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黒庇山脈以北の地は魔法使い組合によって開拓されたフロンティアであった。
魔法使い組合の誕生はレンレセルにおける暗黒時代に端を発する。
相応の目的と将来的な計画性を以て設立された組織である魔術院ではあったが、組織の拡大と成熟は比例せず規律規範を制定しながらもこれを構成員に徹底するところまでは行かず、それどころか二代目院長の死没によってそれまで抑えつけられていた者達、力を持って奔放に振る舞おうとする面々の取り締まりさえ覚束ない有様だった。
三代目魔術院院長カッガはこれを治めるべく院長に対する助言機関であり諮問機関でもある三頭会議によって選出され当時の混乱を鎮めたとされる。
この際、彼の院長の制裁を逃れた者達が黒庇山脈を越え魔術院の手が及ばぬ領域にて魔法使い組合の基礎を作ったという。
組合の方針は単純明快である。自由なる魔術の行使。自由な生活環境の獲得。自由意志の確立。すなわち「自由」である。
自由というものに拘り、束縛の多い魔術院を敵視する彼らの組織としての在り方は互助組織に近く、お互いの暮らしを良くするための活動が基本となった。
好きな場所に行き、好きな暮らしをし、好きなように魔術を使う。その単純な志向性の下で多くの悲喜こもごもが生じたが魔術院の領域に足を踏み入れない限り概ね平和な暮らしをしていた。
その中で、ある種の思想が台頭し始める。
魔術という特別な力を行使する存在は、その力に責任を持ち、力無きものを支配する事によって庇護しなければならない。
魔術優生論と呼ばれるそれは所謂選民思想に他ならず、優れた能力を持つ者こそ支配者として正しいという考えから自らその力を戒め積極的に使いたがらない魔術院に対する敵意は並々ならぬ強さとなっていった。
プライドには力が必要である。自然とこの思想を持つ者たちは研鑽を積み、研究と訓練に没頭し組織としての強固さをより一層確かなものにしていった。
しかし、この思想が全ての組合員に受け入れられたかというとそんな訳もなく、彼らに反発する人々は自らを穏健派と称し、翻って彼らを過激派と呼んだ。
過激派は順調に力を付けていったが、その過程で必然的に他者への強要を始めていた。これが穏健派から嫌われる要因となっているが、渋々ながら穏健派もまた過激派に協力せざるを得ない面があった。
過激派の活動は結果として組合に利益をもたらしそれが穏健派にも及んでいたからである。
……成長と躍進には時に我慢を求められる。意に沿わぬ者はこれを束縛に感じ、また嫌がるだろうが結局恩恵にあずかるのなら相応の代価を支払う必要がある。
自由を求めた結果、彼らにはまた違った不自由が追いかけてくる。
それは仕方のない事だと言えた。
然るに、ジョージは生まれた時から不自由だった。ジョージは親の顔を知らない。組合の未来のために優秀な遺伝子を掛け合わせて生み出された試験管ベイビー。それが彼だった。無事この世に生を受けた彼を待っていたのはエスカレータ式の人生だった。過激派の育成プログラムに従って教育を受けた結果、研究職への適性を認められそちらの方面に自動的に進み性能を磨き続けた。
そうする事に興味があったわけではない。そうする他になかっただけで、そうしたいと思ったこともない。
ただ、そうするのが正しいと叩き込まれ刷り込まれ、他の生き方を想像する余地もなかった。
そんなある日、彼は一冊の本と出会う。
誰かが戯れに持ち込んだその本はジョージにとって未知の体験だった。夢や希望、愛や友情、冒険の物語であった。
どれもこれもジョージには縁遠く、存在する事すら考えたこともなかった。それからというもの、ジョージは漫画蒐集に精を出すようになった。漫画をはじめとした黒庇山脈以南の数多の娯楽は黒庇山脈以北にはほとんど入ってこないためそのコレクションの数は増やす事が難しかったがそれでもこういったものにもっと触れたい。そう思った彼に転機が訪れる。
組合が行ってきた非人道的な数々の実験が明るみに出た事で魔術院や、教会を巻き込んでの大抗争が発生した。これによって過激派は追い込まれ命令系統は寸断され、その活動を縮小せざるを得なくなりジョージには若干の余裕が生まれた。
そんな中、穏健派のトップからシジューへの人員の派遣が提案された。理由としてはシジューに残された人員と連絡がつかず、戦力的な面でも魔術院に踏み込まれたら明け渡さざるを得ないという事実上の空白地帯と化していたためである。
