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おうちに帰るミソロジー  作者: かわのながれ
シジューで
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ドアを叩く音がする。ここ数日毎日のように聞く音だ。


その音にも種類があって、好きな音とそうでない音の二つがある。


……これは好きではない音だ。不躾で遠慮がなく、好意のかけらもない。


ああ、と泣きたくなる。この世界には雑音が多すぎる。何故この世は自分を放っておいてくれないのか。


ページをめくる。そこには目眩く空想の世界が広がっている。どこまでも自由で、どこまでも希望に満ちた夢のような世界だ。


ここに浸っていたい。現実なんて知ったことか。


ページをめくる。


ドアを叩く音がする。先程よりも強く、神経質な音だった。


耳障りな音だ。鼓膜を破りたくなる。


ドアを叩く叩く叩く叩く叩く音がする。うるさい、邪魔をするな。()を自由にしてくれ。


この世界は最悪だった。


どうでもいい周囲。どうでもいい使命。どうでもいい役割。他に何もない俺。命の使い方は生まれる前からどうでもいい誰かが決めていた。


日々、自身の性能を上げ続ける毎日。他者の知識知恵経験それらを吸収して肥大化しながら磨き続ける自己。


別に不満はなかった。人生とはそういうものだと思い込まされていたからだ。


しかしそれも自我に目覚めると一変する。


やがて人生がクソくだらねえ繰り返しに終始し、さして代わり映えのしねえカスみてえな差を競い合う地獄の馬乗り合戦場だという最悪にクソつまんねえ事に気が付くと生きてることが馬鹿らしくなったので死んでみることにした。


結果から言えば失敗だった。俺のその時の体重では足りなかった。後遺症も残らなかった。俺は廃棄物になり損ねた。


まだ使えるから千切れるまで絞りきれという意味合いの俺の処遇を聞いて絶望した。もういいから殺してくれよ。そう嘆き続けたところ年若い下っ端の兄ちゃんが俺にそいつを渡してきた。


恐らく何かの気まぐれだったのだろうそれは俺にとって未知との遭遇だった。それを読む事には何の意味もない。知識も知恵も授からない。それを読む事によって一つも俺の性能は上がらないけれど、それは俺を他の何よりも満たしてくれた。


世界にはこんな喜びがある。俺の生きていける理由はここにあって他にないと思った。


だから俺はここに来る事にした。北にいては新刊を読めない。


だというのに、ドアを叩く叩く叩く叩く叩く叩く叩く叩く叩く叩く音が鳴り止まない。


俺を殺す気か。もう死にたくないぞ。


……糸がまとわりつく。取り除こうとしてもどこにもそれはない。ただ、感触がある。真夏の湿った空気のように粘つく不快な感触が、俺に自由を許さない。


ドアを叩く音が響く。糸が絡み付く肢体。耐えきれない精神。あまりにもしつこいので仕方なくドアを開く。


そこには見たくもない面が不機嫌そうに立っていた。


「何故もっと早く開けないんですか」


漫画読んでたからだよ。


「何用か。小生ハイパー忙しいので邪魔すんなよ」


蔑みの視線が俺を、いや俺の背後に注がれる。


「また、くだらない漫画なんか……」


「死ぬか?エドガー」


「エドガーと呼ぶなと何度言ったら分かるんですか」


「ウンコ袋の言葉なんか理解出来るかよ」


「……どうしてこんな連中ばっかり」


嘆く女の悪態が気持ち悪い。神経を粗めのヤスリで削るみたいな声。現実は最低だった。


「仕事は終わっていますか?お風呂には入りましたか?そもそも貴方着替えていませんね?」


何なんだ母親かよ。俺は母親の顔なんて知らねえけど。


「……まあ、仕事はあと少ししたら終わる。風呂には入ってないでござる。着替えとかねえで候。服を買いに行く服がない故、仕方なし」


「服は用意しました」


何でだ。


「貴方、この件が終わったらここを引き払って本部に召集されるんですよ?分かってるんですか?身だしなみの一つも整えなさい」


「は?」


本部?召集?馬鹿なの死ぬの?


俺はここから離れたら生きてる意味ない事分かった上で言ってるの?


ふざけんなよウンコ袋が。


「小生、絶対にここから離れないでござる。ここから離れるくらいなら死ぬ」


「子供みたいなことを……」


「分かった。実は全然研究終わってない。後百年かかる」


「渡されたデータからもう九割方終わってるのは知っています」


「実はあれは適当にぶち上げただけでござる。デマなので候。だから欠片も終わってないという」


「こちらでも実証はしました」


「……」


「研究班は貴方の能力を高く評価し、本部での働きを期待しています」


笑っちまうくらいに聞き飽きた類の言葉だ。


期待しています。評価しています。


だから私の言うとおりに働きなさい。


お前のために生まれてきた覚えはねえんだよ。ああ、だっていうのに何でこの体には糸が絡みつく。不快な感触。つかず離れない誰かの意図。己の進退一つままならない。


「ガトーのクソ野郎が?あの負け犬が?何の価値があるんだよそんなものに」


「言葉が過ぎますよ」


「俺はここを離れない」


女がため息を吐く。ダイレクトに伝わってくる感情が俺の神経を撫で擦る。気持ちが悪い。気持ちが悪い。気持ちが悪い。どうしてこんなにも頭の作りが違うんだ。イカれてる。何もかも。


どうでもいい誰かのためにどうでもいい目的のためにどうでもいい作業をまるで呼吸をするのと同じように必要だと、やって当たり前なのだと思い込んでる。心底気持ち悪い。吐き気がする。


こんなおぞましいものがあふれた世界に生まれてきた不幸を呪う。


せめて美しい物のそばに在りたい。


ああ、センティーア。無数の物語にあふれた俺の聖地。魔術院が幅を利かせているせいで直接は赴けない。このシジューは最後の生命線だ。ここ以外では黒庇山脈以北の地に住むしかない。そんな事になったら本一冊手に入れるのも難しくなる。


そして、向こうの連中はその悲劇を分かっていない。理解がない。あんな、あんなおかしな連中、一緒にいられるものか。俺にとってただ一人の理解者もいなくなってしまう。


それだけは駄目だ。それだけは……。


「そんなにシジューを離れたくないのなら直談判してはいかがですか?」


うんざりとした見えない壁に阻まれた声がする。呆れたように駄々をこねる子供を相手にするように女は俺を突き放した。


だが、その言葉は俺にとって僥倖だった。


「……奴が来てるのか?」


「ええ」


それなら、まだ交渉の目はある。ここに残る事ができるかもしれない。


糸が絡みつく。生きている意味が俺にはある。それとは何ら関係のないところで俺の手足を縛る何かがある。


この不自由さは、窮屈さはいつまで続くのだろう。

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