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おうちに帰るミソロジー  作者: かわのながれ
シジューで
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少し前の事である。


山中でエオメルから逃げ回っていた霊糸蜘蛛が突然足を止め、自ら首を差し出すようにその体を無防備に曝け出した。


すわ、何かの罠かと疑いつつもその霊核を貫くと霊糸蜘蛛は今際の声を上げて散っていった。


おかしな事態に首を捻っていたエオメルではあるが、とにかくやるべき事は済ませたからシジューヘ戻ろうとしたところ、糸が反応している事に気が付いた。これはすぐさま監視塔に行かなければと動こうとしたが、そうするまでもなく霊素獣の群れが雪崩か地滑りかという勢いで山を下っているのが見えた。


それを排除しながらも追いかけていくと湖の方へ向かっている様子だった。


すぐにジョージの事が頭に浮かんだ。彼には戦う力はないはずだった。これは急がねばなるまいと湖周辺に辿り着いたエオメルが見たのは周囲に糸の結界が張られた異常な有様だった。


そうして、今に至る。


「スオ君。何があった?」


エオメルはジョージを見ていた。まるでその動きを牽制するかのように。


「聞くな、エオメル。今ならまだ殺すのはそいつだけで済むんだ」


ジョージの口調が変わる。喋るのがばかに早い。そこには焦りが見えた。


「……」


その言葉はむしろスオに有用だった。死の際にエオメルを巻き込むと知ってスオは何も口に出来ない。果たして何が正しいのか、理屈の上では明確な筈なのに、何かがスオに話す事を躊躇わせた。