これを防ぐために教会との取り決めで教会に護衛圏としてシジューを譲る代わりにいくつかの条件をのんだ上で組合の人間を在住させる事を認めさせたという経緯がある。魔術院に踏み込まれればこんな譲歩すらないのだから最善だったと言える。
これにジョージは自ら名乗り出た。黒庇山脈を越えるということは数多くの漫画を取り扱うセンティーアにアクセス出来るという事である。正に渡りに船だった。
勿論、自分がセンティーアに行く事は出来ないだろう。だが、センティーアへ行く人間を用意する事は容易くなる。本の入手が今より遥かに捗るようになる事だけは間違いなかった。
しかし、ジョージは優秀過ぎた。研究者として活動させるのならシジューヘの派遣などさせるような人材ではない。それでもめげずにシジューヘ行く事を主張するジョージの熱量は常にないもので上層部を大いに困惑させた。
これに対し、上層部から一つの条件が出された。魔王から譲渡された第五段階霊素獣死魂蟲を用いた研究を進め、成果を提出すること。一も二もなくこれを受け入れジョージは晴れてシジューヘと向かうのだった。
シジューヘ辿り着いたジョージはその牧歌的な暮らし振りに驚いた。人々はさしたる危険を感じることもなく日々を暮らしており、あまりにも呑気に見えた。
彼の知識では人々はその生活を霊素獣に脅かされ力ある者が守らなければ今日を生き抜く事さえ難しいと聞いていたからだ。
残された組合の人間は三人いた。彼らは組合との連絡が取れなくなった後もシジューを守り続けていた。力ある者がない者を守るのは当然であると彼らは語り霊素獣の排除を続けていたという。
彼らとシジューの民は良い関係を築いていた。シジューの人々は彼らによく感謝をし、彼らもまたシジューヘ愛着を持って横暴に振る舞うことなどはしなかったらしい。
三人いれば守り切れるという事に知識と現実の乖離を見た気持ちになったが、それはそれで結構なことだ。ならば今後ともシジューの防衛は彼らに任せればいい。ジョージは自らの研究を進めることにした。
しかし、彼らはこれに難色を示した。霊素獣を内部に入れることは勿論、その研究の為に必要な行為にも。
彼らはジョージを追い出そうとした。だが、そういうわけにはいかない。教会との取り決めやジョージ自身の目的のためにシジューから追い出されるわけにはいかなかった。
それ故に、協議の結果、彼らには研究の実験台になってもらう事にした。
第五段階霊素獣死魂蟲。その霊撃は存在領域を触腕のように伸縮させ肉体に傷一つ付けることなく魂を抜き出すというものである。
これによって三人は為す術なく魂を抜き取られ絶命した。
その肉体と魂は湖付近に建てられた小屋の地下で管理することにした。
周辺の防衛のために糸を張り、また死魂蟲によって霊核を奪い意のままに操れるようにした霊素獣を周辺に放ち防衛にあてた。
以降の五年間、ジョージはセンティーアから漫画を取り寄せつつ研究を行う日々に埋没していった。
五年目。教会の聖鈴騎士がやってくるとクルニアから聞かされた。それまでも巡回騎士達がやっては来ていたがあくまで逗留に過ぎずシジューに根を張った駐留騎士ではなかった。
それが今度は駐留騎士がやってくるという。正直どうでも良かったが自身の放っている霊素獣と遭遇されても面倒である。霊素獣どもをある程度回収し、第四段階霊素獣の霊糸蜘蛛のみを山中に潜ませておいた。
そうして、その男はやってきた。緊張感のない顔、柔らかな物腰、そして大量の漫画を携えて。
「はじめまして、聖鈴騎士のエオメルといいます。お近付きの印にどうです?僕のイチオシを持ってきました。知ってます?ニャンと!超面白いしヤバいくらい尊いんですけど」
にへらとした締まりのない笑顔を浮かべたその男はジョージにとって恐らく生まれて初めての同士だった。
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ふと、意識が途絶えていた。
目の前では死魂蟲の触腕から逃げ回る魔術師の子供、スオの姿があった。
余程余裕なく暴れまわっていたのだろう、白いロングコートは泥だらけになって汚れており本人も汗まみれになって肩で息をしている。
おかしな話だった。
本来ならこんな状況にはなりえない。瞬きする間に終わる話だった。しかし、死魂蟲の霊核を長い事分裂させすぎていたせいか本来の機能から程遠い状態になっていた。
