
静かに涙が流れていく。時間の流れは取り返しがつかなくて、過ぎゆくものはするりと手のひらを通り過ぎていく。
……空へ登っていく光は螺旋を描きあるべき場所へ還っていく。大いなる天上の流域へ。
いつまでも、いつまでも。