「スオ君」


しかし、エオメルは頑として譲らなかった。


「エオメル!」


視線が彷徨う。逃れる場所などどこにもない。選択肢は自分にあり、責任もまた自分のものだった。


口が開く。栓が緩んだ蛇口のように言葉が漏れ出て来る。


「……あの人が。あの人が家の地下で……人殺しを……」


「……そうか」


瞳を閉じて、頷くエオメルに対して取り返しのつかない事をしたのではないかという罪悪感が襲ってくる。


その背中から受け取れる情報は何もない。悲しいだとか悔しいだとか、腹立たしいだとかそんなものを感じ取れるには付き合いが短すぎた。


「どういうことなんだ、ジョージ」


声は抑揚がなく、冷静に聞こえた。努めてそうしているのだろう。相対するジョージは明らかに気落ちしたように肩を落としていた。


「……はあ、聞いちまったか」


首を傾げ前髪をかきあげる。苛立ったように頭を掻きむしると、やや剣呑な目つきをエオメルに向けた。


「出来れば俺はお前を殺したくない。全部忘れてなかったことにして立ち去ってくれないか」


「ジョージ」


エオメルがゆっくりと首を振って否定した。


「僕が何を志しているか、君は知っているだろう」


ほんの少しの沈黙。交差する視線が断絶を語っていた。


「……正義の味方か。参るな。そりゃあ確かに退けないよな」


子供のような夢。口にするのも馬鹿らしくなるような幻想。


それでも、ジョージは笑わないし、馬鹿にもしない。友人がそれを信じ、成そうとしていることだったからだ。


「そうだ。だから君こそ大人しくしてくれないか。頼む、悪いようにはしないから」


懇願するようなエオメルの声は、とても正しい。この場においてまったく普遍的に正義の味方が口にするべき言葉だった。


「エオメル……」


しかし、ジョージは今度こそ笑った。


「お前は馬鹿か。状況を見ろ。第五段階霊素獣だぞ。倒せるわけないだろうが。お前に」


一匹の蛍がジョージのすぐ横を飛んでいる。圧倒的な存在領域がジョージをも包み込んでまるで象のような巨体と存在感を示している。


「……」


エオメルは何も答えない。それが事実だからに他ならない。


そんな事は分かりきっている。だからジョージは無駄だと分かっていながら言葉を重ねた。


「俺はお前を殺したくないが、だからといって放置も出来ない。退かないってんなら尚更だろうが」


ああ、と頭を抱えた。心底からこの状況を嘆いているのが第三者のスオから見ても明らかだった。


「本当に予定がメチャクチャだ。こんなはずじゃなかった。こんなはずじゃ……」


泣きそうな声でグチャグチャとした悲鳴を上げていた。そう、悲鳴だった。


優位に立っているのはジョージなのに精神的にはまるで傷だらけ、ボロボロの有様だった。


何かしらの計画があったのだろう。それをエオメルには悟らせる気はなかったに違いない。後ろ暗い事をやっていたのは間違いない。露見してはならない事もあった。


それでも、それを楽しんでいたわけではなかったに違いなかった。


「ジョージ……」


エオメルが友人の名を呼ぶ。


同情したのか、と言われれば違うはずだった。友人がひどく焦燥しているのに心を痛めているのだ。こんな状態に成り果てた友人を見るのは初めての事だった。


思わず手を伸ばそうとして、ジョージが嘆くのをやめて動きを止めたのを見た。


「……とりあえずやることやってからだ。後のことはその時考える」


触腕が伸びる。ゆっくりとした動きで四方八方から今度はエオメル目掛けて動き出す。


その全てを腕から伸びた光の剣で叩き返す。


しかし、先程よりもその触腕は重く感じた。弾き返す触腕がすぐに戻ってくる。圧は次第に増していく。


それでも高速の剣さばきで触腕は弾き返され続けていたが、次第にその速度が早くなってきている。霊核の分裂から回復が始まっていた。


このままではいずれ包囲されて逃げ場がなくなる。触腕の隙間を縫って包囲を逃げ出すが、一本の触腕がその腕に触れる。


「……っ!」


ぬるりとした感触が腕の中にあった。血管に己の血ではない何かが蠢くような悪寒。そして、腕に通していた霊素が飲み込まれていくような感触。


食べられている。その生物としての絶対的な恐怖に霊素を爆発的に放出させた。触腕から逃れ地面を転がり回る。


間髪入れずに立ち上がるが「食われた」右腕は力なくぶら下がっている。使えなくなったわけではないし、動かないわけでもない。しかし力が入りづらい。しばらくはまともに使えそうになかった。


「エオメルさんっ!」


右腕に気を取られて一瞬動きを止めたエオメルに次の触腕が襲いかかってきていた。一本や二本ではない。完全に避けるのは不可能だった。


「心配すんな。計測している上では痛みの波長が出たことはない。魂は安らかに引っこ抜かれるよ」


ジョージの声には抑揚がない。嫌で嫌でたまらない。そんな感情が透けて見えるのに、決して死魂蟲を止めたりはしない。


触腕が迫る。片手ではバランスが悪い。先程までは防げた触腕が防ぎ切れない。


食われる、そう思った矢先に何かの影が飛び込んでくるのがエオメルの目に映った。


「くっ……」


「スオ君!?」


スオの手がエオメルに迫る触腕に触れる。触腕はエオメルからスオへと標的を変えた。


「ぐっ……」


苦悶の声をあげるスオの周囲に黒い魔力が吹き出した。それと同時に触腕がみるみる小さく萎んでいく。そして触腕が一つ丸々消滅するとスオは杖で一線を引き魔力弾を発射した。


