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センティーアの人々は突然の事態に怯え惑い行く先も分からぬまま混沌に陥っていた。そんな彼らを横目に建物の屋根から屋根へ飛び移る影があった。スオである。
魔術の制限はあっても軽度肉体強化の魔術は使用が可能だったので混雑する地上を避け上を取っていた。
「……よし、魔術の使用制限解除許可がおりた」
アレクトの言葉を確かめるように弓矢に魔力を通わせてみると確かに魔術が使える状態になっていた。武器を持たない心許ない状態から一先ず安心出来るようにはなったが、まだ何も解決していない。肉体強化の魔術もその強度を上げることが可能になり筋肉に通う熱量が爆発的な脚力を生み出す。キーアを攫って逃げたケレブリアンを追って弾丸のように走る。
とはいえ、相手は霊素獣である。いくら強化したとはいえ身体能力的には未熟なスオでは太刀打ち出来ない。どんどんと離される一方だった。
「くそ……!このままセンティーアを出られたら……!」
「あんまり焦るな、スオ」
「これが焦らずにいられるか!」
「ただでさえ力不足のお前が心乱せば更におっつかなくなるぞ」
「くっ……」
「心配するな。どうやらむこうさん足を止めたようだ」
「分かるのか?」
「この体にはお前達の生体反応を検知する機能が搭載されているのさ。キーアは無事だ」
「でも、いつあの女がキーアを害するか……」
「ああ。なるべく刺激したくないが、キーアめ大人しくしてるかな?」
「そもそも、何のためにキーアを攫ったんだよ」
「単なる嫌がらせだろ。人質掴ませた霊素獣を蒔いて囮を出したのに自分の対処優先度を上げる意味がない。ましてやヴァッシュの横を通って攫うなんてのがその証拠だ」
「……ふざけてる」
「ごもっとも。ふざけているね。真剣味がない。完全に遊んでいる」
「愉快犯でこんな……こんな大惨事を引き起こすのか?何なんだ、アイツは?」
「今、得られている情報から推測すれば組合しかないとは思う」
「組合……組合が、何のためにこんな事を」
「それは……っと、スオ!」
前方から巨大な獣の影が踊るように飛び跳ねながらやってくる。一歩ごとに足元を破壊しながら黒焔獣が迫っていた。
杖を取り出し、線を引く。魔力弾が形成され射出される。だが、第三種霊素獣である黒焔獣はスオには捉え切れない軽やかさで魔力弾を避けると一直線に飛び掛かってきた。
「うっ……!?」
思わず両手で頭を守るように身構えたが、その鼻先で破裂音が響き黒焔獣が悲鳴を上げてその巨体をのたうち回らせながら地面に転がった。
何が起きたのか把握できないままでいると、もう一発魔力弾が黒焔獣に撃ち込まれ、頭部と胸まで失い黒焔獣は消滅した。
「大丈夫か」
声と共に現れたのはヒッツであった。
その目は暗く淀み、まるで死人のようだ。その変わり様にスオは思わず声をのみ、顔を引き攣らせるが胸を落ち着かせると頭を下げた。
「あ、ありがとうございます。おかげで助かりました」
「……あの女を追っているのか。あの女は俺が殺すから君は下がっていろ。足手まといだ」
一刀両断の容赦ない拒絶。どこか違和感のある口振りだった。言葉が強すぎる。明らかに正常ではない様子に、しかし言う事はもっともだった。
だが、スオは引くわけにはいかない。そうしてしまったら自分の存在意義がなくなってしまうからだ。
「……俺は俺の命なんかよりキーアが大切です。知らない所でアイツの命が危険に晒されているなんて許せない」
「……じゃあ勝手にしろ。悪いけど俺には余裕がないからあの女を殺す以外考えられない」
その声は。どこまでも暗く、冷たく。だからこそ震えていた。
スオはその声と眼差しの奥、身動ぎもしない闇の中に絶望と呼ぶに相応しい怪物を見た。震えているのはその苛烈な情動だ。
昨日、一昨日出会ったばかりの他者には測りしれない心の動きがあって、結果としてこうなったのだろうことは分かった。赤の他人には違いない。だが、それでもこの変化を悲しく思う。
腰のホルダーに収納された矢が指先に触れる。未熟な自分を助けてくれた二人の魔術師、またその片割れがあの時浮かべた寂しげな顔を思い出す。
悲劇は容易く人を変える。あまりにも残酷に。
もしも、自分がキーアを失えばと想像するとスオの精神は真っ白になってしまう。立ち上がる理由も、立ち向かう理由も全部お膳立てされているのだ。
だから、スオは立ち上がる。どんなに惨めでも場違いなのだとしても、何もせずにいたらその事実だけで心が死んでしまう。
キーアを守る。それがスオの全てなのだから。
そうして立ち上がったスオを見て、ヒッツは一瞬眉根を寄せた。しかし、すぐに顔を背け飛び出そうとしたが、
「ちょい待ち。お二人さん。残念かつ急ぎの連絡だ」
アレクトがやや焦ったようにヒッツを引き止めた。ヒッツは今度こそ不快げに顔をしかめるとアレクトを睨みつけた。
「何だ、何があったんだ」
「転移させた輝翼鳥だが、転移先で準第五種交戦資格保持者のカイが霊核を破壊した」
「三強の……それで?倒したなら何も問題ないだろう」
イライラしたようなヒッツの口振りに、しかしアレクトは苦虫を噛み潰したような表情と声で返した。
「霊核を破壊した後、再生を始めたらしい。現在再び交戦中との事だ」
その言葉の意味を理解するのに、少し時間がかかった。ヒッツも、スオも二度三度と瞬きをすると間の抜けたような声で、
『は?』
と、言うしかなかった。




