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おうちに帰るミソロジー  作者: かわのながれ
レンレセルから
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4・カウツ

 さてイーチガ達の話を聞いて、キーアの心臓は締め付けられるような感覚を覚えていた。まったく危惧した通りになっているのだからこれは救えない話だった。


 カウツが命懸けの戦場に赴く。そう聞いた瞬間にこの世のすべてが色褪せるような絶望を感じた。それこそ今しがたまで自分が抱えていた不安など頭の中から払い除けられるみたいにすっかりどうでもいいことになってしまっていた。悩みで悩みを上書きしているがより悪い悩みに苛まれることになっているのだから結果的にこれは良くないと言えた。


 キーアにとってカウツは家族も同然の存在である。普段は意識こそしないが、紛れもなく優先対象だった。血の繋がりはなくとも十年間世話になり、その生活を支えてきてもらった。


 そのカウツが命を落とすかもしれない。最早いてもたってもいられなかった。


 講師棟は十階建ての建物で一階のエントランスフロアには案内板があり、講師の名前から何階のどこに研究室があるのか分かった。


「ここに来いとは言われたけれどどこに行けばいいんだろ……」


 てっきりカウツが待ち構えているものだと思っていたら誰もいない。仕方なく案内板を見てみると講師達の名前にカウツの名前が混じっていた。


「師匠、何で」


 疑問に思いつつもカウツに宛がわれた個室に向かう。その足取りは心の重石が絡まって益々重くなっているようだった。これから何を話すのか。彼女には見当もつかないがいい話になるわけがないと考えていた。恐ろしくて恐ろしくて心臓が痛いくらいに早く鼓動を鳴らしている。


 そうして、遂にカウツの名前があった個室にたどり着いた。黒塗りに金色の縁取りをされた艶やかな扉である。その滑らかな表面に手の甲を恐る恐る当てて、トントンと小さくノックした。


「……がふっ、入りなさい」


 何故か、何かを吐き出し咳き込んだような声がして入室を促された。


 キーアの薄い唇から糸のようにか細い息が漏れた。


「失礼します……」


 蝶番の軋む音と共に扉が開く。中は魔力灯の光で明るく照らされ壁際にはびっしりと本棚が並び、種々様々な本が敷き詰められている。来客用のソファにテーブル。実験用具とおぼしきガラス瓶が乗った作業机、それとは別に事務作業に使うのであろう机まであり広々としていたが、それより何より一番に目を引くのは事務作業用の机の前に置かれたベッドとそこに横たわる人物だった。


 それは老人のような白い髪に枯れ枝のように細い手足が裾から覗き、今にも死んでしまいそうな雰囲気を身に纏った酷く不健康そうな男だった。


「ぐふっ、ごほっ……ああ、済まないなキーア……呼び立てて」


 大きなハンカチで口を覆いながら息も絶え絶えに男が言う。


 キーアは思ったより容体の思わしくない重病人の病室に入ったかのように眉尻を下げかけたがかすかに横に首を振ると微笑みながら男に近寄った。


「大丈夫だよ、師匠。体調は芳しくないの?」


 そっと手を添えた頬はいつかの時よりも痩けていた。乾いた肌が少しでも撫でようものなら擦過傷を起こしてしまいそうで恐ろしかった。この病人然とした男こそキーアの保護者であり師匠に当たる人物。カウツである。


「ゴホッ……大丈夫だ。今は諸事情あってな……肉体強化を解いているから臓器がビックリしているようだ」


「そうだったの……」


 ある種の魔術師は基本的に魔術で肉体を強化し周囲に魔力の障壁を纏っている。であればこそこの今にも死にそうな風体のカウツも戦団などという体育会系の極みのような部署に属していられるのだが、特別な肉体強化を施していないカウツはこの有り様で到底出歩いたり出来ない体である。


 そのカウツの体が纏っているのは戦団で使用されている黒いロングコートではなく、白いロングコートだった。


「師匠……この服……」


「ああ……俺は戦団から学部の講師に異動になったよ……」


「どうして?まさか、体が……」


「違う、違う。聞いていないか……?魔王の大征伐について……」


 先程聞いた話を思い出す。


「さっきビゼーから聞いた。師匠はどうなるの?」


「いかないよ……俺は死なれると困るからって異動させられたのさ……」


 それを聞いてキーアは胸を撫で下ろした。安堵のあまり膝が崩れるかと思うほどに脱力して思わずカウツのベッドに手をつけた。


 かすれた息で胸を上下させ、時には咳き込んで体を震わすカウツは酷く弱々しかった。十年前からの付き合いでその体の弱さは分かっていたつもりだったが、魔術を使わなくなるとこうまで弱々しくなるとは思ってもみなかった、というのがキーアの本音である。


 そっと触れた腕が枯れ木と見紛うほどに細い。不用意に力を加えれば骨が折れてしまいそうだった。


「本当に大丈夫?師匠……私に気を使ったりしてない?」


「問題ないよ……明日か明後日には肉体強化程度の魔術なら使用許可が降りる……」


「魔術って使用許可がいるの?」


 キーアの言葉にカウツが呆れたようにため息を漏らした。


「当たり前だろう……使い方一つで怪我人どころか死人が出るんだから……制限もかけずに放置していては……魔術師を統制している意味がない……」


「そうなんだ」


 レンレセルの住人でありながらまるで他人事のように言うのでカウツはまたため息を漏らした。


「お前……魔術師なら常識だぞ……いの一番に習っただろうが……」


「私は魔術、使えないからね」


 自嘲の言葉にカウツの口がわずかに開き、しかし言葉を出すことはなく引き結ぶとゆっくりと瞳を閉じた。


「……そうだな。お前の問題は……結局そこに帰結するな……」


 ゆっくりと腕が伸びる。机の上の二枚の紙を取るとキーアに手渡した。


「これは……?」


「復学証明書と……出国許可書だ……」


「復学……出国!?な、何で!?」


 心臓がまた痛んだ。冷や汗があふれてくる。束の間、忘れていた恐怖がぶり返して知らず知らず後退りしていた。


 国を、レンレセルを出ていけと言われたらどうしようとは常々思っていた。たとえ、自分がこの国にとって異物でもレンレセルはキーアにとって最早生まれた土地よりも愛着のある場所だ。