魔力弾はあまりにも巨大だった。光をまぶしたような闇の塊がスオに数倍する大きさまで膨れ上がる。


その魔力弾は他の触腕を巻き込んで空の彼方へと飛んで行った。


想像外の事態にジョージが目を瞠る。


「存在領域が食われた……?そうか、小僧。お前、精霊か」


スオの正体を看破し目を向けると、金色の髪や青い瞳が黒く染まりその顔は脂汗にまみれ息を荒くしていた。


「大丈夫か、スオ君!?」


ふらつくスオにエオメルが慌てて近寄りその体を支えると、胡乱な目付きをしたスオがむずがるような仕草で頭を揺らした。


「エ、エオメルさん……大丈夫です……でも、アイツを倒す目処つきました」


「なんだって……?」


「魂を取られる前に、俺なら……逆に霊素を奪えます……」


実際の所、賭けであった。下手をしたら霊素を奪う前に魂を抜かれる危険性があった。しかしスオはその賭けには勝った。


死魂蟲の存在領域を精霊であるスオならば削れる。


「あの触腕……前に霊素を吸った黒焔獣より量は多かったけどそこまでじゃなかった……多分霊核を守ってる存在領域はそれより多い……」


けど、と繋ぐ。


「大部分は、吸い切れます。そして魔力弾をぶち込みますから何とかして霊核を潰してください」


「しかし、それは君に危険が……」


エオメルの手を逃れ一人で立ち上がる。子鹿のように震える足を叩き黙らせた。


「いずれにせよこのままじゃ二人共死にます」


その目は死に逝く者の目ではなかった。戦い、抗い、生きて帰る意思を持った戦士の目をしている。エオメルにはそう見えた。


「……分かった。頼む」


スオが走り出す。迫りくる触腕に魔力弾を放ち一瞬にも満たない時間を作り出す。そのあるかないかの間隙を縫って前へ進む。


もう、霊素を吸う事は出来ない。存在領域を崩すための後一度しか体は言うことを聞かないだろう。


まして、前回はアレクトがいた。今回はいない。アレクトの補助があればこそ無茶な事が出来たという自覚はある。


だが、前回の無茶とアレクトの補助のおかげで吸い込んだ霊素をどうすればいいのかが何となくスオには理解出来ていた。


「馬鹿だな、小僧。そういうのは自殺と言うんだぞ?」


ジョージの声は呆れ果てたものだった。精霊に関する知識があるのだろう。スオは自らの限界を悟られているのかと身震いする。


その上で声を大いに張り上げた。


「そんな無責任に死ぬものか!」


自らを鼓舞する言葉に足が軽くなった錯覚を覚える。義務感よりも希望こそ己を奮い立たせるのだと今こそ理解した。


死なない。生きて戻る。残り少ない活力が最後の火を燃やそうと大きく膨れ上がった。


触腕をすんでの所で避ける。湿った草土が足元をさらおうとする。倒れるものかと体中の平衡感覚を働かせてぬかるむ大地を蹴りつけた。


触腕を避けながらジリジリと距離を詰める。エオメルの援護のおかげで少しずつ少しずつ近付いていく。


もう少し、あとちょっとーー


その伸ばした指先が触れるかどうかというところでジョージがつまらなさそうに己の指を弾いた。


触腕に捕らえられていた霊素獣の霊核が大仰なくらいに脈打つ触腕から栄養素を補給されるように膨れ上がっていく。


獣の形が出来上がる。肥大化した山羊のような獣が触腕から逃れ中空から地上へと降り立った。


「何だ、それ!?」


悲鳴のように叫ぶ声に呼応するかの如く二体目、三体目が次々と同じようにして現れる。


獣達はそれぞれスオとエオメルに狙いを定めているようだった。脇目も振らず猛然と寄ってくる。


杖が一線を引く。無意識に等しい動作でも魔術は発動し魔力弾が飛ぶ。避けるという発想がないのか、与えられていないのか。獣は魔力弾に直撃し、一瞬仰け反ったがすぐに体勢を立て直し突っ込んでくる。


