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「……かくして始祖バラルは神の啓示を受けました。より善く人を導く為に神は自らの威を用いることを許されたのです」
ロシリエルの声が蒼天の下に滔々と響いていた。空の高さ広さは果てしなく、彼女の声はその広大さに吸い込まれていきそうにも思えたけれど、不思議とその声はよく通り、広場に集まった人々に行き渡っていた。
広場は刈り込まれた頭のような短い芝生で覆われており、ロシリエルは石扉を倒したような大雑把な壇上に立っている。集まった数十人の人々は椅子もその代わりもなく当たり前みたいに地面に座って静かに話を聞き、キーアはその最前列に座っていた。
キーアが崩した足の上で雪玉のように丸くなるアレクトは時折鼻を鳴らし聞いているのかいないのか良く分からない態度でなんてことない普通のウサギを装っている。
これは事前に余計な事を言うなと釘を刺しておいたためである。仕方がないなあとニヤニヤ笑いながら承諾したので怪しいものを感じていたが、意外と素直に従っていた。
とはいえ、意識がアレクトにとられていたせいか話はイマイチ理解出来ていない。大雑把に分かった事と言えば、人々はかつて神の庇護を離れ魔の領域にあった事と、神の啓示を受けた教会の始祖たる人物が神の名を以て教えを広めた事。
そして、
「今では神の名を知る者はおりません。それを記した記録は失われて久しいからです。それでも神の教えは今もこうして受け継がれているのです……」
そういう事らしい。
こうして講話は終わりロシリエルが「ご静聴ありがとうございました」と頭を下げると聴衆は拍手をしてロシリエルに頑張ったねと親戚のお嬢さんを相手にするような労いの言葉をかけて銘々に散っていった。
その中で、一人の少女は未だに膝を抱えて座り込んでいた。昨日見かけた少女、ミアである。
「こんにちは、ミアちゃん」
その姿はあまりにも弱々しく孤独だった。気落ちしている主人を励ますように飼い犬がその傍らに寄り添っているが、その献身は届かずに周囲から己を隔絶する事で自分を守ろうとしているようで放置してはおけずキーアが声をかけると、少女は顔を上げた。浮かない表情をしている。父の死が未だ心に暗い影を落としているようだった。
「……こんにちは」
声が重い。鼓膜が挨拶ではなく悲しいだとか辛いだとかの感情で振動しているようだった。
「ロシリエルさんのお話を聞きに来てたんだね。教会に興味があるの?」
少女は少しの間、自分の考えを整理する必要があったようで口を半開きにして動きを止めた。そして迷ったように頷いてみせた。
「……聞きたいことがあって」
そっか、と頷くとロシリエルを手招きして呼んだ。修道士はゆっくりと膝を下ろすと目線を少女に向けて尋ねた。
「何が聞きたいですか?私に答えられるようならいいんだけど……」
「うん、あのね……」
言い難いことなのか、目を右往左往させ口元をあえぐ様に開いたり閉じたりする。いくらかの逡巡を見せるがロシリエルは急がせることは無かった。
そして、いよいよ意を決したのか大きく一度呼吸を整えるとそれを口にした。
「幽霊って、いるのかな」
「それは……」
ロシリエルが答えに窮した。その質問の意図する所に気がついたからだ。つまるところ、少女は父の影を追い求めている。それに対する正しい回答が彼女には咄嗟に判断出来なかった。
だが、返答は意外な所から返ってくる。
「幽霊はいるとも」
そう断言したのはアレクトだった。当たり前のことを当たり前のように答える口振りだった。
「ウサギさん、本当に……?」
「いる。会えるかどうかはともかく確かに幽霊はいるとも」
「そっか……そうなんだ……」
少女の目に涙が浮かんでいた。誰かに肯定されることでようやくフワフワとしていたものが地に足ついた安堵からくるもののようだった。
「アレクト、本当に幽霊はいるの?」
「やれやれ疑い深いな。いるったらいるよ。まぁまぁ見かけることはないだろうけどね」
肩をすくめる様にして言うアレクトにロシリエルは複雑な感情を抱いているようだったが、改めてミアの方へ顔を向けると安心させるように微笑んで頭を撫でた。
「……幽霊はいるそうですよ。良かったね」
ミアはこっくりと頷くと立ち上がった。飼い犬が主人の快復を感じ取ったのか嬉しそうに飛び跳ねていた。その頭をミアはゴメンねと呟いて撫でると礼を述べて去っていった。
その後ろ姿を見つめるロシリエルはまだ複雑な表情をしていた。
「……もしかして、教会的には幽霊っていないんですか?」
恐る恐る尋ねるキーアの問いに、ロシリエルは困った様に笑って否定した。
「……少し違いますね。教会は魂とは霊流に還るべきであり地上に留まってはならないとしているのです」
「要するにアレだ。地上に留まる魂は不浄なモノ。悪だって定めてるんだよ教会は」
アレクトが補足する。
成程、と理解した。少女、ミアが幽霊について尋ねたのは父親に関連しての事だろうから、その父親の幽霊についてそれは教会的には間違っている、悪だと言うのは流石にはばかられた、ということだろう。
「でも。そうだとするとロシリエルさんとしては後々教会の教えを話す時に困ることになるんじゃないですか?」
彼女の行為はある意味教会への背信だ。何しろ教会が否定するものを否定しなかった。正しい信徒の在り方としては例え少女の気持ちを傷付けると知っていても幽霊を求めてはいけないと戒めるべきだったのだ。
彼女の前で魂の残留を悪とすることがロシリエルには許されなくなった。二枚舌を用いればその言葉には何ら価値がなくなるからだ。
だからこそロシリエルは微笑んだ。
「そうですね、でも教会というのは神から与えられた使命を果たすための組織である以上に人の心を救ける場所でありたいと私は思っていますから」
茨で体を巻かれながらも正しい事は正しいはずだからと修道士は言った。
その姿に感銘を受けずにはいられない。正しくロシリエルは聖職者であった。