 しかし、カウツはそんなキーアの考えを見通していたのか安心させるように穏やかな顔で首を横に振った。


「お前の休学は……魔術関連の単位が全滅してることが……原因な訳だが……」


 カウツの声は酷く平坦だった。まるで教師のようだった。


 魔術院学部の卒業要件は在学中に必要な単位を取得し、卒業後進路に則った卒業課題の提出をするというものである。そのため年次進級は存在しないし決まった在学期間もないので人によっては驚くほど早く卒業する者もいれば、いつまでたっても在学したままという者もいる。


 ただし、卒業するにあたって必ず取得しなければならない魔術に関する単位が存在する。魔術図形学、魔力色学、魔術概論などがこれに当たる。そしてこれらの単位が軒並み全滅しているのがキーアであった。というのもいずれも少なからず魔力の精製以上の作業が要求されるからである。魔力を精製できないキーアは当然のようにこれらを取りこぼさざるを得なかった。


 そして、卒業に必要な単位をこれら以外は取得してしまったからこそ、休学しなくてはならなくなったのだ。


「必修単位はそんなに多くない……その単位を課外実習という形で……補うことにした……」


「そんな事出来たの?」


「俺とお前は師弟という間柄でもある……師匠の出す課題が単位として認められる制度がある……」


「それは必修でもカバーできるの?」


「本来は無理だが……特例で了承を貰った……」


 思いがけない話だった。ほぼ間違いなく悪い話だと思い込んでいたので、頭の中を覆っていたモヤが一気に晴れ渡るような気持ちだった。まったく現金なものである。


 しかし、脳天気なだけではいられない。腑に落ちない点があった。


「どうして今更、そんな特例が通ったの?もしかして師匠が戦団から学部に移ったから?」


 必修をカバーする方法があり、それが出来るなら最初からそうしていればよかった話だ。何しろ魔力を精製出来ない時点で単位の取得は無理だと分かりきっていたのだから。


 だから、もしそれが何かカウツの不利益によって成されることならば、それは酷く心苦しい。彼女にとっては自分を嫌う理由になってしまう。


 だが、カウツは寝返りを打つようにゆっくりと首を横に振った。


「魔王の大征伐だ………」


「……それと何の関係があるの」


「魔王の大征伐にあたって……レンレセルの主力である戦団のほとんどが国を離れる……だから、国を守るため入出国を制限しなくてはならない……」


「鎖国するの……!?」


 驚き上擦るキーアの言葉に頭を軽く前に振ってカウツが肯定する。


「そうなったが最後……二十年はレンレセルを出ることが叶わないだろう。そうなれば……お前はレンレセルで生きていくことを強制される……」


 その言葉にキーアは背筋が寒くなった。レンレセルが嫌なわけではない。だけど、しかし、キーアはレンレセルの出身ではなく別の場所にルーツを持つ人間だ。


 薄い薄い繋がりだけれどよく覚えていない故郷に心を残していないと言えば嘘になる。レンレセルに送り込まれたことを含め、いずれはハッキリとさせたい事が幾つもあった。


 それが叶わずこのレンレセルで一人、不自由に生きていくという想像は苦々しいものがあった。


 魔力が使えず、誰にでも出来ることが出来ないという劣等感。そのためにレンレセルという魔術社会に適応できないのではないかという不安はいつだってちらついた。


 そしてそんな環境にどうして放り込まれたんだろうと時には恨みがましく思うのだ。


 ここではないどこかに本当の自分の居場所があって、何も悩まずに居られるのだとしたら、そんな恥ずかしくも情けないことを考える。


 そんな自分にケリを着けたいと常々思っていた。それが出来なくなるかもしれない。


 自分の真実を知りたい。だから何も知らずレンレセルに閉じ込められるのは。


「嫌だ」


 はっきりと口にすると幾分気が楽になったようだった。流されるのではなく自分の意思を表明出来たからこれから起きる全ての益不益を誰かのせいにせずに済む。それは彼女にとってとても気楽な状況だった。


 それを聞いたカウツの表情がわずかに緩んだ。


「良かった……あれこれとしたことが無駄にならずに済みそうだ……」


 その心底ホッとしたような横顔にふと、キーアは不安を覚えた。


「あのね、師匠。もしかして、私はレンレセルからいなくなった方がいいのかな……?」


 それは少しだけ違う問いだった。本当に聞きたかったのはカウツの感情であり、都合である。しかし、そのまま聞くのは躊躇われた。もしも要らないと言われたら、と怯んでしまった。


 馬鹿な悩みである。


 そんな馬鹿な悩みを抱えるキーアの顔を横目に眺めると、その捨て猫のような表情に体をわずかに揺らしながらくつくつと笑った。


「子供が……つまらない心配をするな……子供の居場所は大人が用意するものだ……満足したら、帰ってきなさい……」


 優しくて暖かい娘を慮る父のような声に何故だか顔をあげているのが難しくなって、キーアは顔を伏せた。


「ありがとう、師匠……」


 蚊の鳴くような声に、カウツは二度、三度と口を開き何事か言ってやろうとしたが、結局「いいや」と短く呟くばかりだった。

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