歯噛みして己の未熟を呪う。優れた魔術師ならば今の一撃で滅ぼしている。自分がそう出来ないのは引いた線が下手くそだからだとスオは自覚していた。


そんな悔恨すら今は無い物ねだりに過ぎない。足は止められない。奇跡を待つより選択肢がなかった。


だが、奇跡を願うまでもない。裂帛の気合と共にエオメルが飛び込んで獣の首を狩る。空を飛ぶ頭が正気を失ったまま死んでいた。


「行け!」


言葉を返したりしない。頷きもしない。そんな余裕はどこにもない。倒れ込むように前へ。指先が死魂蟲の霊核と思しき蛍を包む存在領域に触れる。


ーー全部、ここで。


もったいぶっている暇はない。全力で霊素を吸収する。


体の中に、血管にどす黒い液体が染み込んでくる。血が隅から隅まで汚されていく。どぶ沼の中に落ちたような気分。汚されていく悪寒に耐えながら無限に等しい毒を飲む。


減っている気がしない。視界が死んでいく。意識が混濁する。終わりの見えない闇の中で死ぬまで走れと心臓が鼓動する。


だからまだ生きている。感覚はまだあった。飲み込んでいる。見えないし聞こえないけど、精霊という自身の特性が霊素獣の記録で汚れた霊素を容赦なく濾過しているのだけははっきりと理解出来た。


その中で、蛍の夢を見た。


夜の中、蛍の小さな光をお供にして男が人里を歩き、死した人達の魂を蒐集していた。暗い地下室で、遠い昔に死んだ誰かの遺体に魂を出し入れしている。


ーーああ、あの死体はそういう事だったのか。


過去を覗き見て、理解する。


場面は何度も暗転する。


(……どうだろう。持ってきた論文は役に立つかね?)


(……魔力色学、特殊摩擦係数と閾値に関する論文。基本線その基準値と変数における相対論に関する考察……おまけにサーティマ予想が証明されてる……何が起きてるんだ、世の中で)


(黄金の青……そう呼ばれる天才が魔術院に現れてそれらの論文を発表し数々の発見をした。驚いた事に新たに基本線を十本程見つけたそうだ)


(……何だそれは。そんな化物が生まれていいのか。俺達は何のために研究してるんだ。馬鹿らしくなる)


(いいじゃないか。研究に使えるのなら。彼は間違っても君の分野に関して手を出したりしないだろうからね)


(……)


場面が暗転する。


(才能があるつもりでいた。およそ己以外の人間は無能だと信じ込んでいた。この世の叡智は自らの手元にあって、それが人類の最高峰だと……)


(間違っていた。まるで道化のようだ。渡された論文や報告書はまるで未来からやってきた資料のようだった。闇の中にあった知識や情報が補完されていく。そのえも言われぬ快楽が著者の天才性を否が応でも知らしめた)


(研究は進んだ。進んだが以前にもまして虚しくなった。自分がどれほど時間をかけたところであの天才には辿り着けない。同じ課題を渡したならとうの昔に終わらせているに違いない。あの天才の分野の広さは自分の領域に踏み込み跨いでいる)


(なんてくだらない生命だ。つまらない人生だ。生きているなんて馬鹿げている。ああ、だけどこの世には楽しみがある。自分がどれ程矮小でも楽しい事はある。誰ともそれを分かち合える事はないけれど……それでいい)


場面が暗転する。


(だからねえ、やっぱり八巻は最強なんだよ。後輩達を命がけで守り死んでいくニャン吉さんが涙腺を殺しにかかってる)


(分かる。分かりすぎて死ぬ。あそこでニャンと!は名作として完成を見た。その上で十一巻の決着に勝る美しさはないでござる。清すぎて魂が召されるかと思った)


(決着後の顛末も良かったね。主人公であるニャントとの対比も良かった。作者天才過ぎて生まれてきてくれて有難うございますと神に感謝した)


(……生まれて初めて同士が出来た。己の性能の良し悪しに囚われない、ただただ話してるだけで楽しい友達だ。見下す事も羨む事もない。俺達は同士だった)


(それで気が付いた。何だ。人生って結構楽しいものじゃないか)


落ちる。意識が消える。

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