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教会に戻ると、いつになく慌ただしい様相を呈していた。人々が集まり、ざわざわとどよめいている。民衆の前に立つクルニアがなだめる様に話していた。
「どうか皆さん落ち着いて。聖鈴騎士が今、向かっていますので皆さんに危害が及ぶことはありません」
「そうはいうけど司祭様、こんな事は初めてで俺らはよく分からんのです」
民衆の一人がやや狼狽した様子で言うが、クルニアは落ち着いた所作で頷き返した。
「はい。それは勿論その通りです。ですが、もとより対処はすでに決まっておりました。今回はその取り決めの通りに動いておりますのでどうか皆さんご協力をお願い申し上げたいのです」
言葉は柔らかで宥めるように優しく語られていた。それで男はまだ何か言い足りない様子を見せつつも引き下がっていた。
なおもザワつく民衆をかき分けて申し訳ありませんと頭を下げながらクルニアのもとに辿り着くと司祭は話の通じる少年少女の姿を認めて顔を緩ませた。
「お帰りなさい。お疲れの所、申し訳ありませんが見ての通り少々困った事が起こりました」
「何があったんですか?」
ええ、と頷く様子は深刻な色味を帯びていた。口にするのを一瞬躊躇うが、息を吸い直し一息に口にした。
「第四段階霊素獣の反応があったそうです」
「第四段階……!」
その言葉に一瞬にして背筋が寒くなる。どんな霊素獣が現れたかは不明だが人馬獣と同等の怪物である事は間違いない。
あんなものが街中で暴れたらその被害は大変なものになるだろう。
「今、騎士エオメルが向かっています。件の獣は人里から離れるように誘導していますが、念の為避難指示を出さねばなりません」
意思の強さを滲ませたクルニアの言葉にスオとキーアの表情に緊張が走る。
……第四段階の霊素獣ともなれば最早それは第三段階とは別物である。戦団のユガも第三段階は群れであってもまとめて倒せてしまう程の実力を有しながら第四段階に対しては劣勢であった。
エオメルの実力の程ははっきりとした事は分からないが、それでも第四段階を軽く一捻り出来るとは到底思えない。
最悪の事態は想定してしかるべきだった。
避難誘導が始まった。人々はクルニアやロシリエルの先導のもと避難所へ集まっていく。国としての規模は小さくとも二人では手に余るし、避難所も一つでは足りない。庁舎や商工会の建物、とにかく人をまとめられそうな所に集めてすぐ対処できるようにした。
スオやキーアもそれを手伝う。足腰の弱い老人や子どもたちを助け避難を進めていた。
「誰か、誰か知り合いがいないという人はいませんか。家族とはぐれた方は……」
陽が傾いて、ロシリエルもすっかり疲れた様子を見せながら、しかし毅然とした態度で呼びかけている。
人々はどこか不安気な様子を見せながらもヒステリックに騒ぎ立てる事はせずお互いに身を寄せ合っていた。
有志を募り、若い男を中心とした避難活動は滞りなく進んでいた。さしたる混乱のない事に内心ホッとしていると呼びかけてくる声が聞こえてきた。
「ロシリエルさん、こっちの方は大丈夫みたいです」
「こっちも問題ないみたいでした」
キーアとスオが報告に来るとやや疲れた様子を滲ませながらも微笑みかけ「ありがとうございます」と感謝した。
しかし、そこに、
「お母さん、ポチが……ポチが……」
「分かってるけど……仕方ないでしょう……これ以上ご迷惑おかけできないんだから……」
咽び泣く少女と疲れたように嘆く声が聞こえてきた。そちらの方を向くとミアとその母親がそこにいた。嘆く少女に母親は腰を落として視線を合わせている。二人はどこか憔悴した様子で特にミアの方は切羽詰まったように母にしがみついている。
「どうしましたか?」
ロシリエルが話しかけると今にも倒れそうな顔をした母親が申し訳無さそうに頭を下げた。
「ああ、すいません。ウチの子が……その、犬が目を離したすきにいなくなってしまったようで……」
「それは……」
確かに、いつもミアが連れている茶色い毛並みをした子犬の姿がない。昨日はすっかり弱った姿を見せていたが、どこかへ逃げる程に回復したのだろうか、そして何故逃げ出したのだろうかと訝しむ。
しかし、取り乱し涙を流すミアの様子は放置しておくには忍びない。
「分かりました。それでは私が探してきます」
ロシリエルの言葉に母親が跳ねるように膝を立てた。
「だ、だけど、それじゃ……」
「大丈夫、騎士エオメルが霊素獣は何とかしてくれるでしょうし。私も無理はしません」
母が娘を見る。まだその目には大粒の涙が浮かんでいた。頬を濡らす娘を見て観念したように息を漏らす。
「……すいません。それではお願いできますか」
伏し目がちに母親が小さく口にした。心苦しい事を頼んでいるという気持ちもあるのだろうがどうにも心が弱ってしまっているのが目に見える様子だった。
「はい、お任せください」
その壊れてしまいそうな女性にこれ以上負担をかけたくない。何でもないことを請け負うように、だから大丈夫だと安心させるようにロシリエルは微笑んだ。
「私も行きます。一人じゃ何かあった時に困るでしょうし」
「それなら俺も行く。男手がいるかもしれないから」
キーアとスオがそれぞれに言う。一瞬、逡巡を見せたがロシリエルは頷いた。
「そうですね、お願いできますか。ここは誰かに頼んでおきましょう」
「でも、どこに行ったか見当もつかないで探すのはさすがに良くないだろ」
スオのそれはもっともな意見だった。避難を行っている最中にうろちょろするのは理屈が通らない。
「そうですね……」
眉間にシワを寄せ唸るように三人が考えているとおずおずとした手が挙げられた。
「あの……」
消え入りそうなその声はミアのものであった。キーアが膝を折り視線を合わせて尋ねる。
「どうしたの?もしかして心当たりがあるの?」
こくりと頷いた。揺れる視線が怯えたように湖の方角を向く。
「多分、昨日のトコロだと思う……何だか今日はあっちに行きたがってたから」
「ありがとう分かった。じゃあ、そっちの方を探してみるね」
立ち上がり、三人は顔を見合わせると湖へと走り出した。