存在領域から伸ばされる触腕はナメクジが這うような遅さでのったりとした動きでスオを追っている。勿論一本ではない。無数の触腕が四方八方から襲い掛かっているが、いかんせん遅すぎた。必死に触腕を避け転げ回りながら逃げ回っている。
本来ならとうに終わっている。だが、触腕の遅さによって仕留め切れない状況と、かといって森から逃げられないため追いかける必要もないという状況、その二つが重なった結果、時間の問題ではあるものの退屈な時間が続いていた事もあって意識が飛んでいた。
あくびを噛み殺し早く終わらないかなと眺めていると触腕をひきつけたところで避けたスオに一瞬の余裕が生まれた。手に握られた杖が一線を引き魔力弾が飛んでくる。
それは、死魂蟲の存在領域に阻まれあえなく消え去った。
「無駄なことはやめとくでござる。コイツの存在領域は超絶強力なのでお前ごときじゃいくら撃っても破れないでござる」
存在領域とは、肉体から放出される霊素によって構成される個人の占める領域を指す。ここには例え空間掌握を行っても魔術を指定して発生させる事はできない。
この点に関しては人間も霊素獣も同様だが、違う点がある。
不要な霊素を排出する機能を持つ人間にとって存在領域は必要分とされた霊素によって構成されている。人間が霊素を必要とするのは魂の充填と存在領域の維持が理由とされている。
一方で霊素獣には余分な霊素が存在しない。その全てが使用される。魂、霊核の充填。存在領域を含む肉体の運用。彼らにとって霊素で構成された存在領域とは肉体の延長にある。
小さな一匹の蛍くらいにしか見えない死魂蟲ではあるが、実際の所その存在領域までがその肉体と呼ぶべきものであり、儚く見えてその実あらゆる霊素獣のなかでもトップクラスの防御能力を持ち合わせている。自己の存在を規定するためにある人間の存在領域と存在そのものである霊素獣の存在領域ではまるで役割が異なると言えた。
とにかく、死魂蟲が動きを鈍くしていたところでその防御力は健在である。どう足掻いてもスオには勝ち目がなかった。
あとはなるべく早く終わってくれればいい。そう考えていると外部から森に張り巡らせた糸に反応があった。
「ああ、しまった……クッソ忘れてたでござる」
悪態をつきながら腕を振るうと小気味良い音を立てて糸が千切れて煌めきながら踊るように宙を舞う。包囲網の一部が破られるとそこから雪崩込んでくるように十体程の霊素獣が入り込んできた。
「何だ!?」
スオが悲鳴をあげるように叫んだ。
触腕が標的をスオから霊素獣へ変える。
霊素獣どもはまっすぐに死魂蟲へ向かって突撃してくる。ここまで強力な霊素獣からは離れようとするのが霊素獣の習性だというのにその霊素獣どもは明らかに理性を失い暴走していた。まるで飢えた獣が久し振りの餌に喰らいつくような有様だった。
死魂蟲の触腕が伸びる。無謀に突っ込んでくる獣共は何も躊躇せず触腕に触れた。
するりと沈み込むように触腕が肉体を通過する。山羊型の霊素獣の背中から触腕が突き抜けて現れるとその先端には水に濡れたように艶めく宝石の様な霊核が掴まれていた。
魂を抜かれた肉体は意識を失ったように速度を殺せないまま転び地面を削りながら倒れ伏すと微塵にも動かなくなった。
そしてその肉体から霊素がハラハラと散り風に巻かれる灰のように空へと登っていく。
「はあ……予定狂い過ぎだな……どうリカバリしようか悩むでござる……」
「い、今のは……」
「うむ。今のがこの死魂蟲の霊撃でござる。魂を抜くので問答無用で死ぬ。防御とかは無理筋故早々に諦めるが良いでござる」
言葉と共に死魂蟲の触腕が再びスオへと向く。
息を呑み、表情を強張らせたスオは何を思ったか両手を前に差し出した。
ーーまさか、魂を取られる前に何かしらの魔術で防ごうとしてるのか?
ジョージはスオの性能について知らない。
知らないが、そうそう死魂蟲の霊撃を防げる術などあるはずがないと触腕を伸ばす。
スオは身動ぎしない。口を引き結び目を見開いて緊張から足を震えさせていてもその触腕を迎え撃とうとしていた。
触腕が迫る。もう今にも触れようかというその時、触腕が上から叩き伏せられた。地面に叩きつけられ仰け反るように空を向く触腕。
何が起きたかと目を丸くするジョージとスオの前に腕から光の剣を伸ばす聖鈴騎士がそこにいた。
「エオメル……」
ジョージの声に、聖鈴騎士は悲しむような、痛がるような、複雑な表情を浮かべていた。